「まあまあ宮沢くん。人生は諦めたところから、躓いたところから芽が出るん だって、教会で聞いたよ」 「そうです。私も習いました。そのような思考は健全な男性では極めて普通と のことです。それは宮沢さんの健全さを表明するものではないでしょうか」 ありがとよ二人とも。だが、フォローされるより無視されたほうがマシだ。 「あ、そうだ。宮沢くん、悪いけどちょっと席外してくれるかな。ひかりちゃ んを着替えさせてあげたいんだけど」 浦上の声で思い出す。時計を見た。 九時三十分。そろそろ急がないと授業に間に合わない。 「わかった。俺は向こうで片付けと学校の用意をする」 ふすま一枚で仕切ることの出来る台所にでも避難した。というかなぜ住人で ある俺が避難しなければならないのだ。 …… 食器を洗い、そのまま洗面に入る。洗面所には二本の歯ブラシと二組のシャ ンプーが用意されている。 俺と浦上のものだ。 知らぬ人が見れば間違いなく誤解するだろうが、別に同棲しているわけでは ない。浦上と共用の櫛を使って髪を整える。 『……ええっ。そんな、それはほんとうでしょうか』 と。壁の向こうからひときわ大きな声が聞こえてきた。ひかりの声だ。耳を そばだてる。盗み聞きみたいで悪いがここは俺の家だ。 『そうよ、すごいんだから。頭なんて真っ白。もう宮沢くんは……じゃ、脱い だ服はこっちね』 ん、俺関連の話なのか。 『そんなことが……私、そんなこと、あっ、まだ用意できてないのにっ!』 エロいぞ浦上。 『……でも侮れないわよ。宮沢くん、結構大胆でね、この前なんか……』 『ええっ!? そうなんですか……それはさすがにショックです』 待て。俺が何をした。非常に不埒な行為を働いたように聞こえるのは気のせ いか。というか重要な部分だけ聞こえないのはなぜだ。壁を作った職人ちょっ と来い。 『それだけじゃないの。実はね、宮沢くん……だから、そんなこともあるかも しれない……でも、許してあげて』 『……恥ずかしいです。でも、それが望みなら私は叶えないといけません。あ あっ、どうしたら』 『あ、ひかりちゃん。随分と胸小さいんだ。もしかして成長遅い? あ、そう だ。ちょっとあっちのほうも拝見』 浦上、拝観料は払うから俺にも拝見させてくれ。 『あっ、ダメです。そこは、そんなぁ……あの、せめて自分で脱ぎます。だか ら手を突っ込むのはぁ、ひゃん、ん、だめです。そんな奥まれえ』 待て浦上。女を襲うな。ここは俺の家だ。隣の人が「小さい女の子の喘ぎ声 が聞こえます」なんて通報すれば一躍ニュースだぞ。 ドンッ! 壁が震えた。 「宮沢くん。今変な妄想したでしょ」 「しましたよ警部さんっ! 俺が犯人ですっ」 『え、変な妄想って、どんなことを想像されたのでしょうか……』 頼む。頼むから浦上の言葉はスルーしろひかり。 『うん、そのことはまた今度ねひかりちゃん。宮沢くん、戻ってきて。着替え 終わったし』 願いが通じたか。洗面も中途半端だがとりあえず戻ることにしよう。ふすま に手をかけ、中を ……は? 「俺、夢でもみてんのか。いや、もう一回入りなおそう」 「どうしたの宮沢くん。もう入ってきてもいいんだよ」 とは言われても、だ。扉を開けた先の光景が。 「びっくりした? ごめんね。でもサイズが小さくて女の子らしい冬服ってこ れくらいしかなかったの」 浦上がほんの少し口を尖らす。確かにサイズが小さいといえば昔着ていたも のが出てくるのは当然で、女の子らしいといえばこの上なく女の子らしい服で、 冬らしい服といえば間違いなくこれだ。 だが。 「……あの、私」 ひかりは赤くなって顔を合わせようとすらしない。