美人 -Queen of the Night-

第十五話

 彩花が俺の家に住むようになった。ついでに彩花の弟二人もやってきた。
 まあ、当然であるが変化したことがいくつかある。
 まず、貴重と思われていたサボテンを売り払った。あれから彩花に話を聞く
につれ、借金の総額が一般人の年収級に存在することが判明したからだ。まあ、
どうせサボテンだって俺のつくったものではない。あまり興味なく育てられて
いるよりは可愛がられたほうが幸せ、というものだ。というわけで今、温室に
残っているのは月下美人と、彩花に買ってやったサボテンの二つだけ。それく
らいが今の俺には似合っている。
 サボテンはどうでもいい。問題は家計だ。
 普通人間が二倍に増えれば食費は二倍未満になるはずだ。俺まで俺と姉だけ
だったところに彩花と弟二人が加わり、この家には今人が五人いることになる。
人数で言えば二.五倍だ。まあ、姉はこれまでも食事をほとんどしなかったわ
けで、せいぜい食費が五倍に膨らむ、そう思っていたのだが。
 なぜか十倍に膨らんだ。
 なぜだ。誰に聞けばいい。神か、仏か、ムハンマドか。いや、教えてくれる
なら悪魔でも魔女でもなんでもいい。この際どんな宗教でもウェルカムだ。
 ああ、努力はしている。まず彩花が料理を作ってくれているため、買ってく
るよりは単価が安くなった。俺だって庭で野菜を育てることにした。が、どう
やら俺たちの努力は焼け石に水、雀の涙ほどの俺の資産は風前の灯、もうへそ
で茶を沸かすしかない。あらゆる努力にもかかわらず食費は現在絶賛滝登り中
である。もしカロリーで計算すれば二十倍くらいに増えているのかもしれない。
 付け加えておくと、家の中がうるさくなった。デシベルで言えば百倍は保証
しよう。近所に家がなくて幸いだ。彩花だけでも十分に賑やかなのであるが、
弟たちはそれに輪をかけて賑やかだ。三人揃うと戦場である。頼むから家を破
壊しないでほしい。
「って言ってる側から柱にバスケットゴールを打ちつけるな二号」
 さも当然であるかのようにハンマーを持ち、釘を手にした二号の首を捕まえ
る。こいつらに釘を打ち付けたくなるのは犯罪ではあるまい。ちなみに一号は
現在激しく感動できるという噂のギャルゲーをオートモードにしながら筋トレ
に励んでいる。そろそろ腕立てだけで十分経過していると思うのだが、そんな
に鍛えてどうするつもりだろう。正直不気味だ。
「お、彼氏けっこうケチですね。柱なんて腐るほどあるじゃないですか。前の
家は飛ぶこともできなかったんっす。あ、今ゴキブリが動きましたよ」
「なんだ二号もしかしてゴキブリの動きぶりとかギャグをかまそうとしたのか」
 ……
「寒いですね彼氏。センスもへったくれも見られません。出て行ってください」
「俺の家だ」
「ならせめてコーヒーでも淹れてきてください。寒すぎて凍えます」
「凍死しろ」
 そういい残して台所に戻り、皿を洗う彩花の横でコーヒーを淹れる。
「ん、哲也。後でお茶を淹れてやろうと思っていたんが」
「ああ、アホの二号がコーヒーを飲ませろとな」
「そうか、ならこれを使え」
 小瓶を手渡される。
「ってタバスコかよ」
「そうだ。康太もそろそろ学んでいい頃だからな」
 何を学べばいいんだ。
「姉の、愛を」
 こいつらをまとめて引き取ってくれるところを教えてくれ。せめてもの腹い
せにタバスコの蓋を取り、内容量の半分くらいを注ぎ込んでやる。もはやコー
ヒーの香りではなく異臭だ。
「二号、コーヒーを持ってきてや……だから打ち付けるなバスケットゴールを
家に」
「見事な倒置法ですね彼氏。とりあえずコーヒー頂きます」
 俺の血圧を上げてそんなに楽しいかお前ら。
「ちょうどいい香りですね。味もいいですし。冗談のつまらなさは不問と言う
ことにしておきますよ」
 って平気で飲むのか、飲むんだな。しかもおいしいんだな。
「もう別のものを飲め」
「また頼みますよ。それより彼氏、ゴールつけるんでそっち持っておいてくだ
さい」
「誰も許可してねえよ」
 にらみ合う。
「いいっすよ。多数決取りましょう。バスケットゴール取り付けるのに賛成の
人、挙手。はーい、って兄ちゃん。腕立てやめて手を挙げましょうね」
 一号がまだ筋トレをしていた。恐るべき精神力である。
「あのな、二号。一号が筋トレしているときは回し蹴りしたって動かねえよ」
 ためしに激しく動く背中の上に米袋を置く。ペースは乱れることもなく腕立
て。
「すげえな兄ちゃん。目にタバスコ入れても大丈夫なんじゃね」
 さすがにやめておけ。武術の達人でも眼球は鍛えられない。
「それに一号はもう泣いている」
 そう、一号は延々腕立てをしながらパソコンのディスプレイを眺めている。
今ちょうど泣けるシーンらしく、鼻水をたらしながら大泣きしている。気持ち
悪いから泣くのを辞めるか筋トレを辞めるかどっちかにしてほしい。いずれに
せよ後で床を掃除させよう。
 ちなみに俺のノートパソコンはこいつらが来てから共用である。今は彩花に
見つからない隠しフォルダと外付けハードディスクにイケナイ画像を保存して
