妹である楓の世話は仕方ない。これは割り切っている。 問題は葵。 合宿先の手配はマネージャーである私の仕事だろうけど、葵の家に行って合 宿の荷造りを全部私がやるのはさすがに何かが間違っている。それだけじゃな い。葵のロッカーの片付けからユニフォームの洗濯、競技会に行くときの食事 まで全部私が面倒を見ている。まったく、壮大な貧乏くじだ。 ま、今更文句を言っても仕方ない。 「でさ、夏の予定だけど三人でどこかに行かない?」 と、葵が突然身を乗り出した。 「どういう意味よ?」 義務感丸出しで聞いてやる。 「うん。陸上部の合宿もいいけどさ、三人で遊ぶ感じでどこかに旅行に行きた いなあって思ったんだ。いいでしょ」 相変わらず思いつく脳みそだけは健在らしい。実現する身にもなってみろ。 「ま、葵が言い出した時点で私が巻き込まれるのは仕方ないとして、楓は夏休 みになんか予定ある?」 左を向く。 「うん。夏休みは全部暇」 即答。 「……それはそれで少し悲しいわね」 「なんで?」 どうしてもこうしても、長い夏休みの予定を全部暇と即答したのだ。 「楓、私と葵以外に友達いないの?」 「いるよ。陸上部の人とか、クラスの子とか」 確かに気の優しい子だから友達のいないことはないだろうけれど。 「まあ、付き合ってくれるのは嬉しいんだけど、友達と遊びに行くとか、勉強」 「えー勉強は嫌い」 「だよね。勉強は嫌いだよね」 二人そろって即答。 「楓、そんなところまで葵に似なくていいの。あれは悪い見本」 葵を小突いておく。 「お、お姉ちゃん……なんか目が怖いよ? そんなお姉ちゃんは嫌いになるか も」 「桜、大ピンチ?」 葵まで何変なことを。 「嫌ってくれて構わないわよ。もう楓は夏休みの間家でずっと勉強してなさい。 夏はみんなで夏休みの宿題。旅行なんて行かないんだから」 「えー、そんなお姉ちゃん大嫌い」 そこまで言うか。しかも真顔で。 「心配ないって楓。桜はどうせ押しに弱いんだ。今年も一緒に勉強して、その ご褒美に旅行行こうね」 なぜ私が勉強を教えた上にご褒美まで出さなければならない。 「葵。日本語の勉強をさせてあげるわ。普通はあれを『一緒』と言わない。単 なる寄生でしょ。私の宿題全部丸写しの癖に。しかもページ番号写し間違って 訂正させられたでしょ」 「あ、ばれてた?」 というか後で先生から言われたのだ。 「私が知らないわけないでしょ。だいたいあんたは注意力が散漫なのよ。もっ と機転を利かせて臨機応変にやらないと」 「難しい日本語は頭が……」 「先輩、私もときどきお姉ちゃんの言葉が難しくてわからないです。特に四字 熟語とか」 今の日本語のどこが難しかったのか、むしろそのことについて悩む。 「ま、冗談はともかく夏休みは葵も楓も私も暇だし、旅行に行くことにしましょ。 合宿と時期をずらせばいいから、それからどうせあんたたちの夏休みの宿題も あるから八月後半もやめて……うん、八月の前半くらいでいい?」 頭の中で予定を計算。 「うん、その辺で頼むよ」 「私もそれでいいよ、お姉ちゃん」 二人が笑う。この笑顔を向けられると、ため息をつきながらも頭の中に予定 が浮かぶ。 確かに私は押しに弱いのかもしれない。 「それで二人とも行きたいとこは?」 「そうだね桜。山の近くの涼しいところかな。走っても快適だし」 「……合宿で走った上に旅行先でも走るのね」 なら合宿を延長すればいいんじゃないか。 「当然。走ることは三度の食事より大事だから」 「食事抜きで旅行先まで走ってきたら?」 「あ、私は走るのより桜の方が好きだから一緒に行きたいんだ」 その理屈でいくと、私がそれほど好きでもなければ走ってくるのだろうか。 「で、楓も山でいいの?」 「うーん。私は海がいいな、お姉ちゃん。走ってばかりじゃなくて泳ぎたいし」 葵よりはマシな発想だが、結局は身体を動かしていたいらしい。どうしてそ のエネルギーを大脳に回そうとしないんだろう。 「楓は泳いで来る?」 「お姉ちゃん、遠泳は得意じゃないからダメだよ」 その理屈でいくと、遠泳が得意になれば離島にだって来てくれるのだろう。 