駅前にそびえる二十階建ての建物。大型小売業施設、つまるところデパート である。千秋はそんなところに入ったこともないが、本日訪れるのはその中で も核心部、三階だ。要するに若い女性向け婦人服売り場というやつである。千 秋にとっては未知のエリアではあるが、爽萌の連絡に従っているだけである。 小桜もここに足を運ぶのは初めてだ。服なんて普段外商部が自宅に来るとき に購入するか、両親が買ってくる。同じ「デパートに行ったことがない」でも 次元が違う。 この空間に先に馴染んだのは当然小桜だ。砂を散りばめたほどもある服飾の 中を歩くうち、目が輝きだすのは女の子という生き物の仕様なのかもしれない。 ほんの少し後ろを歩いていたはずの小桜も今ではすぐ隣を絶妙な距離でリード する。 「小桜、あれとか似合っているんじゃないか」 「え、千秋さんにですか」 「んなわけあるか」 「では橘さんにですか?」 千秋が小突き、指を向ける。 「お前だ、貴様だ、小桜だ。わざとボケたろ?」 「いえ。まさか私のことだとは」 千秋、ため息。 「突然約束を破った奴のことなんか忘れとけ。それより、どうだ」 小桜は千秋に指の先を見る。 「前から思っていたのですが、千秋さんの指ってきれいですね」 「……そのボケは俺が小桜に初めて会ったときにやったのと一緒だな」 「あ、わかりましたか。すいません、ちょっとした冗談です。えっと、あちら の白い服を指していらっしゃるんですね」 千秋は思い出す。あのときの小桜は冗談すら通じなかった。それが今では二 度ネタを使うまでに成長した。自分の指した方向を向く小桜に感慨深いものを 抱く。 まさか千秋に注目されているなどと思ってもいない小桜は差された服を観察 するのに夢中だ。 白を基調とした薄い素材で出来た服。小桜は思う。確かに格好よくて、そし てどちらかと言うと大人びた人に似合いそうだ。ただ、千秋の趣味というなら ともかく、機能性で言えば最悪だろう。部屋の中でじっとしているのならとも かく街中で着ていられるものではない。小桜はどちらかというと活動したい人 間だ。 「確かによさそうですが、私には少し大人っぽいです」 やんわり否定しにかかる小桜。 「そうだな、小桜は子供っぽいもんな。似合わんか」 千秋が嘯き、視線を逸らす。もちろんこれは小桜の心理を読んだ上での千秋 の作戦である。 「えっと、今、なんと」 「子供っぽいから似合わないと言ったんだ」 小桜は静かに、そして強く千秋を捉える。その視線の味付け程度の敵意が入っ ていることですら千秋の計算どおりである。 そう、小桜は自分が子供っぽく見えることは「ほんの少し」気にしているの だ。そのことをしっかりと言及されるとどうなるか。小桜なら反撃に打って出 る。 ほんの少し気にしていることをさらりと言われてしまう屈辱感。小桜は小さ な胸に許せないものを宿す。別にかわいくなろうとは思わない。それでも小学 校から変わらない体型にコンプレックスを持っていないわけではないし、同じ くあまり変わらない顔の造形だって子供っぽさの象徴だ。そんな身体のハンディ (と小桜は思っている)を何とかするために制服だってネクタイをしているのだ、 本当はリボンのほうが好きだけれど。だからこそ今日だってネクタイを締めて きているのだ。 それを、一番言われたくないことを理由に「似合わない」などと言われては 断じて許せない。 「私、似合います。絶対に似合います。子供っぽくなんてありません」 思いっきり子供っぽい主張だが、残念ながらこの場に爽萌がいないので突っ 込みに期待するのは絶望的だ。 「よし、なら着てみようぜ」 「はい、行ってきます」 無駄に肩に力を入れ、店員に話しかける小桜。 平和だ。平和が一番だ。千秋はそう思う。この平和がもっと早くに訪れてい れば。不毛な後悔が身を襲う。いろんな問題があることは分かっている。植物 園の話もあれば花壇の話もあれば小桜と爽萌の話だってある。が、今くらいは 何もなかったことにしよう、そう決める。 