月下 -Queen of the Night-

第二話

 ところで彩花であるが、実のところ最初は好印象を持っていなかった。いや、
印象にすら残っていなかった。そもそも絵に書いたようなクラス委員みたいな
奴とやる気ゼロの俺である。相性いいわけがあるまい。別に彩花のせいにする
わけではないが、彩花が真面目に授業を受けてクラスを仕切っている間、俺は
教室を抜け出した。といっても抜け出した先に何か救いがあるわけではない。
で、ゴミが掃き溜めに吸い寄せられるがごとく学校裏の打ち捨てられた花壇に
行き着いたわけだ。
 学校に存在すら忘れられた花壇。
 暇をつぶすにはちょうどよかった。だから荒れ果てた花壇の修理を始めた。
ゴミを捨て、雑草を引き、排水を整え、土を入れ替え、花壇枠を組みなおす。
まさに重労働、働け管理作業員。授業料払って何やってんだ俺、と自分でも何
かと突っ込みたくなるのだが、それが一年生の冬から春にかけての話だ。
 二年生になった最初の日、俺の整地した花壇に小さな花の苗が植わっていた。
 正直驚いた。
 苗が植わったいたこともだが、その場所を他人が知っていたということに、
だ。隠れ家を見つけられた場合、とるべき行動は二つ。そこを放棄するか守る
か。なんて格好を付けてみたものの、最初から守る気ゼロの俺は瞬間的に放棄
することを決定したわけだが、せめても気づいた奴の顔くらいは拝んでおこう、
そう思った。今思えばそれが何かの間違いというか偶然というか運命というか
死亡フラグというか、そんなものをごった煮にした「転機」というやつだった
と思う。
 どうせ学校が大好きな俺は放課後も学校に居るのが大好きである。というわ
けで三日間張り込んだ。
 そして三日目の放課後、午後六時ちょうどに花壇に現れたのが彩花だった。
周囲をうかがいながら校舎の影を伝い、その姿勢の正しさに微妙に似合わない
ホースを右手に持ち、花壇の前に立つ。そして植わったばかりの苗に水をやり、
その場をあとにした。
 最初から予想も期待もしていない俺は何の感慨も持たず、ああ、水遣りが丁
寧だなあなんて思っていたわけだ。声をかけるなんて事は考えるはずもない。
チキンで日陰者でヘタレな俺が太陽みたいな彩花に声をかけることなんて昼が
夜にならないと実現もしない。さしあたっての課題はこれからの暇つぶし場所
を定めるために学校内を探索しなければならないことくらいだった。
 で、翌日。
 一時間目前の点呼が終わり、いつもどおり教室を出て花壇の世話に行こうと
した俺の袖を引っ張る奴がいた。今から考えればそんなおせっかいなことをす
る奴なんてこの世に一人しかいない。彩花に決まっている。
「神野。どこに行くんだ」
 ちなみに申し遅れたが神野というのは俺の苗字である。友人さえいない俺は
「神野」って誰だっけなんて三秒ほど考え込んでから自分の苗字だと気づいた。
 二人だけの廊下。授業が始まる寸前の控えめの喧騒。初めて顔をまともに合
わせるには少し場違いなその場所。出会いという言葉を使っていいのなら、そ
れこそがまさに俺の出会いだったわけだ。ただし、俺はその出会いを歓迎した
わけではない。
 聞こえないように舌打ちして目を逸らした。そもそも、だ。その日まで俺み
たいな奴に関わろうなんてやつ現れなかったし、それが女子生徒であった日に
は何か間違ったキノコでも食ってしまったかと真剣に悩む。
 が、当然そんな悪あがきが彩花に通じるはずもなく移動させた目線の先に彩
花が更に迫り
「少し聞きたいことがある。来てくれ」
 なんていう男気溢れる発言の一秒後、俺の意志なんぞ介在する暇なく女とは
思えぬ馬鹿力で襟首を引っ張り、行き着いた先は屋上に続く昇降口。さっきま
での喧騒すら届かない場所だ。
「お前は授業にも出ず何をやっているんだ」
 それは正義に溢れた一点の間違いもない姿だった。よくその正義を貫いて高
校生まで生きて来れたものだと感心すらする。
 振りほどいて殴ってやろうかと思った。彩花といっても所詮女子だ。高校生
にもなればそんなもん、純粋な力勝負を挑んで男が負ける道理なんてない。む
