百円の軌跡

第五話

 ところで俺は今シューティングゲームというものに凝っている。自機の弾を
相手に当てれば勝ち、相手の弾が自機に当たれば負け、という単純明快なゲー
ムであるのだが、これがまた奥深い。最初はとにかく撃ちまくりの逃げまくり、
そして高得点狙い、慣れてくると最小限の動きで画面七割を占める敵弾をかい
くぐる。そのうち大体のプログラムが分かってくれば目を閉じてもクリア可能
になってきたりするわけである。ゲームセンターで延々百円を払って鍛えるく
らいなら、家で延々打ち込む方が経済的である。
 つまり、引きこもりは非常に経済的であるのだ。さすが俺。
 アホか。
 というわけでかれこれ数時間、液晶ディスプレイのみを注視してきたわけだ
が。
 部屋の隅に突如光が出現した。二度目にして二度目の驚き、二度目の飛びの
き、二度目の試行錯誤の末、一通り引きこもりらしい反応を示してから一応電
話番号を確認してみると液晶には昨日と同じ三桁プラス四桁プラス四桁の番号。
昨日電話をかけてきた皆瀬、である。間違い電話もかけ続ければ間違いではな
くなる、などと意地を張っているのかもしれない。そういえば弱々しい声の中
に意外な意志の強さを感じたのはひいきではあるまい。いずれにせよゲームよ
り女である。この世の真理である。
「はい、来々軒」
「ご、ごめんなさい掛け間」
 絶対やってくれるだろうと思っていたかわいい反応を楽しみ、既におっさん
と化してしまった自分を鼻で笑っておく。
「嘘だ。如月だ。皆瀬だな」
「……皆瀬です。間違えたかと思いました」
 そもそも間違い電話だったような気もするが、気にしないことにした。
「まあ許せ。あれから正しく電話はかけられたか」
 沈黙。
「お前、そういえば俺の苗字を知って電話かけてきたよな」
 沈黙。
「もしかして俺に用事なのか。間違い電話じゃなくてさ」
 沈黙。
「なんだよ、怒ってんのか」
 結論。相当にへそを曲げているらしい。
「俺、女の子に絶対騒がれる話題を知ってるんだ。教えてやろうか」
 実践。これであなたも人気者だ。
「……皆瀬。実はお前の後ろに体長五十はあるゴキブリがいるんだ」
「え、ど、どこですか」
 早速騒ぎ立てる。さすが食いつきがいい。
 まさに女の子。
 が、この地域は冬が寒すぎるため、ゴキブリなんてものは存在しない伝説上
の怪物である。俺だって見たことはないが、とりあえず騒ぎ立てるべきもので
あるらしい。
「右、あ、今左に、うわ。飛んだな。えげつな」
「こっちですか、私、負けませんから」
 受話器の向こうで暴れる音が聞こえる。どうやら史上最大の作戦が展開され
ているらしい。意外に果敢な戦いを挑む意志を見せているあたり、侮りがたし。
あまりからかうとゴキブリの代わりに俺が叩きのめされそうだ。
「というか受話器越しに分かるはずがないだろ。落ち着け」
「う、嘘だったんですか、如月さん」
 暴れる音が止まり、微妙な沈黙が流れる。
「嘘じゃないって。気の利いた冗談だ」
「気なんて利いていません。仮に利いていたとしても、ついていい嘘とダメな
嘘があるのと同じで、ついていい冗談とダメな冗談があるんです。そう思わな
いですか。自分の胸に手を当ててよく考えてみてくださいっ」
 丁寧に良心の呵責をいびりたてる。あの臆病全開の皆瀬とは思えぬ言だ。へ
そも曲がりまくっているのだろう。
「ま、そんなにへそ曲げんな」
「曲げたのは如月さんです。もう曲がり過ぎて戻りませんっ」
 受話器から「ぷんぷん」という効果音が聞こえてきそうである。必死で起こ
っているのだろうが、無駄に可愛らしさを演出しているようにしか感じられな
い。
「ちなみにゴキブリ撃退超音波発生装置なる謎の機械が百円でオークションに
出てたぞ。気になるなら買っとけ」
「はい。ぜひ二つ購入して一つは受話器に向けておきます。これで如月さんの
家もゴキブリゼロです」
 微妙にゴキブリ扱いされたような気分だ。もしかするとこれは佳澄流高度な
突っ込みなのかもしれない。
「やるな、皆瀬。後は任せた」
 もうこれ以上会話するネタもない。そう思って電源ボタン
「あ、待ってください」
「何だ。何かあるのか」
 それは今までにない張り詰めた声だった。電源ボタンに手のかかったまま、
受話器に耳をつけて、そして
「あの、如月さん」
「なんだ」

