植物園でののんびりした昼食をこの上なく贅沢に終え、澄み切った空の雲を 眺める。満腹感に微妙な温かさが眠気を誘う。丹沢も眠いらしい。普段電車の 中でするように、頭を預けて寝息を立て始める。 感心するほど寝つきがいい。 意外なほどに細い髪が風に流され、頬にくすぐったい。こうやってじっとし ていればなかなかにかわいい奴なのだ、が。 突然その体を起こす。 「ん、どうかしたか」 首を左右に振って何かを確かめる。 「なんか低い音、聞こえない? 」 丹沢が耳に手を添える。感づく。 「ああ、これか。トラクターだろ」 「……学校にそんなのあったっけ」 もちろん存在する。トラクターだけではない。小型のショベルカーもクレー ンも、八トントラックも、その他もろもろ重機もある。全ては学校付属の植物 園と農場のためで、運転するのはたった一人。 「トラクターといえば千島さんだろ。確か千島さん、二年の冬に運転免許全科 目取得したって言ってたぞ。気になるなら見に行くか」 丹沢が立ち上がる。顔が好奇心に塗りつぶされる。 「うん、行く行く。さすが千島さんね。できないことは何もないんだ」 音楽は壊滅的にダメだが、丹沢の言葉通り千島に不可能という文字は存在し ない。植物園の角を曲がり、西向きに広がる広大な農園へ。 「あ、ほんとだ」 突然止まった丹沢にぶつかりかけてその姿を確認する。赤い車体の上に作業 服の長髪長身。千島桔梗、その人だ。鷹のように遠くを見据え、寸分の狂いも なく畝立てする。大型機械に美少女。何かの戦隊ものを思わせる状況ではある がトラクターと千島である。大型特殊と校内最強生徒である。千島は世界一ト ラクターの似合う女かもしれない。 「凛とした、ってああいうのを言うんだろうな」 思わず言葉が口をつく。 「うん、ほんと格好いいなあ。千島さんって」 キャノピーの中から手を振る姿が見える。こちらに気がついたらしい。丹沢 が手を振り返す。 「ね、千島さんに手振ってもらったよ。今日はいい日かも」 手を振ってもらっただけでいい日になるのか。それなら、俺も手を振ってみ よう。 「おーい千島さん」 ……軽く無視された。 いじけているとエンジン音が近づき、目の前で赤い巨体を倍速ターンさせて トラクターが止まる。トラクターから颯爽と降りる体操服を着た千島がなんと も格好いい。 「丹沢じゃないか。今日はどうかしたのか」 めずらしく丹沢から声がかかる。千島は普段、まず俺と声を交わしてから丹 沢と話をするのがお約束、なのだが。 「うん、今日は図書館で調べ物してて」 猫を十匹ほどかぶった丹沢が鳥肌の立つような微笑をにじませる。軽く犯罪 だと思うが黙っておかないと重犯罪に巻き込まれるので沈黙を通す。 「そうか、休みなのに熱心なことはいいことだ」 千島が俺と顔を合わせずに話を進める。 「ちょ、ちょっと千島さん。俺には何で学校に来ているのか聞かないのか」 諭すような顔が俺に向けられる。 「橘は補習だろう。そして橘が補習で連休を明けられなかったから丹沢が時間 をもてあましているに違いない。少しは反省したほうがいい」 待て。それはない。 「そういやどうして今日千島さんが作業しているって知っていたの、幸一」 どうも一から説明せねばなるまい。 「まず丹沢。俺が千島さんの行動を知っているのは補習とバンド活動で日曜出 勤することが多いからだ。次に千島さん。今日は補習ではなく俺が丹沢に連れ てこられた。それだけだ」 一瞬沈黙が走る。 「ま、何にしても仲がいいのはいい。よかったな、橘、丹沢」 思わぬ方向に話が振られる。 「あ、あの千島さん。これは仲がいいのじゃなくて、え、っとほら、げ、下僕。 ほらそこでお座りしなさい幸一」 丹沢の後ろに青白い炎が見えた。心の底から恐怖を感じる。 「は、ただいま」 で、お座り。プライドも何もかも捨てきって保身に回る俺最強。 「とても仲よさそうに見えるのは私の目が悪いのか、私の価値観が悪いのか、 それとも」 「いや、悪いのは」 こいつ、そう言いかけて。 「幸一ひとりだけだよ、千島さん」 「やっぱりお前が反省しろ、橘」 俺か、俺が悪いのか。なぜ女というものは性別が同じというだけでこうも団 結するのか。 「せっかくだからたまねぎでも植えていくか。そうすると助かる」 白い液体に浸された小さな青ねぎの子分のような束を千島がつかむ。 「いいぜ、暇だし。丹沢もいいだろ。日差しもいい感じだし」 丹沢を振り返る。 「私も賛成。ね、千島さん。どれくらいあるの」 好奇心の塊に千島が腕組みして考える。 「そうだな。