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田中さんとキノコ
卒業式前日だというのに桜の膨らみかけたつぼみを雪が叩く。 図書館。ガラスの向こうは 雪の舞い。なんちゃって。 俳句読んでいる場合じゃないんだけど。大嫌いな雪の中をうれしそうに歩い ていく同級生のバカップル。あいつら、いつもああなんだから。こんなとこ ろから私に見られているなんて思ってもいないだろうに。見られていてもあ んな感じだけど。雪の日が別れの日なら、あいつら別れちゃえ。 ああ、最低な奴。藤原義信から奪い取った本を図書館で読んでいるあたり がよけい惨めだ。これを雲泥の差って言うんだろうか。負け犬の遠吠えって 言うんだろうか。ああ、惨めだからもういい。本に目を落とす。 あんなことがあって混乱したまま、忘れていた本をようやく読んでいるの だ。登校も下校もたった一人で繰り返す毎日。たったそれだけのこと。わか っている。すぐ、この寒さにもなれる。 私は寒さに慣れて生きていく。 やがて体に積もる雪が溶けないほどに冷たくなって。 あの朝、恥ずかしさのあまり持ってきてしまった藤原義信の本。未練がま しいわけでもなく、今は純粋のあの時感じた不思議な気持ちを何とかするた めに本を読む。明日には返さないといけないし。朝、早く来て机の上にでも おいておこう。 開いた本からは藤原義信ではない、懐かしいにおいがしていた。フェアリ ーリングについての項を読む。頭のどこかに入っている不思議な言葉。知っ てしまえばそのばからしさに言葉ですら出ないだろうけど。 フェアリー・リングと言うのは日本語では菌輪といって……なにやらわけ の分からない解説が長々と続いている。専門用語だらけでよく分からない。 やっぱり接点なんてないんじゃないか、そう思う。どこか記憶の引っかかる のだけれどどうも出てこない歯がゆさだけが残ってしまう。 そういや、藤原義信と片山みさきが話し合っているところを今日、目撃し た。お互いに普通に話し合っている感じだった。意外だった。私の前で一言 ですら口を聞いていなかった、もっと言えば三年間、一度ですら口をきいて いるところを見たことのなかった二人が普通に話し合っていたのだ。 突然思い立った。どうせ明日まで借りているんだもの。久しぶりに田中さ んのところに行って、聞いてみよう。明日は卒業式。田中さんの家によって 明日、最後に藤原義信に話しかけて本を返そう。所詮、私と藤原義信はつり あわなかったのだ。 田中さんは父の知り合いだった女の人。物知りで、格好いい人で、でも飾 り気の少ない人。あんまり女の人だなあって思ったことはない。小さいけれ ど自分で作った会社を経営していて、そのわりにいつ訪ねても温かく迎えて くれる。年齢は結構離れているのに友達みたいな感覚で付き合える、元気で 強くてしっかりものの人。田中さんに会おう、そう思うと雪なんてどうだっ てよくなる。急いで駅まで走っていった。 普段とは反対方向に三駅目。きれいな住宅の並ぶ静かな町を少し中に入っ たところにちょっとこじんまりとした家があって、それが田中さんの家。別 段大きな石垣だとかそんな物に囲まれているわけじゃないけれど、ツガの木 が囲んでいて、庭に桃の木だとかそんなのがいっぱい生えている。会社を持 っていて忙しいはずなのに、よく見かけるのだ。細い木の葉っぱをじっくり と見ていたり木にはしごを立てかけたりしている田中さんの姿を。田中さん にはちょっとばかり嫉妬する部分もある。お父さんを持っていかれる、そん な気がして。 一呼吸おいて玄関のベルを押す。 ―あ、有紀ちゃん、どうぞどうぞ― インターホンから田中さんののんびりした声。とってもうれしい気分にな って玄関の扉を開ける。優しい声が迎えてくれた。 