月下 -Queen of the Night-

第六話

 俺の家はとにかくでかいが、庭は輪をかけてでかい。そこかしこに巨石が鎮
座し、巨樹が立ち並び、ひときわ大きな楠が真ん中にそびえる。まるで鎮守の
森のような風情があるが、事実そのとおり、曽祖父の代に神社を買収したそう
だ。それだけでも罰当たりな気がするが、大胆なご先祖様は罰当たりついでに
神社をつぶし、庭に組み込んだらしい。ちなみに本体の神社であるが、現在で
は祠と庭木の巨樹を残すのみである。
「広いな。私の家なら百は建ちそうだ」
 彩花が石に腰掛け、庭の楠の巨樹を眺める。はるかな高みに茂る木の葉。照
葉樹を通してかすかに広がる光の粉と、たおやかという言葉すら似合う木陰の
空気。そして巨樹の下、一身に木漏れ日を纏う彩花。どこか遠く、神話に出て
くる神のように見える。
 中庭が彩花の訪れを歓迎しているような気がした。
「古い以外の取りえなんてない庭だ」
 ご神体だった巨樹に視線を遣る。
 樹齢八百年を超えるとされる楠。伸びたい放題の育ちたい放題、今では家を
はるかに超える巨樹に成り果て、自治体指定の重要文化財なんかにされてしまっ
た。
 でも。
 この巨樹は嫌いだ。別に毛虫が大発生するとか、庭に影を作るという理由で
はない。
 それはどうしようもない嫌悪。言葉にはならないような不思議な感覚。記憶
の彼方に消えたずっと昔に手が届かず、歯がゆい思いをしているような気分。
「謙遜なんて哲也らしくないぞ。こんなにいい庭なんだ。いつもみたいに自慢
すればいいじゃないか」
 俺の言葉が本当か嘘かすら見分けられない彩花こそ、いつもの彩花らしくな
い。
「庭の管理は単なる義務だ。ほんとうは俺の仕事じゃない」
 そう、本来なら庭の管理は俺の仕事ではない。
「私はとても落ち着く。きっと哲也が手入れしてくれているからだな」
 彩花が目を細め、苔むした岩に落ちた楓の葉を拾う。そんな何気ない一挙手
一投足すら秋空の木陰に映える。太古に人を導いた巫もこのような姿をしてい
たのだろうか。
 ただ、きれいだと思った。
 ああ、俺は違うんだ。そう心から思う。
 この庭の主として俺は相応しくない。この場所に愛されているのは彩花だ。
「俺の祖先にでも感謝してくれ。庭は一代限りでできるもんじゃない」
 ほんの少し毒づく。
「祖先に感謝、か。いいことを言うな。すると遠い将来、私に感謝することに
なるわけか哲也。未来が楽しみだ」
 そうだな、っておい。
「今ものすごいこと言わなかったか。絶対フラグを十段階くらい飛ばしたぞ」
「いや。例えばこの場で突然哲也の身に不慮の事故が降りかかれば私が庭を引
き継ぐかもしれない。思い立った日が吉日だ。やってみよう」
「待て彩花右手に持ったバールのようなものはなんだ」
 というかどこに落ちていたんだバール。
「心配するな哲也。一瞬で終わる」
「俺にとっては一生涯が終わるんだ」
「痛いのは最初だけだぞ?」
「で、すぐに気持ちよく昇天できると言いたいんだな」
 ……
「なぜ女性相手にセクハラトークをしているんだ哲也。そんな品のない冗談は
せっかくの立派な庭を台無にするぞ。もうセクハラの罪で死刑確定だな」
「裁判なしかよ」
 識者に聞きたい。今のは俺が悪いのか、運が悪いのか。なぜそこまで俺好み
の毒舌と暴言を滞りなく発することができるようになったんだ。
「ともあれ、ほんとうに優しくてきれいな庭だ」
 ストレートな言葉だった。そういうところは変わらない。
「こういうのはきっと持ち主に似るんだ」
 恥ずかしい褒め方をなんの嫌味もなく言葉にできるところ。きっと、彩花は
これからも俺の望むように変わり、望むように今のままでいてくれる。
彩花の指がこの庭にずっと昔から植わっている巨樹をなぞる。
