ひかりの差す部屋

ひかりの消えた部屋 第十三話

 こうやって過ごしていると忘れそうになるが、ひかりは自称天使であり、俺
の願いを叶えるまではここにいる、ということになっている。
 正直なところ願いなんてたいしたものもない俺は現状で十分満足している。
つまらない願いでひかりが消えてしまうのなら、何も願わずにこのままの日々
を過ごしてもいいんじゃないか、とすら本気で思っている。
 浦上はあれ以来、いつもどおりだ。浦上のことだから「いつか話す」という
言葉が嘘である可能性は低いだろうが、「いつか」というのは随分先だろう。
おそらくは俺と浦上が進路を別々にする日まで、黙っているに違いない。
 浦上が自ら閉じこもる道を選んだなら、そいつは閉じ込められている。四重
の扉をくぐってなお一枚の壁を隔てなければいけない存在。ひなた、だ。
「ひなた。久しぶりだな」
 一週間ぶり、だ。ここ一年ほど続けてきたいびつな関係だ。
「今日は時間通りね」
「まあな。俺は時間にうるさいんだ」
 少し投げやりな答。
「今日は浦上さんとひかりさん、だっけ。どうしてるの?」
「二人でおでかけだ。服でも買うんだと」
「ふうん。仲いいのねえ」
 確かに、あんなことがあったけれど、あれ以来二人とも変わった様子はない。
「遠目に見ると親子みたいな感じだな。今日も楽しんでるんじゃないか」
「ね。宮沢さんもたまには私に服でも買ってきてくれたっていいと思う」
 ひなたに服を選ぶ、か。こいつならどんなのが似合うだろう。少女趣味なワ
ンピースなんて着ていればそれだけで軽く男を騙せそうだ。
 と、それはさておき。
「俺にそんな期待をするな。せいぜい言われたCDくらいが限界だ。服を選ぶな
んぞ、俺の能力の限界だ」
「でも宮沢さんの服は結構センスいいと思うけど」
「俺の服は全部浦上が選んでいるんだ。俺が口を挟むことすらしてない」
「……宮沢さんと浦上さんって結婚でもしてんの?」
 疑念の目。
「だから違う。別に恋人でもなければ、友達でもない」
「浦上さんのことを何も知らない。そういう関係だもんね」
 そう、俺は浦上のことを何一つとして知らない。
「俺とひなたの関係みたいなもんだ」
 お互いに何も知らず、何も知らないことを開き直って表面だけを合わせる関
係。それを「嘘だ」を断ずるような若さを持ち合わせてはいない。
「私は宮沢さんのことを知っているわよ。宮沢さんが不必要な子供で、ご両親
に疎んじられてきた、って話、私にしてくれた宮沢さんの話」
「……よく覚えていたな」
 ひなたにはその話をした。
「それで宮沢さんが高校生の頃にご両親が和解したけれど、旅先で事故死した、
よね」
 その通りだ。今ここで振り返るまでもない話だ。
「それが、どうかしたのか?」
「うん、あれから私、考えたんだけどね。宮沢さん」
 空気が変わった。ひなたの目つきが豹変する。
「宮沢さんはご両親が和解したって思っているみたいだけど、ほんとうはそん
なこと、ないんじゃない?」
「え」
「表面上だけ和解した振りして、どちらかがどちらかを殺すために実家に戻る
振りをして、そしてその目的を遂げた。失敗は殺そうとした方も巻き添えになっ
た、ってこと」
「おい、ひなた」
 いくらなんでも。
「考えたことある? 和解したのならなぜ宮沢さんは旅行に連れて行かれなかっ
たの? 和解したのなら、なぜ両親を亡くした宮沢さんは二人のどちらかの実
家に引き取られなかったの?」
 唇を噛む。
「それは、最終的には」
「気づいていて、気づかない振りをしているんでしょう? 宮沢さんは。だっ
てそうじゃないと自分が不必要なままだものね」
「……」
 その指摘に返す言葉はない。
「宮沢さんはご両親のことをほんとうは大好き。でも、現実にはご両親は最後
までいがみあったままで、お互いと子供を疎んじていた。ほら、現実に救いな
んてない。ありふれた話でしょ」
