五島列島

五島列島は長崎の西部に浮かぶ離島である。古来より現代まで日本の離島は海洋の道として栄え、また過酷な環境の中で必死に生きてきた人々のいる地である。離島の生活苦は平凡社出版の「日本残酷物語」に詳しい。現在、多くの離島に大型のフェリーが就航し、飛行場ができたが、日本の離島はあらゆる点で生活苦が解消されたとはいえない。
一方、小泉八雲の描いた日本人の情緒、人と共存する自然の姿を見ることができるのもまた、離島である。私はこれまで沖縄、鹿児島、瀬戸内海、北海道の離島を旅したことがあるが、五島列島ほどに観光者に媚びず、生きている地方はない。ここでは私が五島列島へと旅行した際の記録を記載する。

1.かなり苦難の道のり

旅行前日。卒業生の送り出しで飲み会。朝4時まで飲んでいたため、その勢い荷物を詰め込み、伊丹空港へバスへ。預け入れ荷物でテントポールとナイフと三脚が引っかかるが、無事通過。長崎空港へ向かう。眼前に長崎っぽい町並みが見えた頃、突然飛行機のアナウンス。
「ただいま、霧のため飛行場に着陸できません」。最悪の場合、福岡空港に着陸、との事。おい、フェリーに間にあわねーよ。
結局上空で30分旋廻を続け、無事到着。長崎空港から佐世保までほんとうはJRに乗るつもりであったがヒッチハイク。九州はヒッチハイクのしやすいところだ。佐世保で佐世保バーガーなる名物昼食を食べ、軍港佐世保の町並みと海上自衛隊のセイルタワーへと向かった。要するにフェリーが出るまでかなり暇だったのだ。午後五時にフェリー出航。五島列島とは少し言い難い小値賀島へ向かう。ひたすら日の沈む方向へフェリーが進み、空の色が茜色に美しく輝くさまをみると大昔の遣唐使に一瞬思いを馳せる。この日は民宿に宿泊。食事が非常に美味しく、持ってきた焼酎が早速半分空いてしまった。食事後、静かな夜の笛吹漁港を散歩し、海面に映る灯台の光を眺め、久しぶりに澄み渡った星空を眺めた。空はどこでもつながっているが、見えるものはあまりにも違いすぎる。美しすぎず、汚くもない、日本の夜空。

2.小値賀の一番長い日
この日は古びた教会と放棄された農地を見るため、無人島の野崎島へと向かう予定、だった。それがおおしけ。町営の小さな船どころか長崎との連絡フェリーですらも欠航してしまう。さて、どうするか。
こんなときは二度寝である。10時まで寝て、役場で自転車を借り、小値賀島を観光することにした。天候も回復。まずは歴史民族資料館。旧石器時代の遺跡からサンゴと椿油で栄え、武家屋敷の立ち並んだかつての面影、往年の農機具や貿易で手に入れたと思われる壷などが飾られ、見るべきものはそれなりにあるのだが、誰もいない。牛の塔
歴史民族資料館から東、素晴らしい海岸地形と漁港の広がる景色の中を進むと「牛の塔」が現れる。その昔、小値賀島は東西に分かれた島であったが、これを人工的に埋め立てた。それが「牛の塔」のある場所である。たくさんの犠牲になった牛を供養する小さな祠がひっそりと海に突き出していた。跡形すらない膳所城跡を過ぎ、学校近くの姫の松原をのんびり写真撮影する。姫の松原
離島の学校はいつ見ても寂しくて、どこか気持ちいい。日本人が誰でも持っている心の原風景。それを形にしたのが離島なのだろう。自転車で急坂を登り、番岳園地へ。さらに気合を入れて西に斑島へと橋を渡る。


漁業の風景ポットボール
波に現れてできた天然の石の球体、ポットボールを見た後、なだらかな放牧地と棚田の風景が広がる海岸の道を走る続ける。それは一見、のどかできれいな風景だ。絶壁の海岸線から小さな山の山頂まで続く棚田を見るとき、日本人の「米」に対する思い入れに胸を打たれる。斑島を一周し、再び小値賀島へ戻り、空港を見、笛吹漁港へ帰る。途中、放棄された集落をいくつか見た。すむところ
放棄された集落は自然に帰ろうとしていた。少し足を踏み入れるとかつて田であったところは湿地に、家屋のあったところは雑草に。そして墓場は樹に覆われ、真新しい花が飾られていた。鎮守の森の古びた墓と、いまだにおまいりに来る人の捧げた花。古来より伝えられてきた鎮守の森の果たす役割を少し、分かった気がする。こうやって集落から人がいなくなるとき、やがて照葉樹林の森に帰るように、人間が自然へと土地を返す役割の一つを担う、重要な森。それが鎮守の森なのであろう。そらのむこう

