天は二物を与えないと言う。たとえば栃内小桜だ。名家に生まれはしたが、 自由はない。顔の造形は至宝だが、性格は偏屈で冷厳、最近まで笑うこともな かった。植物への深い洞察力はあるが、あと一年もすればその他の仕事に身を 追われる。さて、例外のない法則はないということわざがある。ここで「天は 二物を与えない」という法則の例外を挙げよう。 橘爽萌という生徒がいる。読み方は「たちばなさやめ」だ。小桜と同じ三年 七組に在籍、この春の学校祭が終わるまで生徒会長を務めることになっている。 開学以来の切れ者といわれ、生徒間からはもとより、教師からの評価も高い。 成績がきわめて優秀というわけではないが、それでも席次は常に小桜の次、即 ち学年二位を確保、身体能力も小桜についで抜群。統率力に優れ、人の仲裁な んてお手の物だ。実家の橘家は戦争で急成長した北東技工創業者、そして爽萌 は橘家の次期当主である。 よく間違われるが北東技工は別に軍需企業ではない。本来は人と機械を物理 的につなぐ技術に特化した生命工学技術を商品化する企業だ。例を挙げると、 脳からの命令を直接機械へと伝達させるシステムの開発元であり、脳の認識機 能を応用した技術、機械が瞬時に敵と味方を認識するシステムを商品化した。 本来は生態認識技術を応用した保安、警備産業の中堅企業だったが、現在では 戦争にはなくてはならない技術のほぼすべてをこの企業が握っている。戦績へ の貢献も大きく、北東技工の技術力のおかげで資源も人も少ないこの国が優位 に立っているとすら言われている。今ではこの国を代表する企業だ。 というわけで爽萌の住み家、すなわち橘家は小桜も居住する高級住宅地の新 参者の代表格であり、栃内家のように歴史こそないが、だからこそ集めるべき 信頼もあれば親しみもある。小桜が生粋のお姫様であるのなら、爽萌は支持を 集める大統領だ。 そんな爽萌であるが、何か大切なことを決めるときは必ず内密であるが小桜 に伺いを立てる。というのも、意外かもしれないが爽萌は小桜を尊敬している のだ。事実ひとたび学外に出れば小桜と爽萌の関係は主人と臣下の関係によく 似ている。学校では生徒の代表として悠然と振舞う爽萌も、小桜にだけは頭が 上がらない。 爽萌は学校外での小桜の姿、栃内家の代表として立つ姿を知っている。その 容赦のない采配も、発言力の巨大さを補って余りある配慮も、政治的駆け引き も、幼さを残した顔とは対照的な腹黒さも知っている。小桜は背筋を凍らせる ような冷酷さと慈母のような心遣いを使い分け、人を動かす。学校での無力で 無害な美少女という姿は嘘だ。小桜と爽萌の関係はそのまま栃内家と橘家の関 係に当てはめることもできる。栃内の一族はこの地方を事実上取り仕切ってお り、軍上層部にも多数の人材を輩出している。軍需産業を経営の大きな柱とす る橘家にとって栃内家は大切にしなければならない相手だ。 爽萌の話に戻ろう。実家は裕福で有名企業の次期当主。頭がよくて思慮深く、 統率力に優れている。それだけでも十分なのだが、顔立ちだって普通以上。天 は二物どころか数え切れぬ祝福を爽萌に与えた。 その代償にしては軽すぎるのだが、爽萌は現在懸案事項を二つ抱えている。 一つ。現在建設中の植物園である。 建設資金の寄付を申し入れた学校理事というのは、実は爽萌の伯母である。 ステンレス製の巨大なガラス温室には亜熱帯からの温帯までのあらゆる植物を 集め、現在は空き地となっている校舎の裏手側を完全に潰し、一年後には完成 する。 校舎の裏手側を完全に潰し。 このまま計画が進むと小桜の花壇は資材置き場になり、植物園の片隅に埋没 してしまう。もし小桜が花壇を失うと知れば、何をするか。考えるだけでも恐 ろしい。それでも爽萌の伯母は花壇が破壊されるように仕向けた。見方を変え れば反逆にも近い行為である。爽萌は伯母の意図を測りかねるが、とにかく早 急に小桜に植物の移動を告げるべきか、植物園計画の変更を願い出るか、どう にかしなければならないのは確実だ。 頭痛の種の二つ目は小桜である。 爽萌は小桜を尊敬しているだけではなく、より深い感情を持っている。栃内 家を背負った小桜の風格は爽萌をはるかに圧倒し、頭の回転だって爽萌より早 い。非常に繊細で冷静かつ強い意志を秘めた魅力的な人だと思う。決して届く ことのない思いだろうし、理解も得られないだろうが、爽萌は小桜を好きだ。 が。 爽萌はそこで顔を赤くする。 先日学校で見た小桜を思い出したのだ。小桜は最近、極稀に微笑を浮かべる ようになった。注意してみれば歩き方だって少し跳ねるようだ。授業中だって どこか夢想に入っている。何かあるに違いない。というわけで昼休みの小桜の 行く先をつけてみた。 花壇に向かった小桜の先には作業服を着た長身の男。 千秋だ。 こともあろうに作業服の男は小桜を強引に押し倒した。この上ない狼藉であ る。ここまできて爽萌の理性は妄想に圧倒される。 やっぱり男か。小桜が婚約者と歓談しているというなら仕方ないと済ませて やる。が、あの作業服はどう考えても身分違いの男ではないか。しかも校舎の 隅で押し倒し。許せぬものがこみ上げてくる。 