|
一目惚れ?
桜のまぶしい、春の日。見えるもの全てが祝福を与えてくれる、きれいなひ ととき。笑い声と、微妙な緊張の心地よい高校の教室。先輩からのお下がりの 上着を着た光は一人、黙ってうつむき加減に机を見ている。 聖は光と同じ高校に入学した。どういう縁か、光の斜め前が聖の席だ。まだ 空いているその席をできる限り視界に入れないようにする。光は今、聖のこと を本気で避けているのだ。一方、聖も以前とは比べ物にならないくらいに荒れ た生活を送っている。 光は聖を嫌っているわけではない。聖と関わらないように努力しているのだ。 聖のことはしっかり意識している。光は知っている。成績優秀な光と同じ高 校に通った聖がどれほど勉強したのか。聖がわざと人に嫌われようとしている こと。そしてそれが自分を、人を避けるためにそうしていること。そんな聖に、 光のほうから話しかける場所など、なかった。 それだけではない。近寄りがたく、むしろ嫌われ者の聖と話すということは 即ち、自分がこの学校でのけ者にされる、ということでもある。だから光にと っては聖と幼馴染であることは何よりも隠しておきたいことである。 高校に入学して一ヶ月が経とうとした日のことだった。花水木は既に散り、 緑の多い季節になっている。そんな緑を映えさせるのが温かい、この時期の雨。 桜の葉から落ちる水滴は、緑色を凝縮した宝石のように見える。だから、聖は 雨が嫌いではなかった。そんな雨の中、繁華街の裏手を歩き、バイト先に向か っていた。 繁華街を過ぎるあたりで二人の男が一人の女の腕をつかんで離さないのを見 つける。状況はあきらかであった。理由ではない。抑えることのできない感情 が聖を反射的に動かす。 無言で男たちに近づく。そして男の肩を叩き 「楽しそうだな、俺の相手もしろ」 言うと同時に一人の男の腹に膝を入れた。男が崩れかかり、それに見とれた もう一人の男の顔に無言でパンチ。二人の男は一言もあげず、その場に倒れる。 通行人たちは誰も気に留めない。 先手必勝。正義のヒーローならこんなのことはしない。聖は一瞬自嘲する。卑 怯な戦いだ。だが、勝てば卑怯でもいい。聖は別に荒事になれているわけでも なく、単純に自分の気持ちに従って、それでいて不器用にしか人を助けること のできない人間なのだから。これしか方法がなかった。 呆然と突っ立っていた女子学生が状況を把握するころ、聖は既に立ち去って いた。残されたのは倒れている男二人と女子学生。 女子学生は走れるだけ走る。 ついさっき、強引な男に突然腕をつかまれ、そして誰とも知れない男の子に 助けられ。それって、もしかしてドラマの始まり?そんな言葉が思い浮かんだ瞬 間、こらえていた涙と笑いが一気にふきだす。 繁華街の通行人たちは不思議な女子学生に一瞬、気を取られるも、歩き続ける。 次の日。雨に洗われた朝の空気が気持ちいい。聖は机に突っ伏して寝ている。 その聖の頭をこつり、とつつく人物がいた。クラスの中は誰からともなく聖に 注目する。聖に話しかける生徒はいない、というのが理由の一つ。もう一つは 聖を起こしたのが水崎渓であること。聖は怪訝な顔で水崎渓を見つめるが水崎 渓は聖を知っているようだ。 実はそれは当然のことである。昨日、聖に助けてもらった女生徒。それは同級 生でクラスのマスコット的存在、かつサッカー部のマネージャー、水崎渓であ るからだ。持ち前の明るさ、こぎれいな装いとかわいらしさ。高校男子なら一 度はあこがれてみたりする存在、水崎渓。 「中西君。昨日、ありがとう。いい足してるね」 渓はそう言い切る。 光と聖は瞬時に体をこわばらせる。足の事は、あの日以来聖にとってタブー だから。だが、渓がそれに気付いた様子はない。 「中西君、じゃあ部活はサッカーに決まりね」 渓はありったけの力で聖の机を叩き、満面の笑みを見せる。これで、ころっ と来ない男はいない、というくらいに。聖の机に手をかけてそういう渓の目に は一点の曇りもなかったから。机の上には入部届け。計算づくの、渓にとって は勝算100%の勝負、のつもりだった。 聖はいきなり立ち上がった。次の行動で渓の襟をつかみ、にらみつける。 大きな音がして椅子が倒れる。クラスから音が消えた。 「お前、何様のつもりだ」 聖の低い声が静かな教室に響く。渓は笑顔を崩す暇さえなく、凍りつく。聖 はしばらく渓を睨み、手を襟から放し、教室を出て行く。残された渓はその場 に駆けつけた友人たちに肩を叩かれた瞬間、泣き出した。 遠めに見ていた光は渓がどれだけ残酷なことを言ったのか分かってはいた。 だが、聖のために弁解することはできなかった。 中西君、最低だねえ。そう言う友人達に光はただ頷くしかなかった。聖はそ の日、そのまま学校をサボった。 |