本番まで十一分の舞台裏。 向こうから聞こえてくる笑い声と拍手がプレッシャーだ。さすがに緊張が走 る。舞台に立つ回数の多い丹沢と俺ですら、学校祭の舞台は特別だ。今日の舞 台は背負うものの質が違う。クラスの誇りを背負い、そして昨日まで率いてい た千島を背負い、だからこそ絶対に失敗できない、と思っていると千島がシュー ルなボケをかまし、一気に緊張が退散した。時間軸を少しだけ戻す。 「落ち着いてやれば絶対にできる。緊張してとち狂うな」 千島が声をかける。緊張とは無関係に音をとち狂わせる千島が何を言うか、 などと言ってはいけない。硬く、硬く沈黙を守る。 「そうだ、観客などカボチャと思え、という。だから今日はヤクザの本拠地に 乗り込んだと思えば緊張など消え、なぜこける」 ちなみに全員思い思いにこけた。 「千島さん、それでなんで緊張がとけるんですか」 良識ある生徒1がかろうじて反撃する。 「力がみなぎってくるだろう」 千島の攻撃。良識ある生徒1は息絶えた。 「千島さんの力の元はヤクザなんすか」 生徒2の華麗なるつっこみ。 「いや、クラスは仲間だ。お前は敵だと思っているのか」 まさに正論だった。良識ある生徒2は自爆した。 「大丈夫。私が保証する。このクラスには丹沢、橘」 俺に目線が向く。向かい合った千島に、目で続きを促す。 「加えて新島がいる。新島のパーカッションに合わせれば問題はない」 大きな歓声が聞こえてきた。前の組の舞台が終わったらしい。 沸きあがる舞台の裏で気合を入れなおして、音楽組が持ち場に着く。この学 校での最後を飾る学校祭が始まる。そう、このクラスには何よりも千島がいる。 最高の舞台にしよう、そう思った。 照明が消える。見渡す。主旋律パートが前面。ベースが右端。副旋律が主旋 律の背後。ストリングスが斜めに並ぶ。そして新島が全員の前、俺は背後に陣 取る。一人一人が準備完了の合図を送る。八人目の右手がひづめの形をしてい た。心の中だけでこれから起こる惨劇に一筋の慈悲を願う。案の定千島がきぐ るみ吉岡に血の制裁を加え、皮を剥ぎ取る。この雰囲気で一人全裸というのは なかなかにシュールな光景だ。十四人の合図が揃い、俺が手を挙げる。それを 見て丹沢が手を振る。共に準備完了。千島に最後の合図を送る。もう、後には 引けない。照明、オンだ。闇の中に長身長髪の影が浮かぶ。 「これより三年七組の舞台発表を行います」 マイクを通じ、千島が強くてどこか優しげな声を響かせる。 「五十年前、北の小さな島で勇敢なる戦いがおこなわれました。それはこの国 の目指す方向を変え、多くのものを生み出し、多くのものを失わせました。私 たちは代わり行く北の島の姿に、三年間培ってきた七組の誇り、そして失われ たものへの哀悼、生まれゆくものへの誕生詩を添え、『果敢なる誇り』を演じ ます」 強い声が宣言し、拍手が起こる。 ちなみに俺は見ているだけである。合図となる台詞と同時に新島が完璧なタ イミングで踏み込むのを確認。テンポと演劇は完全一致だ。今回が最初とは思 えぬ新島の記憶力である。次は新島の出番はフットペダルのみ。優しい曲調で オーボエが響く。ソロシーンにも新島が手で合図を送り、ソロから合奏への切 り替わりも難なく通過。ラスト、戦闘シーンのテンポ160が一番の難関であり、 一切台詞のない四分五十二秒だ。演奏だけで全てを語る最重要シーンだ。新島 の身体に力がこもり、ドラムセットを叩きつける。何度も見てきた俺ですら圧 倒される重厚なシーンとなった。おかげで千島プロデュースの悲惨なシーンも ある程度見られたものとなる。このまま最後の役場篭城シーンへと突き進む。 最後。一気に曲調を変え、ストリングを主に切り替える。新島も弱くサイド を叩くのみ。そして物語が終盤に入る。 スポットライトが舞台の一点だけを照らし、その真ん中には千島がいる。 感慨にふけりたいところだが、そうはいかない。