誕生詩 -学校祭-

第26話 5月8日(土)

 惨劇終了二十分、気を取り直して練習を再開する。個人練習は問題がなかっ
たため、いきなりパート同士で通す。
 ばらばらのもの同士をつなげていくのは音楽の基本である。ピアノだったら
右手と左手に分けて練習し、両手を合わせる。最初はお互いが足を引っ張るだ
けだったような二つの旋律が、同じことを回し車のように繰り返すことで秀逸
な演奏となっていく。
 音楽は全くばらばらの人間をつなぎ合わせ、その一点にのみおいて同じ方向
に向かわせる。集団での行動が苦手だからこそ、俺は全員で合わせる演奏が好
きだ。
 各パートの音を聞く。最初にしては音に乱れは存在しない。幸先のいいスタ
ートだ。
「よし、じゃ、全員で合わせてみるか」
 言ってはみたものの、反応はいまいちである。時間も五時半を回っている。
もう終わっておくほうが無難だろう。最初から飛ばしすぎるとろくなことはな
い。換算することにし、新井、松岡と教室の片付けだけをしておく。
「橘、今日は食事、どうすんの。車乗ってくなら付き合うぜ」
 新井は何かと自分の車に人を乗せたがる。新井の車に欠ける情熱は並ではな
い。
「あ、すまん。あいつのこと忘れてたわ」
 先ほどパン食い競争で吹っ飛ばされた吉岡の残骸を指差す。さすがにあのま
まではかわいそうだ。
「あんなのほっといていいのに、橘くん」
 結構ストレートな発言をかます松岡に
「そうか、じゃ、また来週な」
 さっぱりした発言の新井。二人に礼を言い、先に教室を出てもらう。
「で、吉岡。起きろ。俺たちも食事でもしようや」
 床に刺さったままの吉岡を引っこ抜く。
「は、って橘。俺どうして床から生えているんだよ」
 意味不明な発言など最初から相手にせず、首を引っ張って教室から出る。
 吉岡と連れ立って街に出た。やたら広いくせに一方通行の道を抜け、ゲーセ
ンでリアルファイトを繰り広げかけた吉岡に後ろから殴りかかって昏倒させ、
本屋でグラビアを冷やかしている吉岡の横で二次元と戯れ、スポーツ用品店に
付き合う。目を輝かせて理由も不明なのに高いバスケットシューズを眺める吉
岡を残して、外に出る。午後七時過ぎ。吉岡がスポーツ洋品店から出てくるま
で暇だ。楽器店にでも行くことにした。
 特に欲しいものがあるわけではないが自分の持つキーボードの後継機なんか
があると触って確かめてみたくなる。人気バンドの楽譜に目を通し、太ももに
指を立てて暗譜し、展示用のキーボードを触る。隣にはドラムスティック。何
が違うのか十種類以上のスティックが目に映る。
 楽器店を出ようとするところで聞いたことのあるバイクの排気音が耳に入る。
振り返ると赤い巨体が歩道に滑り込み、エンジンが止まる。
 坂本講師だった。ヘルメットを取ったその背中に声をかける。
「先生、楽器でも見るんですか」
 ちなみに坂本講師が楽器を扱っている瞬間というものは見たことがない。音
楽室に鎮座するいかにも怪しげなバイオリンケースが頭をちらつく。
「……ああ、橘、ね。格好いい素敵な人だったらよかったのに」
 そりゃ悪かったな。格好良くなくて素敵でもなくて。
「これでも女性の悩みはつきないんですけどね」
 丹沢とか千島とか新島とかキワモノ揃いだ。
「むしろ女性が橘について悩んでたりしてね。それより食事でもしようかと思っ
てさ、どうせ吉岡一緒でしょ。呼んできて」
 明らかにはぐらかされた感じだが、食事は魅力的な選択肢だ。
「はい、それほど高くなければご一緒させて」
 笑われる。
「これも何かの縁だしおごってあげるから」
 坂本講師の顔にこの日のために練習してきたようなウインクが決まる。おご
りとは超魅力的だ。即刻吉岡をスポーツ用品店の棚からひっぺ返し、坂本講師
の下へと急ぐ。
「って橘今度は何ですかまた俺悪いことしましたか」
 自覚はあるらしい。
「まあついて来い。大人の女性の魅惑的な誘いがあったんだ」
 嘘ではない。
「ほんとかよ、橘。で、魅力的な女性ってどこよ」
 魅力的な女性ではなく、誘いが魅惑的なのだが、そんなことに気づくほど賢
い吉岡は由かではない。
「誘ってくれたのはお前の目の前の人だ」
 吉岡があたりを見渡し、坂本講師と顔が合う。
「先生はいいんだよ。魅力的な女性を探しているんだ。な、橘」
 坂本講師が飛びっきりの笑顔を崩さず、拳だけを震えさせてやってくる。先
に目の前で十字を切っておく。
 見るも無残な光景が衆人環視の中執行されていた。

