ひかりの差す部屋

ひかりのない世界 第九話

 俺の通う大学は日本で二番目に大きい、と言われている。学部は十を越え、
演習林に付属農場、原発から潜水艦までそろっている。北の端から南の端まで
歩けば三十分、電車で二駅の距離がある。授業の移動なんて絶対に間に合わな
い。これだけ広いと東西南北でいろんな格差が生じるもので、例えば北に行け
ばいくほど食堂の質が上がり、その反面北の方が構内にゴミが散らばっている。
これは南北問題と呼ばれ、是正が求められている。東に行けば行くほど男子学
生密度が濃くなり、西に行けば行くほど単位が取りにくくなる現象は東西対立
だ。冷戦が終わった現在でも、単位と男女不均衡には鉄のカーテンが有効らし
い。大学に限らず、学校と言うものは大なり小なり社会の縮図だ。
 さて、その俺がいるのは校内の南西の端。上の条件に従えばメシがまずく、
単位の取りにくい場所ともいう。ちなみに男子学生密度はそれなりに高い。男
女バランスが統計上五分五分であるのはあくまでも併設の看護学科のおかげで
ある。その恩恵にありつけるのは限られて一部であり、これを俺は格差社会と
呼んでいる。
 話を戻そう。
 そんな南西の端の一角。俺の目的地だ。
 花水木と桜の植わった並木道、手入れされた芝生、年中無休の噴水。さなが
ら一昔前のテーマパークか保養地のような場所。
 大学病院だ。
 向かう先は最深部。そこに至るには四つの関門を突破しなければならない。
 一つ目の扉はIDカードと四桁のパスワード。これは普通に学生でも入ること
ができる。
 二つ目の扉は鍵一本。ピッキング技術があればここも突破できるかもしれな
い。
 三つ目の扉は常駐警備員による手動開錠。こればかりは内情に通じない限り
突破は困難だ。
 ここまで来てようやく一般的な診療室の風景が覗く。看護室の係員に声をか
け、案内を頼み、四つ目の扉の鍵を開けてもらう。
 さて。
「来たぞ、ひなた」
 眼前に広がるのは四畳ほどのスペース。塵一つなく掃除された部屋は清潔さ
で言えばどこにも負けないだろう。調度品は奥のベッドと、押入れが一つ。光
を取り入れるために設けられた開かない窓と、向こう側からは開かずの出入り
口、そして俺との距離を最後まで隔てる一枚の分厚いプラスチックの板。陰湿
な感じは極力取り除かれているが、実質的には独房だ。刑事ドラマに出てくる
刑務所の面会シーンとよく似ている。四重の扉を潜ってなお、俺は直接そいつ
に触ることすらできない。
「遅い。なにしてたのよ」
 聞こえてくるのは無愛想な、それでいて少し可愛らしい声。年の頃はひかり
と同じだと思う。
 腰を下ろす。
「悪いな。一週間ぶりか」
「……遅刻するなら最初から来るな」
「そうへそを曲げるな。俺が悪かった」
「次からは罰金よ」
 言葉遣いは乱暴だが、照れ隠しの発展系みたいな感じがありありと伝わって
くる。その膨れっ面の微妙な産毛が幼さを演出しているせいかもしれない。思
わず笑ってしまう。
「何笑ってんのよ、気持ち悪い」
 余計膨れっ面。苦笑を返す。
「元気で過ごしたか、ひなた」
 手で触れられれば頭でも撫でてやりたいところだが、俺の手は届かない。
「当然でしょ。何の変化もない毎日なんだから。爪ぐらいは切ってもらったけ
ど」
 ここは仮にも病院の中だ。何かあれば医療体制だけは充実している。
「宮沢さんのほうはどうだった? 試験も近いって言ってたけど」
「ああ、学年末考査の話か。余裕だ。うちの大学は空から単位が降ってくる、
と言われててな。受けてないはずの授業ですら単位を取得できるんだ」
「それでも降ってくる単位を受け止めるくらいの努力は必要なんだからね。しっ
かり勉強すること」