「海と山、ねえ。両立は難しいけどまあいいわ。他に希望は?」 「料理はおいしいのがいい。これは外せないよ、桜。私は三度の食事が何より も好きだから」 さっきと言ってることが違うじゃないか。 「まあ、それは私もわかるわ。遠出するとその場所のものを食べたいものね。 楓は?」 「夏といえば外で食事だよね。一回くらい自分たちで作れるように台所のある ところがいいな、お姉ちゃん。お姉ちゃんが作ったらきっとおいしいよ」 「だよね。桜は料理も得意だよね」 「そんなこと言っても別に晩御飯の品数は増えないわよ。というか料理なら楓 の方が得意でしょ」 「そうかな、お姉ちゃんの普段の料理はおいしいよ」 家だって私と楓の当番で晩御飯を作っているけれど、大抵楓の方がお母さん からは評価が高い。ちなみに葵は料理が壊滅的にダメだ。家庭科の先生なんて 試食した直後泣いて、葵に強く生きろなんて諭していたし。 「他にご要望は?」 「肝試しは絶対に入れておいてよ。必須だからね。なかったら化けて出るから」 「今から幽霊になってくれてもいいわよ」 「桜のいじわる。絶対憑依してやる」 背中に葵の手。振り払う。 「ったくね。それで楓は怖いのとか苦手でしょ。それでいいの?」 「うん、我慢する。でも朝早くからやっている朝市とかもいいよね、お姉ちゃ ん」 山に近くて海に近くて食事がおいしくて自分で食事が作れて肝試しで夜更か ししながら朝市、と。 「別々に行動したら?」 「私は三人で行きたいんだ」 「そうだよお姉ちゃん。私も三人で行くなら隣のガレージでテント張ってもい いよ」 いや、それは私が反対だ。というか女子中高生が突然街中の駐車場でテント を張り出したら警察が飛んでくるだろう。もしかしたら取材も来るかもしれな い。 「あんたたちに希望を聞いた私が愚かだったわ。私の好きなように予定組むか ら。というわけで夏は図書館めぐりね」 「わ、ちょっと待ってよ。夏だよ。血沸き肉踊る夏だよ。みんなの要望が反映 されてこその民主主義だよ。そうやって私たち無産階級から搾取を繰り返すの は社会正義に反すると思うんだ」 「……こんなときだけ頭に血が巡るのね、葵」 思わず拳すら固めてしまう。 「わ、お姉ちゃん。あんまり怒っちゃダメだよ」 そりゃ呆れたくもなる。 「まあまあ、葵も家の中で難しい本を読むなんて秋に回して旅行に行こう。きっ と楽しいよ」 「そうだよお姉ちゃん。お姉ちゃんだって海で水着になればきっといいところ もあるよ。そういう需要もあるって言ってたし、アニメで」 「……は?」 知識はアニメで仕入れるのか、この子は。というか、「そういう需要」って どういう意味だ。 「桜、勘が鈍いなあ。水着といえば身体のライン」 水着、身体のライン。自分の身体を制服の上から触ってみる。 ……すかっ。 「ふうん。わざわざそんな嫌味を言いたかったのね、楓。そんなに晩御飯を抜 きたい、と。死んだほうがマシと思えるほど苛めてあげる」 「お、お姉ちゃん、私は良かれと思ってマイナーな需要の存在を言ってみただ け」 「マイナーで悪かったわねっ」 「……うん、桜。改めて触ると確かにないね」 「って何触ってんの葵」 葵が背中から私の胸に手を伸ばしていた。 ……ぺたぺた。 「ほんと小さいなあ。楓も桜の胸触ってみなよ。あ、ないものを触るのは無理 か」 「え、お姉ちゃん小さいと思ってたけど、実はなかったの?」 「んなわけないでしょ。いい加減にしなさいよ。公共交通機関で品性を疑うよ うな会話とセクハラ、私じゃなきゃ許されることじゃないわよ。だいたいね、 私の栄養は頭に使ってるの。楓みたいに足と胸に使うゆとりなんてないの、わ かる?」 「わ、私だって好きで大きくなったわけじゃないよ、お姉ちゃん。でも、小さ いを通り越して」 「……ちゃんとあるわよ。今晩一緒にお風呂に入って見せてあげるわ」 「楓、ルーペ持って行きなよ。小さいから拡大しな」 とりあえず葵を殴っておいた。正当防衛だと思う。 「あ痛たた……桜、少しは手加減してよ。私は楓のように大きいのよりも桜程 度の小ぶりな方が好きなんだ。