それは小さな薄桃色の封筒だった。 如月様。 そう書かれた表と、端に 皆瀬佳澄 つまり俺宛、佳澄からの手紙だった。 『この国の最果ての島の最果ての岬。もし、如月さんがこの手紙を見つけてく れていたら、私はそこにいると思います。 その島は花の島で、世界一綺麗な夕焼けがあると聞きました。 死ぬにはちょうどよさそうだな、って思います。 先に謝っておきます。 ごめんなさい。 自殺しようって思ったのはこれで二回目です。 一度目は高校の入学式の日です。 あなたの病気は治せない。生きるのも死ぬのも運任せ。そう言われて生きて きました。 だから、運試しをしてみました。 入学式が終わってもし、私に誰かが声をかけてくれたら生きてみるのに賭け てもいい。だめなら自分で死のう。 ずっと待ちました。入学式なんてとっくに終わったのに、それでも立ち続け ました。最後だから甘いものでも食べて、それで死のうと思っていました。 だから、街に向かって歩こうとしたときでした。大きな影が地面に見えて。 それが如月さんでした。私の荷物を勝手に持って、この駅前にまで連れ出し て。その顔がものすごく能天気で、自分の悩みすらもばかばかしくなって、日 が暮れた頃には生きていこうと思いました。 如月さんは私の生そのものでした。だから、次の日の約束をしました。 でも、私は約束を破りました。体調が悪くなったから、なんて言い訳です。 そして夏が来て、秋が来て、冬が終わって私は一年生を繰り返すことになり ました。最近ようやく体調も持ち直して、一年遅れても如月さんのいる場所に 戻れると思っていました。でも、この前久しぶりに来てくれた学校の先生が言っ ていました。 如月さんは学校に居ない。 嘘だと思いました。だから、如月さんに電話をしました。 通じました。とても嬉しくて、嬉しくて言葉になりません。その言葉がどれ ほど嘘だらけでも、如月さんの声が私の生きる意味だと思っています。 そして先日、お母さんとお医者様が内緒で話しているのを聞きました。 私は病気が治らない、って。 これ以上つらそうなお母さんを見ていられなくて、その日からずっと笑顔の お母さんが悲しくて、これ以上生きていても何も出来ないのに、私に優しくし てくれるお母さんに申し訳なくて。 今度こそ死のうと思います。 たくさんのありがとうを言えなかった私を許してください。また学校で、そ う言って教えてくれた携帯電話の番号、初めて人の電話番号を教えてもらって 嬉しかったです。その嬉しさだけで生きていこうって思った自分も裏切ります。 だから一つだけわがままを言います。 学校には笑顔で登校してください。それだけで私も楽しめるような気がしま す』 コインロッカーを殴りつけた。 「アホか、俺」 拳だけでは物足りなくて頭をぶつける。通行人が振り返るが気にしない。 全身に力がこめ、わけもわからず走る。 佳澄がどこに行ったのか、そんなことは分からない。ただ、ここから列車で いける一番北にまで行って、そこから船に乗る。それだけだ。 そう、約束は明日の午後六時。今から気合を入れれば間に合わないことはあ るまい。 ならばまず。 「切符かっ」 そう、とにかく佳澄のケツを追いかければ運良く追いつくことだって、とも すれば先回りだってできるかもしれない。開通式の記念切符に並んでいる人の 列を睨みつけ、全身で突進した。聞こえる悲鳴もブーイングも、そんなものは 後で一括払いしてやる。お姫様が大ピンチなのだ。窓口にいる最後の一人に掴 みかかる。 「おっさん、俺に順番を代われ。切符を買わせろ」 肩を掴む。 と、さっき俺に日付の間違いを伝えてくれた、その人だった。 「ったく、なんなんだ、またお前か。そもそも順番代われって」 「今すぐ行く場所があるんだ。女に会うんだ、頼む」 動きかけた口を無視し、窓口に向かって言う。 