 俺相手に大人ぶる。そういうところはひかりともよく似ている。
「ま、俺の話は後にしよう。それより前言っていたCD、買ってきてやったぞ。
後でここの人に持ってきてもらえ」
 ひかりに直接物品を差し入れることはできない。内容を検閲するわけではな
いが、俺からの差し入れは全てここの職員に手渡さなければならない。そうい
う規則なのだ。そして内部規定で問題がなければ本人に直接手渡される。ただ
し、ひなたの場合、CDの所有はできるがプレーヤー自体は持ち込み禁止らしい。
聞きたければその都度言って貸し出してもらう必要がある。
「うん、ありがと」
 壁に擦り寄って笑いかける。
 彼女は名前を「ひなた」という。
 本名ではない。
 初めて来たとき、俺が名づけた。この場所が西側の採光窓を通じて日向になっ
ていたから、そんな理由だ。ひかりと同じくらい安直な名づけである。俺はひ
なたの本名を知らない。偶然実習後の病院内で見かけ、気に入られた。それが
ひなたと俺と初めてだ。ひかりといい、ひなたといい、俺はどうやら若干年下
の女に縁があるらしい。
 年齢は多分ひかりと同じくらいだろうが、顔つきは随分と違う。ひかりが底
抜けに子供らしい愛らしさを押し出しているのなら、ひなたは大人びた、人を
突き放した印象を与える。髪は規則で短く切りそろえられているが、長く伸ば
していればものすごい美人に見えるだろう。ひかりならどう頑張ってもかわい
らしくしかならない。
 彼女がこの場所から出ることはおそらく、ない。彼女は一生を壁と、強化プ
ラスチックで区切られた敷地の中で暮らす。社会復帰はない、そう聞いている。
 この、四重の鍵をかけられた病院の奥で一生を過ごす。
 ひなたのことを理解するには、この病院の奥の施設がどのようなものかを理
解する必要がある。
 ここは精神疾患で暴力行為の可能性の高い人が社会的入院する場所だ。激し
い自傷行為、破壊衝動、何らかの事件を起こした上に心神耗弱で不起訴になっ
た人が入院しているとされている。もちろん、ここは刑務所や拘置所ではない。
仮にどんな事件を起こしていても矯正、反省をさせる教育プログラムは持って
いない。名目上は「患者の保護と社会復帰を目指す」ことになっているが、現
実的には患者を死ぬまで閉じ込めておく施設になっている。本人が望めば所内
労働もできるし、食事だってなかなかのものだし、風呂だって時間制限はない。
外に出て運動するのも自由だ。手紙を出すのも、パソコンに触ってインターネッ
トに接続するのも自由だ。治療と看護も最高のものが約束されている。が、そ
れでも、この区画から出ることだけは叶わない。
 壁越しに見るひなたの姿はあくまでも落ち着いた、少なくとも無害な少女に
見える。品行方正なお嬢様と言われても信じてしまいそうだ。というか、おそ
らくは「そう」だったのだろう。言動だっておかしなところは何一つない。こ
んなところに閉じ込めることの方が正気の沙汰ではないと思う。それでも多分、
ひなたは昔大きな事件を起こした。いちいち調べるつもりはないが、間違いな
いだろう。
 それが俺の知っているひなたの全部だ。浦上のことをほとんど何も知らない
との同じように、ひなたのことも何も知らない。
「それで今日は何があったの? なんかうれしそうな顔をしているけど」
「そんなに嬉しそうに見えるか」
「うん、気持ち悪いな」
「その割にはひなたも笑顔だぞ」
 ……
「うるさいわね。もしかして例の浦上さんと進展でも?」
 ひなたには俺のことを大抵言っている。俺の両親のことも、学校のことも、
浦上の子とも。だから浦上のことも知っている。今日はひかりのことを話して
おこうと思う。