いる。それ以上は男の約束だ。
「……タバスコは却下だが、他のものならいいぞ」
「なら、格別に重いものがありますね」
 二号が居間のブラウン管テレビを担ぎ上げ、一号の背中に器用に乗せる。ペー
スは落ちない。変態だ。
「さて二号、多数決に戻るぞ。ゴール取り付けに反対の人、挙手」
 俺が手を二本とも挙げた。
 一対二。
「よし、二号。ゴールは却下だな。まあ後でエロ本やるから我慢しろ」
「って小学生ですか彼氏」
 ここ数日、家の中も変わったが俺も変わった。こいつらが来て得た教訓のせ
いだ。
 勝つためには手段を選んではいけない。
 掴みかかろうとする二号の腕をすり抜ける。彩花の攻撃に慣れてきた俺にとっ
ては楽勝以外の何者でもない。
「何を暴れている。お前たち」
 突然居間の扉が開き、彩花が顔を出した。
「あ、姉ちゃん。彼氏が数の横暴を働いています」
「彩花、二号が民主主義を破壊したんだ」
「違います姉ちゃん。俺が青少年の健全育成のためスポーツの振興を」
「黙れ二号勝手に家を破壊するなとあれほど言っただろう」
 目の前を拳が掠めた。
「仲良く入院するか、貴様ら」
 ああ、彩花がどんどん凶暴になっていく。
「まず遼太。そんなに腕立てしたければ私が重しを乗せてやろう」
 言うと同時に一号の背中に踵を置く。ここで米袋でもブラウン管テレビでも
変化のなかったペースが大幅に崩れ、言葉にできない断末魔をあげて一号が潰
された。誰も彩花が重いとは言わいないが、威力は確からしい。威勢よく米と
テレビを投げ出した一号に向かい
「ったく遼太。後で片付けておけ」
 なんとなく巻き込まれた感があるが、どんな筋肉も彩花の前では瞬殺らしい。
それがわかっただけでも大きな収穫だ。進歩のためには犠牲も大切なのである。
「次、康太」
「ひっ」
 なぜに悲鳴。なぜに直立不動。いや、言うな。俺だって多分同じ状況になる。
「他人様の家に釘を打ちつけようとはどういう了見だ馬鹿者」
「すんません姉ちゃん激しく反省しています」
「なら明日から皿洗いと買出しと洗濯の取り入れを命ずる」
「え、そんなに」
 彩花が睨む。なめくじですら負けるほどに二号が縮む。
「私も家の中で重傷事故なんて起こってほしくないんだ、康太」
 脅しですか彩花さん。
「次は死ぬぞ?」
 柱を殴る。家が震える。頼むから家を破壊しないでほしい。今更ながらに思
う。あのアパートの柱が傾いていたのは彩花が原因かもしれない、と。
「……わかり、ました」
 敬礼までした二号が床に座り込んだ。その目の色は去勢されたばかりのオス
犬のようだ。
「さて。お茶を淹れたんだ。お前たち、お姉さんの部屋に来い」
 さっきまでの鬼のような顔はどこへやら、一目惚れしそうな笑顔と爽やかさ
を振りまく。俺もだまされた側の人間なので他人のことに口を出さないが、彩
花も黙っていれば結構な美人だ。
「よし。行くぞ一号二号」
 声をかけ、歩みだそうとして足を引っかけられた。当然のごとく視界が反転
する。視野に飛び込んでくるのは彩花のどアップ。
「哲也。康太に渡そうとしていたエロ本を提出しろ」
 あはは、そんなの冗談に決まっているじゃないですか彩花さん。
「あれは言葉の綾だ彩花」
 ……
「……引き出しの三段目」
 っていつの間にっ
「まったく、哲也の性欲は留まるところを知らんな。私の脱ぎたての下着では
我慢できなかったのか」
 待てそれはない。
「おいおい彼氏。姉ちゃんに欲情か」
 一号、確かにお前たちの姉に欲情はするのは事実だが下着にはしない。そこ
は分かってくれ。
「ありえないっすね。あの日、俺と洗濯当番交代したのってもしかして姉ちゃ
んの……倒錯してますよ、彼氏」
 ねえよ二号。というかその日はお前の都合に合わせたんだろうが。
「一号、二号。彩花の言葉は事実無根だ」
「ほんとうか、哲也」
「ああ、俺は潔白だ、無実だ、ギルティーだ」
 沈黙三秒。
「……おい、遼太、康太。今こいつ自分でギルティーと言ったぞ」
「ああ、そうだな姉ちゃん。今彼氏がはっきりと天地神明にかけて自らの大罪
を認めたな」
「まあ、変態だとは思っていましたが、彼氏。まさか俺たちの下着にまで」
 何かが切れた、そんな気がした。
「まず彩花。俺は英単語を間違っただけだ。一号、俺は認めていない。二号、
なぜ男に欲情せにゃならん」
 と、弁解したところで、だ。もはや目の前の冷たい視線は何者をも寄せ付け
ない。
 ああ、勉強しておけばよかった。己がアホを恨む。
「遼太、そこの汚物を消毒しておけ」
「おう、姉ちゃん。まかせとけ」
 待て、どこから出してきたんだその火炎放射器。
「康太。ところで明日は燃えるゴミの日だ」
「了解しました。中まで火を通しておきます、姉ちゃん」
 血も涙もない死の宣告が行われた。危ない目をした大男が二人、近づいてく
る。
「待て。金ならいくらでもやる。こら、脱がすな二号。一号それはなんだ。そ
んなもん入るか痛いじゃないかまだ彩花にも見せたことねえ」
 俺の貞操はこんな感じに、常に危機に晒されている。
    

←第十四話へ 第十六話へ→
「月下」もくじ
他の作品を探す