ひかりの差す部屋

ひかりの消えた部屋 第十四話

 下宿に戻ると、誰もいなかった。救いがあるとするならば、その事実だけだ
ろう。今の姿をひかりに見せるのはよくない。今は、一人の時間が何よりも大
事だ。
 床に伏して寝込む。
 不思議な夢を見た。
 最初は俺が浦上に出会ったときのシーン。大学ノートを片手に微笑んだ変な
奴。俺はその瞬間から浦上のことを好きだった。
 次は高校のときのシーン。両親に疎んじられ、その両親が旅行に出かけていっ
たときのことだ。ほんとうはそのときから分かっていた。ああ、この人たちは
和解することなんてない、と。
 同じく中学校のときか、小学校のときのシーン。頻繁に家出を繰り返した俺
は、その次だけは見ることに出来る「温かい家庭の姿」なんてものに満足した。
そんな上っ面にすがるしかなかった。
 そして最後。俺には状況がわからない。ただ、俺はものすごく小さくて、何
か温かいものに包まれて、そのときだけで誰にだって自慢できるほど幸せだっ
た。生まれれきた瞬間、その瞬間くらいは祝福されていたのかもしれない。
「……んっ」
 ため息のような声に夢が途切れる。
 俺の声じゃない。ひかりが帰ってきたのだろうか。目を開ける。
「な」
 暗いけれど分かる。この雰囲気は浦上だ。
 俺が温かいものを感じていたのは夢でもなんでもない、ただあまりにも近く
にいる浦上の体温を感じ取っていただけ。
「起きたんだ、宮沢くん……おはよう、かな」
 時間は夕方を過ぎているだろうけれど、カーテンが閉まっているから正確に
はわからない。物体の輪郭も判然としないが、浦上が「近くにいる」というこ
とくらいはわかる。
「ん、おはよう。ひかりは?」
「……ちょっと出てもらってるよ。久々に二人だね」
 そう聞かされても甘ったるいものを感じるわけではない。それが俺と浦上の
間に積み上げてきた年月。好きだといってしまえば終わってしまう関係。
 と、このあたりでようやく寝ぼけていた頭が冷め、目が闇に慣れる。
「……浦上っ、なんで」
「ん、どうかした?」
「いや、すまん。まさかそんな格好しているとは思わなくてさ」
 咄嗟に視線を逸らす。
 浦上は俺のすぐ横にいて、そしていつもより身体の輪郭がくっきりと見えて
いる。つまり、少なくとも上半身は何も着用していない。
 着替え中だったのか。いや、それなら最初から隣の台所を使うくらいの配慮
はする。
「心配ないよ。私が自分で脱いだの、別に視線を逸らさなくてもいいよ」
「でも」
「そろそろ、見せておこうかと思ってね」
「……そうか」
 こんなとき、食い入るように浦上の姿を眺めることができればどれほど幸せ
だろう。
「物語、全部読んだよ」
「そう、か」
 何のことか、一瞬で分かった。
 ひなたの口述した物語だ。おそらくは真実を含んだ物語を、当事者であるは
ずの浦上が読んだというのなら、浦上の行動も理解できる。
 きっと浦上は俺から離れていくだろう。
 少し前、俺に告げたとおり、自らの過去を全部話して俺から消えていく。
「宮沢くん。聞いて欲しいことがあるの」
 ……
「別に言ってくれなくていい。俺は別に聞きたくない。それより」
 俺は浦上と一緒にいたい。
「でも、聞いて」
 浦上が背筋を伸ばす。
「私ね、宮沢くんが好き」
「――」
 心臓が止まるかと思った。
 絶対にありえないと思っていた言葉。俺が言い出せず、踏み込めずにいた場
所。これまでの関係を終わらせる魔法。
「うん、ちょっと違うかも。私は宮沢くんと付き合うことは絶対にない。でも、
好きなのはほんとう。宮沢くんはしらないだろうけど、私は小さい頃の宮沢く
んにだって会っているんだよ」
「……まさか、嘘だろ」
「ほんとだよ。多分宮沢くんが小さい頃会った近所のお姉さんは、私」
 多分、それは大事なことではないと思う。
「うん。そんなことはどうでもいいことだよね。でも多分いう機会がないから
言っておくね。再会できてよかった、宮沢くん。それからもう一つ、こんなこ
と私から言うことじゃないけれど言うね。抱いて、くれないかな」
「……」
 つくづく現金な話だと思うが、顔を上げた。浦上の言うことが何を意味する
のか、わからないわけではない。
「大丈夫だよ。私、慣れていたから」
 慣れていた、か。慣れている、ではなく。
「……浦上、その身体の」
「だめだよ。何も言わないって約束」
 目が慣れて、今ようやく浦上の身体が見える。やけどの痕跡と、深い切り傷、
ただれた刺青に覆われた上半身だ。
「こんなのじゃ、ダメ?」
「ああ、ダメだ」
 いいはずがない。
「……そっか。そうだよね。うん、私もそうだと思ってた」
「当然だろ。好意の押し付けなんぞいらん」
 つくづく愚かしいと思うが、俺は続ける。
 俺たちの関係は始まってすらいない。そして今からはじめようとすることは、
手遅れではない。
「俺は浦上が好きだ。あまり関わってくれるなと言われていたけど、会った瞬
間から好きだった。そいつのことを詮索したいという気持ちは卑怯か」
「……この状況では卑怯だと思うよ」
 任せろ。卑怯は俺の特技だ。
「俺は今、『ひなた』と名づけた子供と関わっている。その子がかつて酷い扱
いを受け、何らかの罪を犯したことも知っている。浦上は、関わりを持ってい
るんだな」
 これまで起こった不思議な出来事は全部必然だったのか、そう言葉に含める。
「うん。そうだよ。私のほんとうの名前はひかり。苗字は……忘れちゃった。
今の家に引き取られて、苗字も名前も変わっちゃった。ひなたは、私の妹。宮
沢くんが会いに行っているのは知っていたよ」
 あのとき、ひなたが「ひかり」という名前に対して反応した理由は、それか。
「私ね。身体は別に気にしてない。どうせ治らないしね。でもね、私は大事な
ものを傷つけたんだ」
 ひなたの、ことだろうか。ひなたにだけ犠牲を強いてきて、何も知らぬ振り
をしてきたということだろうか。
 おかしい。
 もし、ひなたの言葉が正しいのなら浦上の身体に傷があるのは不可解だ。
「十年前ね、宮沢くんが知っているとおり事件があったの。みんな死んだ。で
もね、ひなたはあまり悪くない。私が悪いの」
 俺が黙る番だった。
「あのスポーツバッグの中身はね、私がひなたにプレゼントした『バラバラに
なった』人形。私がひなたを、あんなふうに変えたの。周りの人を殺しなさい、
って」

