春、都会の隅-Spring-

第13話

 オーガドリルを持つ。とりあえず真横に構えて格好つけたくなるのはドリル
が男のロマンだからだろう。さて、遊びは二秒で終了、花壇前に膝くらいの深
さまで穴を五つ開け、廃材一歩手前の鉄パイプを打ち込む。こうしておけば簡
単に重機が侵入することはできまい。爽萌があれから千秋に出したメールには
ありとあらゆる工事妨害方法が書かれていた。それを素直に実行し、着工を遅
らせることで小桜の花壇を永続的に守ることが出来るようになるのだという。
詳細は未だにわからないが、千秋は爽萌に従う。この時期にしては冷たい風に
汗が気持ちいい。いい仕事をした、と思わせる空気だが、実はこれは本来業務
ではないのだ。
 正直子供だましだ。
 その程度の妨害では工事が遅れるわけもない。そもそも今やろうとしている
ことは「仕事のペースを遅らせる」ことだ。労働者としては明らかな背信行為
である。仕事人としての将来もあれば万一契約解除となれば花壇を守る以前の
問題だ。それでもやる。愚かしいことをできるのが自分の役割だと思う。
 千秋は祈る。あと八日でいい。あと八日、それ以降ならどんな顰蹙でも受け
る。八日経てば損害賠償だって払ってやるし、解雇されても甘んじよう。だか
ら
「千島さん、何か考え事ですか」
 透き通るようで、少しくぐもった小桜の優しい声が千秋の耳に届く。ふと振
り返った視線の先、そこには出会った頃よりは随分と笑顔になっている小桜が
いた。あの夜、小桜が千秋のことを好きだと爽萌に聞かされてから意識せざる
を得ない。一度小桜を意識してしまうと終わりだ。
「ああ、少し、な」
 いろんな思いを込め、言葉を返す。
「どうせ千秋さんのことですからいやらしいことに決まってますよね」
「って人の思考をさらりと中断するな爽萌……いや、栃内か」
 千秋は条件反射で振るいかけた突っ込みを止める。言葉の中身は爽萌らしかっ
たが、声は小桜だ。
「……あ、はい、今のは私です。橘さんの真似をしてみたんです。どうでした
か」
「なるほど。確かに少し下品な感じが爽萌らしいかと」
「お二人さん、ちょっといいですか? 私のイメージって」
「下品で暴力、以上だ」
「あはは、私は発言を控えておきます」
「失礼な。私が手を挙げて罵倒するのは千秋さんだけです」
 そんなやり取りを前に、小桜が顔を赤くする。
「俺だけの暴力のタイムサービスか爽萌。丁重に断っておく……ん、どうした
栃内。顔が赤いぞ?」
「あら、ほんとうね。体調でも悪いの?」
 二人から突っ込まれ、言葉に詰まる。
「いえ、あの」
「栃内。もしかして爽萌の変態ウイルスにでも感染したか?」
「私が変態だというのなら感染させたのは千秋さんに決まってます」
 再びにらみ合う。
「あ、お二人。仲良さそうでとてもよかったです」
「は?」
「仲が、いいですって?」
「いえ、あの、失礼しますっ」
 小桜がものすごい勢いで立ち上がり、背中を向けて走り去った。残されたの
は、アホな会話に従事してしまった千秋と爽萌だけだ。
「ちょっと千秋さん。あれ、どういうことですか。栃内さん、明らかにおかし
かったですよね」
 半目で千秋を睨む爽萌。
「今気づいただんが、俺たち名前で呼びあっているよな。だからじゃないか」
 珍しく的を射た千秋の言葉が返る。
「なるほど。それでは千秋さん、今度から栃内さんのことは小桜、と呼んであ
げましょうか」
「ああ、そうだな。お前だけだと不公平だな」
 偽らざる気持が青い空を駆け抜ける。満開直前の桜の間を縫う光の束が二人
の間を投下し、地面を温める。そんな春、都会の隅の校舎裏で爽萌は爆弾を投
げる。
「そういえば千秋さん。次の日曜日は朝から空けておいてください」
「昨日言っていた話か」
 一口に爆弾といっても、即爆発するものから地雷型のものまで多種多様であ
る。
「そうです。三人で出かけるところがありますので」
「わかった。小桜の相談に乗るってか。分かった。空けておく」
 この爆弾は踏んでも気づかなければ、爆発するのはまだまだ先だ。
「ありがとうございます。では明日、駅前で待っていますから」
 当然のごとく爽萌が「ドタキャン」することも気づかない。

