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第七話


 なんと、担任の先生に呼び出されてしまった。
 一大事である。
 担任はよほどのことがない限り私を呼び出したりはしない。理由は単純。
 私を嫌っているから。それでも私を呼び出すときは、私が何か悪いことでも
やったときだ。
 さて、何かやらかしたのだろうか。と、最近の記憶を呼び起こそうとして三
秒で放棄。
 仮に悪いことをしたとしても、まず桜が担任に呼び出される。それで桜に説
教された後、桜に連れられて担任にご対面。直接言葉を交わすことなんてまず、
ない。
 走ってきて、そして探し当てた部屋の扉を開ける。
「失礼します」
 入室。進路指導室だ。多分、この学校で一番影の薄い部屋に違いない。
 中を見渡す。
 絶対誰も読まなさそうな本、誰かが飾った生花、大きなソファ。初めて入る
部屋だけれど、さすが生徒指導室と違って優しげな雰囲気が出ている。
「御影さん、待ってたわ……十五分遅刻だけど」
「はい、申し訳ございません」
 素直に頭を下げておく。
「言い訳はしないのね」
「はい」
 私は聞かれもしないのに言い訳をする人が嫌いだ。謝るときは謝る。
「で、どうして遅れたの?」
 ……聞くのか。
「更衣室のロッカーの数で新入生が困っていまして、それで遅れました」
 呼び出し前に着替えだけでも済ませておこうと思って入った更衣室。新入生
が集まって言い争っていたのだ。このロッカーは陸上部のものだ、とかそんな
感じで。
 ロッカーの数が足りなかったらしい。更に話を聞いていくと、桜が新入生の
数を数え間違っていたせいでロッカーが足りない、というわけだ。桜にしては
珍しい単純ミスだが、誰が悪いかはともかく、足りないものを放置もできない
ので掃除用具入れの奥に眠っていたロッカーを取り出してきて設営。
「そう、御影さんもそんなとこ、あるのね」
「一応陸上部の部長なんですけど、私」
「……ああ、そうだったわね。陸上部の部長で、運動部の部会長。足が速いと
大変ね」
 足が速いから部長をやっているんじゃない。言いたいことを先生に言えるだ
けの根性と、それから私を推してくれる仲間のお陰だ。
「それで、どんな用事ですか?」
 これ以上どうでもいい嫌味に付き合うのも面倒なので本題に導く。
「普通この部屋に来る子に私が『どんな用事?』って聞くんだけど」
 いやいや、私は呼び出されたわけで別に用事なんてない。
「では私は特に用事もないので戻ります」
 馬鹿馬鹿しいので挑発、立つ振り。
「待ちなさい……一応確認しておくけど、御影さんの進学希望はどんな感じ?」
「わかりません」
 即答。
「あのね、御影さん」
「大学にいけるほど賢くもありませんし、勉強には向いていないんで手に職を
つけたいなとは思っているんですけど、今考えるほど重要なことでもないんで」
 将来なんてものは悩みに悩んで後悔するかもしれない。だったら出たとこ勝
負、出た目を勝ちに繋げる戦術の方が大事だ。
「前の調査では専門学校って言ってたんだけど」
「そうでしたっけ?」
 あんなの単なるノリで書いただけ。分かっているなら最初から教えてくれた
っていいのに。
「今日御影さんを呼んだのは進路のこと」
「はあ、進路、ですか」
 いかにもどうでもよさそうな私の進路を強制相談とは、先生もよほど暇なの
か。
「高橋さんから何か聞いてない?」
「え、桜からですか?」
 桜が私に何かを言っていたら絶対に記憶にあるはずだ。
「うん、高橋さんからよ」
 桜から、ねえ。
「少なくとも告白された記憶はないですが」
「……まあ、そんな冗談はいいとして」
 なんか私に風当たりが強いので、少し空気を変えてやろう。
「あ、そうだ先生。桜って実は結構かわいいと思うんですけど、先生どう思い
ます?」
「はい?」
「私にだけはきついんですけど、それってやっぱ私のことが気になっているん
ですよね。好きな子をいじめたくなる心境ってやつですか?」
