春、都会の隅-Spring-

第20話

 小桜は培ってきた運転技術を駆使する。
 花壇前までは一直線。事前の計画通りに転覆したトレーラーとローラー、そ
して人だかりを発見。ぎりぎりまでスピードを緩めず、サイドブレーキを引く。
車体を百八十度回転させてクラッチを切る。ちなみに小桜の運転技術は全部自
宅の庭で磨いたものだ。傍目に見れば高度な技術も年三台のペースで中古車を
廃車にできる財力のおかげである。
「千秋さん、こちらです」
 急ブレーキで車を止め、停車と同時に開け放った車窓から名前を叫ぶ。人だ
かりの中心にいた千秋は声に弾かれ、助手席に身体を突っ込む。
 瞬間、急発進。狭い構内を走り抜ける。細葉と近藤が交通整理をしているお
かげで混雑の心配はない。講堂脇を走り抜け、正門を目指す。
「おい、小桜」
 正門が半分閉鎖されているのを見て千秋が声をかける。
「いけます」
 小桜がスピードを緩めることはない。幅は車より拳一つ分はある。
 これならいける。小桜は確信し、すり抜けた。ついでにハンドブレーキを引
き、後輪だけを横滑りさせてトランクを正門にぶつける。正門は大破、予定通
りだ。
 更に加速。向かう先は
「小桜、」
「黙っていてください。舌を噛みます」
「待て。どこに向かうんだ。学校外で降ろしてくれたら」
「今から千秋さんの故郷に向かいたいんです。ダメって言葉は聞かないって約
束しました」
 小桜は叫ぶようにそう告げ、再び運転に全霊を傾ける。
 ああ、そういえば。千秋は思い出す。
『発表終わったらまずは二人でどこか行くか』
 まったく、下手なことは言わないものである。もはや何を言っても耳を貸し
そうにない小桜を横目に、千秋は黙り込んでシートベルトを締めた。
 高速道路に飛行場への案内が映し出される。所要時間は一時閑弱。このスピー
ドなら半分くらいには短縮するだろう。

 さて。
 勝手に搭乗手続きを終えた小桜は飛行場のソファに縮こまる。一方千秋は取
り合えずという感じで缶コーヒーとお茶。
「お互い器物破損だな」
 小桜の手に暖かいお茶を渡し、隣に座る。
 ため息。
 トレーラーの転覆計画を聞いた瞬間、千秋だって実刑くらいは覚悟している。
が、いくらなんでも重要文化財の正門を壊したのはやりすぎだ。しかもあれはど
う見ても小桜が実行犯である。
「ですがこれで植物園の計画は凍結させられます。正門の破壊も予定のうちで
して」
「いや、打ち合わせの時には」
「それに千秋さんが発表の後、一緒にどこかにいこうと行っていましたので、
少々強引な手を使ってでも」
 ようやく口をきいた小桜が早口だ。
「一緒に捕まってもなあ。一緒に取り調べられるわけでもなし」
「それでも私は素敵だと思います。こう、二人で遠くに出かけるというのは、
ずっと憧れていました」
 小桜がそう告げる。その顔はほんの少しだけ赤い。
 それはほんとうに幸せな毎日。小桜は小桜の思いを、そして千秋は千秋の思
いを描く。
 あの故郷の、花咲く島。そのある夏のこと。
 そこでは千秋が民宿を経営し、小桜がガイドをする。小桜の背中には生まれ
たばかりの子供が背負われているのだ。それはなんでもない日常の一コマ。ほ
んとうは小桜が動かしていくにはあまりにも小さすぎる運命。それでも小桜は
今が幸せといわんばかりに笑う。
 やがて子供が成長し、あの島の中を走り回る。なんたって小桜の子供だ。目
に見えるもの全てが探求の材料だ。そのかわいらしさと利発さを兼ね備えた顔
で、世の中の不思議に全力でぶつかっていく。
 そして極めつけの質問をある日、向ける。
「ねえ、お父さんとお母さんはどうやって出会ったの」
 その質問にこの上ない笑顔で答える小桜。きっとその顔も今と同じくらいに
赤い。
 告げる。自分達の始まりの場所。春、都会の隅の出来事。
 あの人は多分、タバコを吸おうとしただけ、と。

