「……さん、千秋さん」 「ん、どうした」 何の屈託もなく笑いかける小桜に向き直る。 「千秋さん、聞いていましたか」 場所は校舎裏。いつもどおりの昼休みであるが今日は珍しく二人だ。 「ああ、少し考え事だ」 告げるタイミングを図る。当然会話を楽しむ余裕なんて千秋にはない。 「千秋さんおかしいです。どうかしましたか」 いつもの笑顔を崩さない、少しくぐもった印象的な声が千秋の耳に残る。勘 の鋭い小桜のことだ。もう、この先を予知しているのかもしれない。 「あのな、小桜」 「あ、去年採取したアポイカラマツの種子が発芽したんです。多分菌類との共 生はないと」 「あのな、小桜」 「……はい」 言うことにする。 「俺は兵役を回避するために逃亡しているんだ。軍の警務隊に見つかれば実刑 は免れない」 「それは……知っています。千秋さんのことは軍に照会をかけました。そのこ とは不問にするとの了解を北方師団長からいただきました。それで、チシマラッ キョウの種子からの栽培にも取り組んでいて」 「それから、もう一つだけ、聞いてくれ」 「……わかりました」 またも小桜の言葉を遮る。 「俺は植物園を造りに来た造園屋だ」 「はい、植物園、できるの楽しみにしています。きっとこの花たちにもいい場 所を上げられます。そうなるように頑張ります」 小桜の優しい言葉が震えている。 「この場所は壊される」 「……はい」 「資材置き場になるんだ。ここ。その後は温室になる。前学校側と話し合って、 そう決まった」 できるだけ淡々と事実を伝える、そう決めていた。だから 「……それでは千秋さんは」 できるだけ自分が傷つかないように、残酷に 「鉄骨とアクリル、それに重機も来る。もう、学校が全部手配している」 言葉にしてしまうと案外軽いものだ。最後のほうなど千秋は半分笑ってしま う。 「そんな」 最後に相応しい言葉はなんだろう、千秋は言葉を探る。 「俺は小桜との約束を守れそうにない。時間稼ぎもそろそろ限界だ。学校祭で 発表する頃には壊される」 「ですが」 「俺はここを壊すのが仕事だそうだ。小桜の、お前の敵だな」 「ですが橘さんが」 「あいつが何をどう考えているのかはわからん。でも、俺が今の仕事をやめる つもりでぶつからない限り、この花壇は数日で壊される。小桜には悪いが、俺 は今の身分を捨てるわけにはいかない。悪いが兵役逃れに加担した俺が軍なん て組織に入るわけにはいかない」 その言葉を小桜は冷静に受け止める。この花壇の存在自体が違法だというこ とくらい、小桜には分かっている。分かった上で、花壇を必死で守ってきた。 自らの意志を示すことを生涯禁じられた小桜の安息の場だ。自分の命より大切 な場所だ。それこそ自分の子供を守る強さで守ってきた。 でも。今の小桜は花壇以外にも自らの意志を示している。 千秋だ。 ならば、その千秋が大切な人が大切なものを壊そうというのなら、自分の本 気を見せつけよう、そう思う。身体の先端にまで力を込め、忌まわしい血に宿っ た威厳を行き渡らせる。そして 「お話は分かりました。ですが納得はしません。どんな手段を使ってでも私は この場所を守ります。私の意志です。千秋さんが自分の身分を捨てられないと いうのなら、捨てさせてみせます。私のものにしてみせます」 今、小桜は自分のことを残虐だと認識する。他人の人生を躊躇なく歪め、自 分に有利に導き、それでいて無垢な振りをする自分に愛想すら尽きる。 「……悪魔だな、小桜は」 悪魔。小桜はその言葉を胸に刻む。 「私は悪魔なんて優しいものではありません。勝負しましょう、千秋さん」 どんな力も小桜の前には叶わない。透き通った美しい意志の声が千秋に命ず る。 「私がここを守ることをできるか、千秋さんがここを破壊することができるか。 私は命を賭けます」 小桜が胸元に手を突っ込み、引き抜く。 