誕生詩 -学校祭-

第46話 5月16日(日)

「ふざけんじゃないわよ」
 丹沢が生徒会長の発言にカウンターを見舞い、席を蹴り飛ばして駆ける。故
意か偶然か、周到な計画であったのだろうか。三年七組の演劇が表彰されるこ
とを見越して、それを妨害する最終手段として千島は表彰に出席しない。これ
は千島が仕組んだことだ。おそらく、演劇のあらゆる変更について影で学校側
と調整を行い、表彰を受けないという形であるならば舞台発表を認める、と話
をつけたのだ。
 さし当たっては丹沢だ。飛び出した丹沢に追いつき、腕を掴み
「何よ、幸一。邪魔するの、ちょ、何すんの」
 丹沢を強く抱き寄せる。すぐ近くに紅潮した丹沢の頬があり、その耳に向かっ
てささやく。
「丹沢、俺と来い。舞台に上がるぞ」
 いつだって知っていた丹沢の温かさを強く受け止める。
「うん、幸一。ありがとう」
 丹沢の手を引いて舞台に駆け上がる。丹沢は勘違いするかもしれないが、こ
れは万一のときのための保険だ。
 生徒会長らしき同級生に掴みかかる。
「俺たちが三年七組、演劇と演奏の代表だ。総括の千島さんは学校のどこかに
いる。だから俺たちが表彰を受けるぜ。いいな」
 ありったけの気迫で押す。けんかは始まる前のにらみ合いが全てだ。丹沢が
握った右手に力をこめる。
「え、ええ。それでは、先生方と相談し、後日」
 畳み掛けた。
「ここで表彰してくれ。名前は千島桔梗でいい。その名前で俺たちを表彰しろ」
 あと一押し
「それは無理な相談だ、橘。あきらめろ」
 舞台下から声がかかる。生徒指導部長だった。
「なによ。先生。この場はとりあえず表彰してくれていいでしょ」
 丹沢は完璧に無視し、俺の方向に視線が集まる。
「だからできないんだ。今ならまだ冗談ですむぞ、橘」
 拳を振り上げかけた丹沢の腕を掴み、その身体を押さえつける。
「幸一、離してよ、そんなの」
 口もふさいだ。腕の中で暴れる丹沢を押し込む。
 丹沢と過ごした楽しい時間があった。癒された思いがあった。傷つけた日々
があった。そんな全てを今、丹沢のために使うべきだと思った。全てを賭けて
丹沢だけは絶対に守り通す。
「じゃあ今すぐ千島さんを呼んで来い。それまで表彰は中止だ。生徒が一人行
事に出てないんだ、生徒指導なら連れて来いよ」
 そのためには俺の学籍など安いものだ。
「まあ落ち着け。これはクラスの表彰じゃない。あくまでもクラスを引っ張っ
た生徒を表彰する場だ。だからお前が何をしようとも代理に表彰はできん。会
長、今年の一位は表彰しなくてもいい。そういうことだ」
 一瞬力を抜いた俺の腕から丹沢がすり抜け、舞台から飛び降りる。
 頭が真っ白になった。考えるのは後でもできる。丹沢が教師に殴りかかる前
に、止めなければならない。
 舞台から飛び降りた勢いで左腕を繰り出し、丹沢の袖を掴んで引き倒す。見
事なほどに床を滑る丹沢を視界の隅にだけ納める。あとで丹沢に死刑判決を言
い渡されそうだが、とりあえず丹沢は後だ。今は丹沢の身分と誇りを守るのが
先決だから。
「頼む、千島さんを、俺たちのリーダーを呼んできてくれ。これは譲らない」
 千島が身体を張るなら、俺もここで意地を張る。
「橘。お前は何かといえば力、だ。そんな生徒を表彰などできんだろ。学校の
恥なんだよ、お前は。いっそのこと学校やめろ」
 床に倒れこんだ丹沢が上半身だけを起こし、こちらを見る。
「そんなことない。幸一は、七組の誇りよ」
 それはむしろ、千島にささげるべき言葉だと思う。
「千島さんは俺たちの誇りなんだ。この誇りだけは通させてもらう。力でもな」
 あと十秒。衝突は避けられないだろう。絶対に言い訳は効かない。最後の壁