さっきのは愛情表現だよ」 「これっぽっちも嬉しくないわ」 「それってお姉ちゃんの胸よりも小さいくらいってこと?」 楓を殴っておいた。攻撃は最大の防御だと思う。どっちを向いても揃って馬 鹿だからまぶたを閉じて視界から締め出す。 「ほら、そうやって攻め続けるから桜が拗ねたじゃない。ねえ、桜」 無視だ、無視。 「お姉ちゃん?」 ……ここは我慢だ。 「桜ちゃん?」 耐えろ、私。 「ねえ楓」 「なんですか、先輩」 「葵の弱いところを教えておいてあげる。葵はね、耳たぶを甘噛みしながら息 を」 「人の妹にそんなこと教えるなぁ」 跳ね起きた。もう勝ち負けとかどうでもいい。 「あの、お姉ちゃんと先輩ってどういう関係ですか?」 「そりゃ花で喩えると」 もうしゃべるな。 「楓……そんな関係じゃないからね。葵が少し悪ノリするだけで私はノーマル。 極普通の女子高校生なの」 「そういうところが大好きなんだよ、桜」 「万一私が好きだって言うなら、二度としないでよ、あんなこと」 二年前の合宿だ。夜、えらく機嫌のいい葵がふざけて私の耳たぶを噛んでき た。十分くらい立てなかった。 「そんなこと言って、実は『もう一回してほしい』なんて思っているんでしょ」 「……リセットボタンがあっても電源ごと引っこ抜いてあげたい気分だわ。生 まれるところからやり直してきなさい」 「お、お姉ちゃん。今のは愛情表現だよ、先輩なりの」 「私は人に襲い掛かるような変態に愛されたくないっ」 がつん。 「お、お姉ちゃん。制カバンの角で叩くのは反則だよ」 「桜。ほんとうにいつも感謝しているんだって。やっぱ私たちの中心は桜だし、 夏休みの旅行だって」 膝を叩く。 「あーもうわかったわよ。どうせ私がやらないと話がまとまらないんでしょ。 やるわよ、やればいいんでしょ。最初からそう言いなさいよ。全部は叶えられ ないから、適当なところで折り合いをつけるわよ。それでいい?」 もう吹っ切れないとやってられない。 「ありがと、桜。毎日全力疾走して夏休みを待ってる」 まあ、確かに全力疾走だろうけど。 「先輩よかったですね。今から楽しみです。あ、そうだ。せっかくだし服でも 買おうかな。先輩、付き合ってくれますか?」 「うん。怖い怖い桜お姉ちゃんが同意すればね。桜、楓を借りていっていい?」 最初から旅行の計画にはノータッチを決め込むらしい。 「勝手にしなさい。あんたたちの休日まで付き合ってられないわ……何よ」 「お姉ちゃん、買い物に来ないの?」 「別に誘われてないわ」 「でも先輩がいるんだよ?」 「私は葵のお守り役じゃないわよ」 そっぽを向く。 「桜、そんなこと言わずに来ようよ。私と楓だけだったら計算も出来ないし」 ……まあ、葵が言うなら仕方ない。せっかく休日くらいのんびりしたかった んだけど。 「あんたが言い出したときから分かってたけど、要するに私は楓を連れて葵と 買い物に行けばいいのね」 「さすが、ものわかりいいね」 最初からはっきりと言えばいいのに。 「で、いつ行くの?」 「うん。あ、そうだ。私は今週末髪を切りにいくし、午後からでお願いできる?」 「なら私もカットに行くようにして一日付き合うわ。楓はそれでいい?」 「うん、お姉ちゃんに任せるね」 軽いブレーキ。停留所を告げる機械の声。 「あ、そろそろね。じゃ、私たちは下りるわ。また明日、葵」 「うん。桜、楓、また明日」 「先輩、お疲れ様です」 手を振る。 「こら楓。また制服入れた手提げ袋を忘れてる」 「あ、お姉ちゃん、ごめん。ありがとう」 「あんたいい加減に学習なさいよね。二回目でしょ。制服って案外高いんだか ら。拾った人の身にもなってみなさいよ」 人間は学ぶ生き物だというけれど、それに従うとうちの妹は人間じゃないら しい。 「楓の制服なら私は嬉しいよ。毎晩抱いて」 ついでに葵もある意味人間じゃない。 「……そこのおかしな子は黙っててくれるかなあ」 「はいはい、ごめんね。今度こそ、バイバイ」 もう一度手を振って出口に駆ける。 |
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