美人 -Queen of the Night-

第十六話

 一通りのドタバタが終わり、あちこちに打ち身打撲を作った俺たちが姉の部
屋をノックする。ちなみに打撲の半分を彩花が形成したことは内緒だ。そうし
ないと打撲に加え擦過傷が加算される。
「おい、彩花。来たぞ」
「ん、どうぞ」
 中から聞こえる彩花の声に扉を開ける。
 これまで寄り付くこともなかった姉の部屋に平気で入り込む。
 部屋の中には五人、姉と俺、彩花にその弟二人だ。最近の食後の団欒は姉の
部屋と決まっている。なぜそんなことになったのか。
「姉さんだけ仲間はずれはだめだ」
 彩花の言葉が引き金だった。彩花と俺の関係がどうなろうとも、姉が肢体不
自由、三重苦であることに変化はない。補助がなければ立ち上がることすらで
きない。当然部屋から出ることすらできない。ならば俺たちが移動すればいい。
彩花はそう考えた。結果、姉の居場所が団欒の部屋になったわけだ。
 食事をしてからのひととき、姉の部屋でお茶を飲む。姉にもその雰囲気だけ
は伝わるらしく、笑顔を見せることもあれば俺や弟二人を撫でにかかったりす
ることもある。彩花はたまに姉に対抗意識を燃やすらしく、姉に抱きつかれて
喜んでいる弟たちを後日粛清する。案外彩花も独占欲が強いのかもしれない。
一生浮気はしないでおこうと誓う。
 目下、彩花が取り組んでいるのは点字だ。掌に文字をなぞるという方法では
情報伝達にあまりにも時間がかかるため、姉に点字を教えているのだ。といっ
ても姉は視覚すらない。だから姉に点字を教えるには、まず姉の掌に文字をな
ぞり、次に点字をなぞらせなければならない。俺たちは点字タイプライターで
伝えたいことを打てば姉は理解する。姉はパソコンのキーボードを押さえ、画
面の文字で俺たちに伝える。ちなみに点字タイプライターは普通に購入すると
高額であるが、彩花はその才能をフル稼働させて点字タイプライターを自作し
た。器用な奴である。そのうちエロ本発見装置など作ってしまうのではないか。
 それはともかく、今日、点字を披露してくれるらしい。
「邪魔するぜ、彩夏さん」
「お邪魔します、彩夏さん」
「姉ちゃん、来たぞ」
 俺は姉を姉ちゃんと呼んでいるが、弟一号二号が姉ちゃんと呼ぶとややこし
いので「彩夏さん」と呼ぶ。彩花は「姉さん」と呼ぶが妹にでもなったつもり
だろうか。ちなみに彩花は「さいか」で姉は「あやか」なのだが、漢字にする
とややこしい。もう少し設定を考えておけと言いたくなる。
「お、ようやく来たか……哲也、随分生傷がひどいな」
「彩花の弟に襲われたせいだ」
「そうか、哲也×遼太か……想像を掻き立てられるな」
「絶 対 違 う」
 というか弟で妄想するな。
「いや、もしかすると哲也×遼太&康太……これは刺激的だ」
 神様、俺の好きな彩花が別の世界に旅立ちました。
「不道徳な世界だな。伝えておいてやろうお前たち……なに、姉さんによると
遼太と康太は邪魔だそうだ。帰れ」
 瞬間、姉が彩花の頭を軽く叩く。
「……というのは嘘だ。ようこそ、と言っている」
 姉が笑顔を向ける。あの彩花がここまでたやすく手玉に取られるとは姉恐る
べし。そのうち彩花を操る術でも伝授してもらおう。
「姉ちゃん。隣、座るぞ」
 一応断っておいてからベッドに腰を下ろす。姉が珍しく俺にもたれかかる。
終始笑顔。身内ながら姉の笑顔は本当にかわいらしい。思わず俺も身を寄せて
しまいたくなる。
「こら、お姉さんとくっつくな哲也」
「いや、最近彩花が冷たいからさ」
「……後で私の部屋に来たら少しはサービスしてやろう」
「また姉ちゃんに欲情かよ彼氏」
「ほんとどこがいいんですか姉ちゃんの」
 ほっとけ。ほら、お前たちだって俺の姉にはいろいろと思うところもあるだ
ろう。
 こうやって並べてみると姉と彩花はまさに姉妹だ。淹れたお茶を彩花が冷ま
し、姉の口元にまで運んでやる姿は仲睦まじい姉妹の穏やかなひと時に他なら
ない。もしかすると俺たちと彩花たちは遠い親戚なのかもしれない。姉の顔に
その答を探ろうとする。
 笑顔を返された。もう、昔のように理知的でもなければ大きくもない。それ
でも俺は姉を大好きだ。
「……ん、そうだ。お姉さんがついに点字を覚えたんだ。ちょっと見てくれ」
 彩花がノートパソコンに巨大なタイプライターをつなげながら言う。姉がキー
