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第四話


 私立の中高一貫女子学園。
 ここに来てしまったが最後、六年間は女に囲まれて毎日を過ごすことになる。
不平不満を言う人はたくさんいて、私もその中の一人。別になんかのゲームみ
たいに寮生活が義務付けられているわけでもなければ、学校の先生が全員教会
関係者とか、そうのでもない。そこまで徹底されているわけでもないけれど伝
統と格式のある学校だから校則なんかは結構厳しい。例えば制服と髪の検査が
毎月あって、寄り道なんかは厳しく制限されている。それだけじゃない。まあ、
そういうのは仕方ない。
 でも。
 朝礼とか運動会とか、そういうときにいつも思うのだ。それはどうしようも
ない現実なのだけど、右を向いても左を見ても女、女、女。
 女性しかいない。
 まあ、女子校だから当然なんだけど。
 考えて欲しい。中学から高校という六年間、人生でも一番大事な時期を同性
の中でだけ過ごすのだ。カメムシは集団で越冬するけれど、同性同士で集まっ
てもいいことなんてあまりない。いや、別に異性がいればいいことがあるとい
うわけでもないのだけれど、それでも同性だけで固まっているのはなんとなく
不自然だと思う。なんで女子校なんてものを考え付いたのか、私にはその辺り
が理解できない。
 いいところも確かにある。
 例えばあまり他人の目を気にしないですむし、上っ面を見せなくてもいいし、
逆に媚を売った感じに見られることもないし、たまには本気で自分の意見を言
うことだってできる。それに、何よりも男を立てる必要がない。男女平等はこ
の世の流れだけれど、いろんなところで「男のプライド」みたいなものを守っ
てやるのは女の役目だと私は思っている。私はそういう女の潤滑油みたいな役
割こそが世の中を回しているんだって思っているし、それが私のプライド。い
くら女が主導権を握っていても目立つところでは男に形だけでも決定権を与え
てやったほうが物事は円滑に進む。
 でもここは女子校。ややこしい話は一切、なし。周囲への気遣いがあまりに
もルーズになってしまうのは良くないだろうけれど、のびのびとやっていける
のはいい。
 いろいろと総合すると、私は今の環境を気に入っている。
 この場所も今年で六年目。要するに高校三年生、というやつだ。
 友達は比較的多い。クラス委員をやっている関係上、溶け込めない子の面倒
を見るのは私の役割だし、義務みたいなものだ。中学や高校はある意味平等な
社会で、勉強さえ出来ればステータスから友人まで勝手にやってくる。正直、
女の子の集団みたいなものは好きじゃないし派閥みたいなのは苦手で、全員と
うまくいっているわけじゃない。それでもクラスの中心が中学一年生の頃から
私だったのは一重に勉強が出来るからだと思う。
 そんな私でも、クラスの中で一年間一度も口を利かなかった子が一人だけい
た。
 葵だ。
 御影葵。友人というにはいろいろと難ありだけど、とりあえず友人というこ
とにしておく。
 私と葵は中学一年生の頃から六年間ずっと一緒だけど、最初の一年間は最悪
な関係だった。私たちはそんなところから始まった。
 それはゼロですらない、マイナスから始まった関係。
 当時葵は全然明るくなくて、今よりも不器用で、笑うこともなかった。葵は
ほんとうに頭のよくない子で、なぜこの学校には入れたのかでさえ疑わしいよ
うな、そんな子だった。怒られてもたいした言い訳すらできず、いつも半分泣
いたような顔で椅子に座っていた。身長だけは当時から高かったから、そのしょ
ぼくれた姿はとても目立っていた。
 その頃から教室の中心にいた私は葵を積極的に見下した。あの頃の私はほん
とうに最悪な奴だった。
 一人のスケープゴートを作り、誰かを追い詰めることで全体の結束力を強め
る。それが集団というものを統率する一番手っ取り早い方法なのは事実。
 私はその「一人」を葵にした。
 それは二年生になって初めての体育の授業だった。班分けをすれば必ず残る
葵を引き取るのは私の役目で、だからその日も私は葵を引き取って、最低限の
接触で授業を乗り切ることにした。
 今でも覚えている。その日の授業は体力測定で長距離走。体力のない私には
地獄のような種目だ。最初から適当にサボって、適当に過ごそうと思っていた。
 トラックを五周。私は適当に三週しか走らずにタイムを報告した。そして私
がストップウォッチを持ち、葵の計測。
「位置についたわね。なら、よーいどん」
 言うだけ言って、体育倉庫の片づけをした。もう葵が走っていることなんて
記憶から消えていた。授業時間が終わりに差し掛かった頃。体育倉庫からグラ
ウンドを眺めた。
 そのとき、視界の隅を何かが横切った。
