乗り継ぎと乗換えを繰り返し、線路の上を十五時間。日付なんてとっくの昔 に変わった。車窓から見えた日の出が無駄に目に染み、時間単位で冷たくなる 風を肺に溜め込む。そうして最果ての地の夜が朝を迎え、星が消える。 限りなく繰り返されてきた自然の営み。この地に試された最初の開拓者たち も同じ光景を見てきたのだろうか。ふと、そんな大昔に思いを馳せてみる。 時間が嘘のように過ぎ行き、緩やかな加速と減速を気の遠くなるほど繰り返 し、車内アナウンスが終点を告げる。 荷物なんて何もないけれど、一瞬感慨にふけって列車を後にした。 最果ての駅だ。堅牢な駅に海からの突風が印象的な無人駅。ものすごく広い 道路に港湾設備、それ以外は車も人も何も見当たらない。一面の平原にはひざ の高さまで成長した草。よく見れば小さな花をつけているのに、馬鹿な俺には 雑草としか映らない。つくづく世界の狭さを呪う。が。 「……腹減った」 どんなときでも腹が減るのはやっぱり俺が若いおかげなのだろう。財布の中 身がアレなので俺は十五時間、飲まず食わずなのだ。腹も減れば喉も渇く。渇 きはトイレの水でしのぐにしても飢えをトイレットペーパーでしのぐわけには いかない。こんなとき、山羊に生まれてこなかった自分を呪う。 空腹なんて二の次の話なのに。 今は船に乗って島に渡り、その後島の最北端まで行かなければならない。距 離はだいぶつめたけれど、時間的には折り返し地点のように感じる。 「船、ということは連絡船乗り場だよな」 佳澄が書いている以上、この近くに離島までの連絡船乗り場があるはずだ。 あたりを見渡す。 山にはまだ雪が積もり、コンクリートで固められた岸壁が見え、人の気配す ら感じない。遠くにフェンスと駆逐艦、レーダーサイトの球体が輝く。晴れた 日なら見えるだろう島も、霞んでしまっている。 それは本当に孤独な、寂しい風景。 何を格納しているのか分からない倉庫の群。忘れ去られた牽引トレーラ。錆 すら浮き出るコンテナ。そんな廃れた港の風景の中、目立たないコンクリート 造りの建物を見つけた。 近づく。 『連絡船定期便乗り場』 間違いない。佳澄が船に乗ったとしたらここだ。この最果ての地の、最果て の風景の、人にも自然にも捨てられた風景しか広がらないこの場所から向かっ たのだ。世界一孤独な風景を見納めに。 最後の最後まで孤独を感じて命を絶つなんて、許されるはずがない。 さて、人っ子一人いない待合室の中にど田舎を象徴するような時刻表を見つ ける。 「……どういうことだ、これ」 しばし、言葉が出ない。そう、それは時刻表なんかではなく 『本日の連絡船は しました』 重要な部分を赤い文字で書くと一番最初に剥げ落ちる典型例である、が。 誰がどう贔屓目に見ても、抜け落ちた二文字は『終了』に違いない。 つまり、 「間に合わなかったのか、俺」 膝に力が抜けた。 こんなときに腹の虫が鳴く自分が死ぬほど恥ずかしい。 ここまできた。 ずいぶん無茶をして、それでも根性だけは見せたつもりだった。佳澄との約 束まではまだ四時間はある。四時間あれば向こうの島まで十分に行ける。 俺は万能で最強だ。そう思っていた。でも。 結局根性なしの、力不足の、ダメ人間なのだろう。引きこもりが一念発起し たところで、所詮だめなのだ。心の底からそう思う。 ベンチに腰を下ろした。 誰もいない待合室が余計に悲しい。 もう俺にできることはないのだろうか。 どれほどの覚悟を決めても俺はこの程度なのだろうか。 やっぱり、最初から引きこもっておけば ごつん。 「……あの、ごめんなさい」 「ほっときなって。こんなところで膝ついているの、絶対アホに決まっている わ」 「ちょ、ちょっと。言いすぎたら傷つくかもしれないよ」 後頭部に衝撃を感じ、そのままひっくり返された上に執拗な罵倒を食らう。 「って、なんだお前ら」 足元にはサッカーボール。顔を上げる。短めのスカートにありがちなセーラー 服。気崩した感と口元の生意気っぷりがいかにも田舎の中学生という第一印象 を与える。 ほんとうなら怒るところなのだろう。だが、もう何だっていいような気がし た。 「すまん、船に乗り遅れてへこんでいるんだ。そっとしておいてくれ。こんな 大人になるなよ。女子中学生たちよ」 こんなときでも場を茶化すことしか出来ない自分が世界一情けない。 「そ、そうだったんですか……」 「あはは、やっぱりアホだったじゃない」 「や、やめなよそんなこというの、ほら、最近の若者って切れやすいって言う し」 「……どうとでも言ってくれ」 フォローになっていないフォローに開き直る。 「あの、お兄さんは高校生ですよね。軍人さんではないのに、あの島に渡るん ですか?」 一番礼儀正しいと思われる中学生の一人が俺に顔を近づけて覗き込んできた。 その視線が微妙に鋭い。 さすが、最前線を張ってきただけのことはある。一番礼儀正しい言葉遣いだ が、おそらく彼女が一番俺を疑っているのだ。一昔前前ならこんな男が海岸線 を歩いているだけで殺されても不思議ではなかったのだ。 