 飛行機は一時間弱のフライトを終え、北の果ての飛行場に降り立つ。
 時間は夕暮れ。飛行場から車で三十分の港に立つのはどこにもでもありそう
な緑の作業服と、名門校の制服。
「……終わりだな」
「はい」
 千秋がつぶやき、小桜が応じる。目の前には一枚のプレート。そこには島ま
での連絡船の時間が書かれている。それによると次の連絡船は明日の朝。もう、
今日の運航は終わっている。今からでは遅い。
「とりあえず今日のことを考えるか」
「はい」
 のんびりと構える千秋の隣で小桜が鞄からパソコンを取り出す。
「……えっと、近くの宿泊先です。今検索した限りではこのあたりなど」
 小桜の指が画面を指す。その行動力の速さに圧倒される千秋。建設作業機器
はともかく、ややこしそうな電子機器はさっぱりの千秋である。小桜の手元を
覗き込もうという努力ですら放棄し、問題を丸投げ。
「任せた。俺は荷物を持つ作業に専念する」
「はい、では承ります……こちらでよろしいですか」
 その声でようやく千秋がディスプレイを覗き込む。
 場所は、悪くない。値段もそこそこだ。手持ちの金でなんとないけそうだ。
航空券を小桜に用意してもらった奴の言葉ではないとの説もあるが、気にして
はいけない。だが
「小桜」
「はい?」
 一つだけ気になることがあった。
「お前の制服は目立ちすぎる。泊まる前に簡単な服だけでも買っていくか」
 その言葉を待っていたといわんばかりの小桜が微笑む。
「制服がだめという話なら、他の服は持っています」
「持っている……って用意していたのか」
「はい、用意していました。その、こうなることは分かっていたので。あ、千
秋さんの分も用意させてもらっています」
 小桜が白石に用意させた鞄を差し出す。
「……もう、どうとでもしてくれ」
 試合放棄モードに戻った千秋の腕を小桜が引っ張る。
「だめです千秋さん。しっかりしてもらわないといけません。あ、泊まるとこ
ろが見えてきました。あちらです」
 指差す先に宿泊先と思われるホテル。
「……あれか?」
「はい、千秋さん。案内してください」
 手を差し出す。その姿を若いカップルなど久しぶりに見たという顔をした老
人達がはやし立てる。北の風が気持ちいい夏の夕暮れ。
 春はとっくに終わりを告げている。

