週末の美容室。 右隣に座るのは桜で、更にその右に楓。 それは五年前、桜と出会ったときとはほんの少しだけ違う風景。 髪を梳く櫛の感触も、座ったときの視線の位置も、桜の表情も、何もかもが 少しだけ違う。 六年前に顔を合わせ、五年前にここで出会い、そして今、 「……何よ」 桜がこちらを向く。それは相変わらずどこかに不満を秘めたような、そんな 顔。出会った頃から変わらない表情。私の見慣れた顔。 「なんかいろいろあったなって思って」 そう、この五年間、ほんとうにいろいろあった。私は桜みたいに頭がよくな いから随分無茶もやったし、後先考えないこともやった。勉強だって教えても らったし、何よりも走ることを教えてもらった。何かをするたびに迷惑をかけ て、引っ張りまわして、ずっとそんなのばかりだった。 「今更何変なこと言ってんのよ、気持ち悪い」 「いや、桜が昔のことを思い出しているみたいだったからさ」 ほんとうは私が思い出していたんだけどね。 「気楽ね。葵はいいかもしれなけど私がこの六年どれほど苦労したか」 そこで桜がため息。 ここで不意打ちを食らわせば桜は思いっきり慌てる。それでその顔がまたか わいいのだけれど、今はやめておく。 「ねえ、桜。今までで一番心に残っている出来事って何?」 「あんたが川にスクーターでダイブしたときね」 「そんなこと、あったっけ」 いろいろやったからなあ。 「鳥頭ね……一年と二ヶ月前のことよ。ほら、思い出す」 「うーん」 殴り込みは記憶あるんだけど。 「あんた原付免許、一回落ちたでしょ。それは覚えてる?」 うん、確かにそれは記憶している。ま、いろいろあって今は免許取り上げな んだけど。 「免許の試験は厳しかった。人生最高得点だよ、九十点なんて。まさに奇跡だ ね」 「……葵に免許なんて奇跡というか悪魔の計略と言うべきだわ」 「まあ、確かに街中じゃ走るほうが速いんだけどね」 生身の身体でバイクを追い越し、車を追い抜く。私のささやかな楽しみでも ある。 「そんなことはどうでもいいのよ。免許とって、中古の原付買って、それから 河原で練習したじゃない。でも実はブレーキが壊れてて」 「あー思い出した。落ちた。見事に落ちた」 スクーターで川にダイブ。別に悪いのは私じゃないんだけど。 ブレーキが効かず、二メートル下の川に時速三十キロでダイブ。水柱は上を 通る鉄道の線路にまで上がったらしい。落ちる瞬間には走馬灯すら見えた。最 後の最後に見たものが桜の制服姿だったから助かったのだと思う。あれで着替 え中の桜なんて見てたら頭から落ちていたに違いない。まあ、死ななくてよかっ たというやつだ。 その後消防と警察と学校に絞られて、最後に桜に三時間ぐらい絞られたとき にはぐうの音の出なかった。あれほど生きていて辛いと思った日はない。おま けに学校に免許は取り上げられ、交通違反金を取られ、原付は使えなくなった。 「こんな学校生活送るつもりなんてなかったんだからね……最悪だわ」 桜の顔が本気で怒っている、ように見える。 大丈夫、桜が本気で怒ったときは無表情だ。ああやって眉を吊り上げている 分にはまだまだ心配なんてない。というか桜が怒ることなんて多分ない。 「ん、こんな学校生活ってどういう意味?」 「言葉通りよ。私はもう少し普通の女子高校生みたいな生活がしたかったの」 「普通?」 確かに私たちは普通という言葉に縁がない。 桜の場合、勉強がとてもできるから、みんなが桜を頼る。桜だって勉強の出 来ない子やクラスで浮いている子、外国人の子なんかをクラスに馴染ませよう といろいろ努力する。その上に陸上部のマネージャーまでやっていて、年中無 休だ。普通の高校生とは言いがたい。 私だって普通じゃない。素行はあんまりよくないし、成績は最悪だし、先生 には目をつけられているし、自慢できるのは桜と友達でいられるということだ け。それだけが今、私を学校に留めてくれている。桜がいなかったら多分、今 の私はいない。 あ、楓は普通か。ちょっとお姉ちゃんっ子だけど。 「普通よ普通。普通の学園生活ってやつ。せっかくそれなりに歴史もある女子 校なんだし、もう少しさ」 「お嬢様みたいな感じがいいってこと?」 「べ、別にそんな上品なものじゃないけど、でも」 なんでそう可愛らしいのかなあ。 「あはは、桜がお姫様みたいな格好で言葉も上品なのは似合うと思うよ」 「何よそれ」 「ほんとだって。桜は女の子っぽくてかわいいからね。ちょっと言ってみて、 『ごきげんよう』とか」 「絶対に断るわ」 うん、この表面だけツンケン、実は焦っている感じ。やっぱり桜だ。 