と、小桜が試着室から出てきて走り寄る。 「小桜、早かったな……顔を上げろよ」 小桜の足は千秋との距離と反比例して遅くなり、ついには顔を伏せる。 「あの……似合っているでしょうか」 結論を言うと、ものすごく似合っていた。 「よく似合っている。どこかのお姫様みたいだな」 「……ですが自信、ありません。やっぱり私はどうやら子供っぽいみたいです」 小桜からは試着前の勢いは消え去っていた。いざ冷静になってみると恥ずか しさが上回ったのだろう。 「自信持てよ。そのままその辺歩いてみろ。全員振り返るぜ」 千秋の本心だ。 「必要ありません。知らない人に注目されても嬉しくはないので」 小桜の本心である。 「三分で十回くらいナンパされるかもな」 「男の人は苦手です。知らない人と言葉を交わしても」 小桜、現在マイナス思考モードらしい。 「俺なら振り返るぜ」 それもまた、千秋の本心だ。 「……」 この三点リーダーも小桜の本心である。 「まあ、ナンパはしないだろうな。根性なしだから。でも夢に見る」 「……」 ほんの少し赤くなった。小桜だって人を選ぶらしい。 「小桜はかわいい。分からないなら自分で言え、今すぐ言え。私はかわいいで す、だ」 凄む。こんなところで女に凄んだ男というのは天然記念物かもしれない。 「はい、私はかわいいです……って気持悪いです」 その天然記念物の世迷言に付き合う小桜は珍獣であるのかもしれない。 「いいから何も口答えせずに続けろ。次、私は幸せです」 「……私は幸せです」 小桜はまぶたを閉じ、静かにつぶやく。私は、幸せです、と。 「最後、私は素敵です、そう言え。多分自己満足くらいにならなるぜ」 それは千秋にとっていつもどおりのからかいくらいの気分だったのかもしれ ない。 「私は、素敵です」 そんなものでも、たまには役に立つ。 「だって私、今千秋さんと一緒にいます。私はとても幸せです。そして千秋さ んが私似合っているといってくれました。私は、幸せで、素敵です」 小桜は目を閉じたまま、静かに笑う。呆然としている千秋に目を合わせる。 「千秋さんは今、幸せですか」 あたたかな声質でそう問いかける。だから 「ああ、幸せだ」 千秋は心の底からそう思う。 「それは、とてもよかったです」 ちなみに服の値段は千秋の予想より一桁多かった。それでも約十分後、千秋 は片手に大きな袋を提げていた。なぜ買うことが出来たのか。 いざ購入の段に入って小桜が慈母のごとく優しく笑い、千秋の右手にそっと カードを手渡したからだ。 「これくらいなら使っても大丈夫です。だから千秋さんが店員さんに渡してく ださい。その方が格好いいです」 この上なく格好悪いのは千秋が自認している。せめてもの罪滅ぼしに出来る ことといえば、荷物を持ってやるくらいか。若干肩を落として歩く千秋に小桜 が口を寄せる。 「千秋さん。私、わがまま言っていいですか」 「ああ、何でも言ってくれ」 完璧に試合放棄気味の千秋だ。今なら切腹しろと言われても従うだろう。 「では言います。私、一つだけ買って欲しいものがあるんです」 いわゆる反則というやつである。これで買わない奴は男ではないだろう。酒 を一ヶ月絶ってでも応えてやろう、千秋はそう思う。 「これ、です」 小桜が指差す。小さなイヤリングだ。 「……小桜。ほんとうにそれでいいのかよ」 雪の結晶をあしらった、どこにでもありそうな銀色の輝き。わずかな量の貴 金属を加工しただけだ。別に貴石がはまっているわけでもなければ凝ったデザ インでもない。いたってシンプルで素っ気無い。本来なら小桜のようなお姫様 とは対照的な輝きだ。値段だってそんなに高くない。高校生が背伸びをすれば 買えそうなものである。 「私、これが欲しいです。学校祭の発表でつけていきます。だから絶対に買っ てください」 小桜が手に取り、千秋にそれを渡す。値段はさっきの服より丁度一桁安い。 それでも千秋の財布の中身の限界に近いくらいではあるのも事実だ。 