夏、花の島

第18話

 滞在予定最後の夜である。八月の終わり、その日は夏祭りが行われる。
 ちなみに正式名称は「ふるさと夏祭り」などというどうしようもなく適当な
ものである。名前からしてやる気のないこの祭りは取ってつけたように三十年
前、突然発生したらしい。名前だけを聞くと役人の義務感丸出しのやる気のな
さが窺えてしまうが、実は垢抜けない名前に似合わずとんでもない予算規模の
お祭りなのだ。参加人数三千人、予算五千万。島民の九倍がこの島を訪れ、村
の歳入の九割を一日で消化する。ふるまわれる酒も食事も全部無料。宿泊費も
無料。役場と連絡船と民宿が受け入れ先になる。島民は全員この集落に集まり、
里帰りの人間も寄ってたかり、潤沢すぎる島の予算を食いつぶしにかかる。こ
の島最大の公共事業だ。飲食物提供元の叔父の民宿と商店会の人間にはあり得
ない額の税金が支払われ、筋肉と汗だけが恋人のような陸軍連隊全員を二日酔
いに追いやってもなお余りある酒が積み込まれる。それでも使えない税金はこ
の島に似合わぬほど壮麗な花火に消えていくのだ。花火とは一般人の初任給が
一秒を待たずに消える火の玉である。税金の無駄遣いという説もあるが、この
島が作り出した誇りと、受け入れたものへの代償でもあると考えれば妙に納得
してしまう。失ったものは取り返せないのだから、精一杯楽しむほかはない。
いずれにせよこの日は一年に一度、島のにぎわう日。これが終わると本格的な
秋が始まる。
 朝からずっと準備にかかりきり、夕暮れに村長と基地事務局長の挨拶で祭り
がスタートする。喧騒の中、私は民宿の人間として客の相手に大忙しだ。知り
合いに声をかけ、昨日出会った潮浜常連に酒を注ぎ、食べ物を運ぶ左手に腱鞘
炎の入り口が見えかけたころ、斜度三十度で突撃してくる人間が胸にぶつかる。
「おう、千島。いいクッション」
 とりあえずジョッキで殴っておく。
「生徒にセクハラか先生」
 中学の先生だった。もう一発、制裁を加える。
「普通先生を殴るかジョッキで」
 普通の行動をしてから普通を語れと突っ込んでおく。
「お前の家は特例の固まりだな。基地のヘリで運んでもらったって」
 さっそく母を運んだ話が話題の中心。
「いや、単なる合理的判断だ。これで基地も名声と土地を確保、だ。売れ残っ
たのは私一人だけ。いい買い物だろう、軍の奴らも」
 こういう中年のおっさんにはこんな感じののりが一番適当だ。
「梗ちゃん叔父さんのお嫁さんにならわぶっ」
 中年過ぎる反応に三発目のジョッキ裏攻撃を開始する。突然出てきた叔父さ
んが後頭部に巨大なたんこぶを作る。自業自得の見本だ。沈み込んだ男二匹を
その場に残し、祭りの会場を一巡りすることにした。探し物は、もちろん二並
だ。
 あの日以来、二並には会うことが出来なくなった。
 なかなかに卑怯な奴ではあると思う。私を好きになれないというならその言
葉だけでいい。ただ一言、ごめんなさいとでも言ってほしかった。こんな中途
半端にされていると諦められるものも諦められない。だからこそ私は合理的で
はない可能性を信じている。きっと二並は私を好きでいてくれる。二並は夏祭
りには絶対に出てくるだろう。せっかく人に好きというのなら場所を選ぶつも
りなのだろう。夏祭りの日、なんて最高だ。今日なら会える。給仕しながら路
地の中や人ごみの中を注意して観察する。私の目から逃げられると思っていれ
ば間違いだ。
 二並を探す途中、久しぶりに顔を合わせた元同級生に挨拶し、近況を尋ねた
りもした。結婚したやつもいれば、現在兵役中の奴もいた。死んだ奴もいれば、
子供を作った奴もいた。みんながみんな、みんなだった。私と同じ都会の隅に
住んでいるという人とも知り合った。当然のごとく高嶺にも会った。高嶺は裏
方で舞台の照明をいじって、聞いたこともない芸人を呼び込み、舞台裏で義務
的に笑っていた。それでも舞台裏でいい汗をかいて、引き締まった顔で必死に
働く姿を素直に格好いいと思った。あいつもいい仕事をする。テントに戻り、
生を三本運んでやる。
「お疲れ様。ちょっと休憩したらどうだ」
「お、目の前に美少女が、どうも」
「本気で人生を休憩するか、高嶺」
 お盆をおき、ため息一つ。
「なんでため息なんだよ千島。素直に褒めただけだろ、どこの世界に美少女と
いわれて殺しにかかる女がいるんだ」
 それは私が美少女などではないからだ。
「高嶺がいうとお世辞にすら感じない。だいたい私は美少女なんて柄ではない」
 置いたジョッキを持ち、高嶺と近くの人に渡す。
「素直に喜べ、な。美少女はともかく、千島は十分かわいいぜ。よかったら素
直になれるおまじないを教えてやるよ、千島。お前、好きな人いるんだろ」
