千島の放送の後、演劇が始まる。三人の登場人物が舞台に現れる。思いのほ か、本格的である。 一瞬ののどかな風景、開始三十秒で一転する世界。 砲撃の効果音と共に合図。一気に疾走感を押し出させる演奏の演出のはずだっ た。 面白いほどそろわなかった。入る瞬間を逸し、五秒でこけてしまう。 まあ、そんあこともある。声なしの合図で入るということ自体が初体験だ。 演劇をストップさせ、直前からもう一度やり直してもらう。 二度目のやり直しでとりあえず演奏組の調子が戻り、入り方は微妙ながらも 演奏の体をなす。 ほっとするのもつかの間、シーンは終わったのに音楽が終わらなかった。演 奏が遅すぎたのだ。演劇が盛り上がり、演奏の盛り上がりが後を追う。演劇を 盛り上げるどころか足を引っ張りつぶす要因となっている状態だ。ほんのわず かなテンポのずれが三秒、五秒の演奏の遅れを誘発し、ものすごく格好悪い結 果を残す。 ここにきて初めて俺の演奏か新島の存在が不可欠であると分かった。音がそ ろわない理由もタイミングを逸してしまうのも、全ては正確なテンポをたたき 出す責任者がいないからだ。要となる音が何もないのだから素人一人ひとりが 正確なテンポを刻むことなど不可能に近い。 演奏そのものは要練習、全体では話にならないレベルで最後まで通す。終わっ た瞬間の微妙なざわめきに丹沢の呆れ顔が痛い。 見えてきた課題がとんでもなく巨大だった。 講堂に満ちているのは絶望感。これは練習不足などという単純なものではな い。演奏自体は練習を繰り返せばそれなりのものになるだろう。だが。 ざわめきの中に演奏への厳しい批判を聞く。 そもそも演劇と合わせようってのが無理だ、 バンドを率いるのとクラスでの協調性は違うものだ、そして。 あいつが演奏すればいいんだよ。あいつ一人がやればいいんだ。 橘に人をまとめるなんて無理だろう、絶対。 聞こえていた。 そのとおりだ。無駄な意地を張らず、俺がベースとパーカッションをセット すればいいのだ。元々俺に人を引っ張る才能なんて髪の毛一本ほどもない。新 島に協力を求められない以上俺が一人で演奏すべきかもしれない。 「橘、丹沢。もう一度合わせて互いに課題を確認しろ。演劇は演奏にとらわれ るな。演奏は橘の指示に従え。橘。声を出して全員をそろえろ。現状ではお前 が全ての要だ。」 千島が号令をかけ、投げやりな雰囲気がとりあえずもう一度練習へと戻させ る。 千島の指示通り、声を出して速い遅いと調節する。無様なまでに知りきれト ンボな演奏が余計に目立ち、三時間目終了。目標とは遥かに遠いレベルの全体 練習だった。非常に微妙な空気の中、チャイムと共に流れ解散。 「どうした橘。元気ないな、橘」 本来ならば昼食の時間ではあるが新井と二人、講堂で後片付けに追われる。 「ここまでボロボロだと思わなかったからな」 演奏自体に問題がないあたりに頭痛を感じる。 「こんなもんだろ。だいたい演劇と合わせるって初めての経験だしさ」 「でもあと六日だぜ。それでそろうか」 新井が腕を組んで笑う。 「余裕だろ。だって今日はパーカッションパートの新島が休んでたし。あいつ が引っ張れば音量も入り具合もテンポも全部そろうだろ」 そう、その新島の不在が最大の障壁だった。 新島だったら言えばやってくれる、そんな甘えがあった。だから俺は真剣に ならず、今日を迎えてしまった。 「いや、まだ新島は参加を決めてない。説得し切れなかった、といえば言い訳 だが」 救いを求めたつもりだった。 「……そりゃ、たいした言い訳だな」 新井が俺と顔を合わせる。俺の弱音は一蹴され、新井の肩にかかったギター が乱暴に揺れる。 「お前、新島さんがドラム叩くように努力して時間を割こうとしたのか」 不満げな顔が核心をつく。 「やってない、な」 言い返せない。言葉通りだ。時間がなかった、というのは仕事をするうえで 何の言い訳にもならない。追い討ちがかかる。 「お前、いつからそんな意気地なしになったんだよ。夢だけ描いても仕方ない だろ。お前は俺たちに応えるって自分で言ったんだ。俺は本気のお前だから学 校も休んできてやってるんだぜ」 その言葉で何かが折れた。 