「で、家に画家のお父さんがいて、大きな飼い犬の名前はグロッキーかトロツ キー」 「そんな名前を犬につけるか、馬鹿」 そこで「ラッキーでしょ」とか突っ込んでくれるとめちゃくちゃ嬉しいんだ けど、堅物の桜には期待できないか。もうちょっと突っ込みを磨いて上げなけ れば。 「でもそう、女の子らしい感じは似合うよね」 「あんたが男っぽいだけでしょ」 「桜も胸囲のあたりは男の子だけどね」 ふくらみはないけど、きれいで整っていて、私は好き。着替えの時に見てる なんて言ったら怒られるだろうなあ。 「小さくて悪かったわね」 いえいえ。その性格で貧乳というお約束みたいなキャラは最高だよ、桜。私 が男だったら絶対にまとわりついてやるんだけど。 「でもお姉ちゃんはお嬢様みたいな感じが似合うよ」 「楓まで何を」 さすが桜の妹、楓。突っ込みに止めを刺すタイミングは完璧。 「あはは、確かにRPGだったら楓は裏設定つきの村娘で、桜は皇女様か賢者様だ ね。回復魔法とか使えそうだし」 ついでに後半で羽も生えそうだけど。というか途中でさらわれてそうだな。 「私が魔法を使えるなら葵はイロモノキャラね。野生の少女とか狂戦士あたり を狙ったら?」 うわ、私の扱いひどすぎ。 「えーお姉ちゃんが皇女様なら先輩は王子様だよ。格好いいし」 その設定なら私は物語の最後で桜にキスして起こさないと。桜、目を覚まし たら怒るだろうなあ。顔を真っ赤にして。 「桜、ガラスの靴を持って迎えに行くよ」 「そして葵は鉄下駄を履いてくるのね。楽しみにしてるわ」 うわ。 「……お姉ちゃんと先輩、息ぴったりですね」 「うん、付き合ってるからね、楓」 「葵。間違った情報を吹き込まないの。楓、葵の言葉に耳なんて貸さなくてい いんだから」 まあ、楓の言葉の先にある言葉は「友達」とかそういうところなんだろう。 それは私なんかと続くはずもなかった関係。全然違う場所を歩いていくはず の桜と私。今の私があるのは全部桜のお陰で、それは奇跡よりもずっと神がかっ ていて。 時々思う。 友達ってのはなんてあやふやで、奇跡なんだろう。 「いつも感謝してるよ、桜」 「感謝はいらないからもう少し自立しなさい」 うん、自立するよ、私は。桜が自分の道を進んではるか高みにいけるように、 私は自立する。私はその邪魔になっちゃいけない。 「あ、三沢さん、今の桜のカットですけど」 その一歩、じゃないけれど質問。 「ん、どうかしました?」 「長く伸ばすときは、ああやって内側からハサミを入れるんですか?」 私は他人の髪を触るのが好き。多分、走ることよりも好きだと思う。 別に髪を切って、美容師になっていく覚悟はない。それだけの根性があるの かどうかも分からない。でも、桜が自分の道を見つけられるように、私は自分 の道を自分の力で歩いていく。その努力くらいはしていきたいと、思う。 葵が美容室の人に声をかけて質問してる。葵はあんまり自分の服なんかには 関心を示さないくせに、他人の髪には随分気を遣う。葵が私以外のクラスの子 と最初に打ち解けたのは、私の髪を軽くいじっていたからだった。以来、葵は 体育なんかで乱れた髪を整えてあげる、なんてことをやっている。まったく、 勉強もそれくらい熱心だったらいいんだけど。 ふと。 将来のことが思い浮かんだ。私のことはまあ、いい。なんとでもなる。 問題は葵。 私たちは遠からず別れてしまう。勉強だけで考えれば残念ながら葵がどれほ ど頑張っても私の志望校に入る可能性はない。 でも。 葵のことをずっと助けてきたのは私だ。葵の隣に私がいないなんて想像すら できない。私の時間は葵のために使う。葵には自立しなさいと言っているけれ ど、まだまだ時間はあるし、時間は作り出すもの。 ならどうする? 私が進学をあきらめて葵の隣にいるべきか……それは、さすがにありえない。 なら葵が私の隣に来るように、そう導けばいい。 考える。 葵の得意なこと。葵のできること。葵という子の魅力。 そう、葵には足がある。ならばそれを使えば。 「……お姉ちゃん、もうカット終わったよ?」 「桜。髪流してきてもらいなよ」 「ん、ああ、ごめん。少し考え事してた」 立ち上がる。 「さて、昼から買い物ね」 「うん、お姉ちゃん。先輩、昼から楽しみですね」 「桜がいればどこでも楽しいよ」 買い物が終わって家に帰れば早速調べ物だ。葵が私の希望する大学に来られ る一発逆転の裏技を探そう。 |
||
ネット小説ランキング>恋愛シリアス部門>「スタートライン」に投票
←「スタートライン」第四話
「スタートライン」第六話へ→
他の作品を探す