春、都会の隅-Spring-

第19話

 講堂。プログラムは十一番が終了した。不法占拠問題担当の近藤は講堂の後
ろに陣取る。
 小桜の発表は次だ。目を閉じ、ここしばらくの小桜を思う。あの千島という
作業員は現在仕事中、そして小桜をかばい続けてきた爽萌は講堂入り口で電話
中。そして小桜は舞台の上。
「プログラム十二番。三年七組、栃内小桜さんの研究発表です。ウスユキソウ
の開花生理について得られた新しい知見を発表されるそうです。ご静聴願いま
す」
 小さな拍手と小さなざわめき。そんな中
「栃内小桜です。これより表題についての発表をいたします。お手元の参考資
料をご覧ください」
 始まる。スクリーンに大きく投影されるスライド。講堂のお祭のような雰囲
気が一気に静まり、視線が舞台の一点を注視する。近藤もその中の一人だ。小
桜の姿を観察する
 完璧に手入れの行き届いた規定どおりの制服。今日は首元にリボン。そして
耳飾り。それはおそらく、小桜が始めて身につけたアクセサリー。
 近藤は笑い、確信する。この賭けは自分の勝ちだ。
 流れるような理論に豊富なデータ、丁寧な分析と予想される反証の提示、裏
づけのはっきり取れたディスカッション。中身もさることながら小桜の話し方
は魅力的だ。ただひたすらに真剣で熱意のこもった言葉に釘付けだ。
 十分の発表が終わり、拍手が鳴る。近藤の耳にはささやきが聞こえる。
 それは舞台の上の少女のこと。その美しさと明晰な頭脳、高貴で孤独な血筋
を噂する声。
 そう、あれこそが学校の誇りだ。近藤は全身で言ってやりたい気持ちを抑え
る。
「ではこれより五分のディスカッション時間を取り、発表を終わります」
 質問時間が始まる。その瞬間、近藤は手を上げ、指名もされないのに立ち上
がった。
 これが小桜への最初の直接攻撃だ。第二波はちょうど講評の最中くらいにな
るはずだ。読みが正しければその二つで完膚なきまでに「全て」を叩き潰すこ
とが出来る。
「はい、近藤先生。どうぞ」
 小桜が近藤を指名する。
「高山植物の研究は結構ですが、学校に無断での校内無断使用は見過ごせるレ
ベルを超えています。この点について発表者の反論をお聞かせください」
 広まっていくざわめき、うろたえに包まれる講評席。悪役としてはなかなか
の出来だと自画自賛。
 後は、敢えて残した逃げ道を小桜ならいともたやすく突破することを祈るく
らいだ。
「栃内です。今の質問に応じます」
 目を開けた近藤には舞台の上の小桜が見えた。その姿は学校で見せたことの
ない威厳と自信に溢れていた。
 そのとき、細葉妙子は確信に満ちた笑顔を舞台に送る。
 そのとき、橘爽萌は全身に強く力を入れて、講評席の役員に耳打ちする。
 そのとき、千島千秋はひたすらと最後の作業にかかっていた。
「学校に無断ということ、それは事実でありますが、私はそれを問題であると
認識していません」
 小桜はざわめきを無視する。
「そもそも当校は栃内家が北東技工に無償貸与したものです。その契約内容は
土地の自由な利用ではなく、公益に適う学校経営を営む場として利用すること
と定めている上に、土地の現所有者は栃内家です。私が学校側に土地利用の指
示を受ける根拠などありません」
 ちなみに土地に関しては小桜が二日前に契約内容を差し替えたのだ。
「ところで、校舎裏の花壇は多岐に及ぶ高山植物を収集したものとして学術的
に非常に有意義です。そのような場所を生徒が維持し、研究の場とすることは
学校として非常に有益でもあります。花壇は生徒の自主的運営によって維持さ
れています。それはこの学校の校風でもある自主を育む場所になり、こうして
発表を行うことが出来ました」
 細葉妙子はその強い言葉を胸に刻み込む。
「もし、私の土地利用に反論する権利を持つものがいるとすれば、それは栃内
家および北東技工、または学生の自由を妨げた場合です。ですが、現在まで栃
内家、北東技工そして生徒会、から反論を通知するものを関知していません。
私は自由に、有意義に校舎裏という場所を使ってきました。果たして、現段階
で学校側が突如として花壇を問題視するだけの根拠を提示できるでしょうか。
万一あったとして栃内家と北東技工、そして生徒からの信任を崩すことができ
るほどのものでしょうか」
 橘爽萌は立ち上がり、笑顔を舞台に向ける。
「余談ですが、高山植物園の設置を学校に求めます。今、私の花壇は植物園の
建設により、破壊されようとしています。ですが、生徒の自主的活動の場をこ
の学校から失わせることは理に適いません。私は自然の遺産ともいえる高山植
物を、氷河期から生き残ってきた植物を提供する用意があります。その建設に
必要な資金の提供を約束します」
 千島千秋は作業に専念する。
 近藤が一礼し、席につく。細葉がむける微笑を敢えて無視。
 その後も次々と挙がる手、丁寧に受け答える小桜。舞台の上で小桜の耳飾り
が光り、言葉に力がこもる。討論時間は十五分を超え、なおも終わらないディ
スカッションを生徒役員が打ち切り、大きな拍手と共に小桜が一礼、舞台を降
りる。
 近藤は思う。一発目は小桜が打ち返した。これでいい。次は第二波、本物の
攻撃である。並それは大抵のことで打ち返せるわけがない。もし、打ち返すこ
とが出来るなら、
 それこそが自分の最高の勝利である。
 爽萌は舞台の隅に立つ。制服の胸ポケットから取り出すものは一枚の写真。
映っているものは幼い少女と、二人の大人。ありきたりの家族の姿だ。
 その中で生きているのはたった一人。名前を橘爽萌という。
 両親は伯母の指示で殺された。
 その日から培ってきた屈辱を晴らすのはこれからだ、爽萌は思う。橘という
巨大な壁に個人の力で対抗しきれないことくらい知っている。それでも。
 小桜は戦った。だから、次は自分が戦う番だ。

 時間は午後三時過ぎ。講堂では全てのプログラムが終了し、学校祭の講評が
始まろうとしている。
 そんな中、扉の隅で小桜はかけつけた白石から荷物を受け取る。
「どうぞ、小桜さん」
「ありがとうございます、白石さん。急なことを頼んでごめんなさい」
 白石は大きな鞄に封筒を二つ、手渡す。
「こちらは私からです。一応中身を確認していただけますか」
 小桜は首を横に振る。中身は確認するまでもない。
「今までありがとうございました、白石さん。私はわがままで、いろいろご迷
惑を」
 だから十八年来の自らの使用人に暇を告げた。
「……小桜さん。どうぞお気になさらずに。私は仕え甲斐のある主人だと思っ
ています」
 白石はいろんな思いをしまいこみ、深く一礼。
 この日が来ることを理解はしていた。だから今日も忠実に任務をこなす。主
人の命を受けるのがそのあり方で、最後まで主人に忠実であることを選んだの
だから。
「今までありがとうございます。私の資産は好きにしてくださって結構です。
何も与えることの出来ない主人でしたが、せめても生活の保証だけはさせてく
ださい」
「……了解しました。資産の管理はさせていただきます」
 白石は再度深く礼をし、その場を立つ。言うべきことは言った。やるべきこ
とは尽くした。あとは、小桜の駆け抜けていく道しかない。
「生徒会長の橘です。ただいまより舞台発表の個人表彰を行います」
 講堂に爽萌の声が響く。舞台発表表彰の始まりだ。講評者の紹介、表彰の意
義、その他を淡々と告げる。
「では三位です。三位は一、二年生有志による舞台発表です」
 拍手が響き大きな歓声が上がる。
 そんな中、小桜は必死に涙をこらえていた。
 スカートの上には白石の渡した封筒。中身は辞表。そして千秋の故郷までの
航空券と船のチケットが二組。
「次、二位を発表します」
 顔を上げて、その結果に耳を澄ます。
「二位は個人による舞台発表です。項目、演説。発表題名は『ウスユキソウの
開花生理』です。それでは栃内さん、舞台にお上がりください」
 講堂に一瞬の沈黙が下りた後、注目が一点に収束する。
 その中心には小桜。
 小桜は爽萌のいる場所へと歩む。舞台の下で国旗と校旗に礼、階段に足をか
ける。
 舞台の上。来賓と観客、そして爽萌に礼。
 その肩を爽萌が優しく抱き、舞台の中央に導く。
「学校祭発表者表彰、二位、栃内小桜」
 今、小桜は惜しげない笑顔だ。高貴で、強くて、優しい笑顔である。
 近藤はその姿を遠目に焼き付ける。
「まったく、近藤先生も不器用ね」
 細葉妙子が近藤のわき腹をつっつく。
「いえ、正当な評価を下しただけです」
 近藤と細葉は並んで小桜の姿を見る。舞台の上で胸を張り、深く礼をする美
しい姿だ。
 そんな小桜の姿が舞台から消え、ざわめきが静まり、
「では、一位ですが」
 そのとき、出口に騒ぎが起こった。同時に一人の生徒が血相を変えて駆け込
み、そして
「トレーラーが横転して、ローラーが滑り落ちた。人もいる」
 その声をマイクが「偶然に」拾う。
 そんな中、近藤と細葉だけは平然と並ぶ。
「これも近藤先生の計画で?」
 軽く首を横に振る近藤。
「予想はしていましたが」
「予想ってより希望でしょう」
 細葉は鼻で笑う。
「細葉先生、一つ、頼まれてください。生徒を整列させます」
 近藤の目に力が入る。
「わかったわ。お姫様の門出を祝うのね」
「整列させるだけです。車両が通れば危険でしょうからね」
 近藤は憮然と言い放つ。職務への忠実さと不器用さでは白石と同じかもしれ
ない。

 講堂の混乱の中、小桜と爽萌は出口を目指して走る。
「小桜さん、荷物は完璧ね」
 走りながら爽萌が口をきく。
「はい、私は大丈夫ですが、」
 小桜は走りながらも言葉を濁す。
「千秋さんなら大丈夫よ。ああいうのに限って最後まで生き延びるんだから」
 その強がりの中に、若干の不安を隠せない爽萌。
「それより車はそれ。早く乗って」
 爽萌が指差した場所にあるのは一台の中古車。爽萌が手配し、小桜が改造し
たものだ。
「はい。ほんとに今までありがとうございます」
 足を止め、半泣きになりかける小桜に向き直り、細い肩を正確に一秒抱く。
そして
「私のことなんていいわ。千秋さんのところに急ぎなさい」
 その背中を優しく押した。
 爽萌では行き着くことのできない、その先へと。
 小桜の姿は今、車の中だ。静かなエンジン回転音が響き、ブレーキランプが
点灯。
 その車体に爽萌は思いを重ねる。
 小桜のことが大好きだった。同じ孤独を抱える人間として、別の道を歩く人
間として大好きだった。そして
 千秋のことが大好きだった。同じ孤独を抱える人間として、別の道を歩く人
間として、男性として大好きだった。千秋を思う強さだったら小桜にだって負
けない。それでも。
 後悔はしない。
「幸せに、小桜」
 つぶやいた。

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