小桜は確かに美人でこの上ないお嬢様、そして思い込めば一途で健気な部分 もある。あの声と微笑で名前なんて呼ばれたら一発だ。男心に訴えるところが 非常に大きい。それを逆手にとって男が小桜をあの手この手でまた花壇に引き 倒して小桜をてごめ 「だめよそんなのっ」 ちなみに今は四時間目の授業中である。言うまでもないが教室の空気が凍っ た。 「……橘さん、どうかしましたか」 「あ、いえ、何もありません」 同時に授業終了の鐘が響く。どうやら半時間ほど妄想にふけっていたらしい。 「橘さん、授業が終わりましたが」 教師の言葉で邪念を吹き飛ばす。 「起立」 号令をかけ 「礼」 とりあえず廊下に出て頭を冷やすことにした。 広い校庭で完全武装の男女二十名が走る。運動系生徒の基礎体力訓練だ。冷 たい風が冬服には寒いはずなのに、ずっと向こう、見える雲は春の色。春が近 い。いや、実は自分のあずかり知らぬ場所では春が始まっていて、自分ひとり が置いてけぼりにされているのかもしれない。そう思う。 窓から入る爽やかな風に髪を預ける。 本来、爽萌の懸案事項は学校祭のはずだ。五月の中旬に開催される一大イベン トは生徒の 長として最大の行事である。だが、そんなことそっちのけで植物 園のことにだけ悩まされる自分につくづく愛想が尽きる。 落ち着け爽萌。自分に言い聞かせる。 学校祭については放課後たっぷりと時間がある。だが、小桜のことを考える 時間は今しかない。それならば今出来ることをする。爽萌は小桜の現実主義を 心に描き、そう結論付ける。 場所は四階の廊下、時は四時間目終了後八分と三十秒、言い換えれば五時間 目開始まで一分三十秒。爽萌はわずか十分の休みだというのに教室を出て行っ てしまった小桜を廊下で待つことにする。 ため息一つ。 爽萌の伸ばした髪の毛が開放された廊下の風になびき、見ているこちらのた め息が漏れてしまいそうだ。鬱に沈む爽萌の姿は一枚の絵だ。美しいというも のは罪である。その証拠のようにその絵、つまり遠くで小桜に見とれていた男 子生徒と遠くで爽萌に見とれていた女子生徒が曲がり角でぶつかった。まこと に罪作りな二人だ。 小桜は上機嫌で教室に戻ろうとし、爽萌は教室に戻ろうとする小桜に声をか ける。 「栃内さん、ちょっといい」 「はい、構わないです」 そして爽萌は息が詰まった。小桜が極上の笑顔を当然のように向けたからで ある。 ありえない。 これまで小桜が爽萌に笑顔を見せたことは一度もない。確かに爽萌は小桜を 尊敬しているが、小桜は爽萌をそれほど重視していないからだ。これは家同士 の付き合いにも当てはまる。事実、橘家は栃内家に礼を尽くすが逆はない。小 桜にとって爽萌は自分に上っ面だけを取り繕う大多数の一人に過ぎない。当然 そんな取り巻きに笑顔など見せることもないはずの小桜が今、 確かに笑った。 爽萌は不覚にも見とれた。あまつさえ頬に温かいものを感じた。これが一目 惚れというやつだろうか。もしこの笑顔が男に向けられればどうなるか。ケダ モノですら腹を見せて服従を誓うに違いない。 「栃内さん、なんか最近うれしいそうだけど」 「あ、そう見えますか?」 そっけない返事に聞こえるが声が若干上ずっている。もはや爽萌の知る小桜 ではない。 「見えるわよ。なんかいいこと、あったんでしょ」 こういうときはストレートに聞くのが一番だ。 「いいこと、ですか」 「そう、いいこと」 小桜が言葉に詰り、思案の末。 「いいことかどうかは分かりませんが、今度橘さんに紹介したい人がいます」 「紹介したい人、ってそれは」 校舎裏で見た風景を思い出す。 「はい、いい人です」 いい人。笑顔と共にそんな単語を放つ小桜は誰がどう見ても幸せにしか見え ない。 「いい人って、その、お……性別は」 以前押し倒されていたあの男か、と言いかけてためらった。別に良心の呵責 がそうさせたわけではない。爽萌自身がそういう話に疎いからだ。爽萌は普段 男女かまわず対等に話しかけるが、その一方で特定の誰かと仲良く、という経 験はない。周囲も最初から爽萌は恋愛やその相談の対象外であると思っている。 かくして爽萌の中の恋愛観というものは現実離れしたものであり、それは小説 の中に出てくるものであり、当然の帰結として想像がどんどんたくましくなり、 目の前の小桜があんなことや 「とても素敵な人です。会えば分かります」 小桜の視線は熱っぽい。その視線に爽萌は羨望すら感じる。 これまで毅然とした態度の小桜を尊敬したことは数限りない。その計算高さ も、冷徹さも、その全てが爽萌を追い詰めるものであり、爽萌の追い求めるも のだった。 それが「素敵な人」程度で失われるなど、断じて許せない。 「わかったわ、栃内さん。明後日くらいに会わせてくれる?」 「はい、わかりました」 小桜は即答。爽萌は半秒考え、 「あ、それから少し面倒かもしれないけれど、一つだけ用意して欲しいものが あるの」 ほんの少し、小桜をからかいたくなった。古風であるが、覿面であろう方法 だ。 |
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