 言葉にすることは辞めておいた。
 ああ、俺は不必要だった。最後の最後までそうだった。この世に居場所なん
てなかった。
「救いなんて、ないのよ」
 それでも、俺は最後の望みにすがりたかった。奇跡であっていい、両親が和
解していて欲しかった。そうでないと自分が救われないから。そうでないと俺
の居場所がなかったから。
「まあいいわ。別に宮沢さんが悪い話じゃないもの。余計なことを言ってごめ
んなさい」
「いや、気にしなくていい」
 嘘だ。
「いつもどおり、お話の続きを書きましょう。多分、今回で最後になるわ。用
意は大丈夫?」
「……ああ」
 ひなたの綴る物語を思い出す。
 他愛のない日常。女の子がどこかにでかけたり、何かを買ったり、ほんの小
さな出会いを経験したり、兄弟げんかをしたり、何のオチもない話が続くだけ
の物語。
「ひなたは幸せな世界を持っているんだな」
「うん、そうでしょ」
 さっきまでの空気はどこにも存在しない。今流れるのは空気。
「じゃ、続きを頼む」
「うん、了解。もう最後までできているから一気に行くわ」
 自信満々に告げるひなた。
「……ある日のことです。幸せな女の子はいつもどおりお父さんとお母さんの
帰りを待っていました。でも女の子は知りません。その日を境に知っている人
は誰も彼もいなくなってしまうことを」
 ひたすらに綴る。俺は知っている。この結末を。いくら俺でも、そろそろひ
なたの正体について想像がついている。
「女の子を迎えに来たのは、知らない、いえ、知っているのですが名前までは
思い出せない人たちでした。女の子の両親はその人たちに食べられてしまって
いたのです」
 ……この物語の主人公はひなた本人。
「……そしてその人たちは女の子も食べてしまうことにしたのです。でも、す
ぐ食べてしまうのは味気がありません。その人たちは女の子に味付けをして……」
 それがどのようなたとえ話であるのか、想像するのは難しいことではない。
 ひなたがかつて体験したことだ。
「女の子はその生活を気に入っていたのです。苦しい毎日でもそればっかりな
ら簡単に受け入れられます……その人たちが女の子を食べてしまった後、ほん
の少し満足するのだけが救いで……女の子にはそれが誇りですらあったのです。
自分は正しいことをされている。自分の居場所は間違っていない」
「ひなた……」
「でもね、許せないことがあったの。そう、女の子のお姉ちゃんのことよ。お
姉ちゃんはずるいよね。女の子がどれだけ頑張っているのか知っているくせに、
何もしてくれない。苦しんでいるのを遠くから眺めるだけ。ねえ、許せないよ
ね宮沢さん」
 そこで俺に振るか。
「ああ、そうだな」
「でしょ。だから女の子は全部壊すことにしたの。いいよね壊したって。どう
せ誰も助けちゃくれないんだから。ほんとうのお父さんとお母さんを食べてし
まった人を殺してもいいよね。だから女の子はみんな殺したの。女の子のお父
さんとお母さんを食べてしまった人と、それを見ていた人を。隣に住んでいた
人も殺したわ。どこかに食べられてしまったお父さんとお母さんがいると思っ
て。でも、良く考えれば分かることだったのよ。最初からお父さんもお母さん
も食べられてなんていやしない。女の子に痛い思いをさせてきたのは、女の子
のお父さんとお母さんだったから」
 それが十年前、起こった事件の真相だ。
「そして、ひなたはこの病院にきたんだな」
「うん。それが私の物語。ここから先に繋がることのない、物語よ」
 断片的に聞いていた話が今、繋がる。
 あの家で親族ぐるみで行われてきたとされる虐待。
 その末に起こった事件。
 生き残ったのは「ひなた」とその姉、おそらくは俺が「浦上」と呼んでいる
人。
 それが救いようのない話の結末だ。


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