 坂本講師と俺、そして頬を押さえる吉岡と三人組で駅から続く商店街を歩い
た。食事である。中心部から離れ、場所は場末のラーメン店。
「先生、ここですか」
 坂本講師には少しに会わない感じの、汚い雰囲気すらするところだった。
「そう、ここ。なかなかに魅力的な場所でしょ。がっつりやりたいときには」
 確かに食事というよりは挑戦を挑む場、という雰囲気がする。外から店内を
見渡す。
 一日の仕事にやっつけられた企業戦士が晩御飯をやっつけていた。殺気が店
の外にすら漏れ出でて一見さんを威圧する。そして店のてっぺん。
 黄色い看板が居座っていた。

 ラーメンHEAVEN!

 新しい風俗かと思った。ラーメンプレイなる妄想があふれそうになる……無
理です。絶対そんな妄想できません。
「うお、もしかしてパラダイスなんじゃね、橘。きっとラーメンで新しい快感
ひぃ」
 妄想に走ることの出来た物体を俺が舞い上げ、坂本講師が叩きつける。
 その店は名前の割に繁盛しており、店内は込みすぎてはいない。
 中に入り、メニューを見る……閉じた。どうやら最近目の錯覚が激しいらし
い。
 もう一度メニューを見る。両開きのそこにはこう書かれていた。

