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ゴール、スタート
朝。卒業式の日。 さわやかな、ほのかに桜の淡い香りを含んだ風の吹く、そんな日。東の空に 少しだけ残った雲の間から差し出される光が影を延ばす。自分の、最後の制服 姿の影を目で追っていくと大きな影と重なり合った。ふたり分の影の、もう片 方。好きな人の影。目を移した。 母が背中を押した結果かもしれない。これぐらいは頼っておこう。朝日の中 でこうやって出会うのは、初めて藤原義信と出会った日以来。あの日も今日み たいにさえわたった青空のきれいな日だった。 「本、ありがとう」 頑張らなくても笑顔はいくらだって出てくる。出会いがこんなにも新鮮だと は思わなかった。 「せっかく相談してくれたのにあんなことになってごめん。私、藤原のこと好 きだから相談してくれたのはうれしかった。ほんとうだよ、好きだった。でも だめだったね。それじゃ、違う道に進むけどがんばろ」 昔、母が父に言ったように。せめて最後くらいかっこうよく決めようって昨 日決めた。一気に言い切ってしまう。さわやかに、涙なんて嫌だったから。昨 日、練りに練った私の気持ちを全部、ぶつけて、これで終わり。こんなさわや かに決められるなんて思わなかった。駆け出そう、新しく。藤原義信に背を向 けて、歩こう。 と、服のすそを引っ張られる。手が、藤原義信と触れあった。そしてなすが ままに藤原義信に手を握られる。緊張が走った。 「おい、待てよ。あのさ、昨日とても怒られてな」 全然頭に入ってこない。 「まずは片山にさ。俺こそ悪かった。ごめん。ほんとはおまえに感謝してる。 言い出せなかった就職のこと、みんなに言えたしさ」 片山みさき。その言葉で少し頭が冷めた。あんなことがあったけれど、いつ だって私を考えてくれる片山みさきのこと。 「で、帰ったら就職先の社長から電話だよ。今日おまえの家の前に行くように 言われたてさ」 そんな根回しがなくとも藤原義信はきっと来てくれたのだろう。たとえよう のない緊張が知り合い二人の名前で少し溶けかかっていく。 「あれ、私のお母さん。卒業したら一緒に住むの。それよりさ、逃げないから 向かい合って話し合おう。手は、離してちょうだい」 藤原義信がようやく気付く。私の袖を握っていたことに。あわてて手放すあ たりがかわいい。そう、そうやって手をつながれると無駄にどきどきしてしま う。無意味に、期待してしまう。つないだ手の先にあるものを求めてしまう。 そしてそれが。自分のものにならないとわかっていると傷つくしかない。 「おまえって真顔で大きな嘘を言えるのな」 そんな感傷的な気分をいとも簡単にコミカルなものへと変える藤原義信をと りあえず叩いておこう。こつん。スイッチを切り替えて、普段の私達になるい い機会。 「なんで嘘いわないといけないのよ。このおばかさん。あれはお母さんなの。 私も知らなかったけどさ」 「あ、そうなの、って、んなあほな」 文字にできない悲鳴をあげる藤原義信。そして十秒後。行動不能から回復し たて焦点をあわせる。頭を抱えて。 「おまえのお母さんかぁ、あの人。道理でなんか似ているなあって思ってたん だけどさ。まあ、ともかく今日おまえと会えてよかった。だからさ、今日も学 校まで一緒に行かないか」 ああ、最後に望みをかなえてくれるなんて小粋な計らいなのか、それとも残 酷なのか。かりそめの幸せでもいい。幸せなんて表面的なものでも十分美しい。 だから私も今日一日楽しもう。最後に嘘でも幸せな思い出にしてしまおう。 「今日で終わりだね」 悲しいけれど。最後の一日なんだ。楽しまないといけない。 「いや、学校だけじゃなくていろいろ行きたいな。今更だけどおまえのこと、 ずっと好きだった。あ、社長に脅されたんじゃないぜ。でも、はっきり言えっ て言われたから。