誕生詩 -学校祭-

第19話 5月6日(木)

 
 無駄に絶好調の松岡が延々と俺にダメだしをし続け、午後七時。息をつく暇
もなくチケットとパンフレットのデザインを決め、午後八時。熱暴走寸前の脳
みそを必死で冷却し、椅子に座ってお茶を飲む。
「すまん、二人に頼みがある」
 もうこれ以上餌をもらっても芸をしませんという顔の新井と依然絶好調の松
岡が顔を上げる。松岡の仕事量は木曜日だけ飛躍的にアップし、新井の仕事量
は木曜日だけ飛躍的に低下する。理由は単純だ。好きなドラマが木曜に存在し
ないからである。一つの事実が二人の人間の正反対の結果をもたらす良い例で
ある。新島は、どうなのだろうか。
「そういや橘くん、今年の学校祭は何をすることになった」
 松岡が新たな仕事を発掘しようと突っ込んでくる。渡りに船だ。
「ああ、学校祭は音楽もするから、手伝ってくれるかお前ら。指導とか」
 二人の顔を見る。その顔二つに笑顔が灯る。
「ああ、学校休んで助けてやるよ」
 新井が男気あふれる返事を返す。決して簡単ではないはずだ。感謝する。
「去年みたいな感じね。いいよ、いつだって暇だし。血反吐吐くまで練習させ
てあげる」
 そこまでしなくていい、松岡。
「ありがと。お前たちに応えられる発表にするぜ」
 拳で机を叩き、立ち上がる。その瞬間、新島の頭が盛大にずり落ちた。盛大
に寝ていたのだろう。二人分の笑いを押し殺した微妙な沈黙と額を赤くした不
機嫌な新島がシュールな光景を作り出す。
「……そろそろ帰ろうか」
 新島の姿を察知した松岡が言葉を発し、新井が弾かれたかのように荷物を背
負う。
「俺は晩飯その辺で食べていくけど橘も来るよな」
 新井の誘いにはいつも乗っているが今日はせっかくのチャンスだ。
「いや、別にいい。ちょっとあちらに用事あるし」
 親指を新島の方向に向ける。向けられた新島が精一杯に針を向け、新井が目
を見張る。
「くそ、お前も男より女なんだな。じゃあ二人でいちゃいちゃしあげれこんち
くしょう。松岡は乗っていくだろ」
 松岡に話を振る。
「そうね、今日はお願い。それじゃ、橘くん、また今度」
 松岡が手を振る。
「よし、二人で帰るぜばかやろうざまあみあがれ橘また今度な俺も男より女だ」
 悔しがったのか馬鹿にしたのか分からない謎の言葉を新井が残して扉を開け
る。二人が音楽室から出、無駄に大きな排気音が外に響く。マンホールを踏ん
でスリップする音と水溜りをはねる音が残って、一気に音楽室が静まり返る。
「よし。俺たちも帰るぞ。荷物持て」
 残った新島に気合で向き直る。先まで寝ぼけていた顔はどこへやら、涼しい
顔で言われたとおりに荷物を持ち、立ち上がる。
「音楽室を出ろ。新島、送ってやる。家はどっちだ」
 このままここで一夜を過ごしそうな新島を立たせ、出口に向かわせる。音楽
室の電気を消し、扉を閉めて外に出る。降り止んだ雨が雨どいから少しだけ零
れ落ち、地面に小さな水溜りをうがつ。遠くの木の葉が揺れ、風に落ちる水滴
が波紋を作る。音楽室横の小川はほんの少し増水。暖かい空気が川筋から上に
向かって吹き上げる。どこかで誰かが自転車のベルを鳴らし、犬が吠え、学校
向かいの家に明かりがともりカーテンが閉まる。
「送ってやる。帰るぞ」
 もう一度言った。新島の頭に疑問符が浮かび、それが感嘆符に変わり、そし
て顔を赤くする。
「送ってくれるって、その準備とか」
 何の準備だ。
「お前が出ないと俺が音楽室を閉められない。それだけだ」
 ほほえましくて、不器用すぎる新島の表情と感情が新鮮だった。
「……でも、すぐ近くだから。一人で帰られるから、だから」
 校門を通る瞬間、ようやくそんな言葉をつぶやく。午後五時に口を開いて以
来の言葉だった。
「ばかかお前。近いからいいんだよ。遠かったら絶対送らない。行くぞ」
「でも」
 それ以上は聞かなかった。右手に持つ新島の傘を奪い、先を歩く。必死でつ
いてくる新島の頭を軽く叩き傘を返してやった。すがすがしいほどに冷たい風
の中、二人して歩く。姿勢を正し、俺の速度に一歩も送れず、一定の距離だけ
は正確にキープしてついてくる新島を隣に見る。
 その無表情がほんの少し、無理をしたものだと知った月明かりの下。濡れた
道路が淡い水蒸気を大気に放出する夜のこと。
 咲きはじめた桜の木が揺れ、ほのかに色づいた月影が夜道を照らす。桜並木