「学校は楽しいですか」

 皆瀬の綺麗な声が響いた。
 学校は楽しいですか。
 学校。
 楽しいわけがない。
 それ以前に行ってもいない。
 なんだ、新しい罰ゲームなのか。
 楽しければこんなところにいるわけがない。こんなところに逃げ込んだりし
ない。
 こんな弱さを知らなかった。
 いろんな思いがこみ上げる。それが怒りなのか、悲しみなのか、無力感なの
か、自分でも分からない。
 それでも勢いだけで電話機を投げつけてしまいそうになるのを必死で止める。
そう
「皆瀬、はどうなんだ」
 その答を聞いてから携帯電話を破壊しても遅くはないから。
 こんなときまで甘い自分がつくづく情けない。逃げると決めたことですら守
れず、逃げ切れない。
 それでも、自分を守ることが出来れば、それでいいから、だから決めた。
 もし楽しいと答えれば、そのときは
「楽しいです、学校。私はそう思います。だから、大好きです。学校」
 叩きつける。
 そのつもりだったのに。
 私はそう思います。
 だから、俺の手はそのまま固まった。
 皆瀬の声に強い意志があったから、ではない。多分、それは
 受話器の向こうに同じにおいがしたからだ。
 賭けてもいい。その皆瀬という人間には学校なんて全然楽しいものではない。
本当に楽しければ「そう思います」なんて言わない。自分に言い聞かせなけれ
ばならないほどに学校がつまらないのだ。だからこそ、間違い電話の相手にだ
けでも学校が楽しいと強調しているのだ。
 だから、言ってやりたいことはたくさんある。
「ああ、俺だって学校は最高に楽しい。毎日がパラダイスだ」
 嘘だったけれど。俺自身のありえぬ幻想をせめてもの口からのでまかせでご
まかす。受話器の向こうがそれで元気づくなら、どんな道化だって嘘だってい
い。
「……楽しい、ですか。それはとてもいいことです」
 心底嬉しそうなその声が少しだけ曇る。だから
「ああ、パラダイスだからな」
 もう一度念を押しておいた。
「ところでパラダイスって、どういう意味でしたっけ」
「好き放題できるんだ。俺みたいなやつがたくさんいるんだ」
「はあ、パラダイスって無法地帯って意味なんでか」
 ものすごくアホで天然の回答が聞こえてきた。しかも他人を勝手にアウトロー
に。
「いい。忘れろ。で、一体お前は何をしたいんだ」
「あ、待ってください。あの、如月さんは高校の二年生、なんですね」
 確証を得ているような、得ていないような、微妙な聞き方だった。まるで、
俺のことは知っているが会ったこともない噂だけの存在を確かめるようだ。
「もしかして皆瀬は俺のこと、知ってんのか」
 学校での知り合いとは考えにくい。
 ちなみに俺は延々と引きこもっているので出席日数の関係で留年確定である。
もし学校に復帰すれば一年に編入されるだろう。いったん休むとますます行き
にくくなる。学校は社会の縮図だというが、まさにそのとおりだ。
「あ、あの。学校のこと、教えてください」
 俺の疑問を完璧に無視して話が続く。
「なんでそんなこと」
 学校のことなんて考えたくもなかった。
「ごめんなさい。やっぱりあつかましいです、よね」
 ああ、俺だって男さ。そんな気弱な声には弱い。意識はしていなくても下心
だってあれば格好いいところを見せたい気持ちもある。
「いや、だが学校の話は今度だ。どうせまたかけてくるんだろ、俺に間違い電話」
 少し茶化してみる。
「私また、間違えちゃっていいですか」
「ああ、ちゃってくれ」
 その言い方がこの上なくかわいらしかった。お互いに素直な言い方はせずに、
それでも通じ合うのは秘密っぽくてどうしてか楽しい。
「でも、少しあつかましい気がします」
「許す。かわいいから」
 つい調子に乗って返す。そんな、忘れていたはずの人と人とのかかわりが頭
の中に戻ってくる。
「私、別にかわいくないです」
 俺も知らない。
「心配するな。声はかわいいし、かわいいほうが楽しいだろ」
「でも、受話器越しに見えないって言ったのは如月さんです」
 うまく一本取られた気がするが、気にしてはいけない。
「それじゃあお前も俺のことを格好いいと思え。おあいこだ」
「知っています。如月さんはとても格好いいですから」
 さらりと爆弾を投げつけられる。
 絶対、ものすごく赤くなったと思う。仮にも女性の声で格好いいなどと言わ
れてどきどきしないほうがどうかしている。
 なんとか体勢を立て直し、投げられた爆弾を処理。
「な。お互い格好良くてかわいいほうが楽しいだろ。ドラマみたいで」
「はい、私格好いい人と話せてとてもどきどきしています」
 褒め殺しか、逆襲か、はたまた天然か。これ以上会話を続けると悶絶して部
屋を転がってしまいそうだった。
「それじゃまた明日な」
「はい、明日もよろしくお願いします」
 よろしくお願いされるべきなのだろうか。
 されるべきなのだろう。
 だって、その時間は一人で過ごすより楽しいから。

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