 葵だ。
 葵はそのときまだ、トラックを走っていた。
 ストップウォッチは軽く三十分を越えていた。私が周回を数えていなかった
せいで、葵は三十分以上の間、延々と一周四百メートルのトラックを走ってい
た。
 私が三周走るだけでも息の上がるトラックを。
 急いで止めた。
 あのとき、私は初めて知った。
 私のやってきた残酷なやり方と、都合の悪いことに目をつぶってしまう非道
さ。
 恨まれることも、怒られることも覚悟していた。
 でも。
「え、もう終わり?」
 そう聞く葵の顔は、偽りのない笑顔だった。
 ああ、この子、笑うこともあるんだ。そう思った。そして
 不覚にも。
 不覚にもその笑顔が脳裏に焼きついた。
 葵の笑顔は、私がそれまで見てきたどんな顔よりも綺麗で強くて、そして格
好良かった。葵の走る姿を、その笑顔をもう一度見たいと思った。
 葵のことを意識するようになったのはその日から。
 といっても直接言葉を交わすようになったのはもう少し後になる。きっかけ
が「ほんとう」に変わったのは翌週のこと。
 その日、私は髪を切りに美容室に行った。右奥の椅子に短髪の子が座ってい
た。
 葵だ。葵は私を認めると、小さな笑顔を作った。
 支払いを終えて店の外。私の後ろを追って出てきた葵に声をかけた。
「何か用事?」
 私が自分の意志で葵に声をかけた、最初の言葉はそれだった。
「あ……」
 葵はすぐに目を伏せた。
「何よ。私に何か用事?」
 私だって知らない人に声をかけるのは得意じゃない。強い態度で、強い言葉
で自分を大きく見せるくらいしかコミュニケーションの方法を知らない。私は
器用でも正義感に溢れているわけでもない。
「あの、用事はないんだけど、はじめまして」
 葵は顔を伏せて、そう言った。
「何がはじめましてよ。クラス一緒でしょ」
「でも」
 ため息。
「桜でいいわよ」
 葵の言葉を遮った。
「私の名前よ。高橋桜。桜でいいって言ったの。あんたは御影葵でしょ。葵っ
て呼ぶわよ」
「えっと、それなら桜さん」
「だから桜って呼びなさいよ」
「さくら?」
「そう、桜よ。せっかくだし、どこかお店にでも入る?」
 正直なところを言うと、私は他人に名前を呼ばれたことなんてなかった。余
裕ぶって偉そうなことを言っているけれど、ほんとうは虚勢を張ってしか人と
接することができなかった。
 美容室のすぐ近くの喫茶店に入って、紅茶を注文。
「葵は走るのが好きなの?」
「そうだね。人の髪の毛を触るのと走るのは好き」
 走ることと、髪を触ること。今でも変わらない、葵の好きで得意なこと。
 そして、そんな下手糞な会話が私たちの精一杯だった。
「なら、部活とかやらないの? あれだけ速いんだから陸上部とか」
 だから、次のステップを踏めたのはほんとうに偶然。
「え?」
「放課後に走るの。あんた向きでしょ」
 葵が陸上部に入るということ。
 そう、葵がクラスや学校に溶け込めなかったのは全部私の責任。だからせめ
て葵に新しい道を示して、馴染める場所を作ってあげたい、そう思った。だか
ら次の日、葵を連れて一年と少し遅いクラブ見学に行った。
 そして新事実が発覚。そのあたりから普通の物語とは話の方向が変わってく
る。
 早速入部願を出した葵は担任に三秒で瞬殺された。
 曰く、葵はあまりにも成績が悪いから部活動ができない、と。
「……悪かったわね」
「何が?」
 それでも葵は笑顔だった。
「私が葵の成績を知らなくて、部活動が出来ないって知らなくて」
「大丈夫。こんないいところがあるんだって教えてくれた。感謝してる」
 葵はたまに不意打ちみたいな感謝を向ける。
「それに悪いのは私の頭。走るだけなら近くの公園でだって走れるんだ」
「ダメよそんなの。もったいないわ」
 自分で言ってから驚いた。
 私はいつも人を遠巻きにして批評するばかりで、真剣になってやることも深
いかかわりを持つこともないんだって、そう思っていた。でも、葵に対しては
「葵は陸上部に入部するの。そのために次の期末テストまで勉強見てあげる」
 というわけでそれから二ヶ月の間、葵の勉強に付き合った。
 勢いというものは恐ろしいもので、あの二ヶ月はほんとうに鬼だった。糠に
釘ということわざがあるけれど、正直葵に勉強を教え込むことができるなら豆
腐にだって釘を刺せるに違いない。葵の頭は絶望的に記憶力が悪くて、妹の楓
がザルだとしたら葵は枠だ。引っかかる金網すら存在しない。それでも豚をメ
タセコイアに登らせる勢いで鞭打ち、付け焼刃ですら存在しない竹光で大根を
切る努力をもってしてようやく、葵は期末テスト成績ワースト10を脱出した。
ちなみに葵の勉強につき従ったせいで私は順位を十番くらい落として先生に心
配された。
 ……今考えればいい思い出。そういう努力が身を結び、葵は夏休み前に陸上