ボード位置を手探りで見つけ、一瞬考え込むそぶりを見せてからディスプレイ
に向き直る。
『こうの あやか 17 さい です』
「嘘つけよ姉ちゃん」
 思わずパソコンを引ったくり、
『20歳だろう』
 そう書いてエンターキーを押す。同時に彩花お手製の点字プリンタから飛び
出す紙。姉の手元に乗せる。
 ……
『ごめんなさい うちまちがえました』
 舌を覗かせて笑顔。彩花が疲れるのも分かる気がする。もしや、姉とは最強
生物の別名であるのだろうか。人類が滅亡しても姉と呼ばれる存在だけは生き
ていそうな気がする。
 まあ、いい。
 彩花がキーボードを横から打つ。
『すこしだけ じかんを いただいて よろしいですか』
 はっちゃけている姉を前に淡々と打ち込む。さすが彩花、姉には何も突っ込
まないらしい。
 が。
 彩花はディスプレイをみて凍りつく。
「ん、どうした彩花」
 隣から覗き込む。
『すりーさいず いがいなら なんでも いいよ ☆』
 最後だけ変換しますかあなた。
「哲也……上には上がいるんだな」
 言うな。これでも俺は姉に鍛えられているからこそ彩花の横暴にも暴行にも
耐えられるのだ。
「彩花、好きだぞ」
 親指を立てる。
「ああ、私も哲也を好きだ」
「おい彼氏と姉ちゃん。のろけるのは後にしてくれよ。俺は彩夏さんに質問し
たい」
 一号だ。頭を抱えた彩花が促す。
「ああ。失礼のないようにな。ほら、キーボード」
「なら……好きな男のタイプはどうなんですか、彩夏さん」
 ストレートだ。
「……遼太。今更常識を求めようとは思わないが、せめても自分で打ち込んだ
らどうだ」
 彩花が憮然とパソコンを一号に向ける。
「いや、でも俺パソコンはクリック以外できないっす」
「嘘つけ。いつもパソコンを使っているじゃないか遼太」
「でも、あれは全部エロゲ」
 ごちん。それっきり一号は沈黙した。口は災いの元である。
「はい。俺も彩花さんに質問していいですか、姉ちゃん」
 二号だ。こめかみをほぐしていた彩花が仕草だけで指名する。
「好きな男のタイプを教えてください、彩夏さん」
 お前もか。今のうちに墓標でも立てておくことを薦めるぞ。
「康太。お前はキーボードくらい使えるな」
「いえ、俺もパソコンはクリック以外できません。だって俺もギャルゲ」
 ごつん。それっきり二号も音信不通になった。
「哲也は、大丈夫だな」
 彩花がこちらを向く。
「ああ、俺はキーボードくらい使えるぜ」
 ゲームくらいしかしていないけどな、と心の中で付け加える。後でセーブデ
ータだけ残してアンインストールしておこう。危ない画像集も百二十八ビット
の暗号化決定だ。
「……さて哲也。あいつらの遺言だ。好きな男のタイプのことを姉さんに聞い
てやってくれ」
 俺が聞くのか。まあいい。誰が聞いたかなんてどうせ姉には分からない。
『すきな ひとは だれですか』
 適当に短縮し、点字に変換して姉の手に乗せる。なぜ緊張するのだ俺。
 姉は長く考え込む。唇を強く噛み、キーボードの上の手を動かそうとしない。
 一瞬思う。
 そこにどれほどの逡巡があるのか、懊悩があるのか、悔恨に包まれているの
か俺にはわからない。
 好きな人。多分、そんな言葉に縁すら持たず、ただひたすらと俺にかかりき
りだった姉だ。その質問は残酷かもしれない。
 姉が俺の肩を叩く。促されてディスプレイを見る。
『このいえの ひとは みんなすきです』
 笑顔を浮かべ、一瞬舌を出して。そして
『でも てつやが だれよりも いちばんすき』
 そう、続いていた。
「果報者だな、哲也。後で私の部屋に来い。みっちり姉弟関係を洗ってやる」
「やってられないっすね彼氏」
「二人でいちゃついていろ彼氏」
 彩花が俺の背を軽く叩き、立ち上がった。その後ろを追って一号と二号が消
える。
 あいつら、最初からそのつもりだったのか。
 はめられたのは俺だけ、というやつだ。
 隣で姉が笑い、肩を叩く。
 ディスプレイの文字をもう一度見る。
 てつやが だれよりも いちばんすき
「俺も姉ちゃんのこと好きだぞ」
 抱きつかれた。
 これをやりたかったのか。俺はそんなあいつらが大好きで、姉のことが大好
きで、そして彩花のことがこの上なく好きだ。こんな日が、ずっと続きますよ
うに。

 それは突然だった。何の脈絡もなく思いついた。