 こんな風に庭を愛でていた人のことを思い出した。
「いつでも見に来いよ彩花。どうせここの扉は開けっ放しだ」
 俺は一体、彩花になんの幻想を見ているのだろう。
「うん、ありがとう。ところでサボテンはどこにあるんだ」
「ああ、サボテンだったな。雨ざらしにできないからハウスに置いている。こっ
ちだ」
 庭の飛び石を伝い、庭の中央、ガラスハウスに向かう。
 中には大小三百ほどの鉢に小さなサボテンがぽつぽつ。祖父の代から収集に
収集を重ね、育種を続けたサボテンの山だ。中には一鉢で車一台くらい買えそ
うなやつだっている。
「立派な温室だな」
「ああ、このハウスを建てるだけで一般人の年収は飛ぶだろうな。昔は金持ち
だったんだろう」
 全く、二代隔てれば親族も他人だ。
「お、これは変わっているじゃないか。斑入りのサボテンなんて初めて見たぞ」
 彩花が適当に鉢を持ち上げる。
「あ、それ一鉢だいたい百万な、彩花」
「え゛」
 棒立ちになった彩花が発音不能なひらがな約一文字を発し、凍りつく。とり
あえず手から鉢を取り戻し、肩を突っついてみた。
「おーい彩花。別に持って帰ってくれても俺は文句言わんぞ」
 反応なし。なら
「彩花、ちょっとエッチなことをしてみたい」
 返事なし。昔の人は言いました。
 返事のないのはいい返事。
 というわけでせっかくのチャンスにあっちやこっちを触りたい放題
 ごちん。
「ん、なぜか悪を成敗したような爽快な気分だ……ん、哲也、どうしてうずく
まっているんだ。お、ひどいたんこぶができているぞ。誰に殴られたんだ」
 お前に殴られたんだ。
「彩花、せめて想像くらいは自由にさせろ」
「もちろん想像くらいは構わない。私だって哲也であんなことやこんなことを
想像しては夜な夜な盛り上がっている。聞きたいか」
 夜毎血祭りに挙げられる自分の話なんて聞きたくない。
「いや、遠慮する。俺は慎ましやかな人間だからな」
「なら黒板に書いておいてやろう。楽しいことを独り占めしては悪い」
 黒板はもうやめろ、忘れろ、思い出すな。
「彩花。現実に戻って植え替える鉢をその辺から選んでくれ」
 ハウスの隅に置いている鉢を指差す。
「そうだな、鉢はこれにしよう。哲也、分かっていると思うがサボテンを傷物
にしたら」
 ……
 …………
 ………………
「続きを言ってくれ彩花。ときどき彩花の沈黙と笑顔がめちゃくちゃ怖い」
「……シュパッ…中略…ガクリ、だ」
「全力で……がん……ばります」
 だいたい中略ってなんだよ。
「哲也、これはなんだ。いろんなのが生えているぞ。これも高いのか」
 サボテンを鑑賞していた彩花が突然俺の袖を引っ張る。
「ああ、それは寄せ植えサボテンだ。かわいいだろ。向こうのは俺が接ぎ木し
たサボテンだな。種から育てているのは足元のそれ」
 目線でハウスの中を案内しながら根腐れしないように薬剤を添え、彩花のサ
ボテンの植え替えを完成させる。
「哲也は器用だ。勉強だって頑張ればきっとできるはずだ」
 大抵の奴は頑張らないから勉強できないのだ。
「庭もサボテンも引き継いだものだけどな……彩花、どうした」
 話をする間は視線を動かさない彩花の目が、全然別の方向を向いていた。
「哲也、この昆布みたいなのはなんだ。失敗作か」
 彩花が白い鉢を持って俺の前に置く。
 なるほど、確かに昆布みたいにでっかくて波打った分厚めの葉っぱ。
 それだけ。火星に生えているのが似合いそうな異様な外見。俺だってその正
体を知らなければ絶対に育てようなんて思わない。
 が。
「実はそれもサボテンだ、彩花」
「サボテン、なのか?」
 サボテンといえばトゲのイメージが強いが、一見するとサボテンとは思えな
いようなものも存在する。例えば
「月下美人、って名前を聞いたことはないか」
「名前は聞いたことある。確か一日だけ花をつけるという。まさかこれが月下