この後に最重要タスクが待 っているのだ。千島以外の演奏組、演劇組はいっせいに移動を開始。新井と松 岡がギターの準備をし、新島が顔を下に伏せ、スティックを握り返す。俺も電 子オルガンを灯す。LEDを確認。 上段はストリングス、下段はピアノ、ペダルはシンセベース。初めての演奏 以上の緊張がこみ上げる。 「われわれは果敢なる誇りをもって全国民に告げる」 終わりの始まりだった。 「立ち上がれ。応えよ、この島からの呼びかけに」 客席からざわめきが漏れる。武器を取れ、という言葉を抜かしたからだ。舞 台を見る。裏方に徹した丹沢が俺に笑いかける。丹沢の手に握られた校旗がこ こからだと見える。こんな程度のざわめきに怯えていては最後の爆弾に耐える ことはできない。 「たとえこの島から全てが消えようとも、われわれの守ろうとしたものが果敢 なる誇りであることを」 言い放ち、照明が舞台全部を光に換える。真ん中には校旗。俺たちの誇りの 証だ。 「この島から奪われたものに鎮魂の詩を、そして取り戻すべきものに誕生の詩を」 千島の声が微妙なざわめきを完全に断ち切り、校旗が舞台の真ん中で止まる。 それが合図だ。新島に手を挙げる。 ハイハットが四度、鳴り響いた。踏み込み方が先ほどとは違う。全てをそこ に集中させる。正確なテンポ106が講堂に流れる。四発の音をきいて右手を一気 に滑らせる。俺の踏むベースと同時に松岡のギター、そして新井が続く。舞台 からは二十八人分の声。 俺の曲をバンドで演奏し、クラスが歌い、そして その中心には新島がいた。 二年間離れていたドラムセットを叩き続ける。一点のミスもない、正確で情 熱的なにリズムだった。こんなにも爽快で、重厚な音、聞いたことすらない。 これが新島の自由で、誇りなのだと思う。新島を見る。一心不乱に叩き続け る。肩までの髪が揺れ、服を振り乱す。 客席のどよめきと混乱が歓声へと変わり、俺たちの歌声に続く。 五分間。演奏の終わりは俺の右手。音色はピアノ。アルペジオで締めくくる。 この曲は生まれゆくものへの誕生詩となりえたのだろうか。 大丈夫だ。なっているに決まっている。全てを出し尽くしたのだから。 松岡と新井が舞台の上に上り、俺が新島の手をとってその跡に続く。そして 舞台の上で待つ丹沢と千島と、クラス全員。罵声と拍手の中に、不器用すぎる 俺たちがいた。 爽快だった。どんな罵声すらも賞賛に聞こえた。 学校祭が終わり、講堂に全員集合し、祭の頭を冷やして解散。はずなのだが 千島だけが欠けていた。舞台の幕を下ろした直後、全員をねぎらう言葉を三秒 で片付け、控え室前で待ち構えていたおっさん数名に取り囲まれて連れて行か れたのだ。 最後の最後まで言った。大丈夫、このクラスには橘、丹沢、そして新島がい る。隣に座る丹沢を見て、少し重苦しい気分を変えることにした。 「ま、予定通りだな。演奏も期待してよかったろ」 ぎりぎり間に合った演奏組を自慢する。 「はいはい、演奏のおかげでずいぶん引き立ちました」 なかなかに言ってくれる。 「でも、新島とここまできてほんとうによかったと思ってる。俺は」 それだけは伝えておきたかった。 「それに千島さんでしょ、幸一は。頑張りなさいよ。千島さん、幸一のことを 大分意識してるわよ。だってねえ。千島さん、私に幸一の話をよく聞いてくる しねえ、幸一のライブのチケットも取ってあげたこともあったし」 新島にチケットが渡ったルートが今になって分かる。丹沢から千島、千島か ら新島。それで新島と出会って。小さいながらも奇跡のようなものだ。 「終わったら千島さんでも誘って打ち上げとくか。新島も入れて羊一頭くらい 食おうぜ」 努めて明るく言う俺に 「うん、賛成」 丹沢の歯切れが悪い。隠すことなんてできないのだ。 「千島さん、どうしてんだろうな」 いくら千島であっても、あそこまで型破りをしてしまっては勝ち目がないの だろうか。それともまた俺たちをかばっているのだろうか。 