ひかりの差す部屋

ひかりの差す玄関 第三話

「おはうよう、宮沢くん」
「帰れ」
「え、帰るの? 呼ばれたから来たのに」
 おどおど。そんな擬音語の似合う笑い顔をこちらに向ける。
 苗字を浦上、名前を菜穂子。性別は言うまでもなく女。昨日飲んでいた相手
であり、さっきまで電話をしていた相手である。電話では強気だが、面と向か
うと弱気だ。
「いや、浦上。そんなに悲しそうな顔で帰ろうとするな。帰らなくていい」
「あ、よかったぁ」
「どうやってここに入ってきたんだ? 壁でもぶち抜いたか」
 大学に入って四年目、浦上とは長い時間を一緒に過ごした。その大半が浦上
による一方的なものだ。こうやって俺の方から浦上を呼ぶなんて多分、初めて
だと思う。
「うん、普通に入ってきたよ」
「普通に扉を蹴破ったのか」
「しないよそんなこと。宮沢くんじゃあるまいし」
「俺もやらねえよ」
 浦上はその上品さとは裏腹に、たまに力技に訴える。
「先週ゴミ箱を蹴飛ばして壊したのは宮沢くんだよ」
 あれは躓いただけだ。勝手にゴミ箱を掃除して置き場所を変えた浦上も半分
悪い。
「ちなみに浦上が壊したものはドアノブにバイクのシートにタッパー三つに目
覚まし時計四個だ」
 浦上はレアスキルを持つ。「触ったら壊れた」という魔法だ。
「今日、学校終わったらホームセンターに行こ」
「そうだな。そろそろ行くか」
 ホームセンターならバイクに浦上を乗せて行かなければなるまい。というこ
とはその前にバイクのシートの修理を完了させねばならん。
「あ、そうだ。台所の鍋だけど湯だってたから火を弱くしておいたよ。朝ごは
ん、今から作るから」
「ああ、悪いな」
 物の扱いは壊滅的なまでにへたくそな浦上だが、料理は感動的なまでに上手
い。
「はい、これが服一式。サイズは小さめで、ついでに新品の下着類もいれとい
たよ。もしかして使い古したほうがよかった?」
「なんで!?」
「あ、うん、ごめん……なさい。早とちり、だったね」
 いや、その程度のボケでいちいち謝るのは鬱陶しい以外の何者でもない。
「まあお茶でも淹れてやる。黙って座っててくれ」
「いいよ、私が淹れるから宮沢くんこそ座っててちょうだい」
 背中を押され、コタツに戻される俺。ほんとうに、この家のことは全部浦上
任せだ。ちなみにこの家が片付いているのも浦上のおかげであり、財布の中身
に余裕があるのも浦上のおかげ……もしかして俺はヒモか。
「あ、そうそう。言い忘れてた」
 台所の浦上がこちらを振り返る。
「そこのキミも朝ごはんは食べるよね?」
 それがひかりに向かってかけた初めての言葉だった。

「ふーん。なるほど」
 どこから調達したのかわからないが朝の雑炊にはカニまで入っていた。最初
からこの展開を予想していたとしか思えない。
「はい、それはそれは深い事情なんです。天使も大変なんです」
 ちなみに説明したのは俺だが、なぜかひかりが大変そうな顔をしている。
「天使、かあ。お名前は?」
「ひかりだ。俺が名づけた」
 冬の朝の、強くもはかないひかりの色がきれいだったから名づけた名前。
「……え? 今、なんて?」
「ひかりだ。いい名前だろ」
「あ、そう……ひかりって名前なんだ。うん、いい名前だね」
 浦上が何かをいいたそうにした後、笑顔を作る。もしかして同じ名前の知り
合いでもいるのだろうか。
「ひかり、挨拶をしろ」
 浦上を目にして以来緊張しっぱなしのひかりを促す。背中に隠れる娘を押し
出した親の気分だ。
「はい、ひかりと申します。天使です。名前の由来ですが、実は朝、扉を開け
たときにまぶしかったからということで」
「ひかり、きれいだぞ」
 ひかりの右肩を掴む。こういうときは気合で黙らせるのが一番だ。家庭の内
情をしゃべる娘に無言の圧力。
「あ、あの、ありがとうございます」
 そのひかりの左肩を掴む浦上。大岡裁きの構図である。
「……ひかりちゃん、騙されたらダメだよ? こういうときの宮沢くんは心に
もないことを言っていることが多いから」
 ナイス逆フォロー浦上。なぜ女は性別という一点のみで団結できるのだろう。
「あの、えっと、お名前を伺ってよろしいですか」
「うん、今は浦上菜穂子って名前です。よろしくね、ひかりちゃん」
 浦上が恐ろしいほどのびやかな笑顔を向ける。俺も近所のガキンチョとして
浦上に出会っていれば絶対初恋の対象にしていただろう。
「あ、はい。よろしく……お願いします」
「ね、ひかりちゃん。天使だったら空とか飛べるの?」
