誕生日プレゼントを上げたい→ちょうど彩花が姉に点字を教えていた+姉が
よく本を読んでいた→本を展示に翻訳してみよう!
分かりやすいではないか。俺素敵、みんな幸福、めでたしめでたし。
と上手くいけばいいのだが、実のところ姉が何の本を読んでいたのか記憶が
ない。わからなければ調べるまでだ。姉の部屋にこっそり入ることに舌。姉の
私生活には興味ない、うん、ほんとうに興味ない。万一女に宛てたラブレター
が出てこようとも乙女ゲームが出てこようとも「○○×△△」本が出てきても
俺は耐える。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ。ほんの少し彩花の気持ち
がわかったような気がした。
現在姉は彩花に連れ出されて庭に出ている。すっかり伽藍堂になった温室の
ことだって笑って許してくれた姉だが、俺の庭管理にはいろいろと不平がある
らしく、毎日のように彩花を連れ出しては指示を出し、作業をさせている。窓
から二人の姿を確認し、気合を入れなおす。
タイムリミットは十五分。
相も変わらず白い部屋だが、かつてのような空虚さはどこにもない。彩花が
来てからは壁際に庭の花が生けられ、カレンダーだって張られた。何を飾って
も何を置いても目が見えなければ意味がないと思うが、彩花によると「雰囲気
が伝わる」とのことだ。彩花は姉に点字を教えたが、必ず姉の耳元で同じ内容
を音にする。彩花の優しさは残酷なほどに真っ直ぐで、力強くて、美しい。
ほんの少し、姉のベッドのシーツに顔をうずめてみた。彩花が住むようになっ
てから使い始めた洗剤の香りがする。
ずっとそうしていたかった。幼い頃、姉に背に隠れて過ごした日を思い出す。
昔、姉が俺の手を引くことに一点の疑問すら持たなかった。俺は一生姉に手
を引かれて生きていくのだと思っていた。
俺は姉の手をどこまで引いてやれるのだろうか。もう、終点は近い。次の誕
生日に姉から奪われるものが例え命でなくとも、もはや意思疎通は叶わないだ
ろう。絶望的な状況に変わりはない。姉の恐怖は想像を絶するものだろう。そ
れでも姉は笑いふざけ、彩花が真摯に、献身的に尽くす。
シーツから顔を離した。彩花に比べると俺は微力だが、それでも姉に与えて
やりたいものがある。
本棚を開けた。
落ち着いた色の背表紙が並んでいる。濫読派の姉らしい本棚だ。ナンセンス
な四コママンガも、外国の哲学書も、詩集から長編小説まで広く読んでいた。
が、姉は自分で本を買うことはほとんどなく、せいぜい気に入ったハードカバー
の小説と園芸の本くらいを購入していた。園芸の技術を点字訳しても味気ない
ので短編の小説か詩集に的を絞り、本を掘り出す。それらしいカバーを見つけ、
中身を改めてもう一度戻す。時折点字の本とコンピューター関連の専門書とサ
ボテン栽培の本が出てくるが、そのあたりは彩花が突っ込んだものだろう。全
然関係ないが、彩花は自分の所有物をいろんなところに分散させて置くタイプ
だ。いろんなところにどんぐりを溜め込む栗鼠みたいなやつというとかわいら
しいが、衣類をあちこちに分散させるのだけはやめてほしい。引き出しを開け
た瞬間彩花の服が出てくるというのはいろんなものを持て余す。
五分後。
俺は短編集を数冊抱えながら、手元の本のページをめくっていた。少々不思
議な学園生活を楽しむ高校生の物語がコミカルに描かれた小説だ。そういえば、
姉がこの本を持って庭の石に腰掛けていたことがあったことを思い出す。
これにしよう。この部屋から持ち出すのはさすがに憚られるので今から買い
に行こう。点字への翻訳は夜でもすればいい。
タイトルを控え、元に戻す。
……入らない。
「なんで入らないんだ、おらっ」
根性で隙間を開け、何とか突っ込み、気合で押し込み、
その振動で上から何かが落ちてきて俺の頭にぶつかる。本とはいえ、それな
りの高さから落ちてきて角直撃では凶器だ。脳天を押さえてのた打ち回る。
「くそ、てめえ……中身を見るぞこのやろう」
やたら固いブックカバーを勢いよく開く。
中身が散らばった。
いや、違う。それはノートをまとめて適当な表紙を被せただけであって、よ
くみれば背表紙に
日記
と書かれていた。
手が震えた。
いくらなんでも読むのはまずい。それはわかる。十分に分かる。
が、それでもあの頃の姉のことを知りたい。そんな気持ちもある。
逡巡は一瞬だった。
少しだけならいい。そう言い聞かせて適当なページを開く。
姉と友達の写った写真が出てきた。何の集まりかまではわからないが、五人
のうち四人までが笑顔を見せ、一人がはにかんだような顔を作っている。
「かわいいな、この子」
姉の隣ではにかむ姿は小学生にすら見える。ほほえましい。さて、次の写真。
姉とその子の写真だ。今度はおそろいの服を着ている。やっぱり恥ずかしそ
うにはにかみ、姉の陰に隠れる。仲がいいのは分かるが、少々恥ずかしがりな
のだろう。ぜひ今の姿を見てみたい。
「……かわいいな。こんな子、遊びに来てたか」
俺は昔の記憶をほとんど持っていないが、それでも断片的な思い出をたどる。
