誕生詩 -学校祭-

第18話 5月6日(木)

 
 解散宣言後。自席の前でかかしのように立ち続け、丹沢から箒でつつかれて
行動のスイッチが入る。箒で掃除する丹沢のケツを追いかけ、机を運び、掃き
残しをフォローする。学校の掃除は連携プレーである。お互いの癖を知り尽く
した丹沢とは考えなくとも身体が先に動く。昔母親が言っていたことを思い出
す。学校ってのは勉強をするところではなくて、手の抜き方と駆け引きを体験
するところだって。心ここに非ずの状況でも何とかついていけるのは学校生活
の賜物である。頭の中身は完璧に学校祭モード。もう一度頭の中で状況を整理
する。
 丹沢と二人では絶対にうまくいかないことなど見え見えだ。果てしなく明る
いくせに、重要なところで身を引く丹沢では舞台発表を総括することはできな
いだろうし、クラスでのつきあいの少ない俺に全体を総括できるはずなどない。
だから正直、千島が全体を総括する、と言わなければこの発表を受けていなか
った。ある程度の無理を力で押し通す千島の存在が不可欠なのだ。誰をも圧倒
する統率力、実行力、判断力。千島に存在しない力は無気力ぐらいだろう。丹
沢の言葉が少し思い浮かぶ。
 千島は深くて優しい。戦うことが千島のするべきことではない。
 だが千島ほどに頼もしい存在もいなければ強い存在もいない。
「で、丹沢。一緒にクラスを引っ張ることになったわけだが」
 掃除を終え、鞄を背負った丹沢が両手を頭に上に乗っける。
「あー千島さんめちゃくちゃ格好良かったわねえ。もうだめ、私を抱いて、っ
てやつですか」
 早速人の話を聞いていなかった。言っている意味すら分からない。
「いいから現実に戻れ。吉岡がお前を抱きにかかるぞ」
 丹沢が瞬間的に現実に引き戻され、拳が吉岡を昇天させ、衝撃波で俺が夢の
世界に飛ばされかける。何とか踏みとどまり、鼻の頭を摩る。
「演劇のネタは今から千島さんとでも打ち合わせてみるね。多分今日中にはメ
ールで脚本くらい送るよ。それじゃ、お互い頑張りましょ」
 丹沢が手を差し出す。
 握り返す。
 無駄に男っぽい握手だった。丹沢の満面の笑みが翻る。その笑顔だけでなん
でもできそうだった。丹沢の笑顔はどこまでも無敵だった。
 教室を見渡すとすでに鞄を持って走り去った丹沢の背中と生徒数名。新島は
どこにも見えない。
 音楽室に向かっているのだろうか。
 さっきのクラス会の間も普段と全く一緒の背格好で黒板とにらめっこを続け
る新島だけを見ていた。新島以外、目に入らない。新島の演奏が本物だったの
か、あの時間は本当にあったのか、実は俺の妄想ではないか。そんなことを考
え続けて音楽室へ向かう。雨に濡れた桜が曇天に一つ、空を向く。
 今朝のことを思い出す。
 廊下に一人、新島の姿。その姿にかけた言葉、強張った肩と強い目線。
 音楽室へと急ぐ。一回の廊下を走り、雨よけのトタンの下をくぐり、プレハ
ブへと駆け出す。
 新島がいた。
 遠めにも分かった。音楽室の扉の前の人影が一人の人と重なり合う。
 相も変わらず背筋だけを伸ばし、その場に立ち尽くすだけの新島が。その背
筋が何もかもを見限り、拒否していた。
「新島、待たせたか。とりあえず入れ」
 ドアを開けてやる。その途端、中にいた坂本講師と目が合う。
「音楽室は連れ込み旅」
 無責任な口にガムテープを貼り付け、坂本講師を控え室に詰め込む。新島の
肩が低い位置に見える。そっと押してやった。よろめくように中へ入る。キー
ボードを用意し、楽譜を出し、新島はまだ出入り口の前に立ち続けていた。調
子が狂う。
「座れよ」
 部屋の端の椅子に陣取る。以前と同じ場所だ。どうやら少し陰になったその
場所がお気に入りらしい。俺の真横で、キーボードの指使いを見て取ることの
できる場所だろう、多分。半分だけの上目遣いに、机の上を踊る細やかな指の
動き。何かを暗譜しているのだ。
 キーボードの電源を入れる。新島の目つきが少しだけ変化した。身体だけは
小さいままで、あのドラムを叩いた新島の姿がよみがえる。
「今日は、何をすればいい」
 拳を握り締める新島が強く言い放つ。その目つき、力の抜いた肩、張り詰め