「さ、さあ……」
 もう少し。
「先生、桜を手玉に取る方法、知ってます?」
「は?」
「桜の妹の楓を味方につけるんです。桜、妹にはめちゃくちゃ優しいから、ど
こかに桜と出かけたいときもまずは楓に根回しして、それで」
「……あの、御影さん。高橋さんとの私生活の話は後にして、今は進学の話な
んだけど」
「あ、そうでしたね」
 さすが先生。話題転換は無理か。桜だったらあれで一発なんだけど。
「ええっと、高橋さんの進学先のことは聞いてる?」
「はい、名前は忘れましたけど、なんかいいとこに行くって」
 どこだっけ。まあ、私には一生関係ない話だけど。
「名前を忘れたって……私立じゃ日本一、よ」
 へえ。そうだったんだ。
 桜はほんとうにすごい。きっと、私なんかとは全然違う人生を歩むんだろう。
今、桜が私の隣にいることはほんとうにすごいことで、私は将来はるか遠くを
指差して、桜のことを思い出すしかできなくなるのかもしれない。そのとき桜
が私のことを思い出してくれればそれで満足なんだけどね。
 ほら、私はテレビを見れば桜を見ることができる。でも、テレビの向こうに
いる人は画面の向こうの人なんて見えないじゃないか。
 それでも私は、いつか言うんだろう。
 ほら、あのテレビの前で格好良く立っているのが私の高校時代の同級生で、
友達だったんだよ、って。
「それで桜の進学先がどうしたんですか?」
「そうそう、御影さんは高橋さんと同じ大学に行くつもり、ある?」
「えっ」
 桜と私が同じ大学に行く、ということ。
「あの、私あんまり国語も得意じゃないんですけど、今の話だと私が桜と同じ
大学に行く、と?」
「そう」
 何を言われているんだ、私。
「日本一難しいんですよね。そんなの、空から筋肉が降ってきてもありえない
ですよね」
「……それが、降ってきたのよね」
「筋肉が?」
「そんなわけないでしょ」
 そう言って先生が一枚の書類を手渡す。
 おお、難しい漢字揃い。
「これは……なんて読むんですか?」
「技能推薦……簡単に言えばスポーツ推薦よ。まあ、いろいろと規定はあるん
だけど、御影さんは長距離走で国体二位の成績があったでしょ。話をしたら大
学の方から興味を示したわ。簡単な面接と小論文はあるみたいだけれど、基本
的な応対ができれば大丈夫よ。走るにはそれなりの施設もそろっているみたい
だし、悪い話じゃないと思う」
 うーん。いわゆるスポーツ推薦だというなら私は大学の間走り続けなければ
いけない、ということか。まあ、桜がいる大学に行くのはいいんだけど。
「内申の方は教務主任の先生と話し合うけど、受けるつもりならなんとかする
わ」
 学校としては私みたいなのでも一応大学に行ったことになるし、バックアッ
プする気満々、ということか。
「……とりあえず喜べばいいんですか?」
「普通なら、ね。勉強で行こうと思えばほぼ不可能よ」
 そうなのか。桜ってものすごく賢いんだ。
「それでいつまでに答えを返せばいいんです?」
「そうね……九月くらいにはお願い。いい返事、待ってるわ。じゃ、もう戻っ
ていいわよ」
 そこで先生は机に向き直る。私に言うべきことは全部言ってしまった、とい
う感じで。
 もう少し愛想良くしてくれてもいいんだけど。お茶を出せとは言わないけど
さ。
「あ、それはともかく、原付免許返してくれませんか?」
「却下します。そもそも運転免許の取得は規則で禁止されているでしょう。卒
業までは学校で預かります。高橋さんのすばやい対応があったから停学になら
なかったこと、むしろしっかりと感謝なさい」
 おっと、やぶへびだ。停学になったら桜に会えないじゃないか。
 まあ、停学云々はともかく。
 私は走るのも大好きだし、桜とも過ごしていきたいし、それなら大学進学は
とてもいい道だ、と思う。もちろん大学を出た後どうするのかは全然想像もつ
かない。もしかしたら大学で怪我して走れなくなり、卒業すら出来なくなるか
もしれない。
 じゃあ、どうする?