を過ぎ、程よい間隔で並んだ街灯の下を歩き、新島の歩調に合わせる。
「お前、朝早くに学校来ているな」
 なんとなく思い出したことを口にする。ただ単純に新島と話し合ってみたかっ
た。
「千島さんと一緒に学校に来ているから、だから」
 意外な名前に驚く。ここに来てまた千島だ。千島と新島は対称的な生徒であ
るはずだ。
 尊敬と畏怖。
 熱意と無気力。
 真剣と惰性。
 一見対称的な性格に共通点を感じる。
 その共通点は俺にも通じる。胸ポケットに入ったボールペンをそっと掴み、
その冷たさと鋭利な貴金属の輝きを思い浮かべる。答えは分かっている。二人
と俺の共通点、それは
 たとえようもない孤独だった。他人とは絶対に交わることのできない孤独が
流れている、直感的に感じ取った。
 新島という孤独は千島という孤独と手を取り合った。俺という孤独は千島に
助けられ、丹沢という明るさに照らされた。
 あの日、朝早くに新島と千島がそろっていたことは何の不思議でもなくて、
日常である。俺が丹沢と登校するのと同じだ。新島が学校を休むことは多いが、
絶対に遅刻しないのも当然。俺が丹沢のおかげで学校にだけは行っているよう
に。新島があれだけ授業とテストを無視し続けるのになぜか進級できるのも当
然。俺が丹沢にノートをコピーさせてもらっているのと同じ理屈だ。新島がな
ぜか集団行動や修学旅行の班分けで残らないのも当然。丹沢と一緒にいること
でなんとなく俺にも人が集まるのと同じ理屈だ。新島が学校にとどまり続ける
理由。俺が千島に助けられ、丹沢に引っ張られているのと違いはない。ふと、
思い当たる。
「お前、もしかして千島さんと同じアパートか」
 こんなうわさを聞いたことがある。千島は北のほうの離島出身で、幽霊でも
出そうなぼろアパートに住んでいる。なお、絶対幽霊の五匹は住んでいそうな
あのアパートに何の噂も立たないのは千島が住んでいるからだ、と続く。真偽
のほどは知らないが、本人に質すわけにはいかない。そんなことをすればミン
チにされた後、ひき肉にされるに決まっている。
「ミンチとひき肉は一緒、だから」
 冷静な突っ込みが斜め下から返ってきた。金魚に手を噛まれた気分だ。更な
る攻撃に備えるも、それ以上何を言うわけでもなくもくもくと歩き続ける。橋
を渡り、その向こうに噂のアパートが現れる。
 信じようが信じまいが、それはアパートなのである。本人がそういっている
のだから間違いない。青光荘などという看板が見えることからも事実なのだ。
最近塗りなおされたと見られる看板がその物体をアパートであると激しく自己
主張する。
 とりあえず外壁を見る。ヤバい。壁が剥離している。少し斜めに傾いでいる
ように見えるのは仕様だろうか。階段の塗装は半分剥げ落ち、二階を支える柱
など鉄筋が見えている。断言する。バールのようなもので殴れば一発で崩壊す
る。大家ですら修理を諦めたに決まっている。
 新島の歩く後ろをとりあえず引っ付き、一番奥の扉の前で止まる。このアパ
ートの中でも輪をかけて日のあたらなさそうな場所だった。ここまでくれば茶
化すしかない。
「すげーな、新島。お前、俺の家に来いよ。ほら」
 胸ポケットのボールペンとノートを取り出し、住所を書いて渡す。
「これ」
 新島が口を開きかける。
「俺のところは一人暮らしだからさ。いつ来ても歓待するぜ。その代わり約束
させろ」
 激しく自己中心的な約束を突きつける。
「学校祭、手伝え」
 崩壊しそうな壁に強く手を突き、新島の顔を見下ろす。
 少しだけ頷いたような、気がした。
「学校祭の楽譜はあさってまでに何とかする。それじゃ、明日また」
 返事がない。ただそこに突っ立ったままだ。
「明日、また」
 もう一度言う。次は返事が返ってきた。
「明日学校に行くって保証はない、だから、なんていっていいのか分からない」
 呆れと笑いが一緒くたに流れる。
「お前アホだろ。また明日と言われればまた明日と答えろ。別に明日来なくて
もだ」
 それが新島の孤独だった。誰からも別れの挨拶すらされたことのない人の姿
をした孤独だった。何かを真剣に考えるような顔をした後、ほんの少し顔をや
わらげ、言った。
「また明日、学校には行きます」
 それで十分だった。手を振ってきた道を引き返す。


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