ひかりの差す部屋

ひかりの差す街角 第七話

 俺が医学生であるのにはあまり理由がない。
 大事な人を病気で奪われた、とかそういう設定もない。
 ほんの少しだけ自分の生い立ちを自分で説明してみよう、と思う。浦上にも
言ったことのない俺の生い立ちだ。
 初めて「それ」を知ったのは三歳か、それくらいの頃だった。
 俺は両親にとって不必要であったらしい。
 そのことに気づくまで三年、確信するまで更に三年、受け入れるのに三年か
かった。
 俺に両親を恨むなと、正論を突きつけるのだけは勘弁して欲しい。両親は尊
敬すべきもので、感謝すべきものだということは十分にわかっている。それで
も、俺にはそれを実行することはできない。結局のところは俺が弱いだけなの
だが、俺は両親のことが大嫌いだ。そして両親を嫌うことは人間関係を閉ざす
ことに等しい。浦上に出会うまで、人間関係に恵まれたことは一度もない。
 人間関係を求める代わりに勉強した。数学の得意でなかった俺は文系のクラ
スに入り、誰にも文句のつけようのない大学に行ってやろうと、そう決めてい
た。最初から理系の大学になんて行くつもりはなかった。
 事故は俺が高校三年生の夏に起こった。
 あれほど争い続けてきた両親が突如和解し、向かった先の実家から家に戻る
途中、事故死した。その瞬間、俺が見返してやる人間も、恨みをぶつける相手
もいなくなった。あのとき、俺の生きる意味も理由も消え去ったのかもしれな
い。残ったのは積み上げてきた学力だけ。
 もって行き場のない力をぶつけるための最適な、そして絶対に失敗するだろ
う受験先。それが医学部だった、それだけのことだ。
 これが、俺を除いて一人しか知っている人のいない俺の生い立ちだ。

 約束していた土曜日の午前九時。日がな一日家の中でゴロゴロしている居候、
働いたら負けと思っているに違いない自称天使、ひかりを連れ出すことにする。
せいぜい街の案内程度に留まるだろうが、二人で出かけていろいろと話し合お
うという魂胆だ。できれば心を開かせて早く親の元に返してやればいいのだろ
うが、もう少しのんびりやっていくことを許して欲しい。今すぐ危険があるの
なら別だが、そうでないのなら今しばらくこの時間を楽しみたい。
 いまだ寝ぼけた顔をしてコタツに足を突っ込むひかりの前に立つ。さっき朝
食を口に運んでいたひかりはコタツに顔以外を突っ込んで仰向けにひっくり返っ
ている。寝顔がかわいいのでだらけていても許そうとは思う、が。
 これが天使なら天使という名称はニートの新しい呼称にすべきだ。
「ひかり、そろそろ起きろ」
 布団をめくりあげる。
「……朝、ですか」
 目をこすりながら大あくび。
「さっき朝ごはんを食べていただろ」
「そうでしたっけ?」
 そう言いながらめくりあげた布団を自分に掛けなおす。
「顔を洗って来い。というか制服でだらけるな。今日は一日外だ」
「あ、一日外ですか。それは大変です。ではいってらっしゃいませ」
 再びまぶたを閉じようとするひかり。
「約束を忘れたのか。俺はひかりと出かけるんだ」
 襟首を掴み、引きずり出す。へそが見えているのは指摘しまい。
「わっ。やめてください。寒いじゃないですか」
「黙れ引きこもり」
「天使に対する差別ですっ」
 差別されて当然だ。
「お前さ、実は天使じゃなくて貧乏神じゃないのか」
「違います。幸福を呼ぶ天使です。ですからいつでも願いを叶えると」
「俺の願いは構わない。代わりに少しは他の仕事なり自己研鑽なりに励め」
「それは管轄外ですっ」
「お役所かお前はっ!」
「できないものはできないんです。私はこたつでじっとしているのが仕事なん
です」
「世迷言は寝て言え」
「じゃあ寝ます」
 何かが切れた音を聞いた。
「いいから起きろ」
 力の限りで外に引っ張り出した。
「なぜにですー」
 ひかりの声が外にこだまする。

