Fairy Ring

第二話

昔語り
 都会に出てきて三年目。南にはおしゃれで古いような、新しいような空気の
街並み。北には山が迫り、東西に長い街並み。私の生まれ育った場所はこの、
北に見える山をいくつも越えたところにある小さな盆地。気がつけばそこで父
と二人、暮らしていた。
 父は農業をしながら農産物の加工所を経営していた。母とは離婚していたの
で近所のおばさんたちが私の母親だった。母はいなかったけれど、とても楽し
くて、幸せな毎日だった。田んぼの中に素足で踏み込むと温かくて気持ちいい。
田舎の温かさって田んぼの温かさだと思う。泥の匂い、温かさ、水面に移る五
月の空、太陽の匂いのする稲穂の海。
 父の思い出はたくさんある。小学校のころ、農協帰りの父の車に友人ごと積
んでもらって帰宅したこと。軽トラックの中は農作物の空になった箱でいっぱ
いだった。子どもの集まりがあると父がいつも世話をしてくれた。働き者だっ
たのだと思うし、言われると断れない人だった。それなのに意志は固い人だっ
た。
 母の不在については何も言わなかった。写真すらも見せてくれなかった。も
ちろん、小学校くらいまでは母のことを聴きたい、と思っていた。だけど、中
学生になったときだっけ、久々に父に母の事を聞いたとき。私は二度と母のこ
とを聞くまいと思ったのだ。母のことを話す父の姿が許せなかったからだ。父
には私がいる。母はいらない。父を知らない女の人に取られたくなかった。と
かいいつつ中学二年生のころは随分父を避けてみたりしたっけ。ちょっとばか
り好きな人と話しているところを父に見られたのが発端だった。なんだか後ろ
めたい上に父の突っ込みがいたいところをついてきて。で、父にやつあたり。
今ならいえる、ごめんなさい。照れ隠しに父親を邪険に扱いたくなったって仕
方がないじゃない。
 買い物なんかもほとんどしなかったっけ。畑に出て行って適当に摘み取って
きたものを料理して食べる。摘み取りは私、作るのは父。後片付けは私。本を
読んで、お風呂に入って、寝るだけの、他愛も刺激もないのんびりした毎日。
友達も多かったし、畑の景色も好きだったし、生き物は皆新鮮な喜びを与えて
くれて、退屈しなかった。
 まあ、いろいろあって田舎から出てきて高校からこの街に移り住み、父方の
親戚の家で世話になって早三年。この親戚には子供がいなくて、私にとても甘
い。広い家で私に一部屋与えてくれているし、来年からは大学にも行かせてく
れる。特に悪いことをしたことも遅刻したこともないけれど、私が何時に帰っ
てきても温かく迎えてくれて美味しい晩御飯を用意してくれる。怒られること
なんて全くない。話し相手になってくれるし、適度に放っておいてもくれる。
 親戚には感謝している。きっと、何か不満に感じている私は贅沢なんだろう、
と思う。これでなじめないなんていっているとダメなんだろう、ほんとうは。
 ただ、どうしてもこれだけは苦手。
 紅茶を淹れてくれるとき、憂鬱で仕方がない。
父の淹れてくれた紅茶は安っぽい匂いがして、日本茶を飲むの一緒のお茶碗に
入っていた。親戚のおばさんが淹れてくれる紅茶はとてもいい香りで、青色の
きれいな柄の紅茶茶碗に入っている。それでも。その上品な香りを受けるたび
に、憂鬱になってしまう。ここは、私の住むべきところではないと知覚してし
まう。
 紅茶のにおいをかぐとき、この家庭の温かさに安住するのなら、街の冷たさ
のほうが居心地よいと思う。だから、学校から家に帰るのはできうる限り遅く
している。
 田舎に戻りたい。どうせ帰ることの出来ない田舎だけれど。こんなところで
憂鬱になっても仕方ないけれど。もう、田舎に帰っても温かさが残っているわ
けじゃないのに。
 そしてなによりも。顔ですら知らない母を憎む。母を憎まないとこの街に安
住してしまいそうだから。街の冷たさに自分の場所を求められないから。
 この家に安住しなければ母と会えると思うから。
 冬の寒さは、大嫌い。だけど、私は冬の街を歩き続ける。届かない街の明る
さを求めて。

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