 学校祭の一週間前の日曜日、時刻は午前十時。場所は駅前の噴水。絵に描い
たような待合場所に千秋はほぼ普段どおりの格好で現れる。時間に律儀な千秋
は時間前に来ることも遅れることも絶対にない。だが待ち合わせの相手、小桜
は現れない。
 小桜も非常に律儀なわけで、通常時間に遅れることはないはずだ、が。
 五分経過。小桜は爽萌に教えられたとおり物陰から走りよる。実は三十分前
には車を白石に渡したのだが、そんなことは言わない約束だ。
「千島さん、おはようございます。待ちましたか」
 平然と嘘をつく小桜。罪悪感なんて最初から存在しない。
「ああ、おはよう。珍しいな、電車でも遅れたのか」
 対する千秋は少々怪訝な顔をする。寝過ごしたか、体調でも悪いのか、その
痕跡を探ってみようと小桜を眺める。
 足元は黒いブーツに膝まで隠れる紺のソックス。そのすぐ上から始まるスカー
トは一見普段と大差のなさそうな黒いプリーツだが、生地は相当に高級だ。更
に視線を上に移すと白地に飾りボタンだけが黒いジャケット。首元には薄い青
色のネクタイが覗いている。ここまでいくとネクタイは小桜の趣味かとすら思
える。が、首などの細い部分を飾り立てるような装飾は一切ないせいか、ある
意味で普段の制服よりも色気を感じにくい。服からはみ出した手には愛想程度
の鞄、それ以外は何かを持っている気配すらない。表情自体はどこまでも笑顔
なのだが、交通安全運動で動員された堅物女優の一日署長という印象すら与え
る。不埒なことを考えればそのままセクハラで死刑にされそうだ。
「ええ、っと。遅れたわけではなくてですね。その橘さん……いえ、なんでも
ないです」
 小桜にしては珍しいボケだ。
「爽萌がどうかしたのか」
「あっ、いえ、なんでもないです。それより、今日は橘さんがご欠席という連
絡を承っております」
「は、うそつけ。あいつが企画したんだろ」
 そのとき、千秋のポケットで電話機が震える。千秋が小桜を気にしながらポ
ケットを探る。
『本日は欠席いたします。申し訳ございません。一日の予定は下記をご参照く
ださい……爽萌』
 かくして状況は
「……二人ですね。今日は」
 爽萌が声に出したとおり、二人っきりである。が、千秋は余裕の笑み。
「心配するな。大体の予定は今爽萌から連絡が入った」
 実は小桜は爽萌の「欠席」をとっくの昔に知っている。
「では行きましょう。千秋さん」
「一応聞いておくが、栃内はどこか行きたいところあるか」
 小桜が右手を上げた。
「待ってください。私は栃内小桜です」
「……ご主人様とでも呼んでやろうか」
「それも憧れますが、むしろそう呼ばせて欲しいくらいです。それで、私のこ
とは小桜と呼んでくださいますか」
 優雅に笑顔が見事に決まる。これも爽萌の指示の一つだ。この点は千秋も爽
萌と打ち合わせをしているのでそれほど驚くことではない。
「わかった。小桜だな」
 千秋の方も差して抵抗を示さない。爽萌との一件で名前を呼ぶことに慣れて
いる。
「はい、ご主人様」
「頼むから止めてくれ。ちなみに『お兄ちゃん』も禁止だ」
「なぜ分かったんですか!」
「友達だからだ、小桜」
「はい、千秋さんと私は友達、ですね」
「なら小桜、どこか行きたいところでもあるか」
「はい、特にございません」
「なら、ついて来い」
「はい」
 小桜の右手と右足が一緒に出る。格好いい言葉とは間逆のスタートだ。出会っ
た日より随分と温かくなった春という季節も真っ盛りである。

←第12話へ 第14話へ→

「春、都会の隅」もくじ

他の作品を探す