 専門学校にいって手に職、と言うのは簡単だけど全然実感が湧かない。髪を
触るのが好きだから美容師でも目指す、というのは分かりやすいけど、安直過
ぎる。今日の晩御飯の予定もわからないのに何年も後の自分の生き方なんてわ
かるはずもない。
 でも、今日の晩に何を食べてもだいたい問題ないのと一緒で、何年か先の未
来のことだって適当に決めても何とかなる気もする。その方が私らしいし。
 桜なら違うのだろう。桜は一日という時間を私の何倍もの密度を生きている。
「とりあえず桜に相談します。じゃあ、失礼します」
「待ちなさい、御影さん」
「え、もしかしてお土産あるんですか?」
「そう、お土産よ。期末テストの欠点、今回は三つに減ったけど補習は受けて
もらうわ。はい、時間割表。クラブの顧問の先生、それから高橋さんと相談し
て全部出ること」
 机から取り出した書類を私の手の上に。
「でも三つに減ったんですよ。桜が勉強教えてくれて」
「……高校を卒業できたら高橋さんにはしっかり感謝なさいね」
「当然です。桜は私の恩人ですし、それに」
 そう、桜は私の恩人。そして、何よりも。
「大切な友人だすから」
「そう、大変ね、高橋さんも、あなたのような生徒に友人だと思われて」
 なんとでも言ってくれればいい。世間的に見れば私は桜の友達じゃなくて足
を引っ張っているだけ、それは事実だから。
 でも、桜が私のことを友達でないと思っていても、私は桜を絶対に守ってあ
げる。



 中等部と高校を結ぶ渡り廊下。
 職員室に提出物を出して、その帰り。
「あ、そこの子、ちょっと」
「え、私ですか?」
 声の方向に顔を向ける。
 人影は三人。制服はブレザー。高等部の人だ。それでネクタイの色はお姉ちゃ
んと一緒。ということは高校三年生か。直接の面識もない中学三年生の私に用
事ってことはないから多分お姉ちゃんに用事なんだ。何か渡すものでもあるん
だろうか。
「あら、この子なの。随分かわいいじゃない」
「あ、え、そうですか、えへへ」
 お姉ちゃんは生徒会の役員をしているし、学校で一番頭もいいし、陸上部の
マネージャーもやっているから、私もたまに知らない人から声をかけられるこ
とが多い。大抵は「ああ、あの高橋さんの妹さんかぁ」なんて言われておしま
い、なんだけど。
 ……もう少し、私のことを見て欲しいなあ。私は妹って名前じゃなくて楓っ
て名前。
「そうだ。あなた、高橋楓、で間違いない?」
「え、あ。はい、そうです」
 きつい言葉。お姉ちゃんみたいに「厳しい」じゃなくて、きつい。
 私はあんまり勉強とか得意じゃないけれど、今のはわかる。あんまりいい感
情じゃない。
「あの、お姉ちゃんの友達の方ですか?」
「知り合いよ、知り合い」
 なるほど。友達じゃないんだ。なら、お姉ちゃんに何の用事だろう。
「桜に楓。適当な名づけ方ね」
 ……え。
「あの、確かに漢字一文字ですけど、誕生日とかいろいろあって、それでお姉
ちゃんの桜って名前はそれ以外にもいろいろと意味が」
「聞きたくないわ、そんなの」
 ……あ。
「あのさあ、あんたのお姉さんに伝えておいて欲しいことがあるんだけどさ」
 詰め寄られる。身長はお姉ちゃんより高い私だけど、それでも上級生三人は
少し嫌な気分になる。
「えっと、何を伝えれば」
「教室ででしゃばらないで欲しいのよ。点数稼ぎか何か知らないけど、ちょっ
とした触れ合ってただけでいじめだとかさあ」
 論点をまとめてくれると嬉しいんだけど、そんな言葉を言ったところで通じ
ないだろうしなんとか理解できる言葉で状況を推測。
 お姉ちゃんは優しいからクラスの弱い子をかばったんだ。でもこの三人のお
