百円の軌跡

第十二話

「ヘリコプター、よ。高校生」
 はい?
「それ食えるのか、中学生」
 場所は再び岸壁。中学生の垂らした係留ロープにしがみつき、無事生還を果
たしたのだ。頭を垂れる水滴が塩辛くて仕方ない。
「お約束ありがとう。でも真実だから。あの島に飛ぶのは軍人さんくらいでし
ょ。いつもヘリコプターで飛んでるわよ。向こうの島まで。それだけのこと聞
くために無駄に頑張ってさ、ほんとにバカよね」
 無駄に命を張ったPK戦の勝利の末、掴んだ答がそれ。
 軍隊が使うヘリコプターを使えば行くことができます。
「よし、ピンク、ブルー、そしてホワイト。それが確認できただけでも俺は幸
福だ」
 名前が分からないので右から順番にそう呼ぶことにした。ちなみに色は先ほ
ど下から見た
「……笑えない冗談は、いただけないですよ?」
 ピンクがいつもどおりの目線で俺を見て
「あはは、遺言だってよ?ほんっとにバカよね」
 ブルーが爽やか過ぎる笑顔と嫌過ぎる拳を俺に向け
「やめなよ、顔じゃなくてお腹にしないと証拠が残るって言ってたでしょ」
 ホワイトの殺害予告が華麗に決まる。
 人、それを修羅場という。
 自分で招いた修羅場に十字を切る。
 ……
 ………
 自業自得の権化のごとく一通りタコ殴りにされた後、状況を再確認する。ア
ホなやり取りのせいで随分時間を食った。時間は大幅にタイムリミットに近づ
いている。万一不目が会ったとしても、時間切れだ。今から島にまで行くには
飛んでいくしかない。
 しかも手段は軍用ヘリ。
「なんだ、軍用ヘリに乗ればいいってことか」
「……アホですか、あなた」
「うわ、アホがアホを自覚した」
「やめなよ。もう遅いかもしれないけど見守ってあげないと」
「待て、こういうときはフォローがお約束だろ……」
 三者三様の暴言を聞き流し、頭を抱える。そう、ヘリといっても軍隊のヘリ
だ。世界最強といわれるわが国の軍のヘリに高校生が便乗。金を出したら乗せ
てくれる民間機ではない。俺がヘリを設計するほうが確率も高そうだ。だが、
可能性が少しでもあるのなら行こうと思う。どうせ無力なら振り上げた拳を振
り下ろしたって積荷はならない。水に濡れて重い制服を抱え、
「じゃあな。楽しかったぜ、中学生」
「……ほんとうに、行くんですか」
「ああ、行く。ピンク」
 それが俺の決意。
「死ぬわよ、ほんとうに」
「そのときは死体を海に投げ捨ててくれ、ブルー」
 勝ってやる。
「あの、そこまでして行くのって」
「お姫様のためだ、ホワイト。じゃあな」
 絶対に。
「……待ちなさいよ。私は美原陽花、よ。中学生でもピンクでもない。頑張り
なさいよ」
 右手を差し出す。
「ああ。俺は如月だ。子供が出来たらお前の名前をつけてやる」
「やめてよ童貞。いいわ、それなら結婚式には呼んであげるから、生きて戻っ
てきなさいよね」
 握手を交わした。アホみたいな青春ドラマだった。