聞け、そして俺が言い終わったらお前は頷くんだ」 なんでこう、強引なんだろう。藤原義信の宣言に。私に向き直って。いつも 以上に背筋を伸ばして。 「どうぞお付き合い願います。私、藤原義信は渡辺有紀をずっと好きだ」 あ、どうも。じゃないや。え、っと。ものすごい角度の礼をする藤原義信。 その頭のてっぺんを眼前に見て、呆然とする。歴史は長いだろうけど、こんな 告白は前代未聞。裁判の判決のような告白だ。これからは田中有紀になるんだ けどね。 ああ、ほんとに不恰好な告白。でも、これでいい。私は私の幸せをつかむ。 だから自分の意志で言葉をつむぐ。お父さんに背中を押してもらった。友達と 母に舞台を用意してもらった。これ以上はない舞台を。 お父さん、私、成長します。だから私もしっかりと背筋を伸ばす。 「私こそ、今日からよろしくお願いします」 ほんと、思いっきりばかみたいだ。ばかみたいで大好きだ。言い終わるとば からしいほど笑ってしまう。笑った目じりから涙がこぼれるくらいに。ほんと、 長い、長い一人旅が終わった。 「はい、どうぞ。つなぎたけりゃ、右手貸したげる」 照れ隠しのはずだった。なのに藤原義信はすぐに私の手を取る。 そういえば。 私は母の家に住む。そして藤原義信は「社長」の家に住む。ということは。 「と、とにかく学校行こうか。社長令嬢と一緒にいけてよかったね、じゃあ学 校で」 「こら、一人で走ってくな、手をつなぐんだろう」 ほんと、ばかばかしくて楽しい日が今日から始まる。 幸せなんてそんなものじゃないけれど。妖精たちのくれた楽しい日々をつな げていくのは私なんだから。 校門を。ふたりで手をつないで通る。二度とくぐることのない校門を、最後 の最後に。手のひらに足りなかったものが今ようやく満たされて、そして私は 卒業する。三年間の思いが今目の前を舞い散る桜のように一つずつ漂っては消 えていく。父と死に別れ、住むことになったこの街。出会った人々。たくさん の幸せに包まれていた。幸せを探す私が、一番の幸せものだった。手のひらに かけがえのないぬくもりを感じて。私は、三年かけて幸せの意味を知り、そし て手にすることができた。 ここはゴールだろうか、それともスタートだろうか。もちろん。口をつくの は一つの言葉。 「義信、いくよ」 つないだ手を空にかざして思いを伝える。 「「よーい、どん」」 つないだ手を離さないように校庭を横切って走った。 教室に入って。 あともう一つ。私のしなければいけないことがある。その場所に体を運んだ。 「片山みさき、今、いい」 さわがしく卒業式までの時間を待つ生徒の中、所在無げに椅子に座る片山み さきの目の前で、声をかけた。私に目をあわせようとはしなかった。でも、続 ける。 「まず、ごめんなさい。私、怒らせたまま謝ってなかった」 「いいわよ別に、そんなこと」 そっぽを向いたまま、それでも怒る風でもなく静かに言葉を作る。 「ま、謝られると却って屈辱よ、だから、いい。それより今日の報告は」 今日の報告、今日の報告…今日の、って。 「なんで知ってんのよ、手つないで来たって」 教室に沈黙が続く。この感じ、ここに目線が集まってるんだ。 「あ、そうなの、もうそこまでいっちゃったの。で、相手は当然アイツよね」 自爆。笑うしかない。 「そーよ、三年間思い続けてきたんだからね、最後くらいいいでしょ」 こうなりゃ開き直りだ。大きく出てやろう。でも、頼むから回りの歓声はい らない。 「ふっ、甘いわ。私は六年よ、しかも一度うわっ」 何かを言い出しそうになる片山みさきの頭を机に押し付ける、その人は。話 題の人物、藤原義信。 「さあて、あとで聞かせてもらおうかしら」 今日一番の笑い顔を藤原義信に向ける。乾いた笑い声が涙を誘った。ほんと うに、世界は広いように見えて狭い。 |
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