ひかりの差す部屋

ひかりの差す玄関 第四話

 トラブルが好きな人はいるだろうか。
 聞くまでもなかろう、いるはずがない。
 例えば三角関係とかドロドロの展開とか辞表をつけつけるとか不正を暴くな
んてものはテレビドラマやノベルゲームだからこそ見ていられるわけで、突然
のノコギリエンドを迎えるのは勘弁して欲しい。男はヒーローに憧れるものだ
が、正義の味方というものは最低一度、カタルシスを味わなければならない。
アンパンマンは必ず一度顔を取り替え、ゴレンジャーはブルーが敵に寝返り、
幼馴染は転校生と恋のバトルを繰り広げ、魔法少女は友人に秘密を知られてし
まう。最後二つは女性が主人公か、まあいい。
 ところが、だ。この世の男というものは自ら進んでトラブルに巻き込まれた
がる。それは男というものがどこまでも夢に生きるもので、やっぱりヒーロー
とか正義の味方になってみたいから、だろう。馬鹿だからという議論は俺が悲
しいのでやめておく。
 が。
 所詮器の小さい男にそれほど大それたものになれるはずもなく、せいぜい守
るべき存在として(思い込んで)彼女とか妻とか娘なんかを設定してしまう。そ
の辺りがそもそもの間違いであるのかもしれないが、今の俺もまさに同じだ。
ひかりを引き取ってしまったのは別に話の流れではない。「こいつは守らねば」
なんて余計なおせっかい心を出してしまったせいだ。世の男がそうするように、
俺は現在後悔している。多分何度選んでも同じ後悔を選ぶだろう、それが男だ。
 と。
「あ、菜穂子。また宮沢くんと一緒なんだ」
 突然耳元で声が響く。少しまどろんでいた俺は目を閉じたまま、机に突っ伏
した姿勢を崩さない。
 場所は学食。時間は昼休み。目の前には浦上が座り、多分俺の寝顔なんぞを
見ながらノートを整理しているはずだ。
「あ、渡部さん、こんにちは」
 渡部。俺の記憶には存在しない名前だ。おそらく浦上の「知人」というやつ
だろう。浦上はきっと上機嫌な顔を浮かべているに違いない。声だけで想像で
きる。浦上は深く付き合う友人を持たないくせに愛想だけは人一倍いい。
「また一緒に食事してたんだ。ほんとに仲いいよね。いつも二人でいるところ
しか見ないけど」
「うん。昨日の夜からずっと一緒だよ……別に仲はよくないけどね」
「……へぇ、そなんだ」
 ずっと一緒だけど仲がいいわけではない。浦上の言葉はどこまでも事実だ。
「昨日から一緒に食事しててね、朝になって宮沢くんに電話で呼び出されの。
それで行ったら、家に中学生くらいの女の子が」
「……は?」
 待て。人生を崩壊させそうなデマを流すな。いや、デマではないのだが誤解
を招く発言はやめろ。
「それでね渡部さん。二人はめでたく同棲することになりました」
 肝心の部分を省略して一気に結論。まさに俺が危ない奴みたいだ。
「……もしかして宮沢くんってロリコンだったの?」
 なぜ一分前に声を知った奴に、まだ一言も言葉を交わしていない奴に「ロリ
コン」などといわれなければならない。と思うが、今ここで起き上がって反論
すればドツボにはまりそうだから我慢する。ま、同棲はともかく、大学四年生
と高校生くらいなら付き合っていても構わない、と思うのだが。
「ちがうよ。宮沢くんはちょっと優しいだけだよ」
「それは知ってるけど」
「……小さい女の子にはね。私には冷淡なんだ。やっぱ小さい子が好きなのか
な」
 もう、好きにしてくれ。
「あ、はは。どうだろうね。そうだ、私、待ち合わせあったんだ。それじゃ邪
魔するのも悪いし、じゃあね」
「うん、じゃあね」
 浦上の声が消え、手を振る空気の振動を耳たぶに感じる。
「……もう起きていいよ、宮沢くん」