日も暮れかける寸前。歴史民族博物館の横にある公園で子供が遊んでいた。小さな島に生まれた子供が柔らかな西日の中。楽しそうに遊びまわる子供の多さに、この日出会った最初の子供たちに心が和む。放棄された集落と、子供達。気がつくとカメラを構えて撮影していた。


3.中通島を駆け抜けろ!

この日、私は小値賀島から中通島へと行く予定であった。だが、再び海はおおしけ。貨物船以外、全ての船が欠航との防災無線を受ける。だが、あきらめるのならいつだってできる。だめもとで貨物船に声をかけると運良く中通島の有明港まで乗せてくれる、とのこと。
途中、宇久島を経由し、巨大風車を遠くに望む。あまり関係ないが、離島や北海道には巨大な風力発電システムが点在していることが多い。特に稚内では電力需要の60%を風力に頼っており、五島列島では電力の多くを風力が占めている。しかも風力発電設備は一機が約1億円、と非常に安い。これから普及していくことを希望する。
船は揺れに揺れ、結局予定よりかなり遅く有明港に到着。すぐにトヨタレンタで車を借りる。ほんとうは最北端の津和崎灯台からにしの離れ島、若松、南端の奈良尾まで全てを見たかったのだが時間がない。離島で時間に追われたくはないのだが、一泊する金もないので車を東へ飛ばし、まずは頭島教会へ。頭島教会頭島教会内部
五島列島では今でもキリスト教信仰者が多い。石造りの、古さを感じない、だが歴史の重みを感じさせる頭島教会は私の目にはただ、美しい建築物として目に映る。穏やかな、暖かい春の日にぴったりののんびりした教会建築。ほんとうはのんびりしたいところではあるが時間がない。鯛ノ浦教会、青砂ヶ浦教会、大曽カトリック教会、福見カトリック教会を見る。福見カトリック教会は既に雑草や潅木に覆われていた…残念のきわみである。
鯛ノ浦教会ステンドグラス壮大な棚田

福見から奈良尾へ行く途中、海岸線から山頂まで続く広大な棚田を見ることができる。写真では捕らえきれない、壮大な人の営みを感じることができる。もし行く機会があれば福見の集落に立ち寄ってみてはどうだろうか。奈良尾でガソリンを入れ、レンタを返却。こういうとき、トヨタレンタのように支店の多い、しかもカーナビが無料で確実についてくるのはありがたい。そして高速船に慌てて乗り、福江へ。この旅初めての時間通り出発だった。福江では飲み屋に入り、偶然大阪から来た人と飲む。ナマコが美味しく、骨まで食べられる揚げカレイを食べ、魚が一匹入った味噌汁を飲み、島の焼酎を飲んで海岸で寝た。

4.福江島。過去と現在とごめんなさい。
堂崎天主堂

朝。迷いながらもバス停を探し、堂崎天主堂へ。非常に美しい建築である。海に突き出た棚田が広がり、ひっそりと立つ茶色レンガの堂崎天主堂は、この旅でみつけた一番思い出に残る場所である。この日は昼から車を借りる予定であるので一旦福江に戻る。堂崎からのバスを待つのが面倒なので歩く。約10kmの道のりを時には寄り道し、時には小学生と話し、のんびり歩く。海岸風景と人のいる風景と。なぜだか、そんなどこにでもあるような風景が美しく、放棄された集落や棚田の写真をおさめられるだけ納めた。私が記録に残さないと、人の営みが消えてく、そんな気分でもあった。
棚田のある風景はおそらく日本人の心の風景である。考えてみれば田んぼや棚田の風景とは非常に人工的な風景であるにもかかわらず、なぜか日本人が自然と感じる風景。その風景はあまりにも過酷な環境下で自然に打ち勝ち、築いてきたもの。祖先の絶対に守らなければならなかったものであり、この国全体にある、米に対する執着そのもの。現在、多くの棚田が放棄され、そしてNGOの活動により、保全されている。放棄された棚田棚田への思い
福江まで歩いて戻り、少し時間があったので観光歴史資料館に入る。観光歴史資料館は非常に充実しているのだが、これまた人がいない。おかげでものすごく気楽に物を見ることができるのだが、少々寂しいとも感じる。どうやら五島列島は超のつくマイナーな観光地らしい。
残念ながら気になったことを二点。福江城のすぐ側に囲いもしない廃棄物処理場があるのはどうかと。それから武家屋敷通り。関係のない看板などが多く、写真に撮れたものではない。いわゆる美観地区ではなく、街の好意で武家や志久通りになっているのであろうが、行った人をがっかりさせるようなつくりならば、作らないほうがましである。
福江城は内部が高校になっていていい感じ。知らずに入った私はだいぶ皆さんの邪魔をしました。ごめんなさい。この後、レンタカーを借り北西へ。道は狭いが車が来ないので高速道路のような状態である。水之浦教会貝津教会貝津のステンドグラス