いや、折れていたことに気づかされた。 新井はそのまま何も言わずに俺を見る。俺は何をしてやったのか。自分の描 いた物に向かって何をしたのか。他人に指摘されて初めて分かる覚悟のなさ。 新島のドラムに心を奪われた。パーカッションの楽譜を渡せば二年分の罪悪 感を消したような気がしていた。どうせ新島だから何とかするだろうと思って いた。この上なく甘えきっていた。 「そろそろ覚悟決めろよな。俺はお前が全部仕切ればいいと思ってるぜ。そう なることを期待している」 それだけを言って新井は出て行く。その背中にかけるべき言葉はなかった。 逃げてばかりで、何もできていなかった。一人取り残された講堂で思い知る。 自分が真剣でなかったこと。ほんの少しうまくいっているだけでもっていた万 能感。最低だった。新井でなくても自分に愛想を尽かす。教室に戻って言い切っ てしまうか。俺が全部する。新島の役を外す、と。それとも。 教室になど戻れるはずもなかった。ただ、人から遠ざかりたくて屋上に出る。 その場所で買ってきたパンを食べた。昼食を一人で食べるのは久しぶりだ。 普段適当に付き合う丹沢や吉岡のありがたみを実感する。普段は絶対に買うこ とのない甘いパンを口に放り込み、空を眺める。さわやかなはずの春の空が、 ただっぴろく見えた。目を閉じて胸ポケットのペンに触る。ひんやりと冷たく 心を冷やす貴金属の冷たさ。 「やっぱりここか」 昇降口から声が聞こえた。千島だ。見なくても分かる。その人に向けるべき 顔を俺は持っていない。今回の舞台を誰よりも真剣に取り組むその人の思いを つぶそうとする俺には。 「言葉を預かっている、それを伝えてやろうと思ってな」 閉じた目を上に向け、組んでいた腕を解く。 「丹沢からだ。逃げるなら荷物まとめて帰れ、だそうだ」 俺の隣に立つ。 「ああ、奇遇だな。俺も今荷物まとめて帰ろうかと思ってたところだ」 沈黙が続く。 「お前は、いつの間にそんな人間になってしまったんだ」 明らかにさげずんでいるはずのその言葉が寂しく響く。 「それが、私の選んだパートナーの言葉か」 語気が一気に強くなり、最後でしぼむ。いっそのこと、殴ってほしかった。 「……なんでもない。失敗は誰にでもある、だが覚悟はしておけ」 千島が背中を見せ、昇降口に戻る。 「今日、クラス会を開く。新島の不在と今日の失敗、その説明くらいは考えて から降りて来い。逃げるな。絶対に自分を曲げるな。正しく、堂々とあれ」 背中を向けたままそれだけが告げられる。強すぎる背中だった。 「千島さん、俺、最初から千島さんと会わなければ良かった、そう思うぜ」 その背中に太刀打ちできる俺は、いなかった。 「……私は、お前と一緒に卒業すると決めたんだ」 千島の方が一瞬震え、影に消える。一人フェンス越しに眺めるグラウンドが ただただ広かった。もう逃げてしまおうか、そんな気分になる。 少し前。ここに新島が立ち、口笛を吹いた。新島に出会って、衝撃を受けた。 ドラム演奏に聞きほれた。新島の意外な表情に見惚れた。あの千島が俺に頭を 下げ、新島のことを頼んだ。 そして新島は音楽室に来てくれた。 俺は何をした。 俺はいつだって受身だった。 新島の口笛から作った曲の楽譜をポケットから取り出す。何も出来ないのな ら、過去にすがりたくなんてなかった。風に楽譜を任せる。 もうだめかもしれない。新島がするのはそこまでで、いくら頼もうともクラ ス発表には入らないかもしれない。三年間、誰とも話さず孤独に過ごしてきた 新島がこの期に及んで突然協力するなんて、ありえるはずもない。もともと俺 の描いた絵が無理だったのだ。今なら間に合う。ドラムは俺が電子オルガンで 演奏してもいい。それは千島の望む全員での舞台ではないけれど、それでもゼ ロよりはましだ。 突風が吹いた。手に持っていた楽譜が空に舞い上がる。新島と二人で作った 曲が太陽の向こうに吹き飛ばされ、学校のむこうへと消える。 空がまぶしくて、青かった。ここまでだ、そう思う。 言おう。新島のパートを外します。俺が演奏します、と。 |
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