ずっとそばに

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第一話

 限りなく退屈なラジオ番組一つ分の時間、車を飛ばす。笑えない人生相談に
司会がどうしようもないアドバイスと偏見を下し、賞味期限切れの歌詞が世界
は愛で救えると絶叫し、なぜか連続ドラマっぽい洗顔料のコマーシャルは洗顔
一発であなたもモテると宣言する。
「んなもんでモテたら苦労しねえよ」
 いい加減車載ラジオに機械的な突っ込みを返すのにも飽きた頃、高速を下り
る。料金は二千円ちょっと。出口には広いだけが売りの国道が年中無休の青信
号を振りまき、高速以上の走り心地を約束する。走り屋かトラック以外が通る
ことすらない山間の二車線を走って約二十分、信号もない分岐を左折。毛細血
管もびっくりな林道が羊腸のごとく、というやつだ。峠攻めにぴったりなヘア
ピンを飽きるほど抜け、手入れする人間もいない砂防ダムだらけの杉林を抜け
た、その先。視界に小さな盆地が映る。
 人口六百人に満たない小さな集落だ。記憶の片隅にすら残っていない舗装道
をカーナビに全幅の信頼をおいて鋭角クランクに突っ込み切り返し。本当に正
しいのかと疑いたくなるが、カーナビに逆らうと「五百メートル先、ユーター
ンです」などというやる気ゼロの案内をされるに決まっているので不平をこぼ
さない。微妙に役立たずのカーナビ曰く、目的地周辺まで七百メートルだそう
だ。最後の角を曲がり、壁のような坂道にアクセルで勝負を挑む。車を酷使す
る、とはまさにこのことだ。この場所には何度も着ているが、車で来たのは今
日が初めてだ。
 都会に飛び出して十五年。初めての里帰りだ。近隣五町村と合併して垢抜け
たのは名前だけで、基幹産業はおばあちゃんの畑におじいちゃんの果樹園とい
う経済構造に変化なし。地域の存亡をかけたはずも合併も蓋を開ければ面倒な
産廃処分場を押し付けられただけで、過疎の先進地域に躍進。現代芸術的なま
でに理解不能な施策であるが、一介の善良な市民には政治など分からない振り
が一番だ。
 高台の寺に車を止め、大きく深呼吸。
 ほのかな森のにおいと湿度を肺へ。視線は集落から墓地へ。
 山肌に整然とどこまでも続く石の森。
 墓場のことを果樹園と名づけた異国の人間のセンスにはある意味脱帽する。
 生きている人間よりも墓石の数のほうが多い。それが俺の故郷であり、その
故郷の中でも唯一の居場所だった。その気になればいつだって帰ることにでき
た場所なのに、失ってしまってからでないと身体は動かない。
 さて、今更ながらに故郷に戻ってきた理由は二年前に死んだ母の墓参りをす
るためだ。葬式にすら出てやれなかった罪悪感は胸に抱いた菊と百合でごまか
す。母が生きていればこんなもので許してはくれないだろうが、そこは生きて
いるものの特権だ。大切なときはいつも間に合わないというこの世の真理にほ
んの少しだけ救いを求め、どこまでも親不孝な息子であるが、孝行するつもり
はあった、と弁解しておく。
「で、この中から探せ、か」
 見渡す。山の中腹にまで一個中隊ほどの石が整列し、通路が三次元立体構造
に輪をかけてややこしくする。しかも田舎である。墓に刻まれた苗字はほぼ三
種類。この中から目的の墓を見つけるくらいならスピード宝くじを当てるほう
がまだ確率も高い。
 母の眠る場所すら分からない親不孝息子。
 ため息一つ。適当に歩き、新しそうな墓の前に目を止める。つい先ほど置か
れたと思われる花と水に濡れた石。丁寧に手入れされているのだろう。人差し
指を向ける。
「よし、お前が俺の墓だ」
 というわけにもいかない。一人でボケても何の面白みもないのだ。つくづく
、自分の孤独を確認する。花を持ち替え、空を仰ぐ。抜けるような青空が視界
に広がり、その隅に瓦屋根のお堂が見えた。この墓地を管理する寺であろう。
とりあえず休憩にはうってつけだ。早速廊下に陣取り、胸ポケットを探る。塀
の外に出て最初に購入したものがセブンスターなんて自分でも笑える。刑務所
の中では吸いたくても吸えない。刑務所というのは身体にはいいが精神には毒
だ。世間では臭いメシなどというが、俺の口には合ったし、妻だった人の手料
理の次くらいにお勧めである。
 さて、一服
「あの、お墓参りの人ですね」
 突如背後にかかる声にタバコを落とした。税金の塊が無意味に白煙へと変化。
「ここ、禁煙です」
 見上げる。南中した太陽のせいでろくに目が働かない。
「ああ、悪いな」
 最近はどこもここもタバコにうるさい。しかも小さく禁煙などと書かれると
悪気がなくても叱られる。禁煙くらい守ってやるので暗黙の了解で禁煙エリア
を拡大するのは勘弁して欲しい。
「ほんと、悪いです。このままでは墓参りに来たあなたがお墓に入ることにな
ります」
 余計なお世話だ。ついでに言わせて貰うとおせっかいこの上ない。いったい
何様だ。そもそも全くの他人の健康を心配してどうするのだ。
 立ち上がってそれを見た。
 年のころは十五、六か。やわらかそうな白いブラウスに黒いエプロン。濃紺
のプリーツスカートは絶対その辺の中学校か高校の制服に違いない。そこまで
なら田舎の純朴そうな少女、なのではあるが、微妙に生活臭漂うサンダルと素
足。幻滅する。呆れて顔を眺めなおす。