「私、この演目するって決まったときに強く断っておけばよかった」 だからこそ俺は強くありたいと思う。 「心配すんな。あの千島さんだぜ。絶対負けるか。もし千島さんが負けたら俺 が殴りこみに行ってやるよ。弱いけどな」 「あはは、邪魔なだけだよ。幸一だったら」 いつのまにか講堂のざわめきが消えていた。前を見ると校長が壇上を陣取っ ている。講評と表彰が始まるようだ。 静かにしろと叫ぶ矛盾した放送が流れ、校長が当たり障りのない講評をおこ ない、なんとなく拍手に包まれる。 「表彰前の苦行ってところだな」 「これで生徒会も引き継ぎ、いろんなものの区切りの前の挨拶なんだよね。な んか感慨ぶかかったなあ」 校長のスピーチに感慨を抱くようになったら終わりである。 「じゃあ次、舞台発表の表彰を行うからなおい聞けよそこ。えーと、生徒会長 にマイクを譲るぞ」 教務主任だ。誰も聞いていない超へたくそな放送が終わり、三年生の生徒会 長最後の仕事が始まる。 「ただいまマイクを代わりました。生徒会長の木下です。この表彰は来賓、保 護者の方、そして先生の投票で順位を決定した後」 口上はいーから結果を言えよ。そんな野次が飛ぶ。舞台下で生徒指導部長と 教務主任が静まれと吠えるがあまり効果はない。 「では三位より発表します。三位は二年四組です。項目、演劇。発表内容は『 夜中の展覧会』です」 拍手が起こる。手元の栞を読むに内容ではなくパントマイムかマスゲームに 近いもののようだ。斬新な切り口での発表が高評価の理由らしい。一つ年下の 代表が前に出て表彰を受ける。 「俺も一度は前に出たかったな」 「何をおっしゃるやら。私は補佐役だけど、幸一はスタンドプレーの見本じゃ ない」 いずれにせよ、今回一位であろうとも俺たちは壇上に上ることはできない。 もし、上がることのできる人がいるとすれば千島さんだ。この発表の代表者な のだから。 「二位。ラグビー部、サッカー部合同。項目、演舞。発表内容は『〜蹴鞠〜男 と漢のぶつかり愛』です」 笑いと拍手が起こる。これは俺も見た。ラグビーボールでリフティングをす るものだ。大きく言えば大道芸に近い一面もあったが、分かりやすくて受けも よかった。両部の主将を六人で支える筋肉の塊が舞台の上で表彰を受ける。最 後の最後まで笑いを狙い、中身は真剣かつ斬新。妥当なところだ。 隣の丹沢の腿をつつく。 「やっぱ、俺たちの発表はだめだったな」 「そんなことないって。絶対次だから」 確かに一位は三年生の発表が貰うことになっている。そして俺の目から見れ ば三年七組、俺たちの発表は一番力我こもっていたであろうし表彰を受けても おかしくはない。だが、内容が内容だ。あの罵声の飛ぶ内容で一位というのは ありえない。そして万一、一位であったとしても三年七組が表彰を受けること のできる可能性はほとんどない。なぜなら 「では今年の舞台発表、一位を発表します。一位は三年七組。項目、演劇。発 表内容は『果敢なる誇り』です」 今、このクラスには代表がいない。隣に喜びに旅立つ丹沢には悪いが、これ はクラスの表彰ではない。 あくまでもクラスを引っ張った代表者の表彰だ。 だから空っぽの壇上はつまり、そういうことを告げていた。 「えーっと、三年七組の代表の方、出てきてください」 下から野次が飛ぶ。千島さんだろ、出て来いよ、と。 「え、千島さんですか。すいません、千島さん、いらしてください、お願いし ます。そうしないと」 そこで放送が途切れる。 「そうしないと何だろうね、幸一」 本気で何も知らない丹沢が隣ではしゃぐ。万一に備え、いつでも飛び出せる ように周囲を見渡す。何かがあっても丹沢だけは守らなければならない。 「三年七組の表彰を取り消すことになります。千島さん、出てきてください」 |
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