「いや、浦上との展開はない。新しい同居人が来たんだ。名前はひかり。俺が
名づけた」
 ……
「……それ、浦上さんの名前じゃないの?」
 浦上の名前は菜穂子だ。というかひなたに浦上の名前を話したことは一度も
ない。
「浦上の名前は菜穂子だぞ」
「あらま」
 そんなに意外か。それとも
 浦上ひかり。
 ひなたはそんな名前のやつと知り合いなのだろうか。
「ひかりはひかりだ。苗字も知らん。自称天使の子供でさ、最近うちに居候し
ているんだ」
「ふーん……って、天使?」
「そう、天使」
「もしかして宮沢さんって特殊な趣味の人? パソコンの隠しファイルに天使
ちゃん画像とか入ってるの?」
「それは違う。どっちかというと年上が好きなんだ」
 そう言ってから気づく。浦上は、一歳だけ年上だ。
「じゃあ天使なら羽でも生えてるとか?」
「将来的には翼が生えるらしい。空を飛べるようになるにはまだまだ練習が足
りないんだと」
「なにそれ。ならあと三百年経ったら口から火を吹けるようになるんじゃない
の」
 発想が俺と同じだ。さすが俺が名づけただけある。
「俺にもわからん。けど、本人が天使というんだ。だから天使ということにし
ておいてやれ。一応親元を探す努力はしているしな」
 主に浦上が、だが。
「なら私が天使って言えば宮沢さんは信じてくれる?」
「ああ、信じる」
 即答する。俺には自信がある。だって
「今までだって疑ってこなかっただろう、俺は」
俺が、男が疑ってかかるのは最後の手段だ。そう思っている。
「宮沢さんって将来絶対悪女に騙されるわ。というかそういう危なっかしいと
ころが魅力なのかもね。実際こんなところに平気で足を運んでくるくらいだし」
「どこでも行ってやるよ。その気になればバリケードなんぞちょろいもんだ」
「なら連れ出してよ、私も」
「ひなたが俺をその気にさせたら、な」
「じゃ、頑張らないとね」
 不毛な会話。何もできない俺の言い訳。格好つけた自分への代償。微妙な沈
黙が居心地悪い。
「そんなことより続けようよ、宮沢さん」
「ん、そうだな」
 パソコンの電源をオン。
 実は今、俺とひなたでやっていることがある。
 小説もどきの作成だ。ひなたが口述し、俺が筆記。当然多少の整合性を持た
せるのも俺の仕事だ。毎度毎度設定が多少変更するのでなかなかの重労働であ
る。
「さて。前は……そうだな、主人公が教会に行ったときの話だな。あ、先に言っ
ておくと時間帯は昼だぞ」
「あれ、そうだっけ?」
 ったく、自分の書いているものくらい自分で記憶しておけ。
「……初めて教会をみたとき、女の子は少しショックを受けたの。だって、テ
レビで出てくる教会って花嫁さんとかがいて、とても白くてきれいなところじゃ
ない。でもね、実際に自分で見ると、そんなのじゃなかった。ほんとうに古い
椅子と机があって、その椅子には落書きが掘ってあるの。早く病気が治ります
ように、とかね。馬鹿だと思うわ。神様に祈る暇があったら病院に行ってなさ
い。女の子はそんなことをつぶやいて、それで顔を上げたの。すると」
 言葉を文字にする。
「なあ、ひなた」
 ふと、言葉を挟んだ。
「なに?」
「お前さ、」
 外に出たいのか、そう聞きたかった。
 ひなたが望めば社会復帰のプログラムを受けることだってできる。
「いい作品になるといいな」
 いろんな思いをこらえて、そう続けることにした。
「どうしたの? 深刻ぶっても似合ってないわよ。続けていい?」
「ああ、続けてくれ」
 再びキーボードに向かう。
 俺は今、誰かのためになっている。そう信じられるほど、俺は子供でも大人
でもないらしい。


←第八話へ
第十話へ→
「ひかりの差す部屋」トップへ 他の作品を探す