ひかりの差す部屋

ひかりの差す街角 第八話

 人は幼いときに愛情を向けられなければ愛を持って子供に接することができ
ない、という。ならば俺が今ひかりに注ぐものはなんなのだろう。
 多分、愛ではないのだろう。俺は浦上にすらその向け方を知らない。
 ひかり、自称天使。
 俺にすがるしかない存在。俺以外に庇護者を持たない存在。俺の思い通りに
行動する存在。俺はその存在を自分に都合のいいように使っているだけなのだ
ろうか。
 ひかりはこう言った。
『あなたの望みを叶えます』
 もしかして、今この状況、ひかりがいるということが俺の望みではないか。
「どうかしましたか、宮沢さん」
「いや、どうもしない」
「宮沢さんが無口だと何かたくらんでいそうです」
 ひかりが無造作に俺の手を掴み、引っ張る。
 気まぐれな雪が舞う。てのひらで溶ける雪の結晶。
 その瞬間、気づいたことが一つだけある。
 ああ、今日は寒い日だ。
「なあ、ひかり」
「どうかしましたか」
 手を握り返す。
「しばらくならさ、俺の家にいても別に構わんぞ」
「ありがとうございます。行くところがないので追い出されても困りますが」
 追い出すわけがない。
「早く帰れたらいいな」
 ひかりが手から離れて、走る。
「おい、ひかり」
「宮沢さん、競争ですよ」
 駆ける。その姿を見て、もう一つ気づいた。
 どうやらこの天使は俺の思い通りに行動するような代物ではないらしい。少
なくとも、勝手に押しかけて居候を決め込む奴のことを、「都合のいい奴」だ
なんていうことはできない。


