誕生詩 -学校祭-

第22話 5月7日(金)

 
 学校到着は十二時ぴったり。完璧に開き直った丹沢が笑顔の下に殺意を隠し
ているのはわかっているので刺激せずに職員室へ遅刻届けに向かう。一緒に説
教を食らい、解放された瞬間光の速度で丹沢から離脱する。触らぬ神に祟りな
しである。教室へ向かうと既に昼休み、昼食だ。
「よっ、お昼ごはん、買ってきたよ」
 ドアを開けた瞬間に意味不明なことを吠える動物が現れる。きっと夢だ。
「だから動物がしゃべるんだな」
 妙にすっきりした頭で夢を整理する。
「人間ですよあなたのお友達の」
 そうか、この夢では動物が人語を語り、なんと俺はその下等生物と友達らし
い。最後の望みにかける。夢が夢であることの証左を。
「おい、動物。『僕は奴隷です』って英語で言ってみろ」
「余裕だね、アイ・アム、えっと、スレイブ」
 獣が吠える。
「スレイブだ、ス・レ・イ・ブだ、すれいぶだ。奴隷だぜ」
「アホだ自分で言ってあがる。しかも冠詞抜けてやんの」
 思いっきり笑ってやる。
「最低だね、お前」
 奴隷に最低と言われた。
 …言われた。
 ……言われた。
 ………………………
「お、目の前に昼飯。ラッキー」
「……それ、俺が橘のために買ってきたんだが、今度から毒混ぜていいか」
 そんなことをされると俺が危ないのでとりあえずバールのようなもので殴っ
てみる。
 足元からうめき声が聞こえた。
「吉岡、どうしたんだ床で……床だけが友達か、そうか」
 いつの時代も同情は無料である。
「お前が沈めたんだろうが」
 だそうだ。そういうことにしておこう。そんな夢を見ていたような気もする。
「悪い悪い、昼飯どうも。アメやるから機嫌直せ」
 適当にパンを開けてその場で食べる。目線の先に黒板を見ながら弁当を広げ
る新島が視界に飛び込み、次いで右隣で弁当を開けて馬の餌のごとく口に箸を
運ぶ丹沢と目が合った。その瞬間、目をそらす。明らかに私怒ってますつきま
しては後でつるし上げた揚句ひん剥いて吸い尽くすぞこらという顔だ。胸に手
を当てて考える。
 遅刻のせいか、そうか。
「橘。なんか気分悪そうに見えるけど、心配事か」
 お、いいところにストレス解消グッズが。
「あのさ。丹沢いるだろ。お前、どう思う」
「どうってそりゃ。まあなかなかにあれな感じだけど、あれだよな」
 動物語を日本語に翻訳する。
「おーい丹沢、お前態度はでかいけど胸は小さいなって吉岡が言ってるぞ」
 教室が凍り、薄ら笑いの丹沢がゆっくりと近づいてくる。膝が震え、動ける
ようなものではない。闘気だけでぺんぺん草すら枯れそうだった。心の中だけ
で十字を切り、惨殺現場の証言者になる覚悟を決める。
 語り継ごう。虐殺の証言者として。
 悪夢のような一秒が過ぎ去り、床にめりこんだ吉岡に恐怖の大王が無慈悲な
攻撃を開始する。ねずみ一匹を殺すのに全力を出すライオンの勢いだ。えげつ
ない音が現実を伴って目の前で起こる。スプラッター映画の方がまだ救いよう
もある。エアバッグがあっても死にそうだった。
「……うわ、ミンチだなこりゃ」
 つい言葉がもれる。丹沢の手が止まった。
「幸一、お望みとあらば合い挽きにするよ、あはは」
 鳥肌が立ち、冷や汗が流れる。こういう時の笑い声は一昔前のスプラッター
映画みたいで本気で怖い。ひまわりさえしおれそうな笑顔が心臓を止めかけ、
太陽顔負けの笑顔が氷点下の寒波をまとう。明日の降雪確率は十割を超えるだ
ろう。
「昼休みのうちに演劇組と演奏組に分けてしまうか、丹沢」
 超強引な話題転換で建設的な方向へと進むことにした。
「そうね、さっさとやっちゃいましょ。半分こでいいわね」
 問題ない。多分楽器の数も足りれば練習も不可能ではない。頭の中で人数を
適当に割り振る。
「はいみんな私にちゅーもくちゅーもく。隣のボケ専は無視していいからね」
 一言多いとはこのことだ。
「演劇は『果敢なる誇り』に決まりました。はい、拍手」
 素直に歓声が上がる。俺も何も聞いていなければ、丹沢がどんな人間か知ら
なければ素直に喜んだだろう。
「ちょっとアレンジするんだけどね。じゃあ演劇やりたい人、手挙げてくださ
い」
 適当なざわめきと共に適当な手が上がり、偶然にも十四人分の手が揃う。千
島は一応演劇に出るらしい。微妙に大人気なく、長い手を目いっぱいに伸ばし
ている。
「残りは演奏組ってことでいいか」
 俺が言う。特に反応無し。丹沢が余計な一言をかけなければ完璧に無視され
る俺にはお似合いだ。
「うん、それじゃ演劇組は食べ終わったら集まってね。役決めちゃうから」
 早速丹沢の近くには何人かが集まる。
「演奏組は何ができるか後で聞きに行くぞ」
 騒ぎが始まる前に言っておく。
 それが実質的な活動の開始だった。
「あ、そうそう。みんな知ってるよね」
 知っているわけがない。
「なんて突っ込みいれるところだろうがこのやろう」
 常識人もびっくりな突込みを華麗に決めてみる。
「……最近温かいね。みんなこのかわいそうな子は無視しちゃっていいよはい
ボクちゃん幼稚園はあっちでちゅよ」
 小学生のような啖呵が返ってくる。だが俺は大人。ここで乗ってしまえば収
拾がつかない。
「いいから続けろ、な。丹沢」
 少しむくれる丹沢の顔もなかなかに見応えがある。
「あのね、演劇の最後はみんなで歌を歌うの。で、演奏は橘くんのやってるCa
pellaに任せようか、って思っているんだけど、あんたの意志は無視でいいわね」
 微妙なざわめきと、微妙な肯定の声が聞こえる。やけに煮え切らない肯定だっ
た。
「んーそれじゃ、幸一、よろしくね」
 丹沢が強引に意見をまとめ、笑顔を極める。俺の意志は無視らしいが、うれ
しさの方が勝つので許す。ざわめきの原因を頭の片隅で考え、残りで丹沢の言
葉を頭の中で組み立て直す。マルチタスクである。
「わかった。いくらだって演奏するぜ」
 俺は演奏組の練習に加え、全体への歌の指導と新井、松岡への協力を取り付
ければいい。面倒くさい仕事が増えたといえばそれまでなのだが、俺たちの曲
を演奏できるならものすごく格好いい。
 待て、最後に俺たちの演奏、だって。
 思い当たった。クラス内の微妙な反応の原因だ。俺がいくらクラスで微妙な
人間であろうとも、バンド活動そのものと音楽についてのみあてにされている
のだ。それが微妙な姿勢で受け入れられた理由。
 「果敢なる誇り」という演劇と政治性の問題だ。「果敢なる誇り」の最後は
通常、国歌で締まる。そういう演劇なのだ。それを全く関係のない同人程度の
音楽で締める。
 これは千島の案か、丹沢の思いつきか。いずれにせよ、根性を入れてかから
なければならないのは確実だ。

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