 学校に行く前の食卓だ。弟二人はとっくの前に朝練と称して肩を組んで門を
出て行った。知らない人が見れば思わず道を除けたくなるような光景だと思う。
「なあ、彩花」
「なんだ。胸はそんな簡単に大きくはならないぞ」
 いや、それ俺の台詞。
「別にそれ以上大きくならなくともいいけどな」
「だが大は小を兼ねると言う」
 待て彩花。それは大きなミステイクだ。突きあがる魂の叫びに全身を貫かれ
る。俺の乳道の極意を今、伝えよう。
「全然分かっていない、彩花。おっぱいのなんたるかをわかっていない。いい
か、でかいだけでいいのなら俺はとっくに牛舎でアルバイトしている。違うん
だ彩花。そもそも巨乳に関する一大考察、巨乳平面説によるとシュバルツシル
ト半径より小さい領域は光すらも逃れられない絶対領域なんだ。つまり、俺た
ちに見えているおっぱいは全おっぱいのごく一部であり、虚乳といわれる部分
は見えていないんだ。わかるか、わからないなら南極の氷山を連想しろ。後は
三大作図問題の応用だ。ここにシュレディンガー方程式を加えると所詮位置の
特定できるおっぱいの大きさなんて確定しないことが導き出されるんだ」
「哲也、そろそろ時間だ。仲良く学校に向かうぞ」
「って無視かよ彩花」
 彩花が食事を終えて席を立つ。急いで支度を整え、玄関で待っていた彩花の
横に並ぶ。
 秋空も深い。もうすぐ姉は誕生日を迎える。
「で、何か言いたかったんだろう、哲也」
 わき腹をつつかれる。二人で歩く通学路も当たり前のような毎日の一コマ。
「姉ちゃんさ、本が好きだったんだよな」
 切り出す。
「そのようだな。哲也のようにエロ本ではない」
「持ってないですからエロ本。俺遵法精神満載ですから」
 ごめん、少し嘘つきました。
「なんだ、私と姉さんの色気だけで悩殺されているのか。それも不健全だな。
よし、学校の黒板に書いておいてやろう。哲也は同棲中の彼女に」
「やめてくれ、頼む」
 黒板大好きだな彩花。俺はそんな彩花が大好きだぜ。
「で、確か姉さんが本を好きだという話だったな……なんかいいとこの娘さん
みたいだな」
「そういう設定だからな」
 気づけば校門手前、登校中の生徒が楽しそうに歩いていく。実は学校という
のは気合を入れなくても楽しいところなのかもしれない。
 さて、言おう。
「彩花。実は点字にできないか、と思っているものがある」
「哲也、何を」
 ちょっと言葉が少なかったか。訂正。
「ん、姉ちゃん昔はいろんな本を読んでたし、今でも本を点字に訳すことがで
きれば読むことだってできるだろ」
 彩花の口が開きっぱなしだ。続ける。
「いや、そんな文字の多い小説とかじゃなくてさ、文字数の少ない詩集みたい
なのだったら簡単に点字にできるだろ、おい、彩花。聞いているか」
「……あ。聞いている」
 彩花が惚けたような視線を俺に向ける。少し恥ずかしい。
「誕生日までに完成させたい。彩花、手伝ってくれ」
 そこまで言ってようやく冷静になる。彩花はもう十分にやってくれた。タイ
プライターだって作ってくれた。姉に点字を教えてくれた。俺をこんな気持ち
にさせた。
「……やっぱいい。後は俺の仕事だな」
「違う」
 校門手前、百メートル。彩花と向かい合う。
「ん、どうし」
 たんだよ、と続けようとした。
 できなかった。口を塞がれたからだ。いや、俺の口をふさいだのは残念なが
ら彩花の唇ではない。髪の毛だ。
 彩花の頭突きを食らい、視界が揺れる。口の中に走った激痛は衝撃で舌を噛
んでしまったせいだろうか。が、それでも倒れこまなかったのは彩花が俺を支
えたからだ。
「哲也、やろう。一緒にやろう。その言葉を哲也から聞きたかったんだ」
 感極まって抱きついてくれるのは嬉しいが校門手前で頭突きを食らわされて
も微妙である。
「彩花。なぜ抱きつかれたらいつも血の味がするんだ」
「……舐め取ってやろうか」
 遠慮する。彩花の顔を覗くと口元に血。どうやら俺にぶつかった勢いで唇を
切ったらしい。
「そのうち失血死するかもな、俺たち」
 つくづく馬鹿だ、そう思う。
 馬鹿でいい。開き直ってしまえ。この勢いで突き進めば、いつの日か彩花を
抱いた勢いで肋骨くらい折れるかもしれない。そんな日が来て欲しいと思った。
    


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