 残り二時間。かろうじて見えていた基地に近づき、速く動かしていた足を緩
める。目の前には高さ三メートルのフェンス。鉄壁の守りにせめても腹筋を硬
直させてみる。
 と、門衛の影が動いた。
 自動小銃を横に構えなおす。いわゆり第二種警戒体勢というやつだ。
 距離二十メートル。容赦ない自動小銃の銃口が何のためらいもなくこちらを
向く。このまま走れば確実に殺されるだろう。この国の軍隊の容赦なんてもの
は存在しない。戦争で買った国に大義なんてものも、正義なんてものも存在は
しない。
 いい。俺はそれでもこの国が好きだ。その勝利を誇りに思う。殺されても文
句など言えないかもしれない。精一杯の気合を入れる。
 距離五メートル。引き金に力が加わったのを確認し、呼吸を整えて
「頼みがある。今すぐ基地の責任者に会わせてくれ」
「……うん、見学か何かですか。身分証を提示し、一般国民であることを送信
してください」
 意外だった。若い女性の声だ。
「わかった。でも見学ではなく、用事に来たんだ」
 水に濡れた生徒手帳を出し、中心に軽く触れる。瞬間、俺に関するデータが
全部、門衛に照合される。
「……如月さん、ですね。それでは入構許可申請に移ります」
 丁寧な口調はそのままに、問答無用の自動小銃が俺を向く。戦争なんて終わっ
たのに警戒だけは最高度だ。
「えっと、用事とは面会、でしょうか」
「違う。悪いけどヘリコプター、操縦士つきで貸してくれ。向こうの島に行き
たいんだ」
 何を言っているのか、という顔がこちらを向く。
「ハイジャックですか?」
「こんな穏便なハイジャックがあるかっ」
 ついペースに嵌められていた。というかこの女性兵士、相当根性が座ってい
るのか天然ボケなのか。
「それもそうですね。では向こうに急病人か危篤人でもいるのですか。それな
ら」
「ああっもう鬱陶しい。とにかく島に行かせてくれ」
 自動小銃を構えたまま半目で何かをつぶやく兵士、というのは正直怖い。
「えっと、ちょっと待ってくださいね……あった。『一般人のヘリコプター使
用の要請には知事か少佐級以上の承認が必要』だそうです。市町村の長か知事
にこの書類を提出してもらい、こちらの書類に判子を貰って来てください。あ、
緊急なら電話でも構わないそうなので」
 このマイペース、わざわざ人をいらだたせようとしているのか。
「ここの責任者なら判子を押せるだろ。緊急なんだ。人の、命がかかっている
んだ」
 言った。その瞬間、自動小銃の銃身が俺の右手を叩く。そこに立っていたの
はもう、マイペースなだけの兵士ではなかった。
「だから如月さんの口ではなく、市町村の長が文書にするならいつだって取り
次ぎます」
 さっきまでと変わらない丁寧な言葉。それでも、引き金に手がかかっていな
いのに恐怖を感じる。
 負けてはいられない。
 軍隊といっても所詮お役所だ。相手は武器を持って訓練している奴だろうが
こちらは違う。一介の高校生だ。ものすごく怖い。次の瞬間には引き金を引か
れるかもしれない。軍事基地に近づいただけで殺される時代が一年前までは確
かにあったのだ。一切の言い訳も容赦も何もなく殺されるのかもしれない。
「今すぐ飛ばしてくれ」
「だからできない、と」
「百円やる」
「いりません」
「色仕掛けするぞ」
「保安条項に基づき、発砲しますよ」
 馬鹿みたいなやり取りだが、ほんとうに怖い。ひざなんて震えている。もし
水分を取っていたら確実に漏らしていたと思う。
 もう、勘弁して
「何をしている。説明しろ」
 背後から声が聞こえた。透き通る強い声だった。恐ろしさを振り切り、背後
に身体を向けた。
 俺よりはるかに高い身長、鍛え上げられたしなやかな足、細い手首。切りそ
ろえられた綺麗な短髪、地面に投影された影ですらそれと分かる胸の大きさ。
 でけえ。
「どうした。説明しろ」
 見とれているともう一喝。周囲にものすごい緊張が走る。
「はい。島に渡りたいとのことですが」
「……そこでずぶぬれになっている彼のことか」
 はじめてその、長身の女性兵士と目が合った。
 美しく、強い顔だった。その顔に、その姿に心の底からひきつけられるもの
を感じる。
 が。
 それと同じくらい、本能がその人に恐怖を抱かせる。人間としての格が違い
すぎるのだ。この人がその気になれば一瞬で俺など殺される。
「さて、少年。連絡船は明日の朝にだってある。今行かねばならない理由があ
るのか」
 強い声の中に感じる、くぐもった優しい響き。その声だけで、苛立っていた
心も、焦りも、全部丸められてしまうような気がした。
 心を落ち着け、俺が今ここにいる理由を一つずつ確認していく。
「ああ、理由か。これを見てくれ」
 佳澄の遺書を取り出し、渡す。この人になら見せてもいい気がした。この人
なら、なんでも分かってくれそうな気がした。
「……なるほど。そいつは厄介だな。だが私はそんなことを聞いているのでは
ない。お前がなぜ島に渡りたいのか、それを聞いたのだが」
 それは
「人が死のうとしているんだ、当たり前だろ」
 違う。人が死ぬからなんて理由が成り立つのなら、この国は死にあふれてい
る。俺は
「では警察に連絡しろ。人が死ぬだけなら、お前が行く理由にはなるまい。そ
もそも軍隊は人を殺すところだ。出番が違うな」
 心の底からその人、佳澄のことを
「国見、その少年にはお帰りいただけ」
「はい」
 拒絶の言葉が本当に実行されてしまう前に
「では少年、急ぐなら泳いで行け。どうせずぶ濡れだろ」
 もう一度、駆け込む。制止の声なんて無視して、その人にすがる。
「俺、そいつのことが、好きなんだ。好きな俺にしか、止められないんだ。警
察では無理だ。だから行かせてくれ」
 言った。
 そうだ、俺は佳澄が好きだ。記憶にも残らぬ出会いがただ、俺を最後まで求
めてくれたことが好きだ。毎日かかってくる電話が好きだ。少しあわてた感じ
が好きだ。
 そして
 俺には届かなかった、運命への抗いの手が、俺を導いてくれた。
「……偽りはないな、少年」
「ああ、ない」
「では覚悟を口にしてみろ」
 こちらを向かない女性の口からその言葉が聞こえる。
「俺は大好きな奴を殴ってでも連れ戻して、守ってやる。だから、乗せてくれ」
 長い沈黙だった。
「囀るだけなら鳥でもする。その覚悟、試させてもらうぞ」
 身体が吹き飛んだ。滞空時間を感じるほどに長かった。門から五メートルは
離れた場所まで飛び、更に地面を滑る。どこかから爆弾でも落ちてきたのかと
真剣に思う。
 どうしたんだよ。
 そう言葉を出そうとして、あごが動かなかった。その代わりに猛烈な痛みが
走った。
 殴られたのだ、そう気づくだけで十秒は経過した。
「その痛みは『貸し』にしてやろう。出発は十分後だ。ついて来い」
 頭がふらふらし、立つことすら適わない。桁違いの力だった。さすが、軍人
ともなると殴る力がここまで違うのだろうか。
 いくらなんでもノーアクションであれほどの力を持っているのは人間という
より兵器の部類に入る気がする。
「野上。肩を貸してやれ。少し寄り道することにしよう」
「で、ですが大尉。そうしますと本日午後八時からの立案会議に」
「あんなもの居てもいなくても一緒だ。アホ面下げた大佐の面々などと顔を合
わせるつもりなど最初からない。ところで少年」
 大尉と呼ばれたその人がこちらを向く。
「私は空軍北方方面隊所属、大尉をやっている千島桔梗という。以後、千島と
呼んでくれて構わない。お前の名前はなんという」
「ああ、俺の名前は如月−」

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