大体20cm間隔で植える。そうするとこの畝の一辺が40mだから一列 199個、まあ200だな。そして4条植えだから一畝800個の苗を植えることになる。 更に畝を合計5列作るから全部で4000個の苗を植えればいいはずだ。用意した苗 からいっても足りなくはない……ん、なぜこける」 当たり前だ。 「た、丹沢。安請け合いしたのはいいが」 「た、大変そうね幸一。頑張りなさいよ」 今日初めて意見があう。 「大丈夫だ。たまねぎの苗は強い。上から適当に土をかけるだけで十分育つ。 ではやろう」 たまねぎの苗より俺たちの身体を心配してほしかった。 軍手とビニール手袋を渡され、目の前に苗が詰まれる。延々と腰をかがめて 埋めていく。俺たち二人を足したのと同じ速度で千島が作業を進め、時折トラ クターでは作りきれない畝の端を鍬で切る。 長いはずの日が十分に傾いたころ。ビニール手袋の先が黄色く染まっていた 。俺と丹沢は千島から請け負った作業を一通りやり終えていた。二人して畑を 囲む水路の上に腰を下ろす。なんだか無駄にねぎくさい。 「終わったな。丹沢」 長く伸びる校舎の影がやさしく植物園を包み込む。 「……もう二度とたまねぎの顔も見たくないわ」 「同感。たまねぎ剣士が最強なのも頷ける」 「古いわね、幸一」 今日二度目に意見が合う。指先が黄色く染まったビニール手袋を外し、汗を ぬぐう。千島は排水路の調整をしている。 「千島さんって体力底なしよね。あの人多分この後バイトに行くんだよ」 もう帰るのも億劫なほどに疲れた俺には考えられない。 「……全てのパラメーターが255か。改造だな」 普通に考えればありえない。一ヘクタールを超える農園と面積を聞くだけで 勘弁してほしい植物園を管理するというだけでも本業並だ。 「あの人将来どうするんだろうな。女性初空軍大将とか外務次官とか何でもあ りだよな」 ぼやいていた。俺とは住む世界の違う同級生の将来。そんな人と一瞬でも出 会い、同じ場所にいたということですらいずれ自慢のネタとなるのだろう。 丹沢が遠くを見、腕を夕日にかざす。 「そうだね、千島さんならどんなことでもできそう」 地平線に落ち行く夕日がその顔に当たる。一日の作業が茜色に染まり、程よ い疲労感が少しだけ癒される。 ただただ気持ちいい一日の終わり、明日への扉。 「だろ、千島さんだもんな」 「だけど千島さん、どっちかっていうとひなびた田舎で民宿とか経営してるん じゃないかな。あと、結婚して優しいお母さんとか」 丹沢が夕日の中でそうつぶやく。少し儚げで、とても優しい目をしていた。 「そんなもんか。あれほどの才能に恵まれた人だぞ」 「そんなもんよ、きっと。千島さんにしか出来ないことって人と戦うことじゃ ないと思う。 あの人、とっても優しくて深い人だから、そんな優しい世界に いてほしい。ね、幸一」 「なんだ」 「……この世から、戦争がなくなればいいのにね」 「そうだな。なくなればいいよな」 そうすれば、俺の孤独だってなかったはずだ。春の暮れ行く金色が遠くで鍬 を振るう千島の姿を照らす。その姿は確かに強く、そして深く見えた。同じ風 景にいる俺は将来、どうするのだろう。丹沢はどうするのだろう。将来に対す る理由のない、心地のよい夢想に思いを馳せる。 農園の前で二人。仕草だけで先を促す。 「私、今日学校に来てよかった」 少し笑えた。 「いつも一緒に来てるだろ。そんな今更」 逆に笑われる。 「だから違うんだって。音楽は聴けなかったけど、こんな春の日にさ。一緒に 汗かいて、ありきたりみたいに夕日見て、当たり前みたいだけどこんな日、過 ごしたの初めてだから」 膝を抱えて座る丹沢の姿がほんの少し孤独に見えた。 だから言ってやった。 「今度はお前一人に聞かせてやるよ、演奏」 ちょっと格好つけすぎだろうけれど。 「期待しないで待ってるわ。さし当たっては毎日下僕のように登校するくらい で許してあげるし」 下僕は余計だ。だが、もうそんなことに突っ込まない。そんなちょっとした 照れ隠しが丹沢らしい。 「千島さーん、今日は帰るね、お疲れ様」 俺も大きく手を振る。ずっと遠くから振り返される腕をしっかりと見て、そ して二人の帰り道を行く。 きっと明日も、明後日も、ずっとずっといい日が続く。丹沢と笑い、馬鹿な ことをする毎日が。 Prelude out ※ 注釈 書き直し作業は2007年7月現在、ここまで終了しました。 |
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