その人は他人の望むものを何でも与えてやれたんです。注意してください、 「望むもの」を与えることができたわけです。決してそれが幸せにならなくと も、です。童話で触れるもの全てが金になってしまう王様の話をご存知ですか ……ええ、彼は触れるもの全てが金になるように願うのです、そして彼の願い は通じます。ですが、彼は食事すらできない。パンに触れた瞬間、そのパンが 黄金になるんです。一過性の望むものが不幸を導く話の典型ですな。 ……その人もそうだったんです。彼は人の望むものを与えることができた。 子供が欲しい、そう願う夫婦には子供を。たとえその夫婦が子供を育てられ なくとも。 明日の食べ物が欲しい、そう願う少女には食べ物を。たとえ少女が拒食状態 にあろうとも。 死にたい。そう願う老父には毒薬を。たとえその願いが一時の気の迷いであっ ても。 人々の願ったものを与える。それが彼の仕事であり、宿命だった、というわ けです。 いえ、悪魔の取引ではありません。別に代償を要求することはありません。 彼は他人の望むものを与えることができた。人の「望み」を聞いた瞬間、彼は 「望むもの」を与えざるを得なかった。それだけのことです。 あるとき、彼の家に一人の少女が現れました。少女は言います。 私を助けて、と。 男は理解します。この少女は「助け」を求めた。だから自分が助けを与える。 いつもどおりのことだ、とね。 少女の逃れてきた境遇がなんなのか、男は聞きません。ただ、少女は男の側 にいることを「望んだ」ため、男は同居することを認めた。そこには少女が望 まない限り愛情はありません。男は少女の生活を保障し、外敵から守ってやる 以上のことを少女に与えることはできませんでした。少女が男に対して「愛情」 や「慕情」と言われるものを望まなかったから、です。そして時は過ぎ、いつ しか少女は女と呼ばれる年齢となります。 ある日のこと、女は突然男の家を去りました。ただ一言の挨拶もなく、置手 紙もなく、初めて来たときが突然だったように、去るときも突然だった、とい うわけです。 男は理解します。もはや少女の「望み」は叶った。少女はもはや助けを求め る必要はなくなった。少女がそこにいる理由がなくなれば、男のことも、その 家のことも記憶から消えてしまう。それだけのことです。 少女が出て行ってからも、男は人の望むものを与え続けました。 そして十年以上が過ぎ去りました。 ある、雪の降る日のことでした。 男は偶然、街の喧騒の中に少女だった人の姿を見つけました。その人の手に は小さな手が握られています。子供です。 これまで何にも興味をもたず生きてきたはずの男は後をつけました。 妻の行き着いた先は小さなアパートです。男は壁に寄りかかり、中の様子を 伺います。 中では妻と子供の楽しそうな声が聞こえます。目を凝らしました。 ケーキと蝋燭。子供の誕生日でしょうか。本数は四本。男の家を去ってから できた子に違いありません。おそらくはあの後、幸せな出会いでもあったので しょう、男はそう思いをめぐらせます。突然失った少女でしたが、幸せに暮ら している証拠を見つけ、男は満足して立ち去ろうとします。 その瞬間でした。 「ねえ、お母さん。お父さんは、どこ」 男の足が止まりました。それは自らの意志ではなく、誰かの「願い」をかな えるためのものでした。男の視線は再び家庭に注がれます。 子供の疑問に、その人は答える術を持っていないのか、曖昧に微笑んで子供 を抱きしめていました。ですが、子供も引き下がりません。 「お父さんの顔、見てみたいな」 見てみたい。その「望み」が男の足を止めたようです。ならば、男はその「望 み」をかなえることにしました。ケーキの上に挿された蝋燭、その炎の中に父 の顔を投影する、そんな方法で。 そして 「……これが、お父さん?」 子供の声が聞こえてきました。少女の、いや、女の方は声が出ないようです。 突然炎の中に人影が映ったからでしょうか。男は、部屋の中を覗きました。 蝋燭の中には妻の顔と、子供の顔と、そして自分の顔が投影されていたので す。それを見て、女が泣いていました。 あえて理由付けするのなら、こうなります。 男に「救われた」少女は男の存在を一旦忘れてしまいます。ですが、記憶の 奥に残っていた部分までは消えず、そしてどこかで願ったのでしょう。好きだ と思った人との子供が欲しい、と。男は知らず知らずのうちのその願いを叶え た、と。 男はそのとき、初めてある行為をします。 それまで他人に望まれたものしか与えなかった、与えられなかった男が取っ た初めての行為。 初めて。初めて自分のために望んだのです。 ああ、この子には幸せになってほしい。 男の不思議な力が消えたのはこのときでした。 恐らく、人間には誰だってそんな力があるのでしょう。自分や他人の欲求を 無条件にかなえてしまう不思議な力が。ただし、その力はふとした拍子に消え てしまう。そう、自分のために祈りを捧げたときです。 「……教訓めいていましたかな、いや、失礼」 男の言葉はそこで途切れた。返す言葉は、どこにもなかった。 なんだそれ。そんなのまるで、まるで 「言い遅れましたが、一つあなたに……ハッピーバースデー」 時計は午前零時ぴったり。振り返る。 誰もいなかった。 代わりに蝋燭が一つ。 気障な奴。なら、私も気障に返してやろう。 「メリークリスマス、私」 自虐的な言葉だけれど、自分の幸せを祈ってやった。 Fin. |
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