 浦上が目を輝かす。
「空、ですか?」
「うん。私のよく見る絵画だったら天使って翼が生えていてね、神様の言葉を
お預かりして人間を導いてくれるんだ」
 そういえば浦上は熱心なクリスチャンだ。休日は教会に通っていて、俺も一
度誘われた。が、興味がないので教会には行ったことがない。
「そうですね。私はまだ飛べませんが、練習すれば飛べるようになります」
 嘘つけ。
「へえ、そうなんだ。どれくらい練習したら飛べるようになるの?」
 そしてそんな電波話に笑顔を返す浦上。
「生まれてずっと練習しているので今で十五年くらいです。あと八十年くらい
練習すれば翼も生えてくるので飛べるようになる、と聞いています」
 今ここに新事実が発覚した。物理法則をも否定する精神論である。
 人間が生身で空を飛ぶのが不可能である理由は練習不足だから。そして練習
すれば翼も生える。初めて空を飛んだ鳥もそれくらい練習したのだろう。その
理屈でいくと三百年練習すれば口から火炎が吹けてもおかしくない。
「ならさ、ひかりは今十五歳なのか」
 口から火はともかく、今の会話で使えそうなところはそこだろう。
「はい、生まれからは十五年が経過しました。ですが、私たちにはあまり年月
は関係ありませんし、年齢によって姿かたちが変わるわけではありません。そ
れに前の人からいろんな知識なんかも引き継いだりします。外見は偶然それく
らいに見えるだけです」
 なかなかに便利な設定だ。ならあと八十年して翼が生えても十五歳の格好の
ままか。
「ふーん。それで、どんな願いでも叶えてくれる……そうよね?」
 茶碗から顔をはなし、口元の米粒を舌で舐めとったひかりが無言で頷く。腹
をすかせた家出少女という趣だ。思わず笑顔を向けたくなる。
「はい、どんな願いでも叶えます。宮沢さんが心の底から願うようなことがあ
れば、私はそれを叶えます。それが私の仕事です。でも、宮沢さんはあまり願
い事がないみたいで困っているのです」
「そうだよね。宮沢くんは無欲だもんね。私がご飯作らないと食べるのも忘れ
てそうだし」
 いや、俺にだって食欲程度はある。
 と、ほほえましい光景にまったりとしている場合ではないな。
「せっかくの空気に割って入って悪いんだが、やっぱりいろいろと問題だ。ひ
かりに俺には言えない事情があるのはわかった。でも、俺の家に住むってのは
認められない」
「どうしてですか?」
「どうして、宮沢くん?」
 いや、そこは疑問ではないだろう。常識で考えろ、特に浦上。
「いいか二人とも。当然のことだが、ここは俺のアパートだ。誰かが住みたい
というのならやぶさかではないが、前提条件として俺は男だ。子供、特に女性
と同居するのはどうかと思う」
「でも女の子と同棲するのって楽しいと思うよ?」
「ああ楽しいともだが断る」
 浦上。せめてお前だけでも常識人であってくれ。
「……あのですね。もしかすると宮沢さんは男がよかったのかもしれません。
それはそれで、ファンタジーです」
「うん、宮沢くん、格好いいもんね。受けかな、それとも攻めかな」
「腐った……浦上が腐った」
 嗜好は認めるが俺を登場人物にするのは勘弁してくれ。
「とにかくひかりは女性。しかも人間の年齢で十五歳かそこらだろ。そんな子
供と一緒に住んで何かあると非常に困る。社会常識だって許さん」
 言い放っておく。
「もしかして宮沢くん、私勘違いしていたみたいだから確認させて欲しいんだ
けど」
「実はロリコンだった?とか聞くのは禁止な」
 先回りしておく。
「あのですね、浦上さん。その、『ロリコン』ってなんですか?」
「うん、ひかりちゃんのような子に下劣な思いを抱くことよ」
 先回り失敗。
「下劣ってなんですか?」
 しかも泥沼決定。
「うん、それは難しい話しだから、宮沢くんに聞いてみよっか。ね、下劣って
どういう意味?」
「そこだけ俺に振るなっ!というか俺はひかりには興味ない」
「ないんですか……そう、ですよね。私、こんな外見だから」
 待て。興味がないといわれた程度で涙まで浮かべるか。それとも天使の特技
は嘘泣きか。便利だなそれ。こういうやつが将来悪女になるのだろう。
「ひかりちゃん……ごめんね、宮沢くんの言葉がきつくて」
「……はい。私、頑張って耐えてみます」
 泥沼のどん底で一つ、真理を悟る。将来結婚しても絶対に娘だけはできませ
んように。
「……宮沢くん、謝ろうよ、ね」
 浦上までが不服を露に俺に迫る。その姿がまさに母親のようで笑えそうにな