 その顔をどこかで見たような、そんな気がした。
「お寺の娘さんか」
 一応確認してみる。十五年ぶりだ。同級生の子供であっても不思議ではある
まい。それなら奇妙な既視感を説明することだってできる。
「え、っと。お墓参りの案内ならやっています。無料です。ほんとうです」
 念を押すあたりに限りなく怪しさを感じる。間違いなく寺の人間ではないだ
ろう。
 とするとこの少女は何者か。考えれば考えるほどにこの少女がずっとそばに
いたような感覚が強くなる。絶対に会うことはなかったはずなのに、別れた記
憶だけがあるような、そんな不思議な感触。頭の中に四択問題が浮かぶ。
 単なる暇人か、温かくなって出てきた人か、お節介焼きか。それとも幽霊か。
 田舎であるのだから、幽霊の話には事欠かない。そういえば昔聞いたことが
ある。村のため池に現れる女の幽霊の話だ。時は夕暮れ、場所はお墓の中のお
寺。幽霊が出るにはうってつけの状況ではあるのだが
 もう一度少女の顔を見る。
 四択問題の一つの選択肢が一発で消える。
 こんな純朴で能天気かつ生活臭あふれる幽霊なんて存在そのものが怪談だ。
相手にするほうが間違っている。多分暇人だろう。
 待て。
 お墓参りの案内ならやっています。
 そう言っていた。目の前の暇人がお墓の無料案内を申し出ているのだ。渡り
に船、というやつである。
「なら俺の母親の墓まで案内してくれ」
 少女が微笑む。それだけで曇り空も晴れそうな笑顔だった。
「はい、少しよろしいですか」
「特別に許可してやる。言ってみろ」
 鮮やかな笑顔で華麗に無視。
「ではお名前をお聞かせください」
 色気はないが笑顔は天下一、といったところだろうか。見ていて和む。
「あっ、今少し失礼なこと考えました」
 見透かされると非常に負けた気がする。
「その洞察力で俺の家の墓を推定しろよ」
 無駄に意地を張り通してやろうという気になる。
「うーん、それじゃ今、私の考えていることをあててみてください。それから
です」
 ……だそうだ。うまくペースにはめられた気がするが気にしない。さすが俺
、大人。ここは適当に思いつくままを言ってやろう。
 どうせ能天気な奴だ。田舎自慢に加えて色気より食い気の線で攻めることに
する。
「あれか、知らんおっさん相手に姉貴風吹かせて幸せなのか。それで食い気優
先で今日の晩飯はみつばを入れた味噌汁でも作ろうかと考えているんだろう」
 ちなみにみつばを浮かせた味噌汁は香りがよい。母がよく作っていた。
「はい、その通りです。よくできました」
 適当な言葉が少女の思考と合致したのだろうか。それとも言ってみただけか。
 壮大な釣りか、頭のかわいそうな人か。渡りの船が泥舟でないことだけを祈
る。
「いい、皆まで言うな。お前に墓の場所を推定しろといった俺が悪かった」
 目の前のそいつの顔に一瞬陰りが差す。
「そうです。会った瞬間に失礼なこと言うのはとても悪いことです。ですから
名前を伺います。それから案内します」
 一応頬を膨らませている。怒っているつもりなのだろうが、鮮やかに無視。
さすが俺、大人である。
「墓にいるのは村西静香、俺の母親だ。ちなみに戒名は知らん。多分墓石には
名前が一つだと思う。ちなみにお前の名前は暇山暇子だろ」
 我ながら小学生級のセンスだった。
「違います。そんな変な苗字の人、いないです」
「ああ、俺も知らない」
 これ以上からかうと頭がパンクしそうだったのでやめておく。
「この集落には苗字が三つほどしかないです。私もあなたのお母さんと同じ、
村西って苗字です。村西ちさと申します」
 向こうの山の端へと向かう太陽が少女との距離の間に強い光を投げかける。
「は、村西ちさだと」
 聞き間違いか、そう思った。
「はい、ひらがなです。ぷちぷちの『ち』、さらさらの『さ』と書きます」
 強烈な自己紹介だった。一生忘れない自信がある。
「……どけちの『ち』、くさやの『さ』、か。いい名前だな」
 脳内変換で覚えておく。
「違います。そんなこというなんてとても失礼です」
 俺が失礼ならばお前は変人だ。
「で、墓の位置は」
 沈んだ顔に再び笑みがともる。
「それは自己紹介してからです。私は村西ちさ。あなたのお名前、伺います」
 どうやら自己紹介は半強制的である。
「実は俺も村西知佐だ。同姓同名だな。お前の名前を聞いて驚かされたのはそ
れだ。よく女みたいな名前だといわれるが、自分では気に入っている」
 村西ちさの目が細まる。猫が撫でられて喜んでいるのに似ていた。異常にか
わいいポイントを押さえているのだが、足元のサンダルが全てを否定する。
「あ、それはうれしいです。私のことも気に入ってもらえた気分です」
 満面の笑みがまぶしい。自分の名前をとんでもない紹介で通したやつの言葉
とは思えない。随分おめでたい思考回路をしているらしい。かわいそうも突き
詰めると世の中を幸せに謳歌できるのだからあやかりたいものだ。
「で、墓は」
 鮮やかに核心を突く。さすが俺。毒電波には乗せられない。
「知りません。そんなお墓ありません」
 盛大にコケた。
「ない、って。ここまでやらせといてなんだそれ。母親の墓がここにあるのは
確実なんだ。ほら、俺に届いた封書。見ろ」
 差し出す。遠く離れた親族から宛てられた手紙だ。簡単に要約する。