姉ちゃんの同級生は気に入らなかった。
 話だけしか聞いていないから、どっちが悪くて、どっちが正しいのかはわか
らない。
 それなら直接言えばいいんだ。私に言わなくたっておねえちゃんはしっかり
と人の話を聞く。
「あの、そういうことはお姉ちゃんに直接言ってください。お姉ちゃん、ちょっ
ととっつき悪いけど」
「黙ってなさいよ」
 足を軽く蹴られる。これくらいなら普段から鍛えてるから大丈夫だけど、で
も。
「大事な足が折れたら陸上部にいられなくなっちゃうわよ?」
 足を蹴られるのは、大切な場所を蹴られたのと同じ。
 一瞬、身体が熱くなる。これが殺意ってやつだろうか。
 だめ。
 ここで余計なことをしたらお姉ちゃんに迷惑がかかる。もし手を出すのなら、
葵さんのように自分で責任を取れるだけの強さを身につけないといけない。私
にはまだ、それだけの覚悟も強さもない。
 だから我慢。
「顔上げなさいよ。妹の方は随分と弱気ね」
 お姉ちゃんに迷惑をかけるくらいなら弱いくらいがちょうどいい。
「さぞやお姉さんも失望してるんじゃない?」
 ……でも。
「まあ、私たちはあんたのお姉さんが学校を辞めてくれることを望んでいるん
だけどさ」
 陸上部は仕方なくても、お姉ちゃんのことを悪く言うのなら、私は我慢なん
て
「や、楓」
 ……え。
「先輩っ」
 葵さんだ。
「御影……さん?」
 私の前に立つ背中があった。
「そ。桜は私のことを葵って呼ぶけどね。あのさあ、桜に文句があるなら直接
桜に言わないかなあ。きっと聞いてくれるよ」
「授業もロクに聞いていない癖に知ったような」
「桜のことは誰よりも理解しているつもりなんけどなあ。それはともかく、妹
を脅すなんて人間として最低だよ?」
 葵さんが私と詰め寄ってきた三年生の間に入る。
「な、なによ。私たちはね」
「ああ、私は桜じゃないからクラスの子のことなんていじめられようがどうで
もいいんだ。私がよければそれでいい……でも、さっき楓の足を蹴ったよね。
陸上部の部長としては絶対に許せないなあ。全員まとめて足一本ずつ、覚悟し
てもらうから。私、楓ほど優しくも平和主義でもないんだよね」
 何も言わず臨戦態勢。
「あ、あの、御影先輩」
 止めないと。
「ちょ、ちょっと何やってんのよあんたたち……あれ、山岸さんたちと葵と、
なんで楓までいるの。あんたたち仲良かったっけ?」
 お姉ちゃんだ。手には印刷物を持っている。そのままの格好で葵さんを眺め
る。
「こら葵。またなんかやろうとしてたでしょ」
「あ、バレた?」
 ぽかり。お姉ちゃんが葵さんの頭を叩く。
「ほんとごめんなさい、山岸さん。御影さんはすぐ頭に血の上る性格だから」
「い、いえ。高橋、さん」
 私に詰め寄ってきた三人が曖昧な笑顔を浮かべる。
「……ま、桜の顔もあるし、手は引くけど次は許さないよ」
 葵さんも笑顔。全然笑えない顔だ。
「こら葵。もう煽らないの」
「はいはい桜、ごめんね……あ、桜、配るんでしょ。私が持っていくよ」
「あ、そう? じゃあお願い。もう二種類あるからどうしようって思ってたの
よ」
 お姉ちゃんが笑って職員室の方に戻る。私に詰め寄った三人は逃げる。
 残されたのは私と葵さん。
「楓、大丈夫だった?」
「あ、はい」
 蹴られたのもそんなにひどくはないし、大丈夫。
 でも。お姉ちゃんは大丈夫だろうか。
「大丈夫、桜は私が守るから……さ、部活行こうか」
「はいっ」
 うん、お姉ちゃんは大丈夫。



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