姉には友人がたくさんいた。家が広いせいか、姉が友人を連れてくることは
多く、たいてい俺も巻き込まれた。女ばかりの部屋に小さい男が来ると大抵遊
び道具にされていたと記憶する。が、その記憶には写真の子が存在しない。姉
と写っている写真を見る限り、結構仲の良さが窺えるが、
瞬間。パズルのピースが見事にはまり込んだ。
「……もしかして」
写真の服を隠し、顔だけにしてみる。そう、スカート、リボン、憂いを帯び
た視線その他にだまされていたが。
「俺だ」
まあ、やられているとは思ったが。
そういえば姉が俺を着せ替え人形のごとく弄んでいた記憶が蘇る。
姉の笑顔と餌に釣られて何の疑問も持たず用意された服に袖を通した記憶だ。
彩花に見せるのはやめておこう。もしかすると物心ついてから姉が優しかっ
たのは自責の念があったのかもしれない。姉最強伝説がまた一つ補強された。
弟に女装、これ基本なり。もしかして彩花も弟たちに女装させていたのかと思
いかけたあたりでマッチョな弟一号に号の姿が脳内再生され、正気に戻る。深
刻な気分を救われたような、永遠に救われないような複雑な心境だ。深くため
息をつき、ページをめくる。
『今日、哲也と学校に行く途中、私の背中にトンボが止まった。虫の大好きな
哲也はそれを取ろうとして手を伸ばしたけれど、トンボは逃げていった。何も
言わなかったけど、哲也は残念そうだった。今度哲也のためにトンボを見つけ
たら捕まえておいてあげよう』
「おいおい甘いぞ、姉ちゃん」
彩花なら鼻で笑ってゴキブリでもお見舞いしてくれそうだ。次をめくる。
『帰り道、哲也を見かけた。男の子にいじめられていた。怖かったけれど、哲
也の手を引いた。泣きそうだったけど、哲也がいたから頑張れた。ありがとう、
哲也。私は中学生。哲也は小学生。もっと授業中も見守っていたいけれど、そ
れができないのはつらい』
……
『友達の誕生日プレゼントを買いに行った。哲也もついてきてくれた。哲也は
私の荷物を持ってくれた。とても優しくて、うれしかった。哲也と結婚する人
は幸せになると思う。少しうらやましい』
姉の文字を読むと思い浮かぶ昔のこと。俺自身の昔の記憶が戻る。
『同じクラスの人に告白された。哲也のことが大好きだから断った。哲也はい
い子と付き合って欲しい。今日は哲也を連れて本を買いに行って、公園に寄っ
て、川べりを歩いた。伝わることもないだろうし、叶うこともない思いだけれ
ど、私は哲也を好き』
馬鹿だ。こんな取り柄の無い弟に肩入れするなんてほんとうに、どうしよう
もなく
「馬鹿だよな、俺」
姉に頼んで見せてもらおう、そう思った。姉の優しさが散りばめられていた。
ところどころに描かれた花のスケッチだけを眺め、最後にどこか一日分だけで
も読んでから元に戻そう、そう決める。
開いた。
そのページは文字が乱れていた。目が吸いつけられた。
『11月8日。哲也が車にはねられた。私のせいだ。一緒に帰ろうなんて言っ
たからだ。私を見て走ってくるなんて』
……え。
「嘘、だろ」
そんな記憶はない。確かに俺は中学一年生までの記憶があいまいだが、いく
らなんでもそれはない。日記の年月日を確かめる。
当時俺は中学一年生。そして姉は高校一年生。丁寧に思い返す。
確かに俺と姉は一緒に帰ることは多かった。学校はすぐ隣だったから俺が中
学の正門で待つこともあったし、姉が中学の正門で待っていることもあった。
そんな俺の姿を同級生がからかっていたことを思い出す。帰り道に姉がやたら
と寄り添ってくるのを振り切った記憶もあるし、川べりで魚影を眺め続けた記
憶もあるし、その辺の小学生の遊び相手をした記憶もなる。
でも。
事故に遭ったことはない。断言できる。俺は中学校一年生の頃からついこの
前まで、一度たりとも学校を休んでいない。俺が姉に心配をかけない唯一の方
法は毎日登校することだったからだ。ずる休みはしなかったし、風邪だって引
かなかった。休んだことなんてなかった。だから、事故になんて遭っていない。
ならばそれは記憶に残らないほどの小さな事故なのだろうか。その程度で姉
が取り乱すだろうか。
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『11月10日。哲也が目を覚まさない。多分、このままでは目を覚まさない。
そんなの嫌だ。今から哲也のところに行こうと思う』
『11月11日。哲也のことを助けてあげたい。私はどうなってもいい。神様
に何度もお願いする』
『11月12日。とても怖いけど、哲也がいれば大丈夫』
唐突に、そう綴られていた。
息を呑む。
俺が事故に遭い、生死の危機に瀕した。俺の記憶にあるはずもない「事実」
が綴られている。
そして
『11月9日。いい天気だ。冬の輝きが似合う美しい朝。哲也と一緒に学校に
行って、帰ってきた。これからもずっとこんな日が続きますように』
時間が戻っていた。
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