 というわけで引きこもり続けようとするひかりをひっぺがえし、外に出た。
今は浦上に借りた学生セット一式に身を包み、普段の身体の二倍くらいに膨れ
上がったひかりが隣を歩いている。そのはず、なのだが。
「さっきから何をしたいんだお前は」
「だって、こうすると温かいです」
 俺の左腕を引っ張って抱きかかえているのだ。ひかりは特に何も考えていな
いのだろうが、それなりに成長したひかりの身体に腕のひっつく感覚はいろい
ろとアレな感じでいっぱいいっぱいだ。
 ひかりは俺との間隔が極端に狭い。家の中だったらつい顔を綻ばせるのだが、
外だと危ない趣味の人みたいだ。
「あのな、ひかり」
「はい、なんでしょうか」
 そう尋ねてくるひかりの声はどこまでもまっすぐで、清らかだ。無知とは違
う清らかさというものに触れてしまうと、諭そうとする俺のほうが悪い気がす
る。
 無条件な許容に溢れ、侵しがたいものに包まれ、それでいて無防備。どんな
暴力も無力になる場所。絶対的な信頼を寄せる視線が俺には痛い。
「私、どうかしましたか」
 その自分も、他人すらも疑わない瞳は無知ではなく、無垢であることの証な
のだろう。
「なんでもない」
 ずっとこのままであって欲しい。そう願うのは俺の利己的ないやらしさなの
だろう。
「ところで宮沢さん、こちらはどこでしょうか」
 袖を引っ張る遠慮のない力。俺の指を動かすことすら叶わぬその力に全身の
動きを止めて、指差した先を見る。
「神社だ。そんなものも知らないのか」
「はい、私のいた場所にはありませんでした」
 海外にでも住んでいたのだろうか。
「神社ってのはこの国に昔からいる神様の住んでいるところだ」
 正確には「住んでいる場所」ではないが、簡単に言っておく。
「なるほど。この国の神様はこのようなところにお住まいなのですか」
「ああ、神様はいろんなところに宿っているんだ」
 岩とか、大樹とか、川とか、山とか、そして行為にまで神は宿っている。
「それでいわしの煮付けにも神が宿っているんですね」
「それを言うなら『いわしの頭も信心から』だろ」
 ま、実際のところ米粒一つに神様が宿るらしいからサバの煮付けにも宿って
いるかもしれない。
「あ、ものすごいものを見つけました。あの人は神に見放されています!」
 ひかりが指差す。
 向かった先にはきれいなスキンヘッドにサングラス。
「ひかり。そういうネタは人目のないところで言ってくれ。でないと俺が仏に
なる」
 確かに髪に見放されたのだろうが、大発見みたいな顔で自慢するとこではあ
るまい。天真爛漫も度を越えると言葉の暴力だ。
「宮沢さん、あちらはどんなことをするのでしょう」
 ひかりが相変わらず手を引っ張る。その視線の先を辿る。
「ああ、神社のご奉仕に来ている巫女だろ。神社のいろんなお手伝いをしてい
るんだ」
 緋袴を目で追うひかりに小さく会釈をする巫女。
「……宮沢さん、あれはなんと書いているのですか」
 さっきから質問攻めだ。ここまで神社に興味を示すとは思わなかった。何度
目になるかわからないが、光の指差す方向を見る。
 御神籤。
「おみくじ、と書いているんだ。占いみたいなもんだな」
「あのですね」
 その段階で続きが読めたので言っておく。
「やってみたいんだろう。ほら、やってこい」
 百円を握らせて肩を押す。
「え、あ、はい」
「ようお参りです」
 巫女が笑いかける。
「あ、頭を下げてくれました。やっぱりお客様は神様ですね」
「オーケー。頭の回転が速いのは分かったから今は素直におみくじを引け、ひ
かり」
 自分の発見に意気揚々とするひかりを黙らせる。
「申し訳ないな。うちの……」
 うちの、なんだろう?
 居候か、天使か、家出少女か。
「妹が意味不明なことを言って」
 二秒で考えた結論を口に出す。
「いえいえ。お客様は神様です。ようお参りでした。おみくじでしたらこちら
からどうぞ」
 心の広い人で助かる。周囲から見ればアホな妹を連れた苦労性の兄に見える
だろう。
「宮沢さん。これ、ですか」
「はい、持ちあげて振ってください」
 ひかりが不器用な感じで大きな箱を振り、
 ことん。
「……三ですね」
「はい、三番ですね。どうぞ」
 長方形の紙を手渡されたひかりが駆け寄る。
「宮沢さん、なんかもらいました」
 俺に渡す。読め、ということか。
「末吉か。これから良くなるってことだな……ってこれ、恋愛運かよ。ん、今
は耐えるとき、耐えて忍べば思いが通じるらしいぞ、ひかり。まだまだ道は険
しいな」
 ひかりの恋愛運がそれほど高くないことに安堵してしまった。なぜだ。
「あのですね、宮沢さん」
「どうした。もう一回引くか?」
「いえ。それよりもこれ。宮沢さんに進呈します」
「よりによって末吉を、か」
 ま、事実現状は大吉ではないし、凶でもない。
「きっと宮沢さんも今は耐えて忍べばいい芽が出ます。道は険しいと思います
が」
 言葉をそのまま返される。
 ため息。手渡されたおみくじをポケットにしまいこむ。
 くくりつけるのはやめておいた。
 ひかりに手渡されたものは、ずっと手元に置いておきたい。


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