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大きな背中
休み時間。 暖かそうな日の差す校庭。学校に生える銀杏の樹がとがった枝を少しだけ 風に揺らして、水滴をふるい落としている。この、どうしようもなく冷たい 氷水を温めるには太陽は無力すぎる。 雪の降る、寒い寒い日。春になる手前の、どうしようもなく憂鬱な寒い日。 藤原義信と登校する貴重な、残り少ない幸せ。 大きな背中を見る。授業中でも背筋のしっかり延びた背中。冬服の上から でも肩の筋肉の形がわかってしまう。耳は少しとがっていて、髪の毛は細い。 きっと近い将来、はげる。 お父さんに似ているもの。 私の、この世に残された温かさ。お父さんの名残。何度も繰り返した問い を、十歩先の藤原義信に何度も投げかける、目線で。 話しかけるには藤原義信の背中は大きすぎた。 藤原義信を教室で呼び止めるのは勇気がいる。これまでに三度ほど挑戦し て、二度あきらめて、一度は無視された。休み時間はたいていクラブ仲間で 話し合っているし。それ以前によほどの用事でもない限り、校内で藤原義信 が女子と話すことはない。藤原義信はわざと女子生徒を避けている。なぜか は知らない。知らないけれど私は例外中の例外だ。 はあ。大きくため息。藤原義信の背中は大きすぎて、何を考えているのか わからない。彼を通した教室はほんとうに小さくて。 「片思い中の乙女ですか、いいねえ」 わ。びっくりした。いつの間にか隣にいた片山みさきに頭をなでられる。 驚いて飛び上がる。にんまりした片山みさきの顔がどアップで写った。 最悪だ。最悪なところを見られた。藤原義信の背中を見てため息をつくと ころなんて。お約束のようなネタを提供してしまった。片山みさきはなぜか こうもタイミング悪く現れる。まあ、いい。そんな高校生活も悪くはない。 高校生っぽく人を好きになってみて、人にからかわれて。それってとっても 幸せじゃないか。 だからその言葉もいつもどおり言ったつもりだった。のんびり座りなおし て、退屈そうに。私らしく、面倒くさそうに、はかなげに、鬱陶しそうに。 そしてちょっとした優越感に浸って。 「片山みさき、藤原義信が就職するとしたらどうする」 一呼吸おいて。 「はぁ、リアが就職するって」 大きな声が教室に響き渡った。その声は大きく響いて、注目を集める。声 を出した本人、片山みさきに。 そして教室が凍った。 ああそうか。私は特別だったんだ。特別、就職の話、知ってたんだ。 クラスが片山みさきに注目する中、藤原義信は私と目を合わせる。 いっそのこと軽蔑してくれたらよかった。そんな静かな目ではなくて。後 悔しても、謝っても、何をしても許されることがない、と無言で知らせるよ うな目でなくて。この場で口も聞けないくらいに罵倒してほしかった。 ああ、これで終わった。全部終わった。始まることすらもなく。 藤原義信は優しいから私を責めることはないだろう。絶対に。だけどきっ と明日から一緒に登校してくれない。私とは二度と話してくれないだろう。 他の誰かが話しかけたのと同じように。私と知り合いだったことですらなか ったことにして。 再び喧騒に包まれる教室に中で、藤原義信との距離が埋められなくなった ことを感じ取る。あの日の朝、藤原義信と登校する大学生活を思い描いてあ っけなく妄想に終わった。休日に会って、なんだかさみしいような、切ない ような気持ちになった。卒業式には自分の気持ちを伝えようって思った。そ して今、藤原義信との微妙な関係ですら終わってしまった。永遠に。 それから二時間が経ち。ようやくお手洗いに入って泣いた。中は寒さがこ たえた。歯をガチガチ言わせながら泣いた。一時間後、外見だけを惨めにし て、中身に優越感を与えようという気味悪い自分に気がついた。体を冷やし ただけだった。 お父さんに会いたかった。そして自分を捨てた母を憎む。憎みながらもな ぜか、自分の膝を抱いて、遠い記憶のかなたにある母を感じようとした。悲 しみと痛みが増えるたびに私は母を恨む。母を恨まないと親戚の家に安住し てしまいそうだから。安住してしまうと母に会えないから。この街の光はど こまでも遠くて冷たくて、私を拒絶して。 この街に祈る。どうかこの街に今以上の冷たさを。 |
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