 お前がムショに入っている間に遺産は全て分け合った。ちなみに墓は寺にあ
るので管理はよ・ろ・し・く☆

「最後が変でした」
 俺もそう思う。
「突っ込むな。刑務所暮らしをした俺が悪いんだ。で、どうだ。墓は寺にある
って書いてるだろ」
「……そう、ですね。確かにこのお寺にある、と書いています」
 少し悲しそうな顔をしていた。
「で、墓の位置はわかるのか」
 さっきまでの満面の笑みが差していた。
「ですから、この敷地にお探しのお墓はあり」
 まだ意地をはるか。
「ああ、もう。お前に聞いた俺が悪かった。その辺で墓参りの客引きでもして
ろ」
 強く腕を掴まれる。
 その、遥かに低い身長から投げられる目に、射抜かれていた。まるで俺のほ
うが子供であるかのようだった。この顔には逆らうことができない、本能がそ
う告げる。
「聞いていないのは知佐さんです。お寺のお墓は集落にたくさん点在している
んです。ここになくても不思議はありません」
 腰に手を当てて眉を吊り上げる。全然怖くない。むしろ笑えるのだが、笑う
と更に説教が続きそうなのでやめておく。これ以上無駄な時間を過ごすわけに
もいかない。
「そうか。じゃ、そこの墓でも適当に拝んでおくぜ」
 花の添えられた墓に向き直る。少女の顔に一瞬強いものが走る。
「それはだめです。お墓は、心をこめて拝まないといけません。全てのお墓に
は、その思いがあります」
 その愚直すぎるまでの正論は、なぜか悪い気がしなかった。
 初対面なのに、何か通じるものを感じた。懐かしくて、それなのに思い出せ
なくて。
「わかった。また明日にでも出直す。じゃあな」
 日も落ちようとしていた。これ以上墓にいて肝試しをする趣味はない。
「あ、晩御飯どうするんですか」
 完璧なタイミングだった。ここで宿泊するなら、車の中で寝るとしても食事
は必要だ。
「もしかしてあれか。田舎で出会った美少女が俺に晩御飯をご馳走した上に泊
めてくれて俺がケダモノになるというシナリオか。そのフラグ、喜んで受けて
りゃ」
 顔面パンチが炸裂し、吹っ飛んだ。
「知佐さん、刑務所にひとマス戻るなんて嫌ですよ、ね。でも晩御飯だけなら
ご用意します。ご実家のほうに宿泊されますね」
やるときはやるらしい。鼻を押さえて立ち上がる。
「実家は人の手に渡ったし、車で寝る。晩飯は国道でも飛ばして探す」
 本当ならばさっさと墓参りを済ませて夜中のうちに帰る予定だったのだけれ
ど。
「いえ、知佐さんのご実家は鍵も開けっ放し、あばら家で崩壊寸前ですが寝心
地はいいんですよ。それに家財道具もそのまま、とてもいいところ」
さすがに違和感炸裂だ。
「なぜにお前が俺の家を知っている」
 しかもあばら家とか言うな。
「だってここは小さな集落です。空き家なんてすぐに分かってしまいます。で
はご実家でお待ちください。いろいろ持って行きます」
 一気に髪を翻し、駆けていく。アホ面でその背中を見送る。
 壮大なネタか、ギャグか、世間知らずか。どうやら謎の誘いに応じるしかな
い。寺に駐車し、ずっと遠くの家を徒歩で目指す。


承→
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