しろ、殴りつけてやっろうかという衝動を抑えるほうが精神的にもきつい。結
局、俺の衝動を押さえつけたのは後々面倒だろうなんていう後ろ向き度百パー
セントの考えだった。
「授業中は養蜂に精を出しているんだ」
 それが初めて彩花に返した言葉。当時は冗談を理解しなかった彩花には軽く
流された。
「授業に出られない理由があるならいくらだって尽力する。だから正直に言っ
てみろ」
 抑えつけることなんてできなかった、ほんとうは。
 何が尽力するだ他人の癖にどこのナルシストだよ膝を丸めて自己陶酔にでも
浸ってろ一番笑えるのはお前が人の悩みも何も聞く前から尽力できると信じて
疑わないことだそんなおめでたい奴は天然記念物にでも指定してもらえロクに
話したこともないくせにどこの家族気取りだ帰れ。そう、言ってやりたかった。
 息を吸い込んで、視線を一度下げて、そこにスカートから伸びた足が震えて
いることに気づくまでは。
 彩花が馬鹿なら俺もアホなもんで、そのときになるまで彩花の言葉が正義と
か怒りに起因したものではないということに気づけなかったのだ。
 アホな頭でもそのときばかりはフル回転させた。
 わざわざ授業の始まる瞬間を捕まえ、こんなところまで連れてきて人を問い
ただすのが怒りでも正義でもなければなんだというのだろう。まさか本気で同
じ学級というだけで俺のことを心配しているのか。
 その答えは未だに俺には分からない。彩花がなぜそこまで人の悩みを解決で
きると信じて疑わないのか。
「昨日花植えてただろ」
「ん、修理されていた花壇のことか」
 考えに考え抜いて強引に話題転換。最初から俺にはわかっていた。彩花の動
機はわからないが、少なくとも彩花は俺が何をしているのかは知っているはず
だ、と。そもそも、学校でさえ知らない花壇だ。彩花は「偶然」見つけた花壇
に花を植えるような奴じゃない。その花壇が依然学校の認知していないもので
あることを知った上でなければ苗を購入さえもしなかったはずだ。
「俺が整地したんだ」
 突っ込むのも野暮なので真実を答えておく。
「……そうか。すまなかった。代わりに殴っていいぞ」
「殴るかアホ」
 男気溢れる謝罪の言葉に笑った。そう、殴るならとっくの昔に殴っている。
賭けてもいい。彩花は折り紙つきの馬鹿だ。
「だが、このままでは示しがつかない」
「そう思うなら放っておいてくれ。別に花壇は使ってくれて構わない。じゃあ
な」
 手を上げる。その手を掴まれ、捻られる。面白いくらい身体が回転し、天井
が見えた。殴っておかなくて良かったと心底思う。
「授業をサボるのは許さん。その代わり放課後、私が花壇の仕事を手伝おう」
 授業開始のチャイムが鳴った。わざわざ呼びつけられた理由は分からないが、
なんとなく最初から彩花がその結論に誘導したかったのではないかという気が
した。
「ちなみに寝転がると白いパン」
 突っ込む代わりに茶化した瞬間、股間を踏みつけられた。死ぬかと思った。
今はともかく、当初は本気で冗談の通じないやつだった。そのせいで男を失い
かけた俺は報われない。
 それから。授業中に抜け出すことは禁止されたが、放課後に彩花と花壇で作
業をするようになった。最初のうちは迷惑極まりない存在だったが、いつの間
にか冗談を解する誠に遺憾で無駄な能力を発揮しはじめたのは夏に入るまでだ。
本来なら歓迎すべきなのかもしれないが、どつき漫才の方向に才能を開花させ
た彩花を褒められるやつがいたら申請の変態に違いない。
 我らが偉大なるダーウィンによると生物というものは新環境に適応するよう
に進化するものであり、それに従えばどつかれ続ける人間は新たな快感に目覚
めるのも必然である。加えて俺は男子高校生である。そんなもん、一緒に汗を
流す女子生徒が他には見せない笑顔を向けると心臓だって高鳴るし、妄想だっ
て雲を突き抜ける。要するに俺が大た印象を抱かなかった彩花を好きになるの
に時間はかからなかった。
 もう、俺の恋人は左手なんかじゃない。ちなみに当然右手でもない。気がつ
けば彩花に告白していた。ちょうど一ヶ月前、夏休み寸前の花壇で、だ。断ら
