誕生詩 -学校祭-

第23話 5月7日(金)

 午後の授業時間は最初から本業放棄。とはいっても隣で例のごとくに爆睡す
る吉岡とは格が違う。
 授業時間とは何のためにあるのか。俺至上最大の難問に今、答えよう。
 ずばり好き勝手するためだ。
 ということで楽譜を出し、イヤホンを耳に差し込む。それだけで授業時間が
演奏組のパート割り振りと編曲の時間に変化するのだからさすが俺だ。演奏組
から聞き取った演奏可能楽器に合わせ、パートの割り振りを変え、演劇のシー
ンに合わせて音楽を編集する。非常に頭を使う仕事だ。明日は絶対脳内筋肉痛
に違いない。
 放課後五分前、演奏組の楽譜が完成。後は練習時間と場所を決めてしまうだ
けなのだが、それは千島の役割だ。
 授業が終わり、日直が超適当に終礼を済まし、放課後に突入。その瞬間に走
り、千島を捕まえる。忙しい人なので相談は最優先だ。
「どうした、橘。放課直後に腕をつかまれるなんて、私は照れるところなのか」
 照れないでいいから。腕を放す。
「千島さん、演奏組の相談に乗ってくれ」
 千島を座らせ、机に楽譜を広げる。
「待て、楽譜を見せてもらっても何も分からないぞ」
 俺も理解しろとは言わない。
「事務的なことを頼もうかと思ってな。例えば楽器とか教室の確保とか、なん
かあるだろ」
 演奏をするには場所もいる、道具もいる、いろんな調節もいる。
「わかった。人数分の楽器の確保とクラスへの割り振りとパートごとの楽譜コ
ピー製本と練習場所の確保、それに練習時間のスケジュールを作ろう」
 一瞬だった。最強の名に恥じぬ返答にいい意味であきれ果てる。頼もしい。
たとえそれが作られたものであったとしても、その強さに誰もが惹かれる。
「ん、ちょっと待て橘。これはどういうことだ」
 千島に強い力で腕を掴まれ、机を見た。
 丹沢が今朝突込みを入れたパーカッションパートの楽譜だ。
「ああ、新島だろ。あいつすごくうまいからな、ドラム。新島がやってくれる
といいなあって思って打ち出したってとこだ」
 千島が俺の顔を眺める。俺よりも高いはずの身長がなぜか、小さくて軽そう
に見えた。きっかり五秒。
「……私からも頼む。新島のこと」
 千島がその長身を腰で折り、頭を下げる。
 あっけにとられた。新島のパートの削除を迫られると思っていた。不合理な
ことを断じて許さない千島が新島の名前に頭を下げた。あの千島が、俺の前で
頭を下げた。
 長く伸びた髪が肩から崩れ、軽く石鹸の匂いがこぼれる。その意外なほどに
小さな頭が弱く見える。千島と新島。学校では一切交わらない二人。推し量れ
ぬ孤独を抱えた二人。ふと、そんな孤独を持つ奴の支えになってみたい、そう
思った。
「そういや千島さん、新島と一緒のアパートなんだってな」
 探る。
「あそこは破格の値段で借りられる。下宿生にはぴったりだと思わないか」
 得意気に胸を張る。ただでさえ俺よりでかい身長が天を突き、ただでさえで
かい胸が天を仰ぐ。圧巻だ。身体に制服がぴったりで陰影がくっきりだ。
「ああ。男冥利に尽きる。いざパラダイス」
「……どうした橘。熱なら特別に冷ましてやろう」
 拳で熱は冷めません。
「っていうか破格のボロさだろあそこ」
「ん、知ってるのか。いや、外はアレだが中は悪くない。寝るほどのスペース
はあるし、窓を閉めても風通しなんて最高だ。誰かが通るだけでにぎやかだし、
共用の風呂だってある」
 天を突く胸が理不尽に見える。要するに狭くて隙間風が入って廊下がきしん
で家の中に風呂がない、と。それでもあそこに住み続けるのは
「新島がいるからか」
 本題に切りかかった。千島がまぶたを閉じる。
「逆だ。新島が後から来た、それだけのことだ、お前には関係ない」
 そこで言葉が途切れ、強い目線が一瞬現れる。聞いてはいけないことを聞い
てしまったのだろう、明らかに俺を敵と認識していた。
 今朝気付いたことを少しだけ探ってみることにした。
「で、千島さんよ、なんで生徒会とかに入らないんだ」
 千島は自分のことを分かっているのだろうか。
「言っただろう、それは私が臆病で卑怯だからだ。人に意見を提示できるほど
に大胆ではなく、発言に責任を持てるほど自信家ではない。今回の舞台だって
ものすごく不安だ」
 全然分かっていなかった。だから笑い飛ばしてやる。
「千島さんほどの人間が何勘違いしてんだ。千島さんはそりゃ偉いぜ。でも高
校生だろ。たかが高校生で自分に責任を取れるわけがないだろうが」
 違う。千島は自分に恐れを抱いているのだ。規格外の自分が怖いのだ。
「だが橘」
 だとしても千島には自信を持っていて欲しかった。だから遮る。
