月曜日。通いなれた通学路に生徒は見えない。別に俺が遅刻したからではな い。今日は日曜日の学校祭の振り替え休日である。 ではなぜ制服を着て、登校しているのか。 実に奇妙な新島との約束を果たすためである。 「橘くん、こっちだから」 満開の桜の中、花見に現れた近所の人をかいくぐり、新島と学校に入る。 二人で歩くには非常に不似合いな場所である。 「で、何で学校を歩こうってことになったんだ、新島」 無言。 「今更学校にいいところがあるとか、桜がきれいからか」 無言。 「もしかして、ここ以外に思いつく場所がなかったのか」 無言。だが、顔が少し動く。どうやら正解らしい。 「それなら俺が適当な場所に連れて行けたんだけどな。まあいい。今度は俺が 連れてってやるよ」 それでも学校の中でさえ二人で歩いたことがないのだ。祭の後の微妙な埃っ ぽさと、閑散とした廊下と、隣で小さくなる新島と。全てが新鮮だった。 学校を一通り回って校門前の広場に座り込む。二人して桜を見る。その顔に少 しずつ緩む のが見えた。そんなときの新島はとてもかわいく見える。 「あ、あの。少しよろしいですか」 後ろから声がかかる。目の前には二人分の影。身長差のありすぎる組み合わ せだ。男性の方はものすごく背が高い。身長178cmを誇る千島よりも大きいだろ う。その隣には女性。こちらは新島級の身長。年の頃は同じくらいか。いずれ も若々しく仲良さそうに見える。 「……あの、どうかしましたか」 新島が聞く。 「すいません。お二人ともこの学校の、生徒さんですよね」 女性が目を細めて笑う。間違いなく俺よりは年上ではあるが、危険なほどの かわいらしさを嫌味なく振りまく。同級生にいればぶっちぎりで人気を集めそ うだ。 「はい、今日は休みなので俺たちだけですけど」 そこでまた微笑み。その笑顔だけで完璧に心を奪われ、隣の新島が俺の腰を 軽くつつく。一応妬いているつもりなのだろうか、気合いが入りすぎで全然な っていない。 「もしよろしければこの学校の植物園に案内してくださいますか」 「は、まあいいですが」 この人の感じたものは単なる「かわいらしさ」なんてものじゃない。持って 生まれた品の良さを嫌みなく出しているのだ。その上に類稀なる優しい声であ る。この声と笑顔だけで今日の俺の夢にはこの人が出てくるに違いない。 「おう、小僧と小娘。植物園だ、全力疾走で案内しあがれ」 女性の隣に立つ男性のほうだった。何者だ、あんたは。 気品溢れる女性に対し、その対となる男性の第一声は度肝を抜くものだ。全 身から有り余る体力を放出しまくっている。女性が深窓のご令嬢ならばこちら は下町の子供がそのまま大人になりましたというところか。だが偉そうな口を きこうともまったく嫌みなく好感すら持てるあたり、ただものではない。 「初対面の人にそんな口を聞いては駄目です千秋さん。謝りましょう」 女性が諭していた。腕白少年をなだめる姉のような余裕っぷりだ。この奇妙 な組み合わせは誰かの姉と兄だろうか。それにしては顔が違いすぎる。 「ふん、悪かったな。ここは小桜の顔に免じて許してがぁぁ」 「ほんと、申し訳ありません。うちの夫が失礼で」 男が沈み込む。どうやらわき腹をつねられたらしい。 「ってご夫婦ですか」 夫と言った。確かに言った。 「はい、私はここの卒業生で」 「俺は七割がた中卒だけどな。紹介してやろう。最終兵器の小桜だばぁ」 学習能力なくわき腹をつねられて撃沈する。実は女性のほうが実権を握って いるらしい。 「こちらが夫の千秋です。ではお手数ですがご案内くださいますか」 最終兵器というのもあながち間違いではなさそうだ。 「では、お連れします」 新島が答え、それに俺と謎の夫婦が付き従う。これほどまでにでこぼこな夫 婦がよくやってこれたものだ。 「せっかく来てくださったのに振替休日で申し訳ないです」 男性か、女性か。どちらかが誰かの兄弟なのだろうか。弟なり妹なりに会う ために来たのだろうから、少し残念だ。 誰の兄、または姉だろうか。 小桜さん、そして千秋氏に似た生徒を頭の中に思い起こす。 「ええ、休日なのは知っています。昨日の学校祭も見させてもらいました。と ても感動しました。その、三年生の演劇なんて特に」 小桜さんが優しく返す。小桜さんが誰かの姉であるのは間違いなさそうだ。 多分こんなシナリオだ。久しぶりにこの街へ旅行に来た。ついでに学校祭を 見物した。校内を見物するには閑散としている時を選んだ。 「遠くにお住まいで旅行中とか、ですか」 聞いてみる。自分の出身校に出来た植物園を見に戻ってくるというのも考え られるだろう。 「え、そ、そうですね。久しぶりに高校を覗こうかなって思いまして。私のい たころは、その、ちょうど植物園を作っている最中でしたので」 植物園ができたのが約二十年前。