部へと入ることができたのだから。
 で。
 ほんとうなら今度こそ縁が切れるはずだった。というか正直そこで切れるべ
きだったと今でも思う。
 が、世の中そんなに甘くはない。
 夏休み。それは世間一般ではお盆と呼ばれるころの時期で、学校だってほと
んど誰も来ていなくて、部活なんて普通は休みの、そんな日。
 私は学校に毎日行っていた。別に家の居心地が悪いとかそんなことはないけ
れど学校という空間が好きで、バスに乗るのも制服を着るのも好きで、だから
毎日学校に行っていた。今思えば少し変な中学生だったのかもしれない。
 居場所は図書館。私のお気に入りの場所で、今でも大好きな場所だ。
 その日も私は図書館に荷物を置いて一時間の勉強と十五分の休憩を取るとい
う模範生みたいな時間を過ごしていた。特別なことは何もない。ああ、そうい
えばそれから作りすぎてしまったお弁当を葵に分けてあげられるようにお箸を
二膳、持ってきたことは覚えている。勉強に疲れて眺めるグラウンドには同じ
ように毎日学校に来ている葵が見えて、それだけで私は十分だった。
 時間は十二時十五分。
 時間が来てすぐグラウンドに向かった。そう、すぐに葵を捕まえないといけ
ないから。そうじゃないと作りすぎてしまったお弁当が無駄になってしまって
もったいないから。
 グラウンドに目を這わせて五分。動くもの一つない太陽の下、片隅に盛り上
がるものを見つけた。
 葵だ。炎天下をそのまんま具現化したようなグラウンドの風景のど真ん中で、
身体を折っていた。
 単なる熱中症だったのだけれど、当時私は中学二年生。病人の扱いなんて何
も知らない。このまま葵が死ぬんじゃないかとすら思った。花壇用のホースを
引っ張ってきて葵に水をかけ、ホースを葵の口突っ込んだ瞬間、葵が咳き込ん
だ。
 馬鹿みたいな話だけれど、その葵の咳き込んだ声でようやく自分を取り戻し
た。
 葵を保健室に連れていったのは発見してから十分は経過していたと思う。私
の力じゃ葵の身体なんて持ち上がるはずもないから、手首を掴んでグラウンド
を引きずっていった。そんなことをするもんだから私は全身筋肉痛、葵は全身
泥だらけ。私が保健室の扉を開けた瞬間に蜂の巣をつついたみたいな騒ぎになっ
て、その後たっぷり先生と警察に事情を聞かれた。
 あの時、思いが確信に変わった。
 この、回遊魚みたいに走るしか脳のない子に首輪をつけるのは私の役目。
 結局この子は私が世話していないと全くダメで、自分の得意とする「走るこ
と」ですら満足にできないんだって。
 そう最初から私は葵のお世話係だった。
 そんなことがあって、放っておくと馬鹿みたいに練習して身体を壊しそうな
葵を放って置けなくて、私もなし崩し的に陸上部へ入った。もちろん走るため
じゃない。当時偶然空席だったマネージャーとして、だ。
 例えばここが共学で、私が男子陸上部のマネージャーなんてポストなら全然
違う展開が待っていたのかもしれないし、正直そういう展開だって嫌いじゃな
い。陸上のことなんて全然分からなくて、単なるマスコットキャラで、あまり
使えないけど声援挙げているだけで仕事になる、そんなポジション。
 ま、そんな絵に描いたような閑職が回ってくるはずもなく、当時荒れ果てて
いた体育倉庫の整理から備品の購入、記録の整理から基礎練習の世話までいろ
んな仕事を押し付けられた。それでも葵に首輪をつけると決めたのだから、私
はその場所に留まり続けた。
 練習は私が考える。当然だ。私は陸上部のマネージャーだもの。
 体調管理もしてやる。当然だ。私は葵に部活動を薦めたのだから。
 弁当だって作ってやる。当然だ。私は葵の面倒を見なければいけないから。
 一緒に遊ぶのだって、帰るのだって、買い物に付き合うのだって、なんだっ
てする。
 私は葵に付き合わされて、わがままに振り回されて、いいように扱われてこ
こまできた。しんどいことも多かったし、いい加減腹の立つこともあった。そ
れでも結果だけを見れば悪くはない。葵は今では陸上の大会で常にトップだ。
性格だって見違えるほどに明るくなり、今では笑顔以外を見ることのほうが珍
しい。敢えて問題を挙げるなら、時々調子に乗りすぎることか。ああ、思い出
すとまた腹が立ってきた。
「お姉ちゃん、晩御飯できたよ」
 楓の声が下から聞こえる。
「うん、ありがと。今行くから」
 つけていた日記を閉じ、席を立つ。
 まあ、なんだかんだで。私が女子校という環境に抱いている感情と、葵に抱
くものは同じかもしれない。嫌いではないけれど、好きでもないけれど、馴染
んでしまった居心地の良い場所という意味で。



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