水之浦教会、打折教会、旧道走破(借り物の軽で)、万葉公園、空海記念碑「辞本涯」、貝津教会、私の指導教官もいた栽培漁業センター(トイレ借りただけ、ごめんなさい)、そして大瀬崎断崖へ。
打折教会辞本涯打ち捨てられた思い

一つ一つ書くときりがない。写真でごらんいただきたい。ただ、この小さくて有名でもない、日本の端に位置するこの島には思いのほか素晴らしい文化が息づいていた、と感じさせられる。
大瀬崎はその昔、特攻隊が日本を最後に見る地であった。この、海につきでた勇壮な大瀬崎断崖を一周し、日本を見納め、死んでいった人々の慰霊碑が立っていた。この国は、彼らが自分の命を投げてまで守ろうとした国になっているのだろうか。大瀬崎、夕日
大瀬崎断崖にきっと、もう一度立つ機会を与えて欲しい。もし、プロポーズの場所に困って、すごく暇で、離島が好きな特異な人は大瀬崎を勧める。夕日の落ちるまで大瀬崎で過ごし、夜の林道を根性入れて軽で走る。対向車、ごめんなさい。思いっきりはみ出してたの、私です。
この日は大宝で宿泊。テントを張った場所は墓場。星がきれいだったが、朝起きてびっくりしたのは言うまでもない。不思議だったんだよ、最初から。なんでこんな暗くて静かで、平坦な場所が突然現れたんだ、って。墓場で一人、酒盛りをしていたの、私です。幽霊さん、ごめんなさい。

4.福江島。黙祷、そして帰還。

朝になって墓場であることに驚き、早々に退散。再び大瀬崎へ。美しい眺めを見た後、井持教会ルルドと白鳥神社を見学。どちらも荘厳な雰囲気の場所だ。ルルドのマリア像は天を仰ぎ、人に慈愛の目を向ける一般的なマリア像とは趣を異にしていた。井持教会
車で道を走りながら野生の椿と棚田、それに巨大風車を撮影しながら福江へ戻る。途中、鎧瀬熔岩公園、鬼岳、明星院を訪れる。鬼岳は登っては見たものの、やはり冬枯れなのであまり面白くない。五島福江飛行場をのんびり眺めて早々に下山。一方、そこまで期待していなかった明星院は小さいながらも温かいお寺であった。福江に戻り、軽に給油を受ける。ガソリンがレンタで15Lもなくなることはないらしく、おじさんはご機嫌。そのとき。
突然エンジンがかかったのかと思った。後にわかるのだがその揺れは福岡県西方沖地震。福江は震度四であった。乗るはずのフェリーは出航を遅らせる。研究室の助教授や仲間からもメールが来た。事の重大さがわからず、フェリーの到着した長崎市内をのんびり歩き、夜になって夜行バスに乗ろうとしたとき、高速道路の点検でバスが出ないかもしれない、と聞いた。できることは、何もない。鞄を置いて、長崎ちゃんぽんを食べに行く。
予定通りバスが出る、と連絡のあと、鞄を取りに長崎駅へ。……鞄がない!あんな15kgはあるザックを誰が取るんだと思いつつ、出発10分前に駅前の交番へ遺失物届けを出そうとすると……交番の中に荷物が鎮座しているではないか。聞けば危険物かと思い撤去しようとしていたとの事。更に荷物を開けさせられ、中から大き目のナイフが見つかり、まあ何とか銃刀法違反に触れるはずもなく、ぎりぎりでバスに乗って大阪へ帰った。



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