それが最前線だ。 そして佳澄はその最前線の島に向かおうとしている。半世紀以上も戦争の最 前線を耐え抜いた島だ。今更ながらに俺にも緊張が走る。 「ああ、俺はしがない高校生だ。お姫様のケツを追いかけてきたんだけどな」 「……そう、なんですか。哀れな」 「あはは、アホの上に気色悪い。生涯童貞決定ね」 「やめなよ、人間には個性があっていいんだよ。どんなかわいそうな個性でも 尊重しなきゃって習ったじゃない」 「……俺、なんか悪いことしたか」 疑いの目線に、中学生とは思えぬ毒舌に、傷口に塩を塗りこむ逆フォロー。 いっそのこと死にたくなってくる。 「ま、一応いつだって行こうと思えばいつだって行けるんだけどね」 いつだって。 「ん、どうすればいいんだ。教えろ、中学生」 考えている暇はなかった。こんな無人に近い場所で人に会い、その上島には いつだっていけるなどと言う。どんな冗談か知らないが、それが最後の根性の 見せ所なのだと思う。 毒舌女子中学生に掴みかかった。傍目に見ると危ない奴が暴れているように しか見えないだろう、が、外見なんて関係ない。そんなもの、引きこもった瞬 間に捨て去ったものだ。取り繕うべき外見なんてない。 「うーん、あるにはありますけど、それは」 「うん、明日まで待ちなさいって高校生。ヘタレには無理よ」 「そ、そんなヘタレって言ったら落ち込んじゃうよ」 落ち込んでいる暇はない。 「悪いが俺はヘタレではない。勝負するか。俺がお前たちに勝てば無条件で島 への行き方を教える。それでどうだ」 突き上げる。 「え、そんなこと」 「いいわよ、高校生……アホそうだから種目くらい決めさせてあげるわ」 周りを見渡す。絶対に勝てる勝負。それも短時間で決着のつくもでなければ ならない。 場所は港。後ろは海。そして目の前には サッカーボール。 恨み辛みのこもりまくったサッカーボールである。 「……勝負と言えばPK戦だ、女子中学生。俺がキーパーをやる。ゴールは海。 海の中に蹴りこめばお前たちの勝ち。ボールを止めれば俺の勝ち」 「わかったわ。あんたが負けたら全裸で交番前の缶コーヒー買ってくる罰ゲー ムね」 死ぬほど嫌な罰ゲームだった。佳澄のため以前に、俺の無罪のためにも勝た なければいけない。 「それじゃ、蹴らせてもらうわ。順番はこっちで決めるから」 意地でも負けられない試合が始まった。 「い、いきます」 一人目が構え、足を蹴り上げた。 いかにも女の子っぽい球速。足を振り上げた瞬間に自分がこけるぐらいだか らなんてことはない。若干回転しながら地を這ってきたボールを足だけで止め る。 「次、来い」 パス。 「……行くわ」 二人目だ。声と同時に下がり、思いっきり助走。 こちらも身体を前に走らせ、足の軌跡を読む。 ……右だ。 絶対に外さない直感。飛んだ。 胸に心地よい衝撃を感じ、ボールを腕の中に収める。 「ふん、楽勝だな。要は勝てばいいんだ。最後だ、来い」 「うわ、自分で死亡フラグ立ててんの。行かせて貰うわ。高校生」 三人のリーダー格なのだろう。ボールを地に置き、こちらを見て不敵に笑う。 その表情からは何も読み取れない。 こんなとき、キーパーはとにかく身体を前にやる。どっちに飛ぶにしたって 前で受け止めればそんなに広がっていない。 が。 なにをやっても絶対に外す。それが俺の直感だった。だから 中学生がボールを蹴ると同時に、 彼女たちに背を向け、 岸壁をつま先で蹴飛ばし、身体を浮かせて海に向かってジャンプした。 二メートルは下の海面が遠い。 中学生が何かを叫び、飛ぶ俺の頭上を黒と白のボールがスローモーションの ように過ぎ去り、そして 海面に叩きつけられ、手が何かに触れた。 渾身の力を両手に込める。 ボールだ。 取った。 そう言おうとした瞬間、引っ張り込まれるような感覚とたかだか五十センチ もない波に頭を押さえつけられた。 ただ、身体が重かった。着衣水泳はしんどい、と聞いたことがあるが岸壁ま での二メートルが遠い。両手でボールを抱え、両足を必死でばたつかせる。 「ちょ、ちょっと高校生。あんたそんな」 応えられるほどの余裕もなければ何もない。ただ、少なくともこんなところ で無駄に張るほど安い命ではないはずだ。それでも、ここで負けてしまっては 次がないと思う。 だから泳ぐ。 何の罰ゲームだと思う。全裸缶コーヒーのほうが楽だ。それでも泳ぐ。足掻 いているだけかもしれないけれど、へたくそで不器用だけれど、無力でバカみ たいな存在だけど、泳いで、そして 岸壁に手が触れた。心臓なんてとっくの昔にストライキ寸前だ。呼吸だって 出来ているほうが不思議だ。 「中学生。俺の勝ちだな」 波の間から出た瞬間、それだけは口に出来た。 「……高校生、やるわね」 「ちなみに下からだとパンツ丸見」 上から係留ロープでどつかれた。 人間、欲望の前には肉体の限界を超えられるものである。まさに自業自得で ある。 |
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