の千島もいない。間違いなく学籍を失うだろう。それでも最低限、丹沢だけは
守る。だから丹沢に右足を、生徒指導部長に左手の拳を向ける。
「丹沢もあれだ。橘なんかと行動するのはこれっきりにしておけ」
 視界の隅を丹沢が動き、立ち上がる。
「悪かったわね。私は好きで幸一と一緒にいるのよ」
 右足のすねで丹沢を再び倒し、それに目をとられた瞬間に教師へと拳を向け
る。
 振りかぶった、つもりだった。
 その左手が片手一つで止められていた。
「待ってください。私が三年七組の代表です。今朝、委任状をいただきました」
 新島だった。
 全校生徒が舞台下に集中する。俺ですらその声が誰のものか分からなかった。
丹沢がそれを指して、口だけを動かしている。
「あ、はは。そうだったんだ、そっか。さすが千島さん」
 新島が俺の腕から手を離し、舞台に登る。
「そうか。そういえば新島だったな。七組の代表は」
 笑った。思いっきり笑った。昨日、千島が新島に全てを任せる、といったの
はこれのためなのだ。
「今朝、千島さんからいただいた委任状です。委任についてはクラスで了承を
いただいており、生徒会および学校へは既に届けています。この件については
クラス内での専決事項を行使します。生徒会、学校職員の権限の範囲ではあり
ません。会長、表彰を続けてください。三年七組の表彰は私が受けます」
 言い切った。新島は自分が代表だと言い、毅然と立つ。その二秒後。
 拍手と野次と黄色い声が一緒くたになる。自分が遠くの世界に言ってしまっ
た感覚だった。丹沢が舞台の花瓶から花を盛大に抜いて新島に押し付ける。後
ろに陣取っていた新井が騒ぎに乗じてギターを鳴らし、吉岡がホルスタインの
格好で暴れる。
 世界一うるさくて、不器用な表彰だった。
 俺も新島をお姫様抱っこで舞台に上る。
 機械のような奴だと思っていた新島が泣いていた。俺の腕の上に乗って泣い
ていた。ずっとクラスから離れていた新島がクラスを背負ってそこにいた。
「あなたは第二百八十七回、学校祭にて団体の代表とし、当初の成績を修めま
した」
 お姫様抱っこの新島に代わり、丹沢が表彰状を受け取り、ガッツポーズすら
決める。
 舞台の向こうから聞こえるものが罵声なのか、拍手なのか、何もかも分から
ない。大量の花と表彰状を持った丹沢が全身で喜びを表現し、それを見る新島
がほんの少し、ほんの少しだけ笑ってくれた。

 講堂を荒らしまわった罰として丹沢と共に掃除を命じられ、そこに新島が引
っ付き三人で律儀に舞台を片付け教室に戻る。ちなみに丹沢を二度もひっくり
返した件については学食五回のおごりで許してもらえるらしい。
 教室。
 夕日の沈んだその中に、長い髪が見えた。
 千島だった。
 それは世界で一番孤独な姿だった。
 ずっと遠くを、新島がするように黒板だけを見つめて、世界の何者をも拒否
して、その孤独は座っていた。
「やっほー千島さん、ものすごく驚かされたんだけど」
 丹沢がありったけの明るさで叫ぶ。空気を読んで、空気を読まない明るさを
作り出していた。
「あ、丹……橘、丹沢、新島もいるのか」
 やさしく笑う。とても弱々しく、誰よりの繊細に笑う。もし千島が、普通に
生まれ育っていたらそんな弱々しい部分をもっと見せてくれていたのだろうか。
 千島桔梗。母性の象徴、そう聞いている。あまりにも強すぎる母性が敵とみ
なしたものを残酷なまでに排除し、味方に対しては際限なく愛を与え、無限の
力を発揮する。
「千島さん、俺たちから千島さんへ渡すものがあるんだ」
 全てを察して新島が前へ出る。
「これ、一位だったから、千島さんの受けるものだから」