無理もないだろう。 「どう? 似合っているでしょ?」 浦上がいつもの声で言う。そう、問題は反則なまでに似合っていることでは なく、その着衣が羽山女子学園の制服であることだ。 ああ、羽山女子は近くの伝統校だから見慣れている。主に高嶺の花だが、ブ レザーに赤いネクタイ、チェックのスカートはおしゃれな感じで人気も高い。 ああ、俺だって一度や二度、その姿に見とれたことだってあるさ。でもな。 「なんで服を持ってこいと言って制服なんだ浦上! 昨日まで持っていた常識 をどこで捨ててきた」 「あ、あれ? もしかして体操服か水着の方が好きだった?」 「ああ、どちらかというと水着が好きだが……って問題が違う」 今は嗜好の話をしているのではなく、だ。 「浦上さん、水着も貸してください」 「うん、ついでに体操服も貸してあげる」 待て、いらんことを言った俺が悪かった。 「お前ら、この家を勝手に危ない店に改造するな。ここはコスプレ会場ではな い。だいたいどうやって制服なんか手に入れたんだ浦上。あんなお嬢様学校み たいなところのやつを趣味で持っていいはずがない」 「だって私、出身校が羽山女子だし」 ……ほう、そうなのか。浦上の家が金持ちだとは知っていたが、羽山女子の 出身だとは初聞だ。想像だけで浦上に制服を着せてみると確かに似合う。 ま、代案もなければ脱げというわけにもいかん。 「あのね。ちょっと話し合ったんだけど、ひかりちゃんはかわいいし、いい子 だよ。行くところもないみたいだし置いてあげよ?」 「あの、ほんとうに申し訳ないのですが、申し訳ございません」 二人揃って頭を下げる。なんとなく予想していた展開だ。さて、どうするべ きか。ここで力量のある奴なら一発頷いて終了なのだろうが、俺は所詮器の小 さい人間なのでワンテンポ置く。 事実、問題は結構大きい。人を一人引き取るのは猫を飼うのは訳が違う。 ひかりを見る。羽山女子の制服に身を包んで顔を赤くする姿。胸の周りの生 地が余っているのはご愛嬌だ。単なる家出娘をしばらく保護していたというい い訳が通るのなら、別にそれでいい。実際のところそういう方面の申し開きは いくらでもしてやろう。だが、それでも 「やっぱ未成年の女をここに住まわせるのは何かと問題がある」 俺が許しても社会が許さなければ、それはひかりにとってもいい道ではない。 俺はひかりを傷つける結末を望まない。 「それは……そうかもしれませんが」 「心配しないで。女の子ってとこは大丈夫。私もひかりちゃんも宮沢くんを信 じている。宮沢くんなら安心して任せられるよ」 浦上が割って入る。その安心は感謝すべきだろうが 「でも未成年だろ。俺はそこまで責任を取れるほど大人でもない」 俺は自分の責任くらい果たしてやる。だがひかりに自己責任を求めるのは残 酷だ。自己責任を迫るにはひかりが若すぎる。となると、やはり俺が二人分の 責任を負わなければならない。ただの学生の俺が二人分の責任を背負えるのか。 この先何があってもひかりを守ることができるのか。 「でもさ、ひかりちゃんは帰るところがないの。ここで放り出すのは、やっぱ り責任放棄だと思う」 それもわかっている。だからこそ、俺は迷っている。 「私だけじゃダメならさ、私の今の両親にも誓うよ。うん、宮沢くんなら、大 丈夫」 浦上が続ける。そこまで太鼓判を押されて、引くほど空気の読めない人間で はないつもりだ。確かに浦上の母親に誓われてしまうと、安心できる。もしか すると裁判所よりも説得力があるかもしれない。 「ひかり、ほんとうにここに住む、で構わないのか?」 「あ、はい。