土曜日であるが、昼からも学校は絶賛稼働中である。 最後の全体練習だ。学校は朝から大忙し。あっちこっちで目を疑うようなコ スプレが練り歩き、宗教じみた掛け声が校舎にこだまする。 べんとらー 古すぎる。 「橘くん、春だと思う、だから」 新島が結構ひどい突っ込みを平然と言い放つ。指を指した方向には世捨て人 のような一団。桜の下にコタツを引っ張り出し、ヒーターに乗せたイモを無意 味に眺め圧政に苦しむ勤労学生の自由と愛を叫んで惰眠をむさぼる。 「ほんと、春だな」 春である。 北に位置するこの土地にだって桜は満開。短い春が駆け抜けようとしている。 「学校祭、初めて参加する、だから」 新島にはこの景色がどう映っているのだろう。この学校に来て、初めて迎え た最後の学校祭なのだ。 「ここから始めればいいだろ。振り返るならいつだってできる」 そう締めくくることにした。 時間は昼休み。場所は植物園前。俺が購買から強奪したパンを二人で食べ、 空を見上げる。考えてみれば今日は朝っぱらから隣に延々と新島が控えていた。 始業時間前から音楽室にこもり、これまでの遅れを全て取り戻させる勢いで 練習に打ち込む。さすがにクラスを巻き込むわけにはいかないのでパーカッショ ンパート以外は俺が電子オルガンで演奏させられたわけだ。朝からの激務をと りあえず癒す。新島相手の会話もそれなりに慣れてしまうのだから不思議だ。 「練習、完璧だったな。お前のリズム刻みには寸分の遅れもない」 「リズムは大丈夫、だけど」 だけど。だから。そこで言葉を区切るは新島の癖だ。 「ドラムの位置を変えて欲しい。そうすれば演劇の進み具合で微調整できる。 もっとよくなる」 とんでもないリズム感覚をさりげなく披露する。 朝の会話を一瞬思い出し、昼休みを早めに切り上げ大急ぎで千島に新島の提 案を伝える。 「ドラムセットを前面に押し出せばいいんだな」 一秒で話を理解した千島が二十秒で隅に配置されていたドラムセットを理想 的な位置に持ってくる。 「通常の三倍増しだな、赤いぜ千島さん」 ついつぶやいてしまう。 「でも、きっと千島さん、うれしいと思う、だから。あんなに楽しそうな千島 さんを見たの、初めて」 ずっと近くにいたはずの新島も初めて見る千島の姿だった。悠然と構え、堂 々と主張し、深い孤独に囚われ、決して表に立とうとしなかった千島。その千 島の精一杯の姿がただ、心強い。 「千島さんのこと、橘くんにお願いしたい、きっと似合っている」 はい? そして午後。講堂に場所を移し、本番の舞台で演劇を二度通す。照明に大道 具は丹沢が惚れ惚れする勢いで指示を出す。今更ではあるが、演奏組と演劇組 のほかに演出組を作っておけばよかった、そう思う。流れるような舞台を注視 する新島がハイハットペダルを踏み込み、演奏が開始される。ほんとうならば 演奏組が全員で演奏に入れば格好いいのだが、新島はバスペダルを踏み、リズ ムを作るのみに留まる。 「演奏組だけであと二回は練習させてもらえないと演奏しない。私にも演奏の 誇りがある、だから」 全員の前で静かに言いきった新島の言葉を尊重することにした。全員が完璧 にそろうのは本番のみとなる。演劇、演奏共にほぼ問題のない仕上がりで幕が 下り、全員での歌も卒なく決まる。千島の言葉によると、史実に基づき流行歌 を最後に据えたなどと言っていたが、俺作曲の同人レベルの曲が最後を締めく くってよいものなのか今更ながらに気になる。 それでも誰もが満足そうな顔をしていた。 新島と出会った日のこと、ドラムに誘った日のこと、千島の孤独な部屋、新 島の本気、丹沢と坂本講師の思い。いろんなもののおかげでここまで来た。長 い、長い一週間だった。 「よくやってくれた。私からも文句をつけることは何もない。明日は七組の誇 りをかけて演じよう。橘、丹沢、何か言っておきたいことはあるか」 いつの間にか完全な仕切役と化していた千島が地声を講堂に響かせる。 「あ、みんなお疲れ様です。演劇組はもう練習いいから、明日もこんな感じで お願い。風邪と怪我にだけは気をつけて明日来てください。幸一からも一言、 お願い」 猫を三匹ほどかぶった丹沢がマイクを通じて呼びかける。その丹沢からマイ クを受け取り、 大きな爆弾を投げ込む。 「演奏組は居残りな。後二回通させてもらう」 ほんの少し顔をそらした新島に笑いかけてやった。顔を染める新島に、心地 よい笑顔の千島と丹沢に、アホみたいに口を開けっ放しの生徒たち。 「橘、丹沢、感謝する。最後に私のほうからも一つ言わせてくれ。この一週間、 よく頑張ってくれた。このクラスはもう、私が引っ張る必要などない。私が前 に立つのも今日までにしようと思う。そこで明日は新島に全て任せたい。新島 のパーカッションは間違いなく明日の要となるはずだ。異議のあるもの、挙手 してくれ」 真意を掴みかねる。確かにもう、千島がクラスを牽引する必要はなく、明日 は実働の俺たち、何よりも新島が頑張らなければいけない。 クラスに溶け込めなかった新島に注目が集まる。その真ん中で、新島が強く 顔を上げる。 「新島、全ての責任と栄誉を受けろ。お前にしかできないことだ」 丹沢が新島へと向き直る。 「うん、私からもお願い。頼りない演奏を支えてくれるのは新島さんだけだし ね」 手を差し出していた。差し出された丹沢の手に恐る恐る、新島が手を伸ばす。 全員の注目を浴びた新島がこの上なく顔を赤くし、それでも目線だけはずら さずに強く丹沢を見て、 言った。 「ありがとう」 拍手の中、どんなひらがな五文字よりもきれいな言葉が確かに、俺には聞こ えた。 演奏組の練習は新島の希望通り二回行って解散にする。音楽室に残るのは新 井、松岡、そして俺と新島。 このメンバーで始めるバンド活動の最初の練習だ。演劇終了後、全員で歌う バンドの曲を練習する。電子オルガンに電源を入れ、新島に視線を送る。ドラ ムパートは新島が作ったものだ。否が応でも力が入る。 この舞台発表が千島にとっての誕生詩であるなら俺たちCapellaのメンバーに とっても誕生詩だ。そんな都合のいいことを思いつく。 「新島、このままバンドに入ってみるか」 思い返せばそこから始まってこんなところにまで来たのだ。 「うん、かわいい子は正義だよ、はいっちゃえ」 松岡が相変わらずの調子で誘う。三対一。余裕勝ちの構図だ。 「ああ、俺も松岡も橘に貞操奪われて入らな」 意味の分からない新井の口にガムテープを張り、外に放り出す。二対一。内 部分裂は想定の範囲内だ。 「入ってもいいけど一つだけ、お願いするから、橘くん」 松岡が後ずさりと半笑いを残して音楽室から去る。一対一。 「ああ、なんでも願ってみろ」 聞いてやろうと思う。 「じゃあ、橘くん。学校祭が終わったら」 終わったら殺しにかかるのだけは勘弁な。もう次は絶対に奇跡を起こせる気 がしない。 「月曜日、学校の坂の下で待っているから。来て」 ……はい? |
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