そして高校卒業年齢が十八歳。すると小桜 さんの年齢は最短で三十八。ありえない。二十いくつ、といわれても普通に信 じてしまう。 それにしても二十歳も年の離れた弟なり妹というものも珍しい。 「で、俺様がここの植物園を工事してたんだわかったか坊主」 千秋さんが俺の頭に手を置く。なんとも豪快な人だ。口の悪さが気にならな いのはそのすっぱりした言い方のせいかもしれない。 「この植物園は温帯の植物と高山植物を中心に扱っています。管理は生徒が自 主的に行っています」 見えてきた植物園を前に新島が決まり文句の説明をつける。二人が立ち止まっ た。 「これですね、千秋さん」 「ああ、懐かしいな、小桜」 夫婦が自分たちの世界を展開する。さて、餅は餅屋。ここから先は植物園の 主、千島へとバトンタッチだ。 「新島、今日は千島、いると思うか」 耳打ちする。首をかしげる。分からない、という意味だろう。とりあえず呼 んでみることにする。 「おーい、千島さん」 「や、やめてください」 小桜さんだった。 「いや、俺、生徒を呼んだだけなんですが」 謎の間合いに何かをごまかした微笑みが彩られる。 「あ、ごめんなさい。少し聞き間違えたみたいです」 いや、普通聞き間違えないだろう。 「ああ、気にするな坊主。別に呼ばんでもいい。お前が案内しろ」 無理な話だ。 「いや、ここ管理している千島ってのが詳しくて」 「いいからてめえが案内しろ。男だろ」 無駄にガンを飛ばす。超子供っぽい。 「あ、あの申し訳ありません。今ここを管理している千島について、教えてく ださいますか」 小桜さんが強く俺を見上げる。その顔はかわいいだけではなかった。 「教えろって、何を」 たじろく。 「それは、どんなことでもいいです」 「おい小桜、ちょっとは」 「千秋さんは後回しですっ。教えてください……その、千島、という生徒の何 でもいいです。普段何をしているかでも何でもいいです。教えてください」 強い気迫だった。小桜さんが泣きそうな顔をしていた。 「千島さんは、えっと名前が桔梗で、千島桔梗です。俺たちと一緒の学年で、 ん、新島から何か説明できるか」 新島に振る。 「私と千島さんは入学式前日に出会いました。とても賢くて強い人なのに寂し そうで、孤独な人でした。それでもずっと手のかかる私を支えてくれて、それ で私のためにいろいろと頑張ってくれて、優しくて、でも厳しくて、力強くて、 誰よりもお母さんのようなのに、なのに」 そこで新島が言葉を失う。いろんな思い出が頭を駆け巡るのだろう。俺が続 ける。 「千島さんは誰よりも力強く、いつも俺みたいな馬鹿な生徒をかばってくれて います。でも、俺はそれだけじゃないと思っています。とても弱くて、孤独で、 それを覆いかぶす一生懸命さと、自分を省みずに人に尽くす人です。とてもか わいらしい趣味もあるし、気弱なところもある、普通の生徒です。あえて言う なら長身長髪。格好良くてしかもかわいいですね。俺はそんな千島さん、好き ですよ」 どれほどの言葉を重ねても語りつくせぬその人のことを思う。 「小桜、知的好奇心は満たされたか」 千秋さんが小桜さんをそっと覆っていた。目じりに涙まで浮かべた小桜さん を見る。 ああ、そうか。 納得する。この人たちは千島の両親だ。 「はい、とても、とても幸せです。うれしいです」 とびっきりの笑顔に胸が早打つ。千島がもし、普通に育っていればきっと、 こんな感じになるのだろう。 「それから高山植物園が自慢なんです。見ていってください、これがチシマギ キョウ、そちがなんていったっけ、小さな花を咲かせるそうですが」 小桜さんが笑う。 「知っています、トチナイソウ、ですね。少し聞いてくださいますか、橘さん」 いたずらっぽい顔と、ここで俺に解説した千島の顔が重なる。その優しい目 は紛れもなく千島の母のものだった。母から子に受け継がれたものは確かにあっ たのだ。 「私、ずっと昔、この学校の学校祭で一人、発表したんです。とても怖かった。 あの時、橘爽萌という方に助けてもらって、私」 橘爽萌。母の名だ。 この学校を卒業し、直後に俺を生んだ。生きていれば千島の母親と同じくら いの年だが、今では多分、死んだ。丹沢の何気ない言葉が頭を突く。 幸一と千島さんは兄弟みたい。 もしかするとほんとうに兄弟なのかもしれない。 「おい、坊主、お前桔梗のこれか」 親指を立てる。 「橘幸一です。ちなみにそんな関係ではないですが」 言い返してやった。 「そうか、じゃあ橘幸一。ひとつ頼まれろ」 千秋氏の顔が一瞬、植物園を向く。 「千島桔梗を、よろしくな」 新島を頼むと言った千島とそっくりだった。 「はい、俺は俺の道を行きます。その途中で交わればきっと」 五月の満開の桜が風に流される。 ここから始める道に、幸あれ。 誕生詩 了 |
||