ひかりの差す部屋

ひかりの差す部屋 第十五話

 朝。
「あの、宮沢さん」
「なんだ、ひかりか」
「朝から『なんだ』といわれるのも悲しいわけですが、あのですね」
 ひかりの差し込む部屋で、いつもの口癖を聞く。
「早く言え」
「ゆうべはおたのしみでしたね」
「おい。別に楽しんでない。というか浦上は昨日食事をしてから帰った。健全
だろ。俺は自分で自分を褒めたい」
「それが褒めるに値するかどうかはともかく。あのですね、お話があります」
「だから早く言え」
「今日、浦上さんはどちらに?」
 ああ、浦上か。
「今日はひなたのところ。久々に会いに行くってさ。俺も行きたかったんだが、
姉妹の話だと」
 もしかしたら、そこから始まる物語もあったのかもしれない。浦上とひなた
が向き合うところから始まる物語だ。きっとハッピーエンドに違いない。
「浦上さんがここに来ないというのは好都合です。実は願いを叶える話のこと
で」
「ああ、そういやそういう設定だったな」
「はい、どうやら叶えるべき願いが決まりつつあるようです。そこで」
 心が凍った。
「ここで提案したいことがあります。今、宮沢さんの思っていることを叶えて
しまおうかと思うのです」
「待て」
 心当たりがない、とは言わない。
 俺は昨日、浦上との幸せとひなたの幸せを願った。それは神の力をもってし
か叶えようのない願いであり、金ではどうしようもない願いであり、俺が心の
底から祈ったものである。まさにひかりの言っていた「叶えるべき願い」の条
件を満たしている。
 だけど。
「お前はどうなるんだ。前言っていたよな」
 そう、ひかりは願いを叶えれば「帰る」と言っていた。
 どこに帰るのか。
 今更ひかりが家出少女だなんて思わない。ひかりが帰るというのなら、それ
は二度と会えないということと同義だ。
 それはきっと、ひかりにとっては幸せなことだ。仮の保護者の元にいるより、
本来いるべき場所で育つのが子供だと思っていた。
 それでいいのか。
「帰ります。もう、宮沢さんにご迷惑はかけません。それに、私は霊的な存在
なので帰ってしまえば宮沢さんの記憶から完璧に消えてしまいます。心配はあ
りません」
 大いに心配だ。
「ひかり。俺の願いに追加して『ひかりにはずっといてほしい』なんてダメな
んだよな」
 俺は今、心の底から浦上とひなたの幸せを祈っている。それは過去を全て消
し去ってしまわなければならないほどの願いだ。
 それでも、俺はその幸せにひかりがいて欲しいと思う。
「……それほど大きくない願いでしたら私はとどまることができます。えっと、
多分宮沢さんの願いくらいなら簡単に叶えられるので、私も留まれるかもしれ
ません」
 ひかりが目を伏せる。太古の巫女とはそのような姿をしていたのだろうか。
「なら望む。浦上菜穂子の幸せと、ひなたと幸せを望む。それから、俺はひか
りのいる部屋が好きだ。この幸せが続くことを望む」
 願う。
「宮沢さんの願いは世界の歴史を変えてしまうようなものです。どんな悪行も、
切なる思いも、人の積み重ねてきた全てのものをなかったことにしてしまうも
のです。よろしいですか」
 その言葉をかみ締める。
 過去が「こうだったら」と望むこと。それは人間なら誰しもが望むこと。
「ああ、望む。俺は自分勝手だからな」
 ひなたの陰惨に耐え抜いた時間を、浦上のふさぎこんだ時間を全部「なかっ
たことに」「無駄なものに」してしまうこと。
「承りました。では、叶えます」
 部屋に差し込む光がひかりを神々しくすら見せる。