「ほんとうにこれでいいのか」 続きを言いかける千秋の肩を強く掴む。 「私はこれがいいんです。買ってくれないと私帰ります」 小桜が遮り、強く言う。 「そうか。なら大切にしろよ」 「当然です。千秋さんの恥の記憶として、一生大切にします」 満面の笑みの小桜に、千秋はそっぽを向く。 それからは爽萌の行動予定表なんて無視して遊んだ。ホラー映画では千秋の ほうが怖がっていたし、ストリートミュージシャンと大道芸人を冷やかしてみ れば小桜が恐る恐るその様子を見ていた。それは恥ずかしくなるほどの幸せで 楽しい時間だった。 一日の終わりが迫っていた。 少々疲れた顔をした小桜を気遣い、郊外の公園のベンチに座る。到着した頃 は夕暮れの中にいたのに、北国の長い日も暮れ、紫色の大気が身体を覆う。一 日分の心地よい疲れに春近くの風が気持ちいい。 「千秋さん、今日は楽しかったです」 そんな言葉を当たり前のように聞き流しかける。 「ああ、楽しかった。俺は小桜がもうちょっと消極的かと思ったんだがな」 背中をベンチに預け、空を見上げる。何番星かわからぬ光が頭上に光る。隣 の小桜の気配が突然小さくなる。 予定は、終わろうとしていた。 ここから先、千秋に告げられた予定は一つ。 「今日はいい練習だったな。百点だ。こんな勢いで好きな人でも作れよ」 爽萌は千秋に指示していた。今日のことが練習であることを小桜さんに自覚 させてあげてください、と。 千秋にだって分かっている。明らかに違う身分、住む世界、なによりも千秋 は遠からず小桜の花壇を壊しかねない立場にいる。一緒にいることなんて出来 ない。出来るのはせいぜい、理解者の振りをして偽善の幸せへと導くだけ。 そして千秋の言葉を聞いた小桜は、こう返した。 「もういるんです……には」 声が小さくて千秋には聞き取れなかった。 「小桜。今、なんと」 もう、爽萌の予定なんてどうでもよかった。 「千秋さんは、私のことをどこまでご存知ですか?」 「……小桜の家のことか」 「私は栃内という一族を率いなければいけない立場にあります。それ以外の生 き方と考え方を知りませんでした。冷酷で残虐な栃内の娘と呼ばれて、そうな るように教育されてきました。千秋さんは私が学校で起こした傷害事件を聞い て……いらっしゃるみたいですね、その顔では。でも、あれくらいのこと、ほ んとうは驚くことではありません。私は残酷な人間です。花壇に向かっている 私は、ただ現実逃避をしているだけです。千秋さんの見ている私は、多分ほん とうの私の姿ではありません」 何年分もの思いが堰を切った。千秋はただ、圧倒される。小桜の背負うもの がどれほどのものか、千秋には分からない。家の威信も経済力も、千秋には一 生をかけてもわからない。 「でもさ、俺は」 「私、千秋さんの期待には添えません。並ぶに及ばない人間です。ですが、言 うだけは言わせてください」 やめろ、という時間すらなかった。 「ごめんなさい。私、千秋さんが好きです」 紛れもない告白だった。何の言葉も返せない千秋の腕をそっと元の位置に戻 し、 「あ……今のは練習です。橘さんに言われたことをなぞっただけです。気にし なくていいです」 嘘だ。爽萌の指示はとっくに終わっている。 「小桜、俺は」 気づいたときには全てが遅い。 「いいんです。今日は楽しかったです。最後も、とっても幸せな練習でした」 言葉が届くのなら誰だって苦労はしない、そう思う。 「また、明日、学校で会いましょう。橘さんと、三人で」 笑顔だけを残し翻った髪の毛の残り香が腕の中に滞留する。 千秋は決意する。 小桜は今、最大限に伝えられることを伝えてくれた。ならば自分も伝えるべ きだ。 今後の植物園の計画のこと。 自分の身分と立場。 当然、それらを伝えた後のこと。決まっている。最初から分かっていたこと。 千秋は小桜とはつりあわない。 |
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