る。
「うん、俺はひかりのことを嫌いなわけではないぞ」
「…………」
 この三点リーダーは浦上とひかりの分。どうやらフォローが足りないらしい。
「ああ、ひかりにもそれなりの興味は多少ないとは言い切れない」
「……」
「宮沢くん、もう一声……かな」
 任せろ。
「実は俺、ひかりがいないと生きていけない身体なんだ」
「ありがとうございますっ!」
「ありがたくねえよ!」
 思わずちゃぶ台を殴りつける。もうちょっと甲斐性があればちゃぶ台をひっ
くり返すところだ。
「ひかりちゃん、心配しないで。宮沢くんは優しいからきっと手順を踏んでく
れるよ」
「手順って、どういうものでしょうか?」
「うん。宮沢くんに聞こうか。ね、手順ってなに?」
「再び俺かよ!」
 自分のネタは自分で始末しろ浦上。先が思いやられる。
「ひかり。ほんとうに出て行く気がないんだな」
「はい。出て行っても行くあてがありません。それで、まことにご迷惑かと存
じますが」
そこまで改まれると、なあ。
「俺が何かを真剣に願うまでこの家に住むってことだよな」
「はい、その願いが強く、大きければ私は帰ることができます。小さい願いで
したら帰るまでもなく叶えられます」
 ということは強く大きな願いをひかりに祈らなくてはいけないわけか。例え
ば。
「金がほしい、とか?」
 あまりにも現実的なことだが、大きな望みであるのは確かだ。ひかりは思案
顔。
「……残念ですが、できないようです」
「できないようです……ってことは、願いを叶えるには誰かの許可がいるの?」
 浦上が鋭い突っ込みを入れる。
「はい、詳しくはいえませんが、大体そんなところです。どんな世の中でも下っ
端はお伺いをたてなければいけません」
 とすると今上司にお伺いを立てて、却下されたわけだ。
「それで、大金が欲しいというのはダメだと言われたんだな」
「はい。宮沢さんが強く思っていれば、可能性もあります。ですが私たちの叶
える願いはもっと大きなものでなくてはいけません」
 金がほしいというのは結構でかい願いである。事実俺は金が欲しい。金さえ
あれば大抵のことは片付くし、正直言って幸せにもなれる。とすると、あまり
にも即物的だったりするのが神様のお気に召さなかったのか。
「ひかりちゃん。それなら『好きな人と幸せに暮らしたい』なんてのは叶えら
れるの?」
 浦上が横から割って入る。
 なるほど、真偽はともかく、愛は金で買えないと言う。
「あのですね、それは確かに可能です。でも、宮沢さんが強く思わないと叶え
られません」
 浦上がこっちを向いて笑う。俺は当然そっぽを向く。
 さて、大前提であるが、俺は浦上のことが好きだ。もし可能なら浦上と付き
合いたいと思う。が、ならばそれを強く願っているかというと、ひかりの言葉
通りだ。理由は単純で、そんなことを思わなくとも浦上は鬱陶しいほどに俺の
側にいるから。
「ひかり。別に俺にはそんな大きな望みなんてない。例えばお茶を淹れてくれ、
それくらいで十分だ」
 それが俺の本心だ。
「そのような願いは自分で叶えてください。あ、私も喉が渇きました」
 ちゃっかり俺に注げと要求するのな。
「はい、お二人ともお茶、どうぞ」
 ま、浦上がいればお茶には心配がなさそうだ。
「じゃあさ、ひかりちゃん。もし、世界平和を願ったらどうなるの?」
 この年齢になってまさか世界平和なんて言葉を聞くことになるとは思わなかっ
た。が、浦上は真剣に願っているのだろう。
「世界平和は叶えられるのか?」
 だから俺も心の中に願った。
「……ごめんなさい。私の叶えられる願いはせいぜいてのひらサイズから、腕
で抱えられるものくらいが限度なんです」
 ……また微妙な大きさだな。せいぜいひかりの胸から浦上の胸くらいの大き
さではないか。
「宮沢くん。今、変なこと考えた? 例えば『お』から始まるようなこと」
「いや、浦上。落ち着け。まさかおっぱいのことなんて考えてない」
「え、『おかしいこと』のつもりだったんだけどなぁ」
 ……
「っは、まさか墓穴!浦上のくせに」
「あの、浦上さん。もしかして今のが……」
「うん、下劣ってことだね、ひかりちゃん」
 身をもって下劣を実証してしまったではないか。
「おっぱいが好きで悪いかあああぁぁぁ」
 窓を開けて叫んだ。後ろから刺さるものは人生初の生暖かい視線。


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