 私とひなたは仲のいい姉妹だった。でも、いつごろからだったかな、あれが
ほんとうの父親と母親だったのか、私にはわからない。ある日、ひなたが私の
側から消えてしまって、話はそこから始まるの。
 父と母は私がひなたと会うことに条件をつけた。私は言われたとおりのこと
を言われた以上にできないといけなかった。うん、今の身体にのこっているも
のはみんなそのときの名残。やけどの痕も、切られた痕も、全部そのときの傷。
多分、身体の中も傷つけられていたんだと思う。私はそういうことに「慣れて
いた」から不思議じゃなかったし、記憶にもあまりないから、詳しくは言えな
い。
 そんな毎日を耐えていると、気まぐれみたいな間隔でひなたと会えた。ひな
たと会うときは綺麗な服を着せてもらえた。久しぶりに会うひなたも綺麗な服
を着ていて、それまでどおりの笑顔だった。
 当時の私は思った。私がこれだけつらい思いをしているのに、ひなたはいい
思いをしているって。ほんとうは同じ苦しみの中にいるのに。
 だから、私はひなたにあげるプレゼントのぬいぐるみを、人形を、絵本の中
の人を、全部切り刻んでプレゼントした。
 あなたを幸せにしている周囲の人を殺しなさい、ほら見て。私はこんなにも
苦しんでいる、そう伝えたくて。
 それを見てひなたが何を思ったのか、わからない。でもひなたは私のせいで
更に追い詰められ、そして崩壊した。
 事件は私が指図して、ひなたが実行した。
 ひなたは私を殺さなかった。一番深い罪を持った私は、生き残ることこそが
苦しいことだと分かっていたんだと思う。
 事件の後、ひなたとは顔を合わせていない。
 私は親戚の、今の浦上の家にあずけられて菜穂子って名前を貰い、ひなたは
病院の奥に隔離された。


 だいたいは、俺の想像どおり、か。
「ま、なんとかなるだろ」
「えっ」
「深刻に考えていてもなんともならん。幸い俺は浦上とも、ひなたとも知り合
いだ。何とかなるような気がしない、か?」
「でも」
「とりあえずせっかくガードの固すぎる浦上から好きだといってもらったんだ。
これで浦上に逃げられると俺はかなり悲しい。俺をまた不必要な人間にさせる
つもりか?」
 いいたいことは山ほどある。泣きたいこともいくらだってある。でも、俺は
そんなに素直でも器用でもないから笑える展開に持っていく。
「……卑怯だよ」
「当然だ。俺が浦上に勝つには卑怯な手でも使わないとな。というわけで浦上、
覚悟しとけ」
 自分の意思で、浦上の肩に手をかけた。抱き寄せてみる。
 多分お約束だろうからキスしておいた。それ以上に踏み込むのは次回にして
おこう。
「これからもよろしくな、浦上」
「浮気したら……死ぬよ?」
 目が本気だ。
「ところで聞きたかったんだが」
「ん?」
「ひかりはどこに行った。もう遅いんだろ」
「……呼びましたか、宮沢さん」
 足元から声が聞こえてくる。
「ってお前、なんで」
「ずっといましたよ。もう二人の熱さのせいで冬だというのにコタツの電源を
入れる必要もありませんでした」
「ごめんね、宮沢くん。ひかりちゃんに口止めされてて」
 ったく、どいつもこいつも。
「とりあえず浦上は服を着ろ。それで五分後に台所に集合」
「「はい」」
「……ひかりは俺とお散歩タイムだ。覚悟しとけ」
 ひかりの頭を強く撫でる。下の方から基本的人権を叫ぶ声が聞こえてくるが、
無視。


 俺は浦上との人生を望む。
 浦上が幸せであり、その妹であるひなたの幸せを切に望む。



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