「有紀ちゃん。ひさしぶり」 自然と綻ぶ顔。うん、やっぱり格好いい。父の話ではもう四十歳は越えて いるということだけど、そう感じたことはない。お姉さんにこんな人がいた らな、って。 長い廊下を通って田中さんの仕事部屋兼休憩室のような部屋に通される。 従業員の仕事場は別棟なのだ。庭の見えるきれいな部屋で、私のお気に入り 場所。お父さんに連れてこられたときを思い出す。田中さんはいたずらっぽ く父に言っていた。ここは女の子同士の部屋です、残念でした。って。 「今日はどうしたの。もしかして会いに来てくれた、とか」 田中さんは椅子にもたれながら話し掛ける。そう、もちろん最近気分がふ さいでいたのもあるけれど、会いにきたのだ。もちろん他の用事もあるけど。 鞄を広げた。 「あのですね、フェアリー・リングって知っていますか、あ、田中さんに会 えたのはとってもうれしいんですけど質問もあって」 机ごしに田中さんは私の差し出した「民話の系譜」とかいう本を手にとり、 私の開けたページをしばらく眺める。こういう沈黙があると、ちょっとそわ そわしてしまう。田中さんの全身を眺める。きれいに洗濯された作業服を着 て、姿勢正しく腰掛ける姿。さらっとした髪の毛は短髪でかざりっけはない のにいいにおいがする。本能で覚えているにおい。この街で、唯一田中さん のこの部屋だけは暖かかった。幸せに一番近づいている錯覚に陥る部屋。 親戚の家の温かさに慣れてはいけないような気がするけれど、田中さんの 部屋の温かさになら慣れてもいいような。 「あれ、この本、どうしたの」 はっと顔を上げた田中さんから匂いが舞い降りる。ちょっと田中さんの顔 が真剣だった。 「あ、あの同級生から借りたんです」 「同級生から、ねえ」 そんなにおかしいだろうか。さっぱり意味のわからない会話を終えて田中 さんはにっこりとする。 「それで菌輪ね。これ、私の思い出」 なんたって大学でキノコ狩りサークルに入ってたくらいだもの。そう付け 加えてにっこり笑う田中さん。話は続く。 「大学のサークル、かあ。あのとき出会ったんだよ」 「それって男の人と、ってことですか」 定番のつっこみ。まあ、聞いて欲しそうだし。 「キノコと」 そして奇抜なぼけ。ずっこける。そんなときめいた顔をして出会ったのか キノコなんですか。 で、フェアリーリングのことだけど、キノコがある一点を中心として円状 に生えていることがあるらしい。それをシロと呼んだり菌輪と呼んだり、と りあえず外国ではフェアリーリングと言われる。妖精が踊った跡、というこ とになっているのだ。生きた木の根に寄生するキノコなんかで出来るもので、 菌糸の束が地面に現れて白い円を描いているからリング。マツタケなんかも そうやって生えて来るそうだ。民話の中ではベニテングタケのことを書いて いるのではないかとのこと。 「ベニテングタケって、あれ。赤色でぷちぷちした白い点のついている、い かにも毒キノコってやつ。まあ、死ぬことはないんだけどね、おいしいんだ よ、これ」 ああ、あれね。小人だとか、可愛いキャラクターが乗っかっていそうなキ ノコのこと。確かにあの上に妖精がいると信じても全くそのとおりだと思う。 で、毒キノコをどうやって食べたんだろう。まあいいや。 ま、妖精がいるかどうかはともかく、だいたいのところ山で道に迷った人 がベニテングタケを食べて幻覚を見た話、そういうのがたくさん残って民話 になっていったのだろう。田中さんの話がどんどん横道にそれていくのを聞 きながら、少し冷めてしまったお茶を一気に飲む。すっとした後味に私は自 分の膝あたりを見た。とても温かくて、ここしばらくのことなんてどうでも よくなってくる。 |
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