なぜか用意されていた航空券で飛行機に乗り、この地域最果ての飛行場まで 約一時間。 と、千秋から見れば無駄に用意と都合のいい話なのだが、実際のところ、予 定のほぼ全ては爽萌が計算し、小桜が手配したものである。 時間は夕暮れ。どこにもでもありそうな緑の作業服と、名門校の制服が夕暮 れの港に立ち尽くし、さっきから動かない。作業服が頭を掻き、制服が足を震 わせる。 そう、それは爽萌が意図的に小桜に伝えなかった現実を見た二人の反応だ。 「……終わりだな」 「……はい」 何が終わったのか。 連絡船の時間である。次の連絡船は明日の朝まで出航しない。 「とりあえず今日のことを考えるか、って小桜。どうした」 のんびりと構える千秋の隣で小桜が鞄からパソコンを取り出し、何かの作業 に没頭する。 「……はい、宿泊先を探しているんです。えっと、これがこのあたりの地図な ので」 建設作業機器はともかく、ややこしそうな電子機器はさっぱりの千秋である。 小桜の手元を覗き込もうという努力ですら放棄し、問題を丸投げ。 「どうだ。何かあったか」 「はい、こちらなど、いかがでしょうか」 その声でようやく千秋がディスプレイを覗き込む。 場所は、悪くない。値段もそこそこだ。手持ちの金でなんとないけそうだ。 航空券を小桜に用意してもらった奴の言葉ではないとの説もあるが、気にして はいけない。だが 「小桜」 一つだけ気になることがあった。 「お前の制服は目立ちすぎる。俺の作業服もだ。泊まる前に簡単な服だけでも 買っていくか」 目を丸くする小桜。 「え、制服がだめという話なら、換えの服は持っています」 「持っている、って用意していたのか」 どうやら自分のあずかり知らぬところでとんでもない陰謀が進行しているら しい。そんなことにようやく気づく。 「はい、用意していました。その、こうなることは分かっていたので。あ、千 秋さんの分も用意させてもらっています」 小桜が白石に用意させた鞄を差し出す。 「……もう、どうとでもしてくれ」 再び試合放棄モードに戻った千秋が小桜の腕を引っ張り、歩き出す。 「千秋さん、そんな引っ張らなくてもすぐに着きます。あそこですよ」 指差す先にありきたりなホテルが見える。 「たまには男みたいなこともさせてくれよ、俺にも」 そんな千秋のいじけに 「はい、千秋さん。それでは案内してください」 手を差し出す。その姿を若いカップルなど久しぶりに見たという顔をした老 人達がはやし立てる。北の風が気持ちいい夏の夕暮れ。 春が終わりを告げた。 食事を済ませ、交互にシャワーを浴び、どちらからともなくベッドに腰掛け る。部屋に入った瞬間から終始無言だ。千島は状況に唖然とし、小桜は顔の赤 さを隠せない。 なぜか。 それは部屋の間取りを見れば一瞬で答が出る。細い廊下があり、どうでもい い装飾品があり、テレビがあり、そしてベッドが ダブルである。 「お前、そのボケだけで食っていけるよ」 千秋がつぶやく。 小桜は答えない。目を一切合わせようとせず、掌を組んで腰を折り曲げる。 半泣きだ。 「ごめんなさい。私、ホテルの予約なんてしたことなくて、それで」 そんなことは聞いていない。単純に無知のなせる業なのかと。 「その、少しだけ安かったからこちらにしたんです。なんか、とにかくごめん なさい」 ため息一つ。 「アホだろお前」 「……はい、アホです、私」 これ以上小桜をコケにしても仕方がない。良識的に考えて、今からでも部屋 を変えてもらうべきだろう。受話器に手を その手を小桜がつかんだ。 「千秋さん、一つ、お話があります」 その目に意志が宿った。こうなってしまうと納得するまで小桜は離さない。 「私、このままで構わないです。覚悟くらい、できています」 それは栃内の人間として生きることを拒否する覚悟。 「わかった。でも、断る。俺はその覚悟を受けられない」 だからこそ、千秋はそれを拒否した。 「名前も考えたんです。千秋さんとの子供だから桔梗って名前にして。そうす れば子供は千島桔梗って名前になります。楽しそうです」 それは千秋には贅沢すぎる未来だった。 「今日は諦めろ。俺は寝る」 嫌なわけがなかった。許されるのなら一緒に朝まで過ごしたい。小桜を抱い てしまいたい気持ちを抑えるほうが苦しい。 「千秋さん、私は」 目を閉じた千秋の身体を小桜が必死で揺さぶる。 小桜が泣きつかれて床に伏せてからようやく、その身体をベッドの中に運ん でやった。 千秋が椅子に身体を埋めたのは深夜になってからだ。 あれほど取り乱していた小桜であったが朝起きると何事もなかったかのよう に起きていた。女の不思議である。 「子供が生まれたら千秋さんのことはヘタレって教えておきます」 恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに笑い、一回転。千秋が見立て、小桜 の購入した白い服が小桜の身体を包んでいる。耳元には銀色の飾り。 「……なんとでも言え。そろそろ行くぞ」 二人揃い、昨日の道を戻る。 が、千秋は一瞬足を止めた。 制服の警察官が港に立っている。 まだそうと決まったわけではない。が、昨日小桜が覚悟を宣言したように、 どうやら千秋も覚悟を実行に移さねばならないらしい。 小桜に告げる。 「小桜。船には先に乗れ」 「え、先に、とは」 「後で行くから心配すんな。ちょっと警官の目をくぐるだけだから」 最初から無理なのは分かっている。