 昇天ラーメン

「それだけかよ」
 坂本講師が首を振る。
「辛さは選べるの。ちなみに辛さの単位はメートルだから。500メートルが一
つの区切りと考えてくれていいわ」
 坂本講師の冷静な解説だった。
「私はこの島の最高峰と同じくらいでいくわ。すいません、2500メートルで」
 一般的に言う五倍、というところか。なかなかに挑戦的な倍率だ。
「2500メートル入りましたー」
 当然のごとく野太い声が店内を駆け巡り、あちこちでオーダーをこだまさせ、
厨房へと進んでいく。戦場と化した厨房で男が鍋を振るい、汗を飛ばす。
「ほんとは1500メートルくらいがちょうどいいんだけどね」
 坂本講師が耳打ちする。ほほう、なるほど。どんなものか分からないがまあ
お勧めで。
「では千五」
「ちなみに一緒に来た客は先に注文した人よりも高度を上げること。それがこ
この鉄の掟、よ」
 絶対今作ったに違いない掟だった。だが、そういわれた手前、引くことはで
きない。ここで乗らなければ漢ではない。
ああ、俺は漢さ。負けてられるか。たかだか2500メートル程度、一気に制覇し
てやる。
 登山家の気分だった。どうせ目指すならこの国一くらいで。
「では四千」
「確かこの国の最高峰って四捨五入すると、よし、4000メートルでぼっ」
 突如吉岡が叫ぶ。瞬間的に殴り倒した。
「4000メートル入りましたー」
 当然のごとく野太い声が店内を駆け巡り、あちこちでオーダーをこだまさせ
、厨房へと進んでいく。戦場と化した厨房で男が鍋を振るい、汗を飛ばす。さっ
きと同じ光景がなぜか理不尽だ。
 鉄の掟に従えばこうなる。俺は吉岡のアホのせいで最低でも4500メートル以
上を食べなければいけない。トレーニングなしだと高山病になりそうな高度だ。
1500メートルでちょうど良いラーメンを4500メートルで食えとは嫌がらせか、
新手のいじめか。もう一度吉岡を床にたたきつけて向き直る。
 店員が近づいてきた。
「あら、幸一、それから坂本先生。床には下僕の靴磨きまでいるじゃない」
 丹沢だった。カウンターの向かいから顔を覗かせる。制服のブラウスの上に
洗いすぎて色落ちしたエプロンを羽織り、足元には長靴を装備している。
「お、ここでバイトしてんのか、丹沢」
 全然知らなかった。学校が終わった瞬間に帰っている理由はこれだろうか。
「うん。ちょっとお金も必要だしね。坂本講師は常連さんで、いつもお世話に
なってます」
 坂本講師に挨拶。とんでもない場所にとんでもない付き合いがあったものだ。
「丹沢、私がこの島一を頼んで吉岡がこの国一を頼んでしまってね。というわ
けで橘の注文だけど」
 悪笑を極めたような坂本講師が身を乗り出す。
「ふーん、この土地一高い山、この国一高い山ときたわけですか」
 丹沢が飛びっきりの笑顔を俺に向ける。なんだ、とってもいやな汗が背中を
流れる。登山家になったつもりが執行を待つ死刑囚にでもなった気分だ。
 丹沢が割れんばかりの声を上げる。
「どうせなら世界一ね。9000メートル入りましたー」
 店にどよめきが走る。当然のごとく店内を駆け巡っていた野太い声が一瞬困
惑し、それでもあちこちでオーダーをこだまさせ、厨房へと進んでいく。戦場
と化した厨房の男の手が一瞬とまり、それでも鍋を振るい、汗を飛ばす。血も
涙もない店員が引っ込み厨房へと向かう。もうとめられない。遭難決定だ。
「……俺、もしかして死にますか、先生」
「うん、遺書くらいは出したほうがいいかもね」
 足元に転がっている吉岡を踵で踏みつける。無駄な抵抗をしてみるものの注
文そのものが変更されることはなさそうだ。覚悟を決め、胸ポケットからペン
と紙を取る。男橘幸一十七歳。先立つ不幸をお許しください、と。
 遺書の序文が完成したと同時に坂本講師の2500メートルがやってきた。見た
目は普通といえば普通だが少し赤い気もする。辛いのが好きな人なら物足りな
いくらいだろうか。
「おいしそうですね」
「うん、普通においしいよ、ここは。2500メートルくらいまではね」
 そんな会話でこれから起こるはずの恐怖を忘れた振り。そこに悪の根源の店
員が現れる。
「はい、4000メートル、吉岡ね。起こしてあげたら」
 坂本講師がのんびり箸をつける中、4000メートルを抱えた丹沢がやってきた。
床に転がる吉岡の襟首をつかみ、椅子に座らせる。鉢の中を覗き込んでみた。
赤さだけでさっきの三倍はある。上に浮かぶ固形の物体は唐辛子だろうか。吉
岡が口をつける。
「ううっ、身体が痛い。お、もう出来たのかいただきます」
 ものすごく立ち直りが早かった。箸を突っ込み、口に運ぶ。
「痛っ」
 坂本講師が指まで指して笑った。どうやら辛すぎて舌に痛みが走るらしい。
途端に汗が吹き出す。水を飲み干し、目を瞑る。神に祈っているのだろう。
「さすがに4000メートルは辛いな、橘」
 その言葉に頭が真っ白になった。これから来るのは9000メートルなのだ。
 ついカッとなってバールのようなもので吉岡の口をこじ開け
「吉岡、お前に人語はしゃべらせねえ」
 頭を押さえつけ、一気に麺を放り込んだ。問答無用で下僕の口の中にスープ
ごと4000メートルを流し込む。池の外に放り出した鯉のようにのた打ち回る吉
岡を押さえつける。
 吉岡の顔に半笑いが漏れる。それは微妙かつあっぱれな半笑いだった。笑い
に変わることすら叶わず顔の筋肉を微妙な形で留める。熱さと辛さで頭がやら
れたのだろう。胸元で十字を切り、心の中で仏様に祈る。今、ここに善良なる
魂が天へと召されました。
 今日何度目だ、こいつのために祈るの。
 祈り終えたと同時に厨房にどよめきが起こった。厨房前に人だかりが出来る。
誰もがそれを見ようとして、近づいた途端床を転げまわる。新手のテロが発生
したのかと思った。
 人だかりがそれを取り巻く。封印されし魔具を携えた完全防護服の店員が厳
粛に歩いてくる。
 9000メートルの登場だった。

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