た空気。ともそればあの千島を上回りそうな意志のこもった目。
「新島、演奏組を引っ張れ、パーカッションパートをやれ」
 そう言っていた。
 新島ならできる、そう思った。直感だった。
 無表情が赤くなり、下を向いて何かを言いかけた瞬間。
 音楽室の扉が勢い良く開き、二人分の足音が乱暴に入る。危険な沈黙を破っ
たことに二割の感謝と八割の鬱陶しさを感じる。
「邪魔するぞ、橘。ん、女でも囲ってるのかよ」
 新井が死球を飛ばす。
「橘くん、かわいい女の子と特殊部隊もびっくりな組み手を組んだって噂だけ
ど」
 松岡が放送禁止寸前の危険球を投げる。どうやら先日の新島卒倒事件その後
のことを言っているらしい。この情報網、坂本講師だろうか。坂本講師を放り
込んだ控え室のドアを力の限りに蹴飛ばす。新島の怪訝な目線が背中に痛い。
松岡に言い返す。
「あのな、胸を見ろ」
 新井が目を細める。
「松岡より小さいんじゃね」
 俺が蹴り上げ、松岡がねじ伏せる。憐れ、新井。
「俺と同じ327のプレートが見えないか。俺たちは両方327期生だ。同級生で新
島って奴」
 新島を見る。さっきまでの面構えはどこへやら、いつもどおりのヤドカリ状
態が本領を発揮する。今日はガンガゼにも顔負けないほどの棘だらけだ。少し
でも自分に突っ込んで来ようものなら全身に針を立たせて受動的に威嚇する。
かわいい、といえばかわいい。子供の頃見たハリモグラによく似ている。
「……そこに座れ、新井、松岡。俺と新島で演奏するから」
「よし松岡俺の膝の上に、って冗談ですギャグですごめんなさい。って演奏か
よ、正気か」
 むしろ新井が正気かどうか疑いたくなる。
「じゃあ新島、演奏」
 椅子で一人頑張っている新島を強く促そうかとも思ったが、やめた。ヤドカ
リのような新島が知らない人間の前で突然演奏に加わるはずがない。それに連
休前のぶっ倒れ事件だってある。下手な刺激に時間を割くのも面倒くさい。キ
ーボードを適当にスチールギターの音に合わせ、ペダルをウッドベースに設定。
電子オルガンは面倒くさいのでキーボードで演奏。
 指を滑らせた。ダンパーペダルを踏めないので長音効果はおあずけだ。それ
でも一応の骨格を弾く。繰り返しも無視して二分三十秒に縮めた演奏。軽く弾
き、そして終わる。
「……すげえ。路線が違うな」
「かっこういいね、普通に細々と売れそう」
 新井の顔が無駄に輝く。松岡が微妙かつ素直にほめる。明日の降雪確率は計
測不能だ。
「いいだろ。しかも新島はドラムも演奏できる。どうだろ、新しいメンバーと
して考えられないか」
 とりあえず新島の意志を無視したままに話を進める。
「いいんじゃね。かわいい女の子はそれだけで正義だろ、松岡」
 とりあえず新井を無視する。
「うん、かわいいは正義だからね。新井」
 松岡も無視する。前足を取り合うって喜ぶ動物二匹を視界の外に追いやった
。その横で新島がこれ以上なく身体をこわばらせ、身を縮めている。かすかに
ふるえているのは大震撃の前触れか。
「新島、あそこの二人は無視して、うちに入ってみる気はあるか」
 直球勝負を挑む。
「……ドラムは、まだ叩けない。だから」
 聞き間違えたかと思った。
「なんでだよ、お前十分叩けているだろ」
 参加したくない、ならわかる。だが演奏をしない、とは不可解だ。あれだけ
のテクニックでドラムを演奏することのできる才能と音楽を作り上げる才能。
その才能を持ってはいるのは間違いないはずだ。
「ま、いいんじゃね。音楽は嫌いじゃないんだろ、新島さん。ならいつだって
歓迎する」
 新井が笑顔を新島に向け、新島がかろうじて分かるレベルで首を縦に振る。
そしてお気に入りらしい陰に陣取り、動かなくなった。これ以上新島の話題を
続けるのもお互いに苦しい。
 とりあえず練習だ。合図をし、電子オルガンの電源を入れ、楽譜を三人分並
べる。

               ←5月6日(第17話)へ 5月6日(第19話)へ→

 

                『誕生詩』タイトルへ


               トップへ