音楽室である。 背後霊のようにひっついてくる新島はとりあえず視界の外へ。離れてしまう と目で追いかけたくなるが、近くに居ると目を逸らしたくなる。中々に損な性 分である。 新井と一緒に演奏組の指導をしながら、その視線は視野限界のぎりぎりにい る新島を見ていた。新島は演奏組からの好奇の目線に何のおびえも示さない。 きっと、強い人なんだろう、そう思う。二年とちょっと、一人で生きてきたの だ。並大抵の強さではなかったと思う。決して楽器には触らず、ただ、無表情 で一見投げやりな視線の先に俺の姿を映すのだろう。その先に何を見ているの だろう。 練習途中で坂本講師が音楽室を出る。昨日のけんかの痕跡はその顔に見えな い。それでも普段に輪をかけて筋金入りの無愛想になるわけでもなく、ただ淡 々と鍵をピアノの上に置いていった。 夕暮れの残光が消えるころ、練習も終えて解散を告げる。扉を開けると少々 だれ気味の空気がそのまま外に流れ、変わりに演劇組の歌指導に向かっていた 松岡が入ってくる。迷惑ではないが役にも立たない新島の加わったいつものメ ンバー。とりあえず教室の掃除と片付けだけをやってしまう。 「新島、今日来てみてどうだった」 午後七時半。暗い外には街灯に照らされた桜が散る。その風景を捉えて離さ ない新島は、何の反応も示さない。続けることにする。 「お前が入ってくれれば演奏は全員が揃う。やれ。これは頼みじゃない。俺か らお前への個人的な命令だ」 だから。 「新島。パーカッションをやれ」 言った。松岡がその様子を遠くから見守る。 「相変わらずね、橘くん。私が入ったときもそういってた。これは俺の個人的 命令だ、お前は歌え、って」 そういえばそんなことをいったような気がする。新井と一緒にいた橋の下。 突然現れた松岡。こいつしかいないと思った。こいつは俺に会って歌うために 来たんだと思った。世界は俺を中心に回っていた。 いや、今でもそう思う。俺は自分を中心に世界を回してやる。そうやって必 死に生きている。 「ああ、それ俺にも言ってたな、橘。初めて会ったとき、俺の命令だ、一緒に するぞ、って」 新井もそうだった。こいつとならやっていける、そう思った。 「ま、お前たちに頼んでもついてこないだろ。あれが俺の誠意の見せ方だ」 言い方一つで格好良く見せてみる。 「えらくワンパターンな誠意だな」 「しかも唯我独尊街道つっぱしてるし。ほんと、橘くんについてきてよかった んだかどうだか」 ってつっこむな。 しばらくの沈黙の後、新島が立ち上がり、ドラムセットへ向かった。細い指 がドラムの縁を触り、言葉を始める。 「私、やっとドラムに触れるようになった。まだ、演奏に自信がない、だから」 何も言えなかった。俺だって新島に沈黙で言い続けていた一人なのだから。 お前はクラスの仲間じゃない、と。 「ドラムは練習する。今からでも練習する。でも演奏はできない、だから」 静かな音楽室にそんな言葉が浮かんだ。 「明日、全体練習だ。お前はドラムセットに座れ。それだけでいい」 そう、そこからだ。演奏できないという意味の分からない言い訳など通さな い。あれほどの演奏をできる奴だ。 「ま、橘。その辺でやめとけ。もう帰るぞ。どうだ、全員送ってやるけど」 新井が車のキーを回す。廃車を改造した自分の車がよほど自慢らしい。 「うん、今日も頼むよ、橘くんはどう? 」 松岡に振られ、新島の顔を見る。 「新島は送ってもらうか」 ほんの少しだけ顔が下を向く。それが解散の合図だった。 「新井、頼む。俺と新島も送ってくれ」 音楽室の電灯を消し、鍵を閉め、新井の車に乗り込む。廃車とはいえ、大型 車だけあって乗り心地は最高だ。 新井が無駄に三速発進などしなければ、の話だが。 笑えるくらいに巨大な家の前で松岡を降ろし、次に新島の家へと向かう。不器 用ながらも丁寧な道案内のおかげでアパートの前に車が到着したのは短時間。 さっきの松岡の家と比べることすらできないボロアパート住まいだ。助手席の 窓を開け、新島に顔を出す。 今度は返してくれるだろうか。挨拶すらされることのなかった新島に祈るよ うに言う。 「また、明日な」 車越しに目線が出会う。 「また、明日、学校で。待ってる」 街灯すらない道に立つ新島が言った言葉だった。新島と出会って、千島に新 島のことを頼まれてよかった、そう思った。弱く手を振り、シートの中に身体 をうずめる。 「いい子だな、新島さんってさ」 アクセルを踏み込んだ新井が言う。返事は返さない。ギアシフトの一瞬の減 速が優しい加速度を感じさせる。 「見た目もかわいいけど、絶対新島さん、お前にべた惚れだぜ、ってお前に言っ ても仕方ないのか」 少し笑えた。新井ですら、そのことには突っ込まれたくなかった。 「誰かが俺を好きになるのはそいつの勝手だろう。俺に気分がないだけだ」 だから俺は人を傷つけるのだろう。そんな詭弁を使って自分を守るのだろう。 「もったいないね。あれほど純粋に思いつめてくれる子なんて二度と現れない ぜ」 そもそも新島が俺のことを好きであるという考え自体が間違っていると思う。 あれほどの才能を持っているのに無表情で、無感情なやつだから気になったの だと思う。 「新島は俺とはつりあわない。俺なんて新島の肩を一瞬だけでも押せれば十分 だ」 新井からの返事はなかった。俺の家が近づき、ようやく言葉を思い出す。 「重症だな、橘。お前のごたごたは知っているつもりだが言わせて貰うぜ」 聞くことにした。 「新島さんを頼むぜ。それにお前も好きなんじゃないか」 新島の力になってやりたいと思うし、頼まれたことはとてもうれしい。あれ ほどの人の背中を押すことができるなら本望だ。なんといっても丹沢に感じる ような生理的うっとうしさを覚えない。 だけど好き、というのは違う気がする。 「新島って誰もが頼みたくなる奴なんだな」 独り言になり、消える。優しく止まった車の扉を開け、思いっきり閉め、後 ろを向いたまま手を振って別れる。 明日、学校で待っていると告げた新島のことを思い、静かな部屋には電気も つけない。 |
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