 浦上の手が俺の頬を触れる。完全に起きていたが、もう少しそうして欲しかっ
たからわざと顔を引っ込める。へそ曲がりはこういうときの男の特権だ。
「……もう、寝たふりして」
 浦上菜穂子。最初の会話は今でも覚えている。初めての授業の後だった。
『私のこと、覚えていますか?』
 覚えているも何も、俺には初対面だ。そっぽを向いた。
『……宮沢、くん。受験番号はXW0327番』
 そしてそいつは続けた。
『隣に座っていたんだけど、受験のとき』
 最初の会話だった。
 あれから四年が過ぎた。浦上には数多くの「知人」ができて、俺には浦上と
いう「知人」ができた。普通の学生ならもう卒業するのだろうが、医学生の俺
たちにはまだまだ長い学生生活が控えている。これまでの四年間がそうであっ
たように、これからの時間も続いていくのだろう。
 知人、として。
「ねえ、起きてよ宮沢くん。それともほんとうに」
「……とっくに起きてる」
 肩に力を込めてそれ以上入らないはずの顔を更に縮める。
「うん、知ってる。おはよ」
「……そうか」
 意地でもまぶたを開けたくなかったけれど、浦上が顔を寄せてくるのが気配
で分かったので起き上がる。
「あのね、とてもかわいらしかった」
 浦上がさっきまでの知人に向けていたのとは少し違うであろう笑顔を俺に向
ける。この笑顔だけは俺のものだと密かに自慢。
「かわいらしい、ってひかりのことか」
「え、うん、そう……だよ。ひかりちゃんのこと」
 その言葉を少し言いにくそうに告げ、頬杖をつく浦上。
「自称『天使』か」
 いくら家出というのが格好悪かろうとも、もう少しマシな言い方があっても
いいだろうと思う。俺でなければ相手にすらしていないところだ。
「ねえ、宮沢くん。もしかしてああいう妹が欲しかった?」
「わからん。一人っ子だからな、俺。妹はともかく、娘を持つならもう少し可
愛げがほしいところだ」
 そう、家族が一人増えている情況なんて俺には想像もできない。それに比べ
れば浦上こそ、妹が欲しかったのではないかと思う。
「浦上はどうなんだ」
「え?」
「妹だよ。ひかりと話しているとき、結構楽しそうだった。妹、欲しかったん
じゃないのか」
「……そう、かな?」
「違ったか。あんな姉ちゃんが近くにいたら絶対初恋の対象だぜ」
 ここで気づく。
 俺は浦上が「一人っ子」かどうかという質問をしたことが一度もない。もし
かすると。
「あ、そ、そうかな。うん、妹も」
 これ以上を聞いてはいけない。
「すまん、変なこと言ったな。忘れてくれ」
 それは俺にとって反射神経のようなもの。浦上の「どこか」に踏み込んだと
感じた瞬間、意味もなく謝る。この四年間俺が繰り返してきたように、この四
年間浦上が俺に意味もなく「ごめんなさい」を連発してきたように。
「別にいいよ」
 このままでは――ダメだ。それは分かっている。それでも俺は無言を貫く。
俺たちは知人から友人にすらなれない。
「ごめんね。ほんとは、私にはほんとうは妹がいるの。でも都合で会えないっ
ていうか、そのことを思い出して。ちょっと言葉に詰まって、それで」
「そうか」
 それ以上を言わないでいいように切った。もはや重ねて問うこともなければ
掘り下げることもない。そう、会話をしていればたまに間違いだってある。誰
が悪いわけでもない、ほんの小さな失敗。
「そうか」
 いろんな思いをこめて、もう一度告げた。
「話が逸れたけど、ひかりちゃんのことよね」
 さっきまでの顔は消え、少し真剣な眼差しを俺に向ける。俺もスイッチを切
り替える。
 そう、話題はひかりのこと。目下の緊急案件だ。
 俺がしばらく預かることになったのはいいが、あくまでも緊急措置だ。自称