 世界が変わったのはそのときだ、と思う。
 俺の中で、何か大切なものが消えてしまった、そんな気がした。
 騙されてやるのもまた、父親の役目だ。

「あ、ひかりちゃん。こんなところでどうしたの?」
 東羽山第三公園。その場所で浦上はひかりを見つける。いや、通常の人間に
は何も見えない。その場所に浦上の視線が止まっているだけ。
「はい、少し散歩を」
 その声も通常の人間には聞こえない。
「ひかりちゃんに聞きたいことが一つ。それから怒りたいことが一つあるんだ
けど、どちから言ってほしい?」
「そんなの決まってるじゃないですか。怒られるのは最後です」
「ん。じゃあ聞かせてもらうね。私たちが耐えてきた過去と、ひなたがやって
しまったこと、全部消えてしまうのね」
 浦上は尋ねる。
「はい。それが宮沢さんのお望みですから」
 唇を噛む。
 あの日々に意味がなく、あの日々か消えてしまうことをどれほど祈ったこと
か。自分だって立場が宮沢だったらそう願っただろう。
 でも。
「あのさ、ひかりちゃん。一番簡単なのは、宮沢くんの記憶から私を消してし
まうことだよ?」
 世界を改変せずとも、宮沢を変えてしまうほうが簡単。そのとおりだ。
「私も検討したんですが……どうもそれではうまくいきません。宮沢さんの幸
せには浦上さんの存在が不可欠みたいですから」
「いっそのこと世界中の人を幸せにするってのも、無理なんだよね」
「はい。私の力では大きな望みは叶えられません。私が背負えるのは浦上さん
とその妹さんだけです。及ばずながら、これしか方法はありません」
 ため息。
「じゃ、仕方ないんだ」
「はい。とても楽しい仕事です」
 ひかりが微笑む。
「まだ笑わない。私は怒ることがあるの。いい?」
「はい、どうぞおっしゃってください」
 まるでこれから言われることが全部分かっているかのように告げるひかり。
「……ひかりちゃんの力では、それほどの祈りを叶えてしまうと、この世から
消えてしまうんでしょ」
「……」
 ひかりは答えない。
「そっか。消えるんだ。でも宮沢くんに嘘ついて『私が残るくらいの余裕があ
る』なんて言っちゃったんでしょ」
「はい、よく……嘘ついたってわかりましたね」
「当然。だってあの宮沢くんだよ。ひかりちゃんが消えると知ってたら、絶対
に腕を離さない」
 浦上にはわかる。ひかりが嘘をついたことも、ひかりの嘘に気づきながらも
信じている宮沢のことも。
「宮沢さんには浦上さんがいます。私はそんなに重要な場所にいません。宮沢
さんの幸せに、私は含まれていないですし……あったとしても、私の力では仕
事をするだけでいっぱいいっぱいです。だから嘘、つきました」
 ひかりに迷いはない。
「仕方ないよ。私も、ひなたも、ひかりちゃんも、みんな女の子だから」
 男に守らねばならないプライドなんてものがあるとするなら、女にはつかね
ばならない嘘だってある。浦上はそう思う。
「ちょっとだけ、愚痴を言います。いいですか」
「うん。言ってちょうだい」
 もう、ひかりの姿は浦上にすら見えない。
「私、浦上さんが嫌いです。私は最初、ひなたさんの願いをかなえるためにこ
の世に来ました。そしてひなたさんの願いは『宮沢さんと、宮沢さんの近くに
いる人が幸せになること』だったんです。だから私は浦上さんの捨てた名前、
『ひかり』を貰って宮沢さんの近くに立とうとしたんです。でも、宮沢さんは
最後まで浦上さんを選びましたよね。それが悔しくて、もしほんとうに宮沢さ
んがほんとうに願ってくれたら私はここにいられたのに」
 黙って持っていくつもりだった思い。
「私はひかりちゃんのこと、覚えていられると思うな」
「できません。浦上さんもいずれ」
「大丈夫だよ、私はずっとひかりちゃんを覚えている」
 言葉はそこで途絶えた。



 まあ、こうやって俺が文章を書いている時点で分かるだろうが、ひかりの仕
事は非常に中途半端だった。
 まず、浦上と、ひなたに起こったと思われる不幸な出来事の痕跡は消え去っ
た。東羽山第三公園自体は存在するが、浦上とひなたは同じ家に暮らしている
ことになった。当然ひなたが拘束されることもないし、浦上の身体に刻まれた
傷跡も見当たらない。過去のことを記憶しているのはどうやら俺だけで、浦上
ですら今の家にずっと住んでいた、と信じて疑わない。
 そして、ひかりのことを忘れるという話だが、それも俺だけが記憶している
らしい。ある日、俺の家に残された浦上の高校時代の制服が浦上に見つかった
ことがあるが、浦上は何も思い出さなかった。というか俺が危ない人扱いされ
てしまった。確かに自分の着ていた服が他人の家から見つかれば普通は距離を
置きたくなるに違いない。
 が、浦上は結構Mっ気の強い奴だから、そんなことで俺から離れたりしない。
 ややこしい過去の消し去った今、かつてのように浦上とつかず離れずの関係
を保つこと自体が困難となり、世に言う「付き合う」ようになるまでは大して
時間もかからなかった。俺が言うのも変だが、せっかくなら俺以外にも人間関
係を広めればいいと思うが、浦上はそうしなかった。
 お約束ということで、今では浦上と呼ぶことを控え、菜穂子と呼ぶことにし
てやっている。
 ああ、そうは言ったが、どうやら浦上は完全にいろんな記憶を失ったわけで
はないらしい。
 この前エルベでひなたを交えて話をしていたときだ。どこからそんな話になっ
たのか忘れたが、子供の名づけの話になった。
「女の子なら『ひかり』とか」
 浦上は唐突にその名を告げた。
 あのドジでぐうたらで最後の仕事まで中途半端な自称天使のことを浦上が覚
えているのか、それはわからない。でも、俺は思う。この世にはいろんな奴が
いる。天使にだってああいうのがいたって不思議ではないし、少なくとも俺は
そいつのことを知っている。

了



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