れることも、受け入れられることも考えていなかった。だから一瞬で男気溢れ
る肯定の返事を戻されて、一日たって驚いた。三日目に首を捻った。そんなこ
んなで一ヶ月が過ぎた。二学期が始まり最初の土曜日、こうやって二人で放課
後の街を歩いているわけである。
「ところで哲也。少し未来予測をして欲しいのだが、構わないか」
 今では随分その言葉もやわらかくなったと思う。思うに、世の中アホと賢い
奴の割合なんてゼロサムゲームみたいなもんで、俺が少々まともになった分、
彩花は少々頭が残念になったのかもしれない。許せ彩花。許せ日本社会。
「なにを呆けているんだ、哲也。またエッチな妄想か」
 彩花の顔が目の前にあった。
「ああ、多少エッチな妄想をな」
 適当に答えておく。昔を振り返るなんて確かにエロティックな行為かもしれ
ない。
「嘘つけ。少し昔のことを思い出していたんだろう」
 ばれているのか。俺の脳内だだ漏れなのか。
「ああ、なんで彩花はそこまでおせっかいなのかと考えていたんだ」
「私はおせっかいではない。当然のことを当然のごとく淡々としているだけだ」
 他の人が言えば嫌味以外のなんでもない言葉も彩花が言えば当然のように聞
こえる。
「普通花壇の整地なんておせっかいでもなければ手伝わないだろ」
「私がやりたかったんだ。それでは不満か」
 きっとそれが本心なのだろう。
「それより哲也。一つ未来予測をしてほしいのだが」
「ああ、任せろ。彩花の質問には無死満塁のときにホームラン打者が敬遠され
る確率くらいで答えてやろう」
 要するに答えたくないというやつだ。
「では聞こう……今日の哲也の昼食はなんだと思う」
 って聞くのかよ。満塁だぞ満塁。
「腹減ったのか彩花。その辺のコンビニでよければ何か買ってやるぞ。展示会
場の近くにもいくつかあったと思うし」
 ごちん。
「哲也。お前相当な馬鹿だな。生まれてきたことを全世界に謝れ」
 はい、ごめんなさい全世界。
「じゃあ彩花には俺の昼食が予測できるのか」
「ああ、哲也の昼食は昨日の段階で予測できている。更に言うとこの一ヶ月の
詳細な観察の結果、運命付けられているんだ」
 俺の食事にそんなローテーションなんてあっただろうか。いずれにせよ、含
み笑いをする彩花が危険であることに変わりはない。
「運命と言ったな」
「そう、運命だ」
「やべ。腹痛くなってきた。展示会は彩花一人で行って来い」
 ごつん、
「まじめに話を聞け。今日の哲也の昼食は私の作ったお弁当だ。しかも好き嫌
いの多い哲也のために栄養バランスまで考えられている。ほら、狂ったように
喜び舞い踊って私をたたえろ」
 とりあえず死にたくないので脊髄反射で喜び舞い踊って称えまくってから口
がアホみたいに開いた。
「弁、当、か」
「そうだ」
「弁当なのか、彩花」
「なぜ連呼する。私も哲也の恥ずかしい過去を連呼してやろう。すいません、
この人痴漢です」
 頼む、それだけはやめてくれ。
「すまん、唐突で呆然としてしまった。ありがとな」
 彩花のことだ。多分俺の一ヶ月の食事パターンから好き嫌いを見抜き、本気
で栄養バランスまで考えて作ってくれたのだろう。感謝する。
「うん、これからはほぼ毎日作ってやろう、哲也。学校の昼休みが楽しみだな。
周囲の奴がうらやましがって悶えるような愛に溢れた弁当を心待ちにするんだ」
 めちゃくちゃに恥ずかしいような気もするが、今更そんなことを気にしても
仕方あるまい。彩花はそんな行動を何の恥ずかしさも飾りもせず、堂々とやっ
てしまうのだ。
 思う。いつか彩花は俺のあずかり知らぬはるかな高みに行ってしまいそうな
気がする。まあ、すでに彩花の罵倒は俺の想像をはるかに超えているわけだが。
「ありがとうな、彩花」
「さ、早く行こう。哲也」
 彩花が勢いを付けて歩き出し、誘ったはずの俺が引っ張られる感じでついて
いく。天気は快晴。贅沢すぎるほどの天気だ。さっさと展示会を見終わって海
沿いでのんびりしよう。


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