「いいから聞け。でも俺は千島さんを信頼もすればあてにもする。丹沢もそう
だ。そのことに自信くらい持ってくれ。でないと俺がかわいそうだ」
 そんな言葉でしか伝えられないけれど。この人には一秒でも長く自律を保っ
て欲しかった。その支えになりたかった。
「……なかなかに気障なことを言う。わかった。お前の言葉を自信に変えさせ
てもらおう」
 弱く笑う。俺より千島のほうがよほど気障なことを言っている気がするのだ
が、不思議と自然に聞こえる。
 千島桔梗。最大限に発揮される力で子供を守り、敵を退ける母性の究極の形。
「千島さん、なぜ『果敢なる誇り』を」
 聞いてみたかった。千島の判断材料は敵か味方か、その二つに一つのはずだ
。正義の宣伝なんてものは元来眼中にないはずだ。そんな理由がなくとも、千
島は戦う。
「……私は自分が好きだ。そして私が好きなお前のいるこのクラスが好きだ。
このクラスのある学校も好きなら、学校のあるこの地も好きだ。だからこの国
も好きだし、侵略されるなら全力で立ち向かう。だが、『果敢なる誇り』はそ
ういうものではない」
 しれっと爆弾発言をかましたことには耳をふさいでおく。
 千島を『果敢なる誇り』に向かわせるものは、千島に刷り込まれた「仲間」
と「それ以外」という発想そのものだった。その概念は多分、千島ですら破る
ことは出来ない。仲間にはどこまでも優しく、それ以外には生きることすら許
さない。千島とはそんな存在で、そのために存在している。
「あの言葉は国民に国というものの尊さを浸透させたと同時に、多くの犠牲を
生み出した。私の故郷も基地の島になり、多くのものが犠牲になった。そこで
生きてきた人も、植物さえも。だから私は伝えたい。あの時守ると決めたもの
と同時に犠牲になったものがある、と。そして五十年前に選び取った誇りを固
守し続けるべきかどうか、訴えたい。なくなったものをもう一度取り戻してや
りたい」
 強い口調ががはるか遠くを向く。強い、強い決意のまなざしが弱い光を反射
する。それは、千島の血と肉に刻み込まれた全てのものを否定する言葉だった。
 埋め込まれたものを必死に押さえつけ、立ち向かっていた。
「それが生まれゆくものへの誕生詩ってやつか」
 昨日、丹沢の送ってきたメールの言葉を思い出す。追伸と本文が逆だ、など
と思っていたが、そうではない。丹沢の伝えたかったことは千島の、その思い
だったのだろう。
 誕生詩。失われたものをもう一度取り戻し、育くむ。そんな意味を持った言
葉。
「……ったくお前はいつも」
 珍しく千島が目をそらし、謎の言葉を吐く。俺がいつも、何だというのだろ
う。明らかにやばそうな沈黙を耐える。耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ。
「あ、千島さん幸一に捕まってたんだ。なんか悪いことされなかった? うちの
旦那がエロい目線してたら熱消毒していいよ」
「しなくていいからな、千島さん」
 沈黙を破ってくれた丹沢に微妙な感謝をする。
「うん、丹沢か。待たせたな。ちょうどいいから橘も同席してもらおうと思う
。そんな話をしていたんだ」
 さすが千島。話題転換のウルトラCが華麗に決まる。下手なことを言えば丹沢
が突っかかってくるというのはお見通しらしい。
「まあ演奏担当だし、聞いておいてもらおうか」
 俺の意志を完璧に無視した会話が目の前で流れる。
「おい、ちょっとは俺に説明しろ、俺にだって」
 意志はある。そういおうとした瞬間に丹沢が吠える。
「何よ。美少女二人があんたを誘おうって言っているのに断るわけなの」
 千島が怪訝な目線を向ける。
「そうだ。女の子同士の会話に入る機会などなかなかありなるものではない」
 だそうだ。それにしても美少女、ねえ。丹沢は美少女ではなく天然ボケの健
康美、千島は美少女ではなく美青年だ。あ、あの胸では男は無理か。いずれに
せよ女の子同士の会話をこの二人に求めるならばメイド服とネコミミの着用は
必至だ。
 さて、どちらに何を着用させるか。
 千島にメイド服は普通に似合う。丹沢なんて猫そのものだ。ということは千
島にネコミミをつけさせて、丹沢にメイド服を着せてみると笑える。腹の底か
ら笑える。猫のような千島と私情を押し殺した丹沢で萌えなければ男ではない。
想像をめぐらせる。
「……丹沢、煩悩を取り除くには鐘をつけばよかったな」
「うん、とりあえず百八回ほど」
 笑顔のまま昇天できそうだった。目の前に迫った拳の餌食と成り果てた俺が
意識を取り戻すと、短針が三十度ほど動いていた。

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