「駅員、ここから一番北に行く切符と特急券だ。今すぐ頼む」 いぶかしむ駅員を精一杯睨みつける。さすが事務員、淡々と機械を操作し、 淡々と発券し 「はい、一万五千九百二十円」 そう告げた。 財布の中身を確認する。 締めて百円なり。 約二万円の買い物なんぞ夢のまた夢であるそんな金、全財産をはたいても存 在しない。 「くそ、駅員。それ百円くらいにまけてくれ。百円なら買える」 窓越しに詰め寄った。 アホでもバカでもなんでもいい。どんな言葉でも覚悟する。こんな俺に巡っ てきた、最後の最後の覚悟の場なのだから。 「あのね、あんた」 「いいか、俺は女を迎えに行かなければならないんだ。後払いなら何とかする」 もはや取り合おうともしない駅員の手を掴み、切符を奪う。 窃盗、強盗。何とでも呼んでくれ。今の今だけはやったもん勝ちでいさせて くれ。たとえこのまま警察を呼ばれようとも、後ろで待っている奴らに袋叩き にされようとも 「駅員さん。俺がその切符買うよ」 非難の声に塗りつぶされた中、そんな言葉が聞こえた。 「なんだ、誰だ」 一万五千九百二十円。ぴったりの金が窓口に揃っていた。 「さっきから十分経ったな……お前から借りた百円、一分十六割の利率で返し たら、ちょうどそんなもんだ」 背中に乗った手が強く俺を叩く。 日付を教えてくれたおっさんだった。 「おっさん、悪い」 「行ってこいよ、王子様。貸しだからな。それから俺のことはお兄さんと呼べ」 左手にはつかんだ切符。右手は握手。無駄に格好つけるあたりが男臭い。 「ああ、倍返ししてやるよ。兄貴」 乗車券を掴み改札に走った。 やってきた電車の表示も見ずに飛び乗り、運転席に食らいつく。 手には佳澄の手紙。 もう一度読むだけの勇気はなかった。いや、そんなことをしなくとも、忘れ ていた過去を思い出していた。 あんなにも大切だった日のことなのに。 ……なんで俺、忘れたんだろうな。 入学式だった。 桜には早い正門に人だかりができ、笑顔がこぼれ、祝福が溢れていた。 その祝福から一歩はなれた場所に俺がいて、よくわからない喧騒を避け、広 すぎる構内を歩いた。その人のつながりになぜか入れない俺がいた。最初の一 言をかけることの出来ない俺がいた。 ずっと人が減って日も傾きかけた頃、ようやく校門へと向かうことができた。 人の多すぎる世界は俺には合わない。 せめても入学した高校の正門くらい見て、それで帰ろう、そう思った。 「……ふぅ」 ため息をつこうとした、その瞬間。 まだまだ冷たい風に流された別のため息を聞いた。 振り返る。 きれいな、裾に赤いラインをあしらったスカートと風に誘われるネクタイが 見えた。 そこからはみ出す足と手がひどく細く、弱く、誰も寄せ付けようとせず。 それは俺と同じ孤独の形だった。 だから、それは俺にとっても精一杯だった。 最後の賭け。この賭けに負けたら、誰にも話しかけずに三年間を過ごそう、 そう思って 声をかけた。 「ため息つくと幸せが逃げるんだ、知ってるか」 バカみたいな第一声だった。 でも、彼女はそんな声に反応する人ではなく、俺の顔をただ眺め、新しい制 服の中に縮こまる。口が酸欠の金魚みたいに開きかけ、目に輝く夕日の残光が きれいで。 「ほら、荷物貸せ」 強引に荷物を奪い、手を取った。 「っぁ」 やけどしたように手を引き縮めようとするのを強く握る。 「遊びに行くぞ」 バランスを崩しかけた彼女が俺の手に両手を添えて、自分の足で身体を支え る。 そうして、立ち続けていた彼女は、何の言葉も知らない彼女は きっと こう言ったはずだ。 「……はい、生きたいです。私」 行きたいです、ではなくて。 それが彼女の、この世への精一杯の意志。俺にはできなかった運命への抗い。 二人で下る坂に、桜の花は少しだけ早かった。 |
||