多分、ここで小桜と別れ、二度と会うこ とはない。もしかすると小桜だってそんなことわかっているのかもしれない。 それでも 「はい、待っています」 その笑顔はどんな青空よりも済んで美しかった。だから、どちらからともな くキスする。それだけで十分だった。小桜の背中を押し、自らの乗船券を破り 捨てて船に背を向ける。 タバコに火をつけた。 「おい、千島、ここは禁煙だ、吹いたいなら連れてってやるが、どうだ」 視線を上げると目の前に男二人。笑い返す。 「ああ、連れてってくれ。で、罪状は誘拐か、建造物損壊か」 「……兵役拒否、そう聞いている」 無言で肩を抑えられた。 「わかった、お縄を頂戴いたす、ってやつだな」 連絡線が汽笛を鳴らす。出航の合図だ。 「おいおい、いつまで待たせるんだ」 「もうちょっとだ。黙ってろ」 連絡線が離岸した。 あの、花の島へと向かう連絡船。こんな時期に乗るやつなんて殆どいない、 だが。 甲板。 そこに、いた。 白い服の人が。 口を開け、何かを言っている。 聞こえるわけがない。夏を含んだ大気が二人を分かち、そしてこちらの夏を、 セミのいないあの島へと運んでいく。 強い風に流れるものが、ただ心地よかった。 それが別れだと思った。 春の始まった頃、校舎の影で出会った。笑えるくらい不器用でへたくそな毎 日だった。それでも、そんな時間が好きだった。 大好きだった。 「残酷だな千島」 警官が言う。 「残酷はお互い様だろ」 今、小桜は自由なのだと思う。 爽萌は伯母の前に出る。 「損害が約二千五百万、そして風評被害。どのように説明しますか」 説明の機会を与えられただけでもましだと思う。何もなく腕一本、と来るか と思っていた。 「むしろこの程度で済んだことに感謝してくださいますか、伯母様」 大きく出てみた。 「おっしゃってみなさい」 「この事案で北東技工の寄付宣伝を効果的に行うことができたかと思います。 また、これで栃内家はこちらに伺いを立てる立場になった、とも言えます」 沈黙が降りる。 「それで、あなたのご要望は」 「高校に、追加の寄付を」 伯母の顔が少し笑う。 「爽萌。それでは条件を二つ提示しましょう。それにあなたが同意すればよし、 しなければ文字通り命をもってあなたと栃内家に償わせる。それでよろしいか しら」 「わかりました。おっしゃってください」 伯母の口元がわずかに歪む。 あらゆる動物は五感により情報を入手し、脳において判断し、脳より唯一つ の出力系である筋肉へと伝達される。入力と出力だ。整理してしまえば単なる コンピューターである。 脳をコンピューターとたとえるのなら、コンピューターを脳にたとえるのも 無理ではない。要するに百四十億の素子を持ち、全てが回路でつながれ、外部 から五つの入力ができ、外部へ一つの出力をできるコンピューターがあれば、 それは「脳」と呼ばれるのではないだろうか。機械と生体を同一に並ばせるこ とができれば、脳の感度と処理能力を機械で強化することもできるし、自律的 に行動する機械を作ることもできるはずだ。これは敵味方判別装置つきの自動 小銃、カメラで捉えた情報を直接脳に接続するシステムなどに応用されている。 脳の強化、および機械の自律判断能力、それが北東技工の技術である。 そして現在開発中の技術はこれまでの脳―機械路線とは異なり、脳を直接強 化するという方法である。 最も簡単なものが運動神経系の開放。小脳による運動制御を開放し、常に火 事場の馬鹿力を出せれば「強化人間」の出来上がりだ。カメラに視覚神経領域 を接続しなくとも、視覚神経の感度を上げれば「暗視装置内蔵人間」の出来上 がり。 だが。 仮にも脳を直接操作するとなれば危険だって付きまとう。当然のことながら 本人の同意もいれば倫理的問題もある。そこで目をつけたのは戦災孤児である。 北東技工はまず、福祉施設を作り、子供を集めた。次に栃内家に働きかけ、自 らの研究を正当化させる法律を作らせた。 そうして生み出された子供の多くは強すぎる力と感覚ゆえに性格が変貌した。 衝動と反社会的行動が露となった。暴力的で短命。自分の首を自分の手で引き ちぎる子供だっていた。食事を取らずに死ぬ人間もいれば、自分の腕を食べて しまう奴もいた。所詮、人間が頭の一部を触って人間を改造するなんて無理な 話なのかもしれない。最近、ようやく感覚神経と運動神経を強化することにだ けは目処がついたが、どうしても性格が凶暴にならざるを得ない。もし、性格 をつかさどる領域を制御できれば、もしかすればあらゆる機能を強化されたま ま、環境に適応できる人間ができるのではないだろうか。ここ一番でだけ自分 の意志で感覚を研ぎ澄まし、体力を完璧な状態にまで挙げることができる人間 がいればいいのではないだろうか。 もう一つ、問題がある。最近になって北東技工の研究に対する批判が出てき たのだ。そんなときの頼みの綱であるはずの栃内家だが、現当主の娘、小桜が 北東技工の福祉施設と関わりを見せ始めたのだ。このままでは栃内家が敵に回 る可能性もある。弱気の現当主に代わり、小桜が形だけの結婚をして栃内の顔 となってしまえば政治的工作は不可能だ。 北東技工には子供が必要であり、栃内と名のつくものが邪魔だった。 栃内の家系を絶ち、子供を得ることができるのなら、それは安い買い物だ。 |
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