 新島がたどたどしく、手を差し出す。
「私は表に立つ人間じゃない」
 再び前を向く。
 丹沢が優しく手を差し出す。
「私は千島さんが好き。とっても強いのに、そんな弱い千島さんが好き」
 新島が続ける。
「千島さんは、私にほんとうのものを教えてくれた、だから。千島さんのこと、
好き」
 俺も踏み出す。
「何度も言うけど俺、千島さんのこと好きだぜ」
 その他女性二名から激しい目を受け、千島にはそっぽを向かれる。
「丹沢、こんなときしか言えない。約束させてくれ」
 千島が立ち上がる。
「どんなときも笑っていてくれ」
 丹沢の笑顔はどんな荒立った心をすらも簡単に溶かしてしまう。
「あ、う、うん。私は笑う以外に取り柄のない人だから大丈夫だと思うよ」
 突然何を言い出すのかという質問を押し殺し、丹沢が返す。
「新島、約束させてくれ」
 千島が顔を伏せる。
「幸せになれ」
 それは誰もが生まれた瞬間にする契約だ。
「うん、幸せに、なりたいと思う」
 強い返事だった。
「橘。お前には約束ではない。私から橘への命令だ」
 十八番を取られた気がするが悪い感じではない。
「まず丹沢を笑わせろ。それがお前の義務だ」
 今なら出来る。
「ああ、丹沢はとても大切なものをくれた。誓うぜ」
 誓う。一生分の迷惑を丹沢にかけたのだから。今度は俺が笑わせてやりたい。
「次に、新島を幸せにしろ。それがお前の権利だ」
 少々自信はない。
「ま、俺が幸せになって、それからだ」
 誓う。新島の幸せと俺の幸せが交わることを祈って。先の長い、険しい幸せ
へと。
「最後に橘。これは多分お前にしか出来ないことだ」
 そこで言葉が区切られる。
「もし私がお前の敵になったとき、迷わず私を殺してくれ」
 俺が千島への幕引きをしなければならないのは分かっている。
「いいぜ。返り討ちにあいそうだけど全力で殺してやる」
「ありがとう。私も、お前に殺されるなら本望だ」
 丹沢が手を引っ張る。
「ちょ、ちょっと幸一。なんでそんな物騒な」
 千島が笑って遮る。
「いいんだ、丹沢。お前にも分かるだろう。私は普通じゃない。実は今でも気
を許せばだれかれかまわずに傷つけてしまいそうなんだ。私は自分が感じた味
方以外を殺そうとしてしまう」
 あと二年もすれば、千島は一切の人間らしい感情も、私情も失ってしまう。
人を好きという感情も、家族の温かさも、全てを忘れて完璧な兵器になってし
まう。
「そ、そんなのって、一時の気の迷いっていうか、その前に幸一は味方なんで
しょ」
 いや、千島をそうさせた責任は俺が取るべきなのだ。
「俺は千島さんの味方ではなく敵なんだ。そうだろ」
 千島が首を横に振る。
「違う。お前は敵でも味方でもない。こんな気持、橘が初めてなんだ。敵味方
ではなく、お前がいると心が乱されて、どうしようもなくなる。どうせ死ぬな
ら、私はお前に殺されたい」
 意外だった。てっきり、俺を敵だと感じているのだと思っていた。自分を特
別な存在へと変えた、俺の家への復讐だと思っていた。
「さて、とりあえず打ち上げておくか。実はいい店を知っているんだ。店が泣
いて許しを請うまで飲むぞ」
 さっきまでの深刻かつ孤独な顔を一気に解消し、笑いかける。
 その笑顔を、俺は殺せるのだろうか。世界一孤独な、たった一人の女の子を
殺せるのだろうか。
 だから言う。
「代わりに俺から約束だ。千島さん」
 宣言する。千島が先を促す。
「俺、千島さんを幸せにしてやるよ」
 誓う。
「私は、この瞬間があるだけで幸せに生きていける。十分に幸せだ」
 千島の幸せを祈る。

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