宮沢さんのお部屋、居心地がいいです」 まあ、素直に褒め言葉と受け取っておくか。俺の沈黙をどう受け取ったのか 「宮沢さん。ここに住まわせてください。ご迷惑をおかけしますが、生活費も 入れます。掃除も食事の用意もします。だから」 ひかりが頭まで下げた。 「宮沢くん、私からもお願いするよ」 そして浦上も頭を下げる。正直、やめて欲しい。 「いいから頭を上げてくれ。俺は人に頭を下げられるほどできた人間じゃない」 「ですが」 ひかりを遮った。 「条件は一つ。どんな額でもいいから生活費を入れろ。それが家を飛び出して きただけの誠意だ。いわゆる自己責任の値段だな」 きついだろうが言っておく。 「宮沢くん、それは」 浦上を遮る。 「食事は俺か、大半は浦上が作るだろう。洗濯は各自……あとは、そうだな。 好きなときに出て行っていいし、好きなだけいていい。ま、なるべく早めに親 元に帰れ。それが多分、一番の幸せだ」 これくらいだろうか。 「宮沢くん、お小遣いは?」 …… 「任せろ。完璧に考えているぞ。他に質問は」 ま、ひかりが入れるだろう生活費くらいはバックしてやるか。 「私は特にありません」 「うん、私も」 よし、ならば後は儀式みたいなもんだ。 「じゃ、よろしくな」 「はい、おねがいします」 みんなで礼。 こうしてめでたく。いや、めでたくなんてないが、俺とひかりの生活が始まっ た。 そろそろ解説が必要だろうからやっておく。浦上について、だ。 浦上はときどき奇妙な言い回しをする。例えば自己紹介。必ず「今の名前は 」と断りを入れてから浦上菜穂子、と続ける。同じように「今の」と断りを入 れてから両親と続ける。それはおそらく、浦上がかつて別の家にいて、今の両 親が養父母であることを示しているのだろう。今の浦上は大きな家に住み、包 容力の豊かそうな母と父に囲まれた何の不自由もない生活をしているが、その 幸せにたどり着いた道は決して簡単なものではなかったのだろう。 だから俺はそれ以上浦上の過去に踏み込まない。浦上もそれを望んでいない。 俺が浦上に干渉しないからこそ今の関係が続いている。 俺と浦上の間は冷え切っている。 浦上は俺に必要以上につきまとう。よりによってクラスでも目立たない俺を 意図的に選んだ。その理由は非常の狡猾なものだろうと思う。俺と一緒にいる ことにすれば他の奴から話しかけられることも少なくなるし、俺を理由に誘い を断ることができる。そう、浦上は無駄に正直な奴だから。一方、俺は浦上に 干渉しない。他人からの隠れ蓑としての俺。だから、俺は浦上のことを何も知 らない。 大きな家に住む、温かな両親に囲まれた気立ての良い明るい同級生。誰もが うらやむ容姿と頭脳を持ち、あたりさわりのない笑顔を振りまく女性。現役で 大学入試に入ったくせに二歳年上だということは多分俺しか知らない。それで も、浦上は決して俺の「友人」ですらない。授業中も、昼休みも、学校の行き 帰りも、夕食まで一緒に食べても、お互いの家を行ったり来たりしても、俺た ちはそこいらの友人よりも知っていることが少ない。浦上のほんとうの名前も、 誕生日も、浦上の好きなものも嫌いなものも、何も知らない。俺と浦上を結び 付けているものは携帯電話の十一桁の番号とメールアドレスだけ。 それが俺と浦上の関係だ。 浦上を好きだと思う。これは「多分」だ。 浦上のことを知りたいとは思わない。これも「多分」だ。 浦上は俺のことを必要としている。やっぱり「多分」だ。 俺たちはこの奇妙な関係を続けていく。結局「多分」だけど。 |
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