 街を適当に歩き、昼をフードコートで適当にやっつける。浦上の薦めていた
月下堂で食後にアイスクリーム(なんと月下美人でアイスクリームを作っている
らしい)を買い、お約束のようにひっくり返したひかりに俺の分を分けてやる。
「花でアイスクリームを作れるんですね」
「らしいな」
 そういえば田舎に行けば特産品の花で作ったアイスクリームやジュースなん
かが置いている。沖縄でサボテンアイスクリームを見たことがあるが、月下美
人もサボテンの一種なのだから同じ要領で作れるのかもしれない。
「ところで月下美人ってどんな花なんですか?」
「どんな花って……ん、そこの瓶の中に入っているやつだ」
 度数のきつい蒸留酒の中に漬け込まれた大輪の花。見たことはないが、多分
これで合っている。
「一年に一回、一日だけ咲くらしい。今度鉢植えで買ってやるよ」
 興味を示すひかりに言う。
「それにしても甘いですね、宮沢さん。月下美人というものは甘いのですか?」
「そこまでは知らん。仮に苦かったとしても甘くしなけりゃ食べられないだろ」
「なるほど。ビールは苦くないと飲めませんものね」
「ああ……ってなんで自称十五歳の分際でビールを語っているんだ」
「ワインの方がよかったですか?」
「アルコールは禁止だ」
「年齢制限、ですか」
「ああ。それから人前で語るのをはばかれるようなゲームもお預けだ。最近俺
のパソコンで怪しいゲームを検索しているだろ、ひかり」
「そんなことしていません。私が探していたのは『男達の宴』とか『薔薇と呪
縛』とか『ほも☆など』とか『大乱肛スマブ』」
「頼むから黙ろうな、ひかり。でないと周囲の視線が痛い」
 娘ができたら健全に育てることを誓う。
「ところで宮沢さん、少し行き過ぎたのではないですか」
 ひかりが地図を出す。この仕込み、浦上に仕業だ。が、俺もあまり次の目的
地の場所を知らないのでありがたい。
「……ん、さっきの角を右か」
 繁華街を少し抜け、街路樹の綺麗な大通りから一本中に入る。
 コロニアル風というのだろうか。この街ではそんなに珍しくない洋式の建築
物が見えた。
「これです宮沢さんっ!」
 ひかりの気合が一気に入る。
「これだな」
「はいっ」
 なんか、気合いが違う。
「そんなにも気に入ったのか」
「とても気に入りました!」
 その建物の名前はエルベ。浦上が言っていた喫茶店だ。元々教会だったとこ
ろを使っているらしく、その面影を随所の装飾に見ることができる。高い天井
とオルガン、ステンドグラスの宗教画。十字架は取り外されているが、荘厳な
空気は世俗化した今でも建物全体を覆っている。浦上の解説によると、この喫
茶店は自前の菜園と牧場で取れたものを使っている、とのことだ。まさに昔の
修道院である。結婚式を挙げるだけの似非教会よりはるかに信仰の対象として
相応しい。
「きれいです。私の故郷に似ています」
 ひかりの目が柔らかく、そして遠い。こういうときのひかりは侵しがたい高
潔さを身にまとう。もしかすると、ひかりはほんとうに天使なのかもしれない。
そうであって欲しいと思う。
「故郷、きれいなところなんだな」
 ひかりのいたという異国の地に思いを馳せる。
「はい。とてもきれいなところなんです。私の、大好きな場所です」
 ……やっぱり、夢見がちな子供、というところか。
「よくお越しくださいました。こちらへ」
 俺たち以外に誰もいない空間に整然と並んだ椅子と机。詳しくは知らないが
修道服と思われる女性が引いてくれた椅子に腰掛ける。
「本日はお越しくださり、ありがとうございます。どうぞ」
 その言葉と共に差し出される紅茶。香り高いとでも言えばいいのだろうか、
浦上のもってくるお茶の香りによく似ている。ステンドグラスを通した光が淡
い輝きを添える空間で、この世とは隔絶されたような静謐な空気を
 ……
「ひかり。言いたいことが二つある」
「はい、なんでしょう」
 ……
「一つ目だが、浦上に貸してもらった制服。あれ大きいだろ」
 そう、たった今も着ている浦上の制服だ。
「はい、浦上さんの身体つきでは、私には少し」
 主に胸あたりがな、とは言わないでおく。その方がお互いのためだ。
「というわけで浦上が少しサイズを詰めてくれるらしい」
「そうなんですか、それはありがとうございます。ですが」
 そう、その間の着る服のことだ。
「明日百貨店でひかりの服を見繕ってやろうと思っているんだ。心配するな。
資金の半分は浦上が出すし、浦上が選んでくれる。あいつは無駄に金持ちだ」
 浦上が選び、浦上が支払うのであれば俺の意味はどこにあるのだろう。世の
中の男が荷物持ちに徹する理由がほんの少し分かったような気がする。
「いろいろとありがとうございます。私も何かできればいいのですが、家事は
できませんし、浦上さんがやってくれますし」
「気にするな。俺も全部浦上任せだ。だけど浦上に感謝する気が起きないんだ
よな」
「なぜです?」
 そうか。わからんか。
「その理由について語ってやろう。議題は今から二つ目に入る」
「はい」
 ため息一つ。
「なぜ、ここに」
「はい」
「浦上がここにいるんだ」
「いますね」
「しかも隣に、だ。もっと言えば店員として、だ。怪しい修道服みたいなもの
を着て、だ」
 浦上は俺に言った。エルベがお薦め、と。
「お薦めのお店、なんですよね」
「さて、浦上。全部説明しろ」
 さっきからこちらを見て微妙な笑顔を向ける浦上をつっつく。
「気にしなくていいよ宮沢くん。私はただのご奉仕だから、ここには空気しか
ないと思って会話を続けて。うん、明日の話の続きとか気になるな」
 えらく自己主張の激しい空気だ。
「あ、浦上さん。制服のこと、ありがとうございます」
 ひかりが笑顔で挨拶。
「こらひかり、空気と会話すんな。空気がうつる」
「宮沢さん、そんなことを言うと失礼です」
「空気に失礼か」
「やっぱり失礼ですっ」
 ひかりが俺を失礼と言える立場か。
「ほら浦上、紅茶が冷めた。もう一回淹れて来い」
「はい、ただいま淹れなおします。ひかりちゃんは何か召し上がる?あ、私は
プリンにするね」
「では私もプリンで」
「なら俺はコーヒー」
「今日のプリンは私が作ったんだ。おいしいよ」
「コーヒーだ」
「プリン、だよね?」
「コーヒープリンで」
「普通のプリンしかないよ?」
「ならプリンコーヒー」
「うん、プリン三つ持ってくるね」
 是が非でもプリンを食べさせたいらしい。なら最初からオーダーを聞こうと
するな。
「浦上さんと宮沢さんってもしかして」
 ひかりが紅茶を口に運びながらこちらを向く。
「どうした」
「もしかすると、お二人の関係は恋人ではなくてお姉さんと弟の関係ですか」
「絶対ない」
「ん、何がないの?」
 浦上がプリンをお盆に乗るだけ乗せて帰ってきた。浦上の頭の中では一つ、
二つ、たくさんなのだろう。
「ひかりの胸がないという話をしていたんだ」
「大ありですっ! 仮に、万が一、寸分の狂いもなく、紛うことなく胸がなかっ
たとしてもです。別にそのことが私の価値を決めることではありません。経済
学の分野にはニッチという言葉があるそうです。供給の狭間にできた需要のこ
とです。私はそのニッチに入り込むことを目指しているんです」
 いろいろと日本語の使い方を誤っている気がするがもはや突っ込まない。
「ね、明日は十分に時間を取ろうね。似合うものを着ればずっときれいになる
よ」
「ほんとうですか。楽しみです」
 二人が俺抜きで笑いあい、時間を過ごす。
 少し離れた場所から見る幸せの景色が一番の幸せだ。
 今日一日を十分に楽しんだ、そう思う。
「すまん、二人とも。俺今から少し用事があってさ」
「そういえば、そう言っていましたね。すいません。長引かせてしまいました」
「どこかに行くの?」
「バイトの親戚みたいなもんだ」
 適当にはぐらかす。
「ひかりちゃんはどうするの?」
「今から下宿までは送る。晩御飯までには帰るし。じゃ浦上、会計を頼む」
「う、うん。会計はするけど……もしよかったら夕方くらいまでひかりちゃん
と一緒にいたいな。送っていくから」
あまり他人と関わろうとしない浦上だが、ひかりのことは気に入ったのか。
「ひかりは浦上と一緒でも構わないか?」
「あ、は、はい。願ってもない幸せです」
「じゃ、浦上、よろしく頼む」
「うん……あ、それからありがとうね。今日は来てくれて。教会に」
 ほんの少し、心が痛んだ。
 浦上が俺を休日に誘ったときのことが甦る。
 一緒に教会に行こ。
 ここのことだったんだ。
 その遅すぎる理解を全部振り切って、一瞬感じた胸の痛みをぐっと封印して、
笑い返した。
 プリンの味は最高だった。



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