短刀だ。 「なにを」 「心配なさらないでください。私は命より誇りを大切にします。別に千秋さん にも命を差し出せとはいいません。私が欲しいのは千島千秋という人間です。 ですから千秋さんが負けた場合、栃内家の管理下に身元を引き取ります」 「俺も別に小桜の命を」 「勘違いしないでください。私の命は千秋さんのものよりはるかに貴重です。 それに、私が負けることはありません」 小桜が背中を向ける。 放課後、千秋の前に現れたのは爽萌だ。怒りを全身から発散させているかと 思っていたが、その顔は笑ってごまかしたくなるくらいの静寂に包まれている。 「爽萌。お前わざと来なかったんだろ、日曜日」 「当然です。それくらい私が言い出した時点で気づくのが筋かと思いますが」 「俺はお前たちみたいに策士じゃない。もっと素直になりあがれ」 「それは私の台詞です。小桜さんとは仲良くやっていますか?」 爽萌は早速嫌なところを突く。 「まあ、ある程度は」 「嘘、ですね」 「ああ、嘘だ」 「ところで今の嘘に意味はあったのですか?」 「ない」 爽萌がため息。 「小桜さん、覚悟を決めたようですね」 「正直、俺にはこれ以上つきあえん。せめて爽萌くらいに力があれば、な」 爽萌の静かな顔に笑みが走り、千秋の逸らした視線が鋭くなる。 「私はただのか弱き乙女ですが」 「嘘つけ。橘爽萌。伯母が北東技工の重役でこの学校の理事。で、お前は橘家 の養子だ。その歪んだ根性は十年前からか」 千秋も負けてはいない。この戦い、万一の勝ち目があるのなら速攻しかない。 だからもてる弾を全て出し尽くす。 「よく調べましたね。基本的人権もない存在で」 「ああ。お前のことは新聞で調べれば一発だ。苦労したな、爽萌」 「ええ。両親を奪った伯母に、殺したいほど憎い伯母に引き取られ、死ぬほど 嫌な軍需産業の跡取りを任される大役ですから。少しは性格も歪んでいるほう が悪役でしょう。このあたりでヒロインを暴漢に襲わせましょうか?」 「……お得意の冗談か」 「判断はお任せします。その程度に余裕を返せないようでは、私の見込み違い ですね」 千秋の速攻を特段のガードもなく、さも当然であるかのように受け止める。 「なぜ爽萌の伯母……北東技工が軍の中枢にいる栃内の娘を追い詰めるんだ。 ここで植物園を作れば小桜が暴走するのは確実だ。そして小桜の歩が悪い以上、 小桜の負けは確定している。なぜ、そんなことをする?」 「答をいうのは簡単ですが、その前に千秋さんの仮説を聞かせてくださいます か」 本来栃内家と橘家は持ちつ持たれつのはずだ。表ざたにはならないが武器調 達で便宜を受ける橘家、北東技工は栃内家に相当尻尾を振っているに違いない。 にもかかわらず、橘家は栃内家の次期当主を社会的に抹殺しようとしている。 主君に牙を向く理由がどこにあるのか。 可能性は二つある。主君が暴君であるのか、飼い犬が狂犬なのか、それはわ からない。が、少なくとも何らかの対立があるはずだ……今はそれが核心では ない。 「断る。どうせお前は俺に真実を告げないだろう。聞きたいことは真実じゃな い。爽萌自身がどっちの味方をするかどうかだ。俺は爽萌を信じると言った。 俺は、お前を信じ続けていいのか」 「……ご心配は無用です。私は今のところ橘家の味方ではなく、橘爽萌、私自 身の味方です。わけのわからないしがらみは鬱陶しいだけですから」 爽萌が切り返す。 「せめても小桜の花壇を受け継ぐ形で高山植物園を作ってやるということはで きないのか」 千秋は逸らしていた視線を戻し、爽萌に向ける。 「言い訳をしておきますと、私はその要望を伯母に伝えて却下されました。千 秋さんの読みどおり、今栃内家と橘家は水面下で対立しています。それから、 植物園を作るのは千秋さんのお仕事でしょう?