天使の電波少女をいつまでもその辺に放置するわけにもいかず、否応なしに引
き取ったわけだ。子供というものは親元で育つのが一番であるし、誰が保証し
ようとも俺にはひかりを育てられるだけの甲斐性も責任もない。こればかりは
その場の勢いでは絶対に続かない話だ。なら、ひかりをどうするか。
「それを朝から考えているわけだが」
 しかるべき場所に預ける、というのは今更だし却下。
「うん、だよね。ひかりちゃんを裏切るみたいだし。でもさ、ひかりちゃんは
『絶対に帰らない』とは言わないんだよね」
「俺の願いを叶えるまで居場所がないから、だよな」
「そ。困ったね」
 困ったもんである。なら俺が心底願うことでもあれば帰るのか、俺の願いを
なんでも叶えるのか。考えていくと思いつきで「天使」だなんて自己紹介した
わけでなさそうなほどきっちりした設定だ。
「天使、の線はないだろうな」
「……うん、私の知っている姿をした天使ではないよ」
 まあ、これ以上天使かどうかを論じるのは時間の無駄遣いだ。
「浦上、非常にバカなことを言うようで悪いが」
「どうしたの?」
「俺たちはひかりのことを知らない」
「そうだね。何も知らない」
 俺と浦上の関係のように。
「だから、しっかりと話し合おうと思う」
 そう、俺が浦上にしないような話し合いをしよう。
「でも、どうやってひかりちゃんと話し合っていくの?」
 浦上に出来ていないことをひかりにできるのか。
「浦上に任せるわけにはいかない、よな」
「うん、そうだね。食事とか、女の子らしい生活についてはいくらでも手伝う
よ。でもひかりちゃんは宮沢くんと話をしないと意味がないと思うし、それに
私は人と話し合うのには向いていないから」
 だろうな。俺がひかりの身元を引き受けた以上、ひかりが俺のために来たと
言っている以上、俺が責任を果たすべきだ。
 それに、浦上は誰かと友人になることなんてない。
「なら、俺が頑張らないといけないな」
 方向性は全然見えてこないが、時間はまだある。
「なら私は警察とかを当たるよ」
「浦上、もしかして」
「違うよ。今回は信じるのが宮沢くんの役目で、疑うのは私の役目。それだけ」
 普通そういうのは男が言う台詞なのかもしれない。が、浦上の満点の笑顔を
見ていると道でも良くなってくる。
「あ、もちろん相談くらいは乗るよ。宮沢くん一人じゃやっぱり心配だし」
 そう、だな。
「どこかいいところ、知らないか」
「……デート?」
「ちげえよ!」
 なぜ俺がひかりとデートせにゃならん。
「いいの? 多分ひかりちゃんの初デートだよ。ついていこうか」
 もはやデートで決定らしい。
「ついてこなくていい」
「えっとね。下調べしてたんだけど、聖天神社から海に下って途中の異人館を
通るのが王道みたいだよ。それからプラージェ羽山で食事して、地下の月下堂
のアイスクリームなんか食べながら海の方向に歩いて、それで国道越えた先の
エルベで一休み。あそこはプリンがお薦め。最後にポートエリアの羽山タワー
に上れば好感度がアップ」
 それはどこかの恋愛シミュレーションか。最後には伝説の樹でも出てくるの
か。というかなぜ「下調べ」をするのだ。まさか浦上に気になる誰かがいる、
のか?
「ま、将来の下見くらいのつもりで参考にさせてもらおう」
「うん、頑張って!」
 浦上が空すら晴れそうな笑顔をこちらに向ける。時間は一時十分前。
「……そろそろ授業だな、浦上。行くか」
「うん、午後は病理学だよね。実験棟も遠いし、行こっか」
 二人分のお盆を返し、浦上の隣に並んで歩く。当たり前のように繰り返して
きた毎日の動作。その一コマ。


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