 食事を済ませ、交互にシャワーを浴び、どちらからともなくベッドに腰掛け
る。部屋に入った瞬間から終始無言だ。千島は状況に唖然とし、小桜は顔の赤
さを隠せない。
 なぜか。
 この時点で答が出ているようなものだが、部屋の間取りを見ても答が出る。
細い廊下があり、どうでもいい装飾品があり、テレビがあり、そしてベッドが
一つ。
「お前、そのボケだけで食っていける。そうだ、どこか紹介してやろう」
 千秋がつぶやく。
 小桜は答えない。目を一切合わせようとせず、掌を組んで腰を折り曲げる。
「……あの、いじめないでくれるとありがたいのですが」
「それは俺の台詞でもある」
 小桜のいじらしい仕草に嗜虐心をくすぐられかけ、深呼吸。
「その、少しだけ安かったからこちらにしたんです。えっと、とにかくごめん
なさい」
 ため息一つ。
「アホだろお前。少なくともこの部屋の中では俺の次にアホだ」
「……今ならなんと言われても耐えてみせます」
 これ以上小桜をコケにしても仕方がない。千秋は良識的に考えて、今からで
も部屋を変えてもらうべきだろうと判断する。受話器に手を
 その手を小桜がつかんだ。
「あの千秋さん、一つお話があります」
 小桜の目に意志。
「つまらんことなら断るからな」
 千秋は腹を決める。こんな顔をする小桜を納得させるのは不可能に近い。
「私、このままで構わないです」
 小桜は栃内の人間として生きることを否定する覚悟で告げる。なんとなく予
想の出来ていた千秋はため息で応戦。
「断る。俺が構うんだ。部屋はこのままでいいからさっさと寝ろ。今日は疲れ
てるだろ」
 千秋は拒否する。
 これほどの事件を起こし、逃走中の身だ。口で何を言おうと、小桜と生きて
いくことは不可能。ならば無責任に小桜の言葉を受けることはできない。
「名前も考えたんです。千秋さんとの子供だから桔梗って名前にして。そうす
れば子供は千島桔梗って名前になります。高山植物の名前です。そうすると」
「……妄想はやめとけ。そんでもって今日は諦めろ。俺も疲れている」
「でも」
「あのな、たまには俺の言うことも聞けないのか」
「千秋さんは私がお嫌いですか」
「ああ、思い通りにならない奴は大嫌いだ」
 嫌いなわけがなかった。むしろいろんな衝動を抑えるほうが苦しい。それで
もベッドの上で目を閉じる。
「千秋さん、私は」
 そんな千秋の身体を小桜が揺さぶる。
 小桜が泣きつかれて床に伏せてからようやく、その身体をベッドの中に運ん
でやった。
 千秋が椅子に身体を埋めたのは明朝になってからだ。

 あれほど取り乱していた小桜であったが朝起きると何事もなかったかのよう
に起きていた。女の不思議である。
「子供が生まれたら千秋さんのことは男の恥として教えておきます」
 恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに笑う。装いは千秋が見立て、小桜の
購入した白い服だ、耳元には昨日と同じ銀色の飾り。ちなみに千秋の方は無難
を絵に描いたような服。手配中なのだから当然だ。
「……なんとでも言え。そろそろ行くぞ」
 二人揃い、昨日の道を戻る。最終目的地の島までのフェリーは一時間後に出
航するはずだ。

 港、待合室。千秋は足を止めた。
 制服の軍人が立っている。どう贔屓目に見ても自分たちを捜索に来たのだろ
う。もはや悠長な状況ではない。
「千秋さん、こちら船のチケットです」
 封筒から取り出す小桜を右手で制する。
「小桜。船には先に乗れ」
「え」
「見て分からないか。俺は徴兵拒否幇助で手配中なんだ」
 千秋は目線で軍人を指す。
「ですが」
「俺は後で行く。これまでだって振り切ってきたんだ。心配するな。それより
二人で揃っていると目立つ」
 最初から無理なのは分かっている。多分、ここで小桜と別れると二度と会う
ことはない。小桜は本来の道を、千秋は過去を含めた罪の清算をしなければな
らない。
 そんなことは小桜にだって分かっている。それでも告げる。
「はい、私、ずっと待ちます」
 小桜は駆ける。女の「待つ」なんて言葉は信用したら終わりだと心の中で皮
肉る千秋は小桜の背中を見送る。
 小桜の背中が消えてから自らの乗船券を破り捨て、船に背を向ける。
 千秋は今、一人だ。栃内という後ろ盾のない今、もはや千秋を庇うものはな
い。
 視線の奥に制服の軍人が見える。周囲にも数名の背広姿の男。
「千島千秋さん、ですね」
「ああ、そうだ」
 千秋は返答。
「空軍北方方面隊法務部警務中隊です。あなたを逃亡の容疑で拘束します。武
装があれば解除を」
 抵抗するつもりはない。手を上げた。年貢を納めろというのなら、心地よく
収めてやろうと決める。

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