美人か」
「そう、一晩だけ花を咲かせる月下美人だ。ちなみに満月とか新月の日にしか
咲かないというのは嘘で結構節操なく咲く」
 月下美人。
 名前が風変わりなせいか、奇妙な花だといわれるが実際は別段特別な植物と
いうわけではない。ちなみに英語で言うとQueen of Night−夜の女王という場
末のストリップ劇場みたいな名前になる。
「では一生に一度しか花をつけないというのは」
 それは竹か笹だ。
「月下美人は毎年花をつける。うちのだって毎年咲くぜ」
 月下美人は温かければ花をつける。この家の月下美人だって苗を買ってきた
年はさすがに咲かなかったが、次の年以降は順調に花をつけ、今年の八月に四
度目の開花をみた。
 そして。
 何があったのかなんと今年、月下美人がもう一度つぼみをつけているのだ。
つまり、この秋か冬くらいにもう一度開花するかもしれないのだ。
「なら咲きそうになったらここに泊めてくれないか、哲也」
「わかった。呼んでやるよ」
 咲き始める予兆くらいはわかるから別に泊まる必要まではないだろうが。
「楽しみだ。いつか見てみたいな」
 彩花の素直な言葉はときどき、とても胸に痛い。
 ―いつか見てみたいな―
 同じ言葉を告げた人のことを思い出す。
「どうした、哲也。具合でも悪いのか」
 多分俺の顔はこわばっていたのだろう、自分でも分かる。
「実は外は苦手なんだ。インドア派だからな、俺」
 こつん。小さく頭を叩かれる。
「哲也、せめてもう少しましな嘘をつけ」
 彩花が顔を寄せる。
「すまん、俺は馬鹿だからな」
「うん、哲也は馬鹿で正直で優しい顔をしている。そういうところ、大好きだ
ぞ」
「そりゃどうも」
 俺はそう言ってくれる彩花が大好きだ。
「言えないことは言わなくていい。嘘をついた哲也の顔を見ると私まで悲しく
なる。せっかくの顔が台無しじゃないか」
 彩花が俺のほうに寄る。いいにおいがした。
「彩花はいつだってかわいいな」
「当然だ。哲也の彼女だからな。哲也も結構格好いい」
「そうかよ」
 どんな気障な言葉を紡ごうとも、どこまでも自然体で綺麗だ。
「ん、ところで哲也。確かこの家には哲也一人しかいないと言っていなかったか」
「ああ、そう言ったな」
 確かに俺がそう「言った」のは間違いない。
「なら哲也。あの方はどちら様だ」
 ついさっきまで俺を捉えていた彩花の視線が少し上を捉える。
 唇を噛んで、彩花の視線を追った。
 二階、南向きの窓。
 カーテンが揺れ、その間に影が立つ。
 揺れた。
 風だろうか。
 いや、あの窓は開かない。
 カーテンが揺れるということは手を振っているのだ。
 その隙間から見える青いロングスカートと白いブラウス。
 ずっと昔、庭の巨樹の陰に微笑んでいた笑顔。
 俺は多分、その笑顔に一生囚われ続けるのだろうと思う。
 彩花がその笑顔に頭を下げる。
 でも
 どれほど深く頭を下げたとしても、その人に彩花の礼が届くことはない。
「哲也、とても綺麗な人だな。どこかのお姫様みたいだ」
 そう、その人はとても上品で気品に溢れた人だった。誰からも愛されていた。
ご令嬢という言葉さえ似合うほどの人だった。世界の祝福を全て集めたような
人だった。
 そして他でもない俺のお姫様だった。
「あの方は哲也の知り合いなのか。嫉妬してしまいそうなほどにきれいだな」
 何も答えられなかった。代わりに彩花の手を握る。
「……彩花」
 強く、強く握る。
「うん、私はここにいる。哲也のすぐ横にいる」
 その言葉がただひたすらにありがたかった。
 庭の巨樹の陰が寒くすら感じる中、彩花の温かさが心地よかった。
    

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