「な」
「うん、素直になれ、千島。それだけで恋が実る」
 素直になること。もしかしたら今の私に一番必要なことかもしれない。ずっ
と自分の気持ちを押さえつけ、破壊衝動と共に押さえつけてきた感情を素直に
表現できれば、もしかしたら恋も実るものかもしれない。
「ふん、おまじない、言ってみろ」
 高嶺が絶妙な笑顔を作る。
「いいぜ。じゃ、まずは私はかわいいです、ってつぶやいてみろ、千島」
 めまいを覚えそうになりながら何とか睨みつける。
「……私は、かわいい、です、って絶対おかしいだろ高嶺」
「いいから言えよ。おまじないなんだから。次は確か、そうそう。私は幸せで
す、というんだ」
 心を落ち着ける。
「……私は、幸せです」
 猛烈な恥ずかしさをこらえ、何とか言葉にする。
 私は幸せです。私はその言葉通りたくさんの幸せに見守られ、今ここに生き
ている。自分の声で幸せとつぶやくだけで、満たされたような気分になる。
「最後に、私は素敵ですって言うんだ」
「私は素敵です」
 これほどに愛されて生きてきた私が素敵でないわけがない。
「この島に生まれて、あれほどの親がいて、強い身体を授かって、いろんな人
と触れ合って生きてきた。私は素敵なんだ」
 心の底からそう思う。
「いいじゃないか、千島。実はお前のお父さんから教えてもらったんだけどな、
これ」
 思いっきりはめられていた。雰囲気がた落ちである。
「さすがお父さんだ。そうやってお母さんをいじめていたんだ、絶対」
 何を賭けてもいい。同じことを母にもやって困らせたに違いない。見えるよ
うだ。
 最後にはやり込められる父の姿が。
「そういや高嶺、二並を見なかったか」
「いや、見ていない。だいたいさ、突っ込んでいいのかどうか分からないけど」
 半笑いのような顔が私に向いていた。
 絶対赤くなったと思う。
 夜でよかった。とっさに言い訳に打って出る。
「いい。何も突っ込むな。じゃあ、また来る」
 照れ隠しに逃げ出す。突っ込まれていれば顔から火を噴いて転げまわってし
まいそうだから。照れ隠しに何発か殴って海に沈めてしまいそうだ。だから二
並の話はみんなの前では秘密にしておく。ばれているだろうけれど、秘密。取
り立てておいしいわけでもない屋台のとうもろこしでも買って、舞台を冷やか
して、叔父さんにからかわれて、海に映る花火を、この島の夏の終わりを二人
で眺めて、ちょっとばかり悲しい感じの静寂を楽しんで、ありきたりな夏のひ
と時を過ごす時間を夢見る。
 今は隣に人がいないけれど。
 だから探した。テントの裏も、休憩所も、少し離れたゴミ捨て場も、思いつ
くところは全て探した。なのに
 見つからない。
 会場から少し離れた場所で頭を冷やす。やけに明るい月に、星の光が海に映
る。後五分もすればあの海面に夏の終わりを告げる花火が映し出され、一瞬だ
けの美しい花が咲く。それはまるでこの島に咲く花たちのようにあっけなくて、
はかない火の花だった。空を眺めて焦燥感を押さえ込む。
 時間が迫っている。明日にはこの島を出る。来た日から冷たくなる風と夜風
の湿り気が秋を運んでいる。
 もうすぐ夏が終わる。
 夏が終わってしまうともう、私には正常な感覚が戻ってこないだろう。今更
母のことなど関心をなくしてしまったように、あらゆる感情を失うだろう。た
だ正確に仕事をこなし、感情を持たずに生きているだけの優秀な兵器になって
しまうだろう。今日二並に会えなければもう、二度と会えない。仮に出会って
も単なる他人として接してしまうだろう。最後の最後で好きという感情をぶつ
けることすら出来ない。
 そんなの嫌だ。
 私は普通に人を好きになりたい。付き合いたいなんて贅沢は言わない。好き
な人に好きと言うだけでいい。そのためには二並に会わないといけない。
 頭を必死でめぐらせてありきたりの結論に確信を感じる。二並のことだ。い
つもの高台から見ているに違いない。思い至った瞬間、身体に力が戻る。人の
いない方向へ、暗い方向へ、あの高校のある高みへ駆け上る。
「千島、どこ行くんだ」
 中学校の先生だった。時間が惜しい。かまっていられない。走ったまま叫ぶ。
「ちょっと二並を探している。また今度」
 それだけ言って走った。疑問符の浮かんだ先生の顔が面白い。走って、走っ
て、その場所を目指す。もうすぐ花火が上がる。それは私がこの島で過ごす最
後の夜の合図。故郷の花火を一緒に見てから告白するなんて、ありきたりで格
好いい。あの始まりの場所で今度こそ私が抱きついてキスしてやる。
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