そこまで分かっていて、それで も私に頼むのは、己が無能を証明することに他ならないですよ」 小桜が王者の風格を持つものなら、爽萌は覇者のごとくだ。 「私に物を頼んだ以上、千秋さんと小桜さんには相応の代償を払ってもらいま す。覚悟はありますか」 もしかしたら、これも伯母の計画のうちかもしれない。爽萌は思う。 「ここまで積み上げてきたものを捨てろ、というんだな」 九回裏、二死。これを逃せばもう、逆転はありえない。 「ええ、千秋さんはそうするでしょう。それから明日ですが、花壇に目を配っ てあげてください。お姫様のピンチに駆けつけるのは騎士の務めですから。千 秋さんだって後悔はしたくないでしょう」 「どういうことだ。思わせぶりな」 「私は悪役ですから。では、くれぐれも大事な人を大切にしてあげてください」 爽萌の読みが正しければこの言葉だけで全てが成功する。 高山植物園の建設も。 千秋と小桜の仲直りも。 だから背中を向けて立ち去る。そう、満足した結果を得ることができるのだ から。 その日の放課後。爽萌は気合いを入れてその場所に乗り込む。元来爽萌は小 桜のように冷酷な人間ではない。豪胆を気取ってはいるが内心は結構脆い。下 町に行くだけで足がすくむ。それでも行く。 そこは小桜が怪我をさせた男子生徒たちの居場所。少し金はかかったがすぐ に突き止めた。事実上彼らを追い出した爽萌とは最悪な関係だが、だからこそ 爽萌は頭を下げる覚悟で挑む。 扉を開けた。 「……」 店内の注目が集まる。後ろ暗いことでもやっていたのだろうか。それとも、 自分のような女子学生が乗り込むことが珍しいのだろうか。店内の殺気が集中 するのを感じる。 「おい、あんた」 「用事があるの。通してちょうだい」 小桜なら短刀でも突きつけていそうな場面だが、武道派ではない爽萌は封筒 を取り出してカウンターに置く。あっけに取られて何も言わないカウンターを 無視し、奥に入る。 一つのテーブルの前に立った。 「久しぶりね」 「……橘か」 下品な笑いと値踏みするような視線にひるみかける。こんなときはどんな場 面でも豪胆な小桜がうらやましい。 「元気にしてるかって思ってね。でも、この様子じゃ早死にしそうだけど」 机の上に散らばる幻覚剤に酒瓶、置かれているパイプだって、合法なもので はないだろう。 彼らの人生を狂わせたのは、他でもない小桜と爽萌だ。小桜をかばうために 張っておいた伏線の数々が今、あからさまに露出している。 「橘、お前の勧めてくれた薬。そろそろ効きがぬるくなってきているんだわ」 彼らを薬物常習者だったことにし、小桜が自己防衛のために殴りかかったこ とにし、自主退学を迫った。悪いのは多分、自分だ。 「用量を守っていれば合法よ。我慢なさい。これ以上は見逃してくれない」 彼らをもう一度利用して、社会的に抹殺してしまう。今からすることはそう いうことだ。 「まあ、あんたたちがどうしてもって言うのならもっときついのを紹介するけ ど」 「……それで今頃何の用事だ」 グラスの中が空になる。 「察しがよくて助かるわ。頼みごとがあってね。あんたたちじゃないと務まら ない。そんな仕事よ」 小桜なら切りかかって脅しているところかもしれないが、爽萌は鞄から人数 分の封筒を取り出し、突きつける。男は中身を確認。 「……ああ、で」 そこで爽萌は笑う。 「依頼はあなたがたの大好きなことよ。この封筒の中身は口止め料だと思って くれて結構。報酬は新薬の紹介。足りないなら上乗せするけれど」 嘘は言わない。彼らは新薬の実験にでも使えばいい。 「……橘、正気か」 「あんたたちから見れば狂気かもね……私から見ても狂気だけど」 そして爽萌が彼らに